ひしゃげた譜面台#1
前面に火傷を負って気を失った総真の治療に当たるロックを横目に、リュードは久方ぶりの両足の感覚に戸惑いながらも葬務官の制服へ腕を通した。
彼の制服はすぐに着脱ができるように簡素な作りになっている。上着は肩に軽くかけ、その腕についた腕章を眺めた。
「懐かしいな。久方ぶりに袖を通した気がする」
「総帥交代の折が最後かと」
「そうか、そんなに前か」
総帥が後退したのは17年ほど前。どれほどこの棺桶の中で眠っていたのかが伺える。
側には自身で火傷を治すカノンの姿があり、彼女は眉を下げて申し訳なさそうに項垂れた。
「ごめんなさい、リュードお兄様……あんなことになると思わなくて……」
「仕方がない。あの子の葬術は半分ほどアビスの支配下にある。どうなるかはその時にしか分からん」
「それってどういう……」
後ろに控え、リュードへ問いかけようとした彩春の言葉は肩に置かれた大きな手によって停止した。
すぐ隣に同じように控えていた剱が僅かに首を横へ振っている。
何がいけなかったのかが分からず、彩春はつい続きを止めてしまった。
「剱」
「はっ、神崎の子。続けなさい」
「えっと……」
訳が分からず二の句を告げずにいると、リュードが申し訳なさそうに彩春へ片手をあげた。
彼なりの謝罪の意味らしい。
「すまない。この子は私の許可がなければ人は発言してはいけないと思っているんだ。」
そこではたと思い出す。本来ならば神へ軽々しく話しかけてはいけないのだった。不敬だと罰されても文句が言えない。
周りに側仕えや神の家族がいて感覚がおかしくなっていた。本来であれば剱のように咎めるのが正解だ。
「も、申し訳ございません!」
「甥のお友達を無下にはしたくない。ここでは好きなように発言しなさい」
彼はくすくす笑うと、半分ほど火傷の癒えた総真を眺めた。その眼差しは柔らかく、妹と弟へ向ける視線と同じ。
人間が味わうことのない慈愛に満ちた瞳。
先ほど彼は総真の葬術は半分アビスに支配されていると言っていた。
疑問点はいくつかある。総真に葬術が備わっていると確証を得ていること、総真という1個人にアビスが関与している可能性があること、そして、他人の葬術をアビスが支配しているという点だ。
「その、お言葉に甘えて……総真が葬術を持っているというのは本当なのですか?」
「そうだ。あの炎はあの子の葬術。ただ、あの子自身が操ることはできない」
「何故?」
「あの子に主導権がないからだ」
「主導権……?」
リュードの遠回しな説明では、総真の肉体に葬術はとうに覚醒している。
ただそれを扱うための主導権というものが総真にはなく、持っていても自分の意志で発動できず自覚もない。
自覚がなければ当然、その効果は分からず発動の手順も分からない。
人間は覚醒した際に自身の葬術を自覚し、内容もはっきりと分かるものだ。彼にはそれがないのだという。
「だからあの子には事実上葬術はない。深水操作以上のことはできない」
「アビスが支配している、というのは?」
「主導権の話だ。アビスは総真の葬術を半分ほど行使できる。見た限りでは発動と同時に肉体の主導権を部分的に奪えるようだな」
指摘通り、炎が出てから突然走り出したり炎を制御できなかったり、発動の兆候も感じ取れていなかった。
しかしリュードから飛び退いたあの動きは総真の意志による行動だろう。完全に制御を奪われるほどではないのが半分たる由縁か。
「どうして総真が……」
「あの子がアビスの器だからだ」
「器?」
「アビスは肉体を持たない海魔だが、肉に入り込むのは容易だ。適している肉体ならなおさら。あの子はそのために用意された器だ」
淡々と語る真実に眩暈がしてくる。リュードはただ真実を語っているだけなのだろう。
しかしそれは300年間、彼が沈黙を貫いてきた事柄に触れる内容だ。何故今更語り始めたのか。
アビスが目覚めたからか。人間が混乱し、リュードに助けを求めているからか。それとも。
「どう……上に報告すれば……」
ロックといいリュードといい、神は黙っていることがすこぶる多い。
彼らは決して隠していたとは言わないのがなお悪い。言わなかっただけ、と平然と言い放つのだ。
この真実をどこまで報告したものか。総真の安全は果たして確保されるのだろうか。
アビスの器とやらがどれほどの危険性を持っているのかすら未知数だ。最悪、殺されてしまうかも。
「上層部の会議の心配か?アレは私が出るからお前は気にしなくてもいい」
「え?出るって誰が?何にですか?」
「私が、会議に」
思わず耳を疑った。上層部の会議とはシャーレの各部門の責任者が一堂に会する魑魅魍魎も裸足で逃げ出す地獄のことだ。
それにまさか出ると言わなかったか。魑魅魍魎の最たる神が。
「シャーレ、爆発しませんよね」
「はっはっは。面白いことを言う。爆発したら家族と側仕えぐらいは守ってやろう。もちろん、総真のお友達も」
からからと笑う神は爆発しないとは言わなかった。多分、爆発させる側だから。
この命はもうあと数日のものかもしれない。
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はるか遠くに見える焦土。焼け焦げる体から発される吐きそうな匂いがないはずの記憶を想起させる。
地に倒れ伏した視界からは先のない腕と半身が切断された体。そして、誰かの足。
見下ろす誰かも身体の半分が焼け焦げ、立っているのもやっと。
雨の中吐き出した息が白み、金と黒の瞳が殺意を持った目でこちらを見続けている。
口が勝手に動いている。何かを彼に伝えている。
彼は激高したようにその手を地面に叩きつけ、血と硝煙と黒に染まった地にひびをいれた。
これは、一体誰の記憶なのだろうか。
「総真」
呼びかけに景色が白んでいく。パッと明るくなった視界には心配そうにこちらを覗く父と、少し離れた位置で少しばかり火傷を負った母。
そして、こちらをじっと見つめる金と黒の瞳。先程と同じだというのに色味が残酷なほど優しく、総真の身が歓喜に震える。
違う。この喜びは自分のものではない。誰かが、彼に愛されていることを喜んでいる。でも一体誰が?
「一体、なにが……」
「火傷は治したが、一応全身診るぞ。しばらく動かないでくれ」
火傷。そうだ。伯父のリュードの顔を見てから体がおかしくなり、慌てて部屋の端まで飛びのいたのだ。
体から炎が吹き上がり制御ができず、鎮火した今も身の内を焦がすような熱を感じる。
今はなんだか、炎の存在が薄れているかのようだ。内側でなければ存在できない不安定さがある。
「よし、他は異常なしだ。兄貴のところに行っておきなさい。何かあっても兄貴なら対処できる」
「でも、リュード伯父さんの傍に行ってから燃えたんだ。傍にいったら危ないんじゃ」
「おじ……っ!」
後ろの方で変な音が聞こえ、ロックと総真がそちらを見るとリュードが顔を両手で覆っている。
何やら肩が震えているが横のカノンが微笑ましそうにしているのが謎だ。
リュードはしばしそうして顔を覆っていたが、しばらくしてやっと顔を上げにこやかな笑顔を甥へ向けた。
先ほどよりも明るい笑顔がとても不気味だ。何か嬉しいことでもあったのだろうか。
「私……いや、伯父さんは大丈夫だ。今はむしろ近くにいたほうが炎が出ずに済むだろう。私の葬術で一時的に存在を消しているから」
「存在を消す?」
「リュードお兄様の葬術だよ。お兄様の選択的消去は、お兄様が見たくないものを世界から抹消できる葬術なの」
「なにそれチートじゃん」
リュード・オルカの葬術。選択的消去は彼が見たくないもの存在して欲しくないものを視認し、彼が存在を否定すれば発動する。
世界を覆う泡はこの葬術を完全に自動化したもの。泡をリュードの目とし、常に海魔の存在を否定し続ける彼の内に、海魔は存在できない。
深水の濃度によって本人にかかる負担の大小はあるが、ほどんどの海魔を残滅しうる葬術だ。
扱い方によっては気に入らない人間や建物、植物、土地でさえも抹消できるだろう。
「最初から備わっている葬術ではない。元は私も炎の葬術を用いていた。私に反応したのはソレを返そうとした所為だろう」
「これ?もとは伯父さんのだったってこと?」
火傷が綺麗さっぱり消え、半裸になってしまった身の上に手を当てる。まだすこし暖かい。
これが葬術だったことにも驚きだが、もとはリュードのものだったというのも不思議な話だ。
葬術は個人に備わっている特殊能力で、他人に譲渡するなどできるのだろうか。ましてや返す、など。
更に言えば炎と選択的消去の2つの葬術を同時に持つことなどあり得るのだろうか。
「私たち側では不可能というのが常識よ。1つの葬術も使いこなせていないのに2つなんて身に余るもの」
「我々だって同じことさ。葬術は魂に根付くもの。だが方法がないわけではない」
彩春の表情が険しくなる。顎に手を当て、思考の海に沈んでしまった彼女は早々陸に上がってこないだろう。
それと同時に、総真は1つの疑念を抱いていた。
「なんで俺が伯父さんの葬術を持ってんの?」
「さあ」
全くかかわりのないリュードの葬術を持ち得る理由を彼は話そうとしなかった。
意図的に何か単語を避けているような、あえて口を噤むような行動に出ている気がする。
やはり兄妹なのだろう。ロックとカノンが総真に伝えたくないことがあるとき、あえて微笑みかけてくる癖がある。
心配いらない、知らなくていい、お前は必ず守る。そういう意図があるのだと理解していた。
リュードは今、彼らと全く同じ表情をしている。
微笑んだ彼らは優しさとは裏腹に頑として真実を語らなくなる。どれだけ問い詰めても無駄なのだろう。
「俺には、教えられないってことだよね?」
「私は甥を不幸にする選択をとりたくないだけだ。知ってしまえば、知らなかった頃には戻れないから」
伯父はただ優し気な声音で総真を諭した。今まで一度も会ったことがないというのに、彼は総真に酷く優しい。
長年一緒に過ごしてきた家族のようだ。それこそ、300年以上。
その慈愛を無下にしたくない。けれど、自分のことを知れないのはおかしいと感じてしまう。
「俺の選択権をなくす行為じゃない?」
「そんなものないほうがいい」
ぴしゃりと、冷酷で無残な声音に弾かれる。しまった、踏み込んではいけない部分にまで足を入れてしまったらしい。
「選択の結果は常に不幸だ。よく覚えておきなさい」
選択、という言葉に憎悪を催すような顔をし、しかし瞳は優しさに溢れている。歪な形が恐ろしく、ただ黙って首を縦に振った。




