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水母の骨を拾う  作者: とりにてぃ
ひび割れた水槽

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32/40

落とした指揮棒#1

 全ての区にて出現した海魔の残滅が完了し、襲撃騒ぎがひと段落した頃。

 重傷者から順に本部で治療することとなり南区で最も重症である秋仁は早々に本部への帰還がきまった。


 秋仁の部下及び訓練官も移動せよと命じられ、彩春と総真も南区を離れることとなった。

 

「カノン。俺達にも呼び出しが来た。兄貴のことも気になる。一度戻ろう」

「う、うん」


 神2人にもシャーレから帰還の要請が来た。あくまで要請であり任意のため帰らずともよいのだが、2人とも何か気がかりがあるらしい。

 現場にいた1等葬務官を指揮に任命し、身動きの取れない秋仁をロックが米俵のように担いだ5人での帰還となった。


「ロックお兄様の側仕えは?」

「あ?さぁ?本部に戻ってるんじゃね?勝手に判断して動いてンだろ」

「お兄様……」


 道中、自身の側仕えを全く気にしていない薄情な発言もあったが、海魔の襲撃もなく迎えの車で数時間足らずで本部へと戻ってきた。

 襲撃が起こってから半日程度しか経っていないというのに数週間は戦場にいたような疲労感だ。


 ついて早々にロックはどこぞへと消え去り、取り残された2人はカノンと顔を見合わせた。


「私は秋仁の付き添いに行ってくるね。総真と彩春ちゃんは深水の浄化をしたら一旦待機。秋仁が回復するまで私の指揮下に入ってもらうね」

「よ、良いのですか?神が訓練官の面倒を見るなど……」

「秋仁は私の所為で大けがを負ったわけだし……私の側仕えだから」


 あくまで一時的に秋仁の代わりに2人を受け持つだけだが、それでも十分異例だ。

 カノンが側仕え以外を指揮下に入れるのは大規模戦闘や緊急時以外では1度もなかった。彼女自身が激しく拒否したためだ。


 息子である総真がいるからか、それとも自分と秋仁の始末を付けねばならないという責任感があるのか。

 彼女は2人に連絡先を教えると早々に秋仁が休む医務室へ行ってしまった。


「私たちも行きましょう。このままだと二次被害になるから」

「浄化だっけ?」

「ええ。大量の深水を被ったままだといくら葬務官でも浸食されるわ」


 全身深水でびしょぬれになったまま数時間を過ごした2人の皮膚は少し赤くなっている。

 葬務官は皆深水操作で深水の汚染をコントロールし、短時間であれば大量の深水を被っても軽い火傷やかぶれで済む。


 だが深水を浄化し、きちんと洗い流さなければ身に着けた制服から浸食が広がり、濡れた服を脱ぐのに手間取っている間に症状はどんどん悪化するだろう。

 甘く見ていた訓練官が深水を脱がずに部屋で就寝し、翌朝体が半分溶けた状態で発見されたなんて事例もあるくらいだ。

 

「ヤバくね?死活問題じゃん」

「幸い死なずに済んだらしいけどね。浄化の大切さは分かった?」

「分かったけど、俺深水操作で浄化できねぇよ」

「深水操作以外にも浄化する方法はあるわ」


 基本的に深水の浄化は人間の手で行われる。深水操作の1つに浄化があるためだ。

 他の方法での浄化は未だ確固たるものはなく、浄化装置でさえ人の手を加えながら維持を続けている。


 その中でも簡易的かつ簡単に行える浄化作業がある。それは、深水を大量の真水で洗い流すことだ。


「要はシャワーよ」

「急にチープになった」


 最も簡単に深水を浄化できる方法だが、これにもいくつか問題がある。

 まず濃度の問題。高濃度の深水を洗い流すにはそれ相応の真水がいる。海水を浄化するか雨水を懸命に溜めている状態のこの地ではそう簡単に浄化のためだけに真水は使えない。


 2つ目に流した深水の問題。パイプを腐敗させ、薄めたものでも猛毒になる深水を放置できない。

 確実に浄化可能な設備と連結している場所でしかこの方法は使えない。


「深水は私たちの生命線だけど同時に付き合いきれない我儘さも持っているわ。たかがシャワー。されどシャワーよ。専門施設以外で戦闘後に水を浴びちゃだめよ。東区下流公害事件みたいになるわ」

「あーあれかぁ」


 真水浄化を行っていた装置付近で海魔を討伐していた葬務官が誤って上流の川に転落し、下流の飲み水に微量の深水が混入した事件だ。

 手を洗った人は手が焼けただれ、喉を通した人は内臓がぼろぼろになった痛ましい事件である。

 深水と付き合っていかねばならない人類にとって、油断は多くの人間へのしわ寄せにつながる。


 彩春の案内の元、浄化施設まで足を進める。

 シャーレには男女別の浄化施設があり、内部で着替えも備え付けてあるらしい。


「30分後、身支度を整えてここに集合ね」


 指定された男女別の暖簾の前は畳が敷かれ、談笑のための椅子やテーブル、テラスまである。

 近場の自販機にはコーヒー牛乳やフルーツ牛乳がおかれていた。


 とても気が抜ける風体だ。どうみてもアレにしか見えない。


「これ、銭湯……」

「違うわ。浄化施設よ」

「いや、銭湯……」

「浄化施設、よ」


 彩春は頑なに否定した。浄化施設が重要施設で、戦闘後の水分補給や栄養補給の観点から休憩施設と自販機があるのは分かる。

 だが内容が完全に銭湯だ。


「戦闘と銭湯間違えてない?」

「はいはい。早く洗い流してきなさい」


 暖簾の向こう側へと押され、よろめきながらも施設へ立ち入る。

 ぐしゃぐしゃになった制服のままで気持ちが悪いのも確かだ。これ以上遊んでいないでさっさと浄化してしまったほうがいいだろう。

 ものすごく銭湯だけど。


 腑に落ちないまま脱衣所の戸を開き、薄黒く染まった制服を浄化前と書かれたかごに放り込んだ。


 浄化設備にて身綺麗にする間、総真はずっと頭の隅に違和感を覚えていた。

 記憶の中にところどころ靄がかかっているように感じ、かといって明確な記憶の齟齬は感じていない。


 何かが違う。ただそれだけを感じ取っていた。

 こういったことは昔からよくある現象だ。友人からは度々記憶の齟齬を疑われ、忘れっぽいのではないかと言われる。


 父と母からも似たようなことを言われた。

 実際に友人と総真の記憶が嚙み合わないことはままあった。些細な行き違い程度のもので頻発するほどではない。


 その時はいつも頭の中に靄がかかったような感覚があるだけで、明確な違いは分からなかった。

 おそらく今回も何かが忘れているか記憶違いがあるだろう。だが総真の記憶には初めての戦闘という強烈な内容が違わず記録されていると感じる。


「変だな、今まで気にならなかったのに」


 これまでもあった状態が妙に気にかかる。ロック曰く、誰にでもある現象という話だったのに。

 突然戦闘に駆り出され、目の前で瀕死の重体を負った知り合いを目にしナイーブになっているのだろうか。


 頬に当たる生暖かい湯が身を伝い落ち、シャワーが床を叩く音が雨脚となって飛んでいく。

 この音を聞くと酷く寒気を覚える。とても大事なものを失うときはいつもこの音を聞いている気がするのだ。


 一度だって雨で嫌な思いをしたことはないというのに。

 

「あーやめだやめ。父さんにしかられる」


 あるはずのない記憶に苛まれていると父が良く背を力強く叩いた。気合が足りない、とかなんとか。

 真似をするようにぺちんと情けない音を背に宿し、深水を隅々まで洗い流してシャワー改め浄化室を出た。


 備え付けられた簡素なシャツに袖を通し、浄化室前へと向かう。

 そこには既に同じような服装とは思えないほど背筋の伸びた彩春がスマートフォンを片手に難しい顔をしていた。


「どうしたんだ?」

「ああ、総真……秋仁の容体をカノン様に聞いていたの」


 医務室に担ぎ込まれた秋仁のカルテやレントゲン写真などがメッセージに添付されており、専門的な用語ばかりで何が何だかさっぱり分からない。

 つまるところどういうことなのだ、と彩春に問えば彼女はカルテの1番下を指さした。


「何もしなければ全治5カ月、だそうよ」

「5カ月!?」

「葬務官退職の危機にまで追い込まれたのを葬術で解決してコレだもの。秋仁が居なければ私たち、確実に死んでいたわね」


 分かっていたことだけれど、と付け足した彼女の脳裏には迫りくる深水の高波が浮かぶ。

 上位の海魔に出会ったときは死を覚悟したが、カノンの葬術は本能的に生きることを諦めていた。


 死への覚悟はある種の納得だ。だがカノンの葬術は違う。死ぬのが当然と、脳が何もかもを投げ出していた。

 フリーズした頭で前を見たとき、血を撒き散らしながら刀を振るう秋仁が見えた。


 彼が血眼で刀を振るっている間に脳が息を吹き返し、深水のボトルを探す行動に出られたのだ。

 そうでなければ五体投地で波の訪れを待っているだけだったかもしれない。


 だがあの一手がなければ南区は壊滅的な被害を被っていた。

 1等葬務官が相手取るレッドがうじゃうじゃ湧く戦場では全てを洗い流すカノンの葬術が必須だったのだ。


「今回の襲撃は不可解なことが多すぎるわ。神達への招集もかかっていたし、しばらくシャーレ内部は混乱すると思う」

「父さんも母さんも忙しくなるってことか」

「私たちもね。来て早々ごめんなさい……こんなことになるなんて」


 彩春の謝罪に総真は首を横に振る。

 海魔の襲撃は彼女の所為ではないし、シャーレ内部の混乱も彼女が原因ではない。

 

 むしろ右も左も分からない総真の世話をさせてしまっている現状、彩春には頭が上がらない。

 個室すらまだ準備できていない総真にとって心の拠り所は両親と知り合いの彩春と秋仁だけだ。


「訓練官全体には待機命令が出ているから、その間に秋仁のお見舞いにいかない?」

「行こう。俺も助けてもらったし、彩春にとって叔父さんだろ。心配だよな」


 秋仁に関して彩春は様々な思いがあるようだが、やはり叔父が心配なのだろう。

 そわそわと落ち着きのない彼女のいう通り、2人は再び医務室への道を歩き出した。


 ほんの数メートルの廊下を通る間もせわしなく参列官達が行き来している。

 医務室は満員で、廊下に軽症者を乗せたストレッチャーが並んでいた。


 傍には浄化員たちがせわしなく彼らの浄化を行っている。治療が済んでいない人たちの二次被害を防ぐためらしい。

 かすり傷程度の総真と彩春はのちのち戦闘後の検査を行わねばならないが、この分では数日は先になりそうだ。


「秋仁は放射線室だって」

「あの鍵が大量についてる部屋?」

「勝手に私室にしてる場所ね。鍵は……行けば分かるわ」


 南区へ向かう前に訪れた秋仁が勝手に私物を置いている放射線室には大量の鍵がかけられていた。

 彼女はその開け方を知っていると宣い、ずんずんと放射線室を目指した。


「あ、母さん」

「そ、総真……彩春ちゃん……」

 

 開け閉めするだけで1時間はかかりそうな頑丈な扉の前にはカノンが所在なさげに右往左往。

 がっちりと硬く閉じられた扉の鍵は全てかけられており、到底中に入れそうにない。


「秋仁先生はこの中?」

「うん……部屋が汚いからって急に立ち上がったと思ったら締め出されちゃって……」

「秋仁が?」


 カノンを蔑ろにする姿など全く想像できない。

 というか先ほどまでこれっぽっちも歩けなかった男がどうやって地に足を付けて部屋に入り、この大量の鍵をかけたというのだ。

 

 状況が飲み込めず、カノンと総真が互いに困り顔で首を傾げると彩春は扉に向かって声を張り上げた。


「秋仁ーーー!カノン様がお怒りよ!!扉を開けなさい!」

「お、怒ってはない、よ……」


 ドカンッ!と扉を足蹴にした彩春の方が怒っているように見える。

 窘めようとした言葉は尻すぼみになり、しょもしょもと下を向く。


 再度ドカンッ!と大きな音を立てて蹴り上げた扉は僅かにへこみ、医務室の医務官達が何事かと覗きにやってくる。


「彩春!扉は蹴るもんじゃないって!」

「いいのよ。私は鍵の開け方を知っているんだから」


 何がいいのかさっぱり分からないが、鍵の開け方を知っているなら蹴る前に正規の手順で開けて欲しい。

 そう懇願すれば、彼女はにっこりと笑って再び足を扉へと構えた。


「この部屋のマスターキーはね、自分の足で手に入れるのよ!!」


 冬仕直伝。弟が部屋に籠った時のマニュアル。大量の鍵がかかっている部屋に逃げ込む場合があるため、その時は万能マスターキー、暴力を奮いましょう。

 秋仁に関わるにあたって最初に教わったマニュアル通り、彩春は放射線室の鉄扉を蹴り1つで吹き飛ばした。


 ガンッ!と音を立てて内部の壁にぶち当たった扉が重苦しい音を立てて転がる。

 中は薄暗く、分厚い壁の中に散乱した資料と簡易ベッドの傍で、秋仁は吹き飛んだ扉を遠い目で見つめていた。


「ね?マスターキーでしょ?お父様直伝なの」

「これの所為で秋仁がカギを大量に増やしてるのに……」


 彩春に聞こえないようにぼそっと呟いた母の言葉に、総真は秋仁へ哀れみの目を向けてしまう。

 兄も姪もこの調子では部屋に鍵をかける意味が毎度ないのでは。


 がみがみとカノンを追い出したことをしかりつける言葉を吐きながら秋仁へ迫る彩春を眺め、親子は苦笑いを浮かべた。


 

 

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