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水母の骨を拾う  作者: とりにてぃ
ひび割れた水槽

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閑話 眠れる海の王#2

 肉体に戻れなくなった意識は地上を彷徨い歩き、気が付いたときには崩れ去った肉体の前に佇んでいた。

 この小さなアクアリウムの中でさえ私には行き場がない。


 見たいものもやりたいことも沢山あったはずなのに、全て泡となって消え失せてしまった。

 

 眠りこける自身の胸部。本来動くはずの心臓が止まり、埋め込まれた深水の塊が不規則に脈動している。

 とっくのとうに役目を終えた心臓は肉体を失って寄る辺を亡くした弟と妹達の意志によって生かされている。


 冷たくも寒くもない室内。石棺の向こう側。

 普段剱以外立ち入ることのない私の数少ない私物がおさめられた棚に、ぽっかりと開けた空間がある。


 そこにあったはずのものをなぞり、暗闇の中で割れた水槽の内を眺めた。


 このアクアリウムの中で、甥が育つのを待つつもりだった。

 後始末のできない出来損ないの伯父であることが心底申し訳ない。


 アビスとの因縁も、300年前の因果も、1000年前に世界を襲った悲劇も、このアクアリウムの中で全てかたをつけるつもりだった。

 300年前の続きを。それは私も望むところだ。


 300年前。兄妹達と誓った、海魔の根絶。それをやっと成せるときが来たのだ。

 全てを打ち滅ぼし、人類へ次を託す。もはや海魔も深水もなく、沈んだ大陸が浮上する未来を目指して。


 今度こそ、海魔の残滅を。毒となる深水の根絶を。全ての元凶たるアビスの消滅を。

 そして、因果の果てに生まれた神に終止符を。

 

「リュード様」


 部屋の入口に紫電が走る。埃をはらうがの如く、高濃度の深水を吸った制服を脱ぎ捨てた男が膝をつく。

 ピクリとも動かない肉体に祈りを捧げ、その向こう側に立つ私へと目を向けた。


「おかえりなさいませ。留守も守れず、お迎えにも上がれず……不甲斐ない私をお許しください」


 謝罪と同時に祈りを捧げる敬虔な男。彼は昔からそうだ。いついかなる時も私に祈りを捧げようとする。


 剱は特異体質だ。私がわざわざ姿を現さずとも意識体の私を認識できている。

 おそらく高濃度の深水に高い割合で浸っているのが原因だろう。


 これだけ多くの深水に浸っていれば命は長くないと思っていたが、彼は既に私の側仕えとして歴代最長。未来とは分からぬものだ。


「……よい。ロックの命だろう」

「はっ。火急の事態と判断し……申し訳ございません。勝手な行動を……」

「弟を大切にしようとしてくれただけであろう。責める要素はない。実際、事態は悪いほうへ傾いている」


 頽れた身を眺め、はるか遠くにうつる波を眺める。

 これはカノンの葬術だろう。甥と何名かの葬務官を巻き込み、荒波が南区の先端を覆っている。


 葬術を操るカノンの表情は怯えと共に怒気を含み、アビスが踏み込んだ地をすぐにでも洗い流したいと言いたげである。

 滅多に憤ることのないカノンが、だ。


 彼女の気持ちは痛いほどわかる。私たちにとって全てである兄妹達を手にかけた張本人だ。

 そして今再び生き残った私たちさえも手にかけようとしている。


 彼女は私たちに再び選択を迫るだろう。彼女はその選択が何であれ、どうであれ、肯定する。選び取ることこそが重要だと。

 その結果実験がどう揺るごうとも彼女は平然としている。当たり前だ。彼女は選択の結果を把握したうえで選ばせるのだから。


 私たちはそうして彼女の掌の上で踊らされてきた。その命さえも天秤にかけられ、私は4度兄妹達の死を目の前に手も足も出なかった。

 5度目はあって欲しくない。例えそれが叶わないとしても、抗うしかないのだ。

 

「リュード様、蘇生装置が……」

「放っておけ。すぐには影響しない。それより頼みたいことがある」

「何なりと」


 深水の流れが悪くなった蘇生装置の管を無視し、剱に前線に立つ秋仁へ連絡を入れるように指示をする。

 側仕え同士の秘匿回線、そこにメッセージを残しておけばマメな彼は勝手に見て動いてくれるであろう。


 伝言内容は、私のカルテについて。


「秋仁には秘密裏に私のカルテを電子化させていたな」

「はい。300年分のうち200年分は終了したそうです」

「よい。それをロックに渡せ」

「指示いたします」


 25年前。ロックが出奔してから剱に命じ、少しずつ電子化を行っていた。

 目的はアビス出現後に神とは何なのか、そしてアビスの目的とは何なのかの説明に最も重要な内容が書かれているからだ。


 機械関連に疎く、医療の知識もない剱は四苦八苦しながらも単独で100年分の電子化を終わらせた。

 そんな折、カノンの側仕えに就任したばかりの秋仁が挨拶にやってきたのだ。


 彼はカノンに役立つことであればリュードの小間使いでも雑用でもなんでもすると言って来た。

 ならばと専門知識のある彼に電子化を頼んでいたのだ。


 ロックの部屋が破損したと報告を受けたときは焦ったが、幸いにして秋仁が原本を持ち出していることは確認済み。

 あとはこの肉体をどう蘇生するかだが、そこは弟に頼るほかない。


 もう私1人では肉体を保つことすら容易ではなくなってしまった。私に300年という歳月は長すぎたようだ。

 やはり、私は弟や妹達とは違う。生まれることなく死へと歩み出した末弟と同じだ。


 「それと、私の葬務官の服を」


 250年ぶりに、棺桶から死体が歩く時がやってきた。

 



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