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水母の骨を拾う  作者: とりにてぃ
ひび割れた水槽

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30/39

飛沫の先#1

 南区、壁前。寝そべりながら指示を飛ばし続ける秋仁の近くで、ロックへ連絡を入れたカノンの発言に全員が眉を顰める。

 盛大に勘違いしそうな内容に、当の本人が特に顔を覆った。


「か、母さん。その言い方だと俺になにかあったみたいじゃんか」

「実際なにかあったじゃん!秋仁に頼れない今、私たちが頼れる先はロックお兄様だけだよ!」


 側仕えと身内以外に頼る先がないと言い切る母の態度に涙を禁じ得ない。

 臆病で友人を作ることに到底向かない性格なのは重々承知だったが、まさか職場では頼れる先が少なく依存ぎみだったとは。


 ロックはすぐにやってくると言っていた。物理的な距離を考えると本当にすぐにやってくることはないだろう

 西区から南区は山をいくつか挟んでおり、壁を超えるのも一苦労。

 

 そう簡単には合流しては来ない。そう高をくくっていると、突如としてカノンの前に巨大な深水の水溜まりが浮かびあがった。


「うわぁ!?何これ!?」


 水溜まりはぼこぼこと音を立て、人の形を形成していく。アビスの出現にも似た現象に彩春が武器を構える。

 しかし、カノンが小さく首を横に振り、この現象は安全だと殺気立つ彼女を諭した。


「ロックお兄様が飛んできてるだけだから、大丈夫」

「葬術、ですか?」

「リュードお兄様からの借り物なの」


 ロックの背丈を模した深水が徐々に半透明へと移り変わり、巨大な泡が出来上がる。

 次の瞬間にはパンッ!と音を立てて弾け飛び、中からロックが飛び出してきた。


「総真!無事か!」

「父さん……」


 泡からはじき出されたロックは総真の体の隅々を見回す。球体の深水をいくつも飛ばし、座り来んだ総真の足の裏まで調べ上げていた。

 ものの数分で終わった検査は異常値を示しておらず、ロックは首を傾げる。


「ンだ。怪我してねぇじゃンか」

「母さんが心配性なんだよ。俺はへーき」

「そりゃ俺らが決めることで、ガキのお前が判断することじゃねぇよ」


 一大事だと思って飛んできたのに、と少しばかり頬を膨らませた父はカノンと総真の頭を揃って撫でる。

 父と兄を兼任する彼は平等に慈悲深い愛情を瞳に宿し、妹と息子の無事を喜んだ。


 同時に、周囲にいるはずの人間がいないことに気づく。

 いつもなら喧しく騒いですっ飛んできそうな人物が見当たらず、周囲は嫌に騒々しい。


「紅葉より喧しいガキはどうした」

「誰?」

「秋仁先生ならそちらに」


 確かに紅葉より喧しい気がしなくもないが、その言い方はどうなのだろうか。

 当たり前のように返事をした彩春が横になって医務官達に指示し続ける秋仁を示し、溶けて陥没した瞼の近くへ座した。


 状況報告が必要だろう。南区で起こった経緯を説明する、と彼女に促されロックは訝し気に眉根を寄せた。


「なんだこのザマ」

「ご説明させていただきます。その前にこちらへ」


 ロックは少し渋るような動作を見せたが、結局彩春の言う通り少し離れた場所に立ち、彼女の報告を事細かに聞いた。

 南区で起こったこと、総真の身に起こったこと、アビスの出現、カノンの葬術、耐えるために秋仁が命を賭したこと。


 そして、総真の記憶が欠落し、偽りの記憶が植え付けられていることを告げた。

 最初こそ真剣に話を聞いていたロックは総真の記憶が混濁していると説明した際に酷く険しい表情をしていた。


 彼は永い説明の終わり、無言で立ち尽くし顎に手を当てる。しばしそうして考えるポーズをしたのち、億劫そうに肩を竦めた。


「……総真については後にする。精密検査に回した方がいいだろう」

「すぐには治りそうにないってことですか?」

「治療以前に総真は正常だ。何も治すところがない」


 総真へ聞こえないようにひそひそと小声で話を続ける。先程診た限りでは手の火傷以外に怪我は極軽微な切り傷ばかりで、大けがはしていない。

 内臓の異常もなく、脳は調べることができないがきっと特に異常はないだろう。


 彩春からの反応を見るに何か葬術を使われたと考えるのが妥当だが果たして。

 だが今すぐ死に至るような病でなし。道具もなしに手を出すのは愚策と考え、先に手の出しやすい秋仁へと向かった。


 刺激して新たな症状を引き出し、さらに記憶が書き換えられては元も子もない。


「無様だな。側仕えなんかやめちまえばいい」

「は、は。おもしろ、い、冗談、っすね」


 秋仁は自身で治療の葬術を回しているが、いかんせん練度が低い。長い時間を要する治療には多くの深水が必要だというのに、南区の深水は全てカノンが押し流してしまった。

 カノンから補給される深水では到底浄化と治療の割合が保てない。こうして意識を保てているだけで奇跡だ。


 さてどうしてやろうかとしゃがみこんで秋仁を覗き込んでいると、背後から控えめな妹の声が届いた。


「ロックお兄様……秋仁、治る?」

「俺の気分次第だ」


 たとえカノンに頼まれたとて秋仁の治療をする気はさらさらなかったが、2等葬務官如きが総真を庇ってここまで南区を支えたのは素直に感心する。

 万人ができることではない。これで性格が良ければ。


 生きるための器官を優先的に治療した体を診て回る。全体的に無理やり治療を促進し補った痕があるため、そこそこ治療自体に時間がかかる。

 生きている人間より死んでいる人間の方がはるかに葬術の媒体にしやすいというのに、わざわざ治してやる意味がさっぱり分からない。

 

 だがこれも妹のため。普段は無視を決め込む秋仁相手にしぶしぶ地面へ座った。


「動いたら殺す」

「うごけ、ませんって」


 意図しない葬術の発動でうっかり殺しても知らん。それだけを言い残し、赤黒く腫れた目を紡いだ。


 「この分だと治療には数時間かかる。神経を切断してあとでくっつけたほうが苦しくねぇと思うぞ。斬るとき死ンで得だ」

「麻酔っていう便利な薬があるのをご存じではない?死んだら治療の意味ありませんよ?」

「薬漬けにされて廃人になりてぇなら大歓迎だが」

「限度ってもんを知らない人ですねぇ」


 医務官へ指示を飛ばすために優先的に呼吸器官と声帯を治療したのが間違いだったかもしれない。

 片目は未だ見えていないものの、形だけは眼球が存在している。


 治療の過程でボトルに含まれた深水を投与され、点滴の補給が間に合い始めたことから秋仁は普段の調子を取り戻していた。

 しかし体の治療は遅々として進まず、未だ3割の回復にとどまっている。


 それでも劇的な回復だ。ロックが居なければ取り返しのつかない事態になっていたことだろう。

 応急処置により死の淵から中傷程度にまで回復した秋仁は、上体を起こせるまでになっていた。


「すみません、ご心配をおかけいたしました。早速ですが俺も医務官に混ざってこようかと」

「誰が心配なンかすっかアホ。テメェは絶対安静だ。自滅すンのを止めやしねぇが、カノンに泣かれてしかられンのは俺だぞ」


 軽症の総真を抱えて未だ動かないカノンを横目に、なおも動こうとする秋仁に1発蹴りを入れる。

 怪我の少ない足回りに入れられた蹴りはかなり手加減されたのか軽いあざで済んだ。足が吹き飛ぶ覚悟をしていたのに。


「俺とテメェが出張るような間抜けはいねぇ。分かったらさっさと治してカノンに辞職を申し出ろ」

「絶対に辞職しませんが有り難く安静にさせていただきます。カノン様の身許に戻るために」

「チッ」


 時々毒を吐くロックの態度に秋仁は決して怒らなかった。治療の腕は確かである上、愛する主人の兄上だ。

 姪に自分と全く同じ性格の者が付きまとっていたら問答無用で殺していた。彼はそうしないだけ大人で聡明かつ優しい。


 それに、嫌いなのはお互い様だ。


「ロック様は随分遅かったですね。何を遊んでいらしたのですか?」

「人間共から仕事を奪っちゃ可哀そうじゃねぇか。俺はお優しいから見守っていてやったんだよ。感謝しろよ」

「それ世間一般ではサボっていたっていうんですよ。神がそんなことしていいと思ってるんですか?」

「俺がやることに間違いがあるわけねぇだろ。正しいことにするのが側仕えの仕事だ」


 売り言葉に買い言葉。ちくちくとした針を刺す言葉の応酬は治療した者と患者の会話には見えない。

 互いの間に火花が散るのを感じ、ロックは不満げにため息を零した。


「西区の報告なんざ後でいいだろ。それより南区だ。ざっと聞いたがテメェからの話も聞かせろ」

「ええ?西区も重要ですよ?」

「さっさとしろ」


 とはいっても傍で聞いていた彩春の説明は完璧だ。訂正するところは何もない。

 主観を交えない客観的事実で構成された報告は心地よくこれ以上ない程公平な内容であった。


 だがロックは舌打ちを続けて吐き出し、求めているのは違う意見だとはつま先で地面をける。

 すこし抉れた地面を石ころでも蹴るように気楽に吹き飛ばした。


「主観も語れ。テメェはその場にいてどう思った」

「主観、ですか」


 秋仁がその場にいて感じたこと。それは死の予感だ。

 アビスに素手で刀を折られた時点で秋仁の頭には撤退の2文字が浮かんでいた。


 目の前に相対する海魔が1等だろうと特務葬務官に並び立つ実力を持っていようと戦うつもりでいたというのに。

 頭に浮かんだのは撤退ルートの選定だけ。3人を防衛しながらどうやって壁まで逃げるかを考えたところで、秋仁は逃げることをやめた。


「単純に下がっても犠牲者が増えるだけだと思いました。それなら総真くんと悠長に話している間に弱点でも探れれば御の字かなって」

「話の内容については」

「良く分かりませんでしたね。内容がさっぱり。ただリュード様を探しているのは間違いないかと」


 秋仁の語るアビスの話とやらは大抵ロックが聞いたものと変わりはなかった。

 アビスに対する感情は恐怖のみ。全員が生存できる最善手を探す他に思考は回らなかった。


「そういえば、アビスが総真くんに似ていましたけどあれって偶然なんです?」

「あ?」

「ほら、顔とかそっくりじゃないですか」


 指摘の内容にロックは顎に手を当て深く考え込む。彼の眼は困惑を浮かべ、今まで全く気付かなかったと言いたげだ。

 彼にとってアビスは憎むべき諸悪の根源で、総真は愛すべき息子。同じ土俵に立たせることもなかったのだろう。


 ロックの場合、そもそも人間の顔の区別がついているのかも怪しい。


「うーん、あとはアビスが総真くんに向ける感情が……なんていうか……」

「なんだ」


 海魔から飛び出してきた女王の横顔。総真の頬に触れるその瞳を見て、ぞわりと背筋に悪寒が走ったのをよく覚えている。

 言葉も瞳も正しく人間にとって暖かなものを含んでいるというのに、彼女の瞳はからっぽだった。


 家族に向ける慈愛の瞳だというのにその裏に潜む感情が全く読めない。

 不本意ながら秋仁にはわかる。愛を囁いておきながら本心では何を思っているのか一切悟らせない態度。


 不誠実な輩はほとんどの場合、人間には到底理解できないことをやらかしているものだ。


「実験動物に対する接し方?感情?っていうんですか?そんな風に見えました」


 アビスの言葉は全て真実であると思わせるだけの重みと説得力があった。

 だが同時に裏で渦巻く空っぽの心。全ての発言が本心で全ての発言が現実となると信じて疑ない自信に満ち溢れた顔。


 確かな体験と歴史に自信を付けた者の顔は皆一応にわかりやすい。ある種、彼女は人間臭い顔をしていた。

 海魔には感情も思考も言語も存在しないという話なのに。


「そういえばどうして人間の姿で、人間の言葉を……?」


 アビスは海魔の女王。高い知能を有していることは会話ではっきりとした。だがそもそもあれは海魔だったのだろうか。

 海から来た海魔が人間な姿を精巧に真似る。そのようなことがきるというのだろうか。


 前例のない女王の出現に秋仁は動かない目を覆った。


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