埋葬するは骨か肉か#1
場違いであった総真と彩春が退室したのち、会議室は一気に空気が重く感じられた。
巨大な長机を挟んで腕を組む自身の側仕えを横目に、ロックはわざと周囲に聞こえるように舌打ちを落とした。
「で?どういうことか説明してもらおうか、兄貴」
苛立ちを込めた視線に兄は目を伏せ、悲痛な面持ちを浮かべている。
総真の前で語ることができないと宣った彼は、先ほどとある爆弾発言を落として早々に押し黙ってしまった。
甥に聞かせぬため、剱を使ってまで情報を遮断していたようだが、それでも漏れ聞こえてしまうことを危惧したのだろう。
告げられた言葉はただ一言。彼の肉体に関する話である。
「兄貴の体を蝕んでいるのがアビスってのはどういう意味なんだ」
300年間謎に包まれていたリュードの体を蝕む症状。
原因不明の病であり、葬術の使用によるものとも考え辛い非常に厄介な、身体の劣化。
数少ない地上を生きる人類にとって必要不可欠な存在を蝕む病の治療は、人間にとっても長年の悩みの種であった。
その原因を彼は知っていて放置していたことになる。
何故そのような奇行に走ったのか。何故病を放置したのか。
兄の健康を願い、一時でも苦痛を和らげようと長き時を奔走してきたロックにとってこれは侮辱にも似た行為である。
無論、兄が何の意味もなく家族の気持ちを蔑ろにするような人物ではないのは重々承知している。
だがそれでもこの発言は許しがたいものがあった。
「兄貴の秘密主義は百歩譲っていい。だが原因が分かってて放置した挙句、今更教えるのはどういう了見なンだ」
苛立ちを露わに片足が揺れ動く。周囲に泡が飛び散り、ぱちん、と弾け飛んでは浮かび上がる。
同時に、リュードの周囲にも同じような泡が浮かんでは消えていた。
「すまない。致し方のないことだった」
「謝罪も言い訳も聞きたかねぇ。原因と治療法は?」
「順を追って説明しよう。まず、何故今になってこの話をすることになったのかだ」
話の発端は南区の報告。アビスの出現方法であった黒い球についての話の際に、リュードが苦い顔をしたのが始まりだった。
徹底的にアビスの情報を甥へ知らせない姿勢にも疑問を持ったが、その表情は何か痛みに耐えているように見えたのだ。
激痛に耐え続ける兄だが、それとは別の不快感を味わっているようであった。
その理由を問うたときに、彼は病について言及したのだ。
「まず第一に。人間達は神が何であるか覚えているか」
「それは人間との違いについての確認ですか?」
「いいや。我々についてどこまで覚えているかの確認だ」
300年前の大戦。そこから突如として歴史に登場した神についての情報は人間側に殆ど残っていない。
海魔との戦乱の中失ってしまったと伝えられている。
長く続く5大名家の中で最も古くから存在する皇家でさえ、資料の1つも残っていない。
現状分かっているのはロックとカノンに限り神と人間は明らかに違う組成で構成されている、ということだけだ。
人間を代表し、総帥たる冬仕が立ち上がる。深々と礼をし、はっきりと否定を口にした。
「私たちは何も分かりません。この場に詳しく説明できる者はおりません」
「よい。致し方のないことだ。記録を抹消したのは私だから」
その言葉に、冬仕が息をのむ。それは意図的に神が自身の存在を隠匿したということだ。
一体なぜそのようなことが必要だったのか。
「隠匿した理由は私の体にある。ロック、私のカルテを持っているな」
「……見せるのか?」
「そのつもりだ」
長きにわたり隠し続けてきたリュードの肉体。人間が全く触れることのできなかったか彼の身に何が詰まっているというのか。
ロックはカルテを冬仕の手に投げ寄越し、大きな舌打ちを1つ。
そうして彼はリュードを睨みつけ、カルテの分析ができる猪野を睨みつけた。
「一番重要な部分は簡潔に最初にまとめてある。さっさと読め」
「拝見いたします」
差し出されたカルテは綺麗にまとめられており、非常に要点が分かりやすくなっている。
指示された通り最初のページを読み解いた猪野はその不可思議な内容に唇をかみしめた。
「何と書いてある」
総帥の促す声が聞こえても、猪野はカルテを読む手を止められなかった。
信じがたい内容が記されており、新緑に染まる瞳が文字を懸命に追う。
褐色の手が幾度もページをめくり、数分後に漸く我に返ったように手を止めた。
「これは、真実なのですか」
震える声は未だ本人も信じ切れていないと言っているようなものだ。
目の前にいる神達は全員深く頷き、カルテを記した本人であるロックは乱暴に机を叩いた。
「俺の診察が信用できねぇってのか」
「いいえ!滅相もございません!ですが……これは……」
「猪野、説明しろ」
言い淀んだ彼女に再度説明を促せば、彼女は険しい表情を浮かべたままカルテを手に取る。
最初のページに書かれた注意書きをなぞり、その一文を読み上げた。
「リュード様は……人間である、と書かれています……」
「……なに?」
言っている意味が分からない。神リュード・オルカが人間?
「馬鹿な。リュード様は既に300年の時を生きておられる。その間、葬術も発動し続けているのだぞ。人間であるはずがない」
「残念ながら事実だ。信用できないのなら後日人間達の元で検査を受けてもいい」
動揺している人間達とは真逆に神達は至って冷静だ。
それがかえって現実味がなく、冬仕は余計に現状を飲み込めず痛む頭を抱える。
「仮に……仮に貴方様が人間なのだとして……それが一体どういうことなのかお分かりなのですね?」
「重々承知だ」
「……わかりました。ロック様とカノン様については」
「彼らは残念ながら君達とは違う。ひとまず、私は人間であるという点を踏まえて話を進めさせて欲しい」
その言葉に、冬仕は困惑しながらも一度の深呼吸を経て深く頷いた。
これから語られるであろう真実の一部を咀嚼できる自信が、今の冬仕には全くなかった。
「私はロックやカノンとは違う。人間であるがゆえに、本来であれば長き時を生きることはできない。だが、300年前の大戦の折、私はある儀式を通すことで永劫ともいえる命を手にした」
大戦の結末は人間にも、そして神たるロックとカノンにも語られていない。
現場にいたのはリュードとアビスの2人のみ。この2人以外に真実を知る者はおらず、語るべきリュードは長らく口を閉ざしていた。
儀式が果たして何を意味しているのかすらこの場にいる者は理解できない。
だが、少なくとも1人の人間が長い時を生きるだけの大きな出来事が起こっていたのは確かだった。
「儀式の名は戴冠式。海魔の王を継ぐ儀式だ」
「……王を、継ぐ?」
彼の言っていることが何も理解できない。前提となる情報が少なすぎる。
海魔の王とは、先刻現れたアビス・オーレリアのことだろう。彩春より報告されたロックの発言から女王という単語が飛び出している。
そのアビスから海魔の王位を継ぐ、ということなのだろうか。
神と海魔はつながりがあるのだろうか。それとも人間側に何かあるのだろうか。分からない。頭が痛くなるような話ばかりだ。
「待ってください。詳しい説明を……」
「冬仕。今は理解しなくていい。そうだな?兄貴」
「すまない。起こった事実として認識して欲しい」
神達の静止に冬仕は立ち上がろうとしていた腰をもう一度下げる。
300年前の大戦の際にリュードは戴冠式と呼ばれる海魔の王位を継ぐ儀式を行った。その折に永劫の命を手に入れた。
この意味不明な1文だけを覚えていればいい、と念を押されてしまった。
「儀式自体は失敗に終わったが、その際に私はアビスと強い繋がりも手にした。早々に繋がり自体は切ったが、仕組みは今も私と兄妹達を繋いでいる」
「えっと……リュードお兄様とロックお兄様、私の3人は特別な繋がりがあるってこと?」
「その認識で間違いない。これにより、兄妹たちが持ち得る葬術を共有することが可能になっている」
葬術の共有。にわかには信じがたい話だ。
だが実際に神達は複数の葬術を扱っている。カノンが自己治療できるのも、ロックが戦闘に出られるのも別の葬術を用いている故だ。
「葬術以外にも共有できるものがある。アビスによる干渉だ」
「あ?どういうことだ?」
「あの人の干渉を共有?」
「正確には、お前達に差し掛かった魔の手を私が事前に肩代わりしているということだ」
疑問に首を捻っていたロックの表情が険しくなり、カノンは驚きに固まる。
そのような話は初耳だ。干渉された記憶も、肩代わりされた感触もない。
一体いつ、どのように、何を干渉されていたのか。
全身を改め始めた2人に手を掲げ、リュードは僅かに眉根を下げた。
「人間である私にアビスの命令が届くことはない。だがお前たちは違う」
「俺達はアビスの命令が届くと?」
「そんなの感じないけど……」
「私が遮断し続けていたからな。……25年前から干渉は激しくなっている。恐らく、総真を求めているのだろう」
25年前。ロックの失踪と時期が重なっている。
人間嫌いのロックが兄の現状を苦に出奔したことになっていたが、それがアビスの干渉によるものなのだとしたら。
支えるべき主人も同じことを思ったのか、彼は不快そうに眉間へ深いしわを刻み、考え込んでいる。
だがここで疑問に残るのは日野総真の存在だ。彼はまだ15歳。25年前は彼が生まれる10年も前だ。
何故そのタイミングで干渉が激しくなったのかが分かっていない。
「日野総真4等葬務官へ矛先が向かう理由が分かりません。何故彼を?」
「あの子はアビスの器。その完全体と目される存在だ」
「彼は過去にいた特務葬務官の手によってロックに預けられたと聞いています。その時から既にあなた方は彼が器だとご存じだったのですか」
「そうだ」
ますます謎が深まっていく。日野総真に両親の記録はない。
彼は人間でアビスとの接点は一切なく15年前に生まれただけに過ぎない。
総真が特別な力を持っていることは確かだ。驚異的な身体能力を誇り、無意識に深水操作を使いこなしていた。
葬術は持っていないようだが、素手で海魔と渡り合う胆力を見せている。
通常の人間では簡単に汚染されてしまう深水に強い耐性があり、本人に自覚は全くない。
不審な点は上げればきりがない。いや、考えてはいけない。今は事実であると認識のみすればよいのだ。
「……確認させてください。リュード様、あなた方の目的は」
「300年前から変わっていない。海魔の残滅だ」
「我々も同じ考えです。そのためにアビスの討伐は必要不可欠なのですか」
「無論。奴は全ての元凶であり、全てを知る者でもある」
アビス・オーレリアとはすべてが害となる存在。その場にいるだけで他者に不幸をもたらし、喋るだけで精神を蝕む。
彼女に目を付けられたが最後、楽な死に方はさせてもらえず永遠を苦しむことになる。
「奴の干渉は日に日に増している。300年前の大戦をやり直す気ならば、海魔と人間の全面戦争となる。故に今なのだ」
彼女の行動は誰にも予想できない。次の一手がなんであるか、それすらも考えることができない。
こうして話している今も、彼女は背後に忍び寄ってきている。一歩一歩、彼女の望む未来のために。




