ひしゃげた譜面台#2
総真の返事に満足したのか、リュードはそれ以上の会話を切った。
彼はこの後すぐにロックとカノンへ招集がかかっていた会議へ顔を出すという。
そこで彼が必要なだけ真実を語る、と金と黒の瞳を僅かに悲しみに歪ませた。
「本当は誰にも話したくなかったことだが致し方ない。もはや私だけでの解決は不可能だ」
「奴の出現が原因か?」
「そうだ。奴が出てきた以上、人間にも大きな被害が出る」
分厚い自身のカルテを小脇に抱え、巨大な泡を形成する。地面から発生したそれは鏡のように室内を映し出していた。
手をかざせば自然と景色が移り変わり、知らぬ間に複数の人影が映る室内が反映される。
彼は迷いなく泡へ足を踏み出し、戸惑4人へ手招いた。
「お前たちも来なさい」
それだけを言い残し、早々に泡の向こう側へと消え去ってしまった。
間髪入れず、剱が後に続いて消えていく。残された側は顔を見合わせ、困惑の表情を浮かべる。
この先にあるのは上層部の会議。ロックとカノンはともかく、総真と彩春はただの訓練官だ。
重要な局面の会議に参加する権限がない。リュードに招かれたからといってノコノコついて行って良いのだろうか。
「うーん……大丈夫、なのかなぁ」
「総真は兄貴の傍に居ねぇと暴走するかもしれねぇし、行くしかないだろ。彩春、側にいてやってくれ」
「は、はい!」
総真の葬術はリュードの葬術で相殺している真っ最中。
今ここで離れると再び暴走して大火傷を負いかねない。ならばやはり行くしかないのだろう。
ロックを先頭に、4人は会議の場へと足を踏み入れた。
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泡を通り抜けた先は、シャーレの最上階の1つ下にある巨大な会議室。
重要な会議を行うために使われる上層部専用の部屋だ。
そこに座すはシャーレにおける中枢。海魔との戦闘から医療、製造、物流に至るまで世界を回す本拠地。
座していた5人は先に泡を通り抜けたリュードに頭を垂れている。中には総帥、冬仕も紛れている。
しかし彼らには一切目もくれず、恐らくリュード専用、彼が座すためだけに用意されているのであろう広い上座で悠々と足を組み、側には剱が控えている。
まごうことなきシャーレの王。誰が人間を守護し、誰が人間を使うのかがひと目でわかる。
「総真、彩春。こちらへ」
続いてやってきた4人を見た上層部の一部の人間は眉をひそめたが、リュードが総真と彩春へ手招きをしたことより直接的なお咎めはなかった。
冬仕は何やら口を動かしているが、声にはなっていない。
「げ、アイツ、遅いって文句言ってんぞ」
やはり長年の付き合い故なのか、読み取れたロックが嫌そうな顔をしている。
厄介な側仕えは無視し、2人は早く行けと背を叩かれる。言われるがままに揃ってリュードの膝元へ行けば、剱と並んで控えるように指示されてしまった。
「この場にいる者は誰1人、総真と彩春への発言を許さない。いいな」
断定的な言葉に全員が頷くほかなかった。この世は彼の機嫌次第。泡がなくなれば人類はお終い。
そんなことも分からない者はこの場にはいないのだ。
「最下層で眠っているはずの私が出てきて驚いている者も多いだろう。だが、今回は前代未聞の事態故、私が出張る」
淡々と口上を述べ始めた横で、総真は会議室に座す5人を見る。
1人は総帥の冬仕。だがそれ以外の4人は全く覚えがなく、こそこそと彩春へ耳打ちした。
「あの人たち誰?」
「シャーレ5大名家の当主達よ。シャーレには大きく4つの部門に分かれるのだけれど、その部門の統括でもあるわ」
シャーレでは葬務官を管理する葬務部門、浄化や治療を担当する医療部門、武器や制服、その他様々なものを製造する製造部門、そして、造ったものや浄化によって生産した物資を市場に回し、運輸も担当する物流部門が存在する。
総帥は全ての部門を統括する立場であり、故に事実上のトップなのだ。
「私たちが所属する葬務部門の統括は剱さんなの」
「マジ?」
隣に立つ剱は2人がひそひそと話していても一切気にしていない。
いつの間にかそれぞれの区の状態について報告が始まっており、逐一リュードへ資料の提示や細かな補足を入れている。
話では剱はリュードの傍を一切離れたがらないと言うし、会議に参加するというよりはリュードのサポートのためだけに来ているように見える。
「皇家は家長があんな調子だから、基本的に代理が立つの。ほら、ポニーテールの人」
特徴に合う黒髪ポニーテールの人物へ目線を動かすと、ばっちりと目が合ってしまった。
碧眼が良く映り、言われてみれば剱の面影がある。
彼は眉間に深いしわを刻んだが、総真と彩春を軽く鼻で笑うにとどめ、すぐに視線が逸れた。
笑われるほど貧相な見た目をしていただろうか。場違いなのはその通りだが。
「あの人はまだ訓練官で私たちの2つ先輩よ。そのうち会うかもね」
「うげぇ……隣の人は?」
彼の隣に座っているのは豊満な胸を惜しげもなく晒した褐色肌の女性。
なだらかな水色の髪を下ろし、白衣を羽織っている。医務室でよく見た医務官の服装だ。
「医療部門の猪野統括。猪野家は治療系の葬術が1番生まれやすい家なの。秋仁の先生だった人」
「医務室にいた?」
「さっきはいなかったと思う。その隣は物流部門の芹沢統括。転移の葬術はあの人のよ」
視線を移した先には長い髪を三つ編みにした瓶底眼鏡の女性。隣に座る猪野があまりにも大きく、相対的に小柄に見える。
南区の被害状況について説明する声音ははきはきとしていて、気の強そうな雰囲気を感じた。
「最後が製造部門の華園総括。武器関連でお世話になると思うわ」
「子供じゃん」
椅子に座っていながら頭が出ているのが精一杯の少女のような人物。
青色の制服のあちこちに小さなポーチが付いており、端から道具が飛び出している。
頭が揺れるたびに灰色のくるくるとした髪が揺れ、アホ毛に目が行く。
年齢を高く見積もっても同い年にしか見えない。しかし、彩春が言うに既に三十代を迎えているらしい。
「それに、男の人よ」
「……うそぉ」
明らかに少女にしか見えない三十路の男性とやらに総真は頭を抱えた。
上層部は特に魔窟だと聞いていたが、これは魔窟のベクトルが違う気がする。
「……というわけで、南区の被害はシャーレの施設のみで済み、浄化作業も進んでいます。ほかの区も調査が始まっており、襲撃の全容を調査中です」
人物紹介を聞いている間にいつの間にか報告が終わったらしい。
大規模戦闘のリザルトは概ね良好で被害は最小限だった、という内容だったようだが残念ながら3割しか聞いていなかった。
特に被害の大きかった南区は幸いなことに壁の内側に海魔は出現しなかった。
他の区も人間達が住まう地域に海魔は出没しておらず、少し離れた浄水施設や貯水施設といった水の多い場所が海魔出現の起点と目されている。
そして各地で発生したブルー以下の異常発生。4等葬務官が複数名あるいは3等葬務官が1名で相手をする程度の弱さだが、集まると厄介だ。
ほとんどは残滅できているか例の黒い球に吸収されてしまったらしい。残りの残滅は本部に残っていた予備戦力が当たっている。
「影山伊織特務葬務官が残滅を担当しています。直に報告が上がるかと」
「誰?」
「2年の訓練官にいる特務葬務官。一個上の先輩ってこと」
こそこそと彩春に説明を求めると意外な答えが返ってきた。総真達の1つ上に特務葬務官がいるなど初耳だ。
もともと特務葬務官は3人いるという話だったが、まさか年の近い人だったなんて。
「特務葬務官は実力が全てだから。お父様も15歳で特務葬務官になっているし」
「年齢は関係ないってことね」
葬務官の長を務めている皇家は完全実力主義の思想の元、徹底的な訓練を行うことで有名だという。
その風潮に煽りを受け、実力が認められればどのような年齢、性別であれ上の等級を目指せる。
代わりにそれ相応の実力を求められるため、昇進は困難を極めると彼女はぼやいた。
4等から3等に上がるのも相当苦労したようだ。
「今回の襲撃の首謀者は南区の黒い球から出現したこの人型海魔で間違いないというのが人間側の見解です。神崎秋仁2等葬務官、並びに彼が担当してた訓練官と現場で合流した訓練官1名が遭遇しています」
華園と説明された女性が会議室の中央に位置したスクリーンへ映し出した写真。皆が一斉にその画面を見ており、同じように中央を向いた途端、大きな影が前を塞いだ。
隣に立っていた剱が総真の前に体を滑り込ませたのだ。
「えっと、皇さん?」
「剱で構いません。総真様」
「あ、うん……じゃなくて、何で前を塞いでいるん、ですか?」
「リュード様のご命令です。申し訳ございませんがしばしお耳も塞がせていただきます」
「え?え?」
困惑するのもつかの間。大きな手ですっぽりと両耳を覆われ、画面も見えず何故か外の音も全く聞こえない。
どうやら手のうちに泡があり、両耳を塞いでいるらしい。深水でそんなことができるなんて知らなかった。
いや感心している場合じゃない。これはリュードからの意図的な情報統制だ。何か知ってはいけない情報が目の前にあるのだ。
彩春へ助けを求めるように視線を向けたが、彼女は申し訳なさそうに眉根を寄せて首を振った。
リュードからの命令はシャーレに所属するもの、この地で生きとし生ける人間にとって絶対だ。
破ることは許されず、従う以外の選択肢はない。
ならばとロックとカノンに助けを求めたが、2人には知らんぷりをされてしまった。
これは共謀しているとみて間違いない。
人型海魔とやらが問題なのだろうか。見たくても両手で頭をがっちりと抑えられ、ビクともしない。
彩春が驚くような身体能力と海魔を弔える腕力が備わっているはずなのに、鉄を相手にしている感触だ。
抜け出そうともがけばもがくほど力が強まり、痛くない絶妙な加減で妨害される。
数分格闘していたが、実力差に何もできず諦めて何も見えも聞こえもしない間抜けな姿で件の話が終わるのを待った。
剱が総真の前に立ち、会議室にいる面々に見えないように覆い隠してくれているのは一種の配慮なのだろう。
幸いなことに何かを言われていたとしても全く聞こえず、画面は視界に入らない。
十数分ほどたったころ、漸く耳を覆っていた手と泡が離れたが相変わらず視界には剱しかおらず、気まずい空間になっている。
「リュード様が仰ることが本当なのであれば……いえ、また後程時間を設けていただけるのでしたね。申し訳ございません」
「よい。では改めてこの子について説明しよう。総真」
リュードの呼びかけと同時に剱の身が引いていく。伯父の隣に立つように促され、そろそろと近づいた。
場の全員の視線が痛く、逃げ出したくなるのを抑えて伯父を見る。一体何を説明しようというのか。
「この子は日野総真。4等葬務官であり、私の甥だ。人間ではあるが我々の家族。相応に扱うように」
「お、伯父さん?」
「恐らく奴の狙いはこの子だが、すぐさま奪いには来ない。奴は実験に関しては慎重だ」
何の話かさっぱり分かっていないが、おそらく今とても厄介な立場に立たされているのは分かる。
敵の狙い、つまり海魔の狙いが自分だなんて想像だにしない。自分はただの人間だというのに。絶対に何かの間違いだ。
「彼を厳重に隠す案は?」
「無意味だ。今回の襲撃がそれを証明している」
何故だか自分の処遇について議論が交わされている。ただの人間に一体何があるというのだ。
無意識の深水操作しかない、浄化も葬術も使えない葬務官になんの価値があるのか。
「追って説明をする。この場にいる者以外、この子についての情報は一切他言無用。漏らしたものは私が直々に手を下す」
鋭い眼光が平坦に人間達を見つめている。彼らは深く頷き、視線が集中した総真は居心地が悪そうに両手を蠢かせた。




