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水母の骨を拾う  作者: とりにてぃ
ひび割れた水槽

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29/40

泡沫へ消える夢#3

 アビスが消失して1時間。西区にて。

 片手に持った両刃の剣で悉くを切り捨て、ロックはその場にどっかりと座り込む。


 彼の片腕は引き千切られており、身のあちこちに負傷の痕が見える。

 赤黒く歪な剣は彼が手を離すと泡となって消え去り、後には片腕のないロック1人が残る。

 

 血と深水を吸ってボロ切れと化した制服を脱ぎ捨て、深水の池と成り果てた田園を眺めた。


 思い馳せるはこの襲撃の真相。300年沈黙を貫いてきたアビスの出現と、救うという言葉。そして、300年前のやり直し。

 南区に出現したというアビス。深く眠り始めたリュード。どれも偶然ではないのはわかる。


 だが300年前のやり直しというのがどうにも腑に落ちなかった。


「あれは失敗した。なぜ今更やり直しを?」


 300年前の大戦。実験対象は執着して止まないリュード。

 やり直しの効かない実験は大戦の最中、彼女の予想を超え、制御できないまま終わりを告げたはず。


「あの時何が……」


 戦いの終わり。溶けて消えたアビスを前に倒れ伏した兄。爆心地へ彼を助けにカノンと駆け出した時には既に何もかもが終わっていた。

 実験の最中、リュードとアビスの間に何があったのか。それは今も場にいた者にしか分からない。


 確かめねばならないことが着実に増えていく。リュードと向き合うときが来たのだと思っていたが本質は違う。

 300年前の大戦。あの戦いの真実を兄の口から聞くときがやっと来たのかもしれない。


 逃げ回り続けた300年だった。兄に責任を全て押し付ける長いモラトリアムだった。

 大戦前の数年間。兄妹達と対立し、与えられた役目を放棄したことを今も悔やみ続けている。


 人間の殺戮に1票を投じたロックにとって人間派の兄妹達との和解は生涯できないことだと思っていた。

 それが今はすっかり鞍替えし、彼らの遺志を継いでいる。無様なものだ。


「間抜けだと思うよな?冬仕」

「ふん。貴様の戯言など知らん。聞き飽きた」


 背後から足音を隠しもせず近づいて来た冬仕に主語も文脈もない問いを投げかけ、鼻で笑われる。

 その手にグローブが嵌められたままであることに気づき、先が失われた肩をわざとらしく上げた。


「手負いに対して随分な念の入れようだな」

「貴様の葬術ならとっくに治療できている」


 掴み取られた反対側の腕が無残にもへし折られる。可笑しな方向へ捻じれた腕を悲鳴も上げずただ眺め、つぎはぎの合間にある瘢痕を叩いた。

 さらに足に拳が突きつけられ、膝の先が叩きつけられた拳によって粉砕される。


 並の人間なら痛みに悲鳴を上げ、ショック死してもおかしくない衝撃だ。

 しかしロックはどうでもよさげにひしゃげた足を眺め、深水に浸った田んぼの中に投げ出した。

 

「しないってことは対話の意志があると思ってくれていいンだぜ」

「25年逃げる回るような男を誰が信用すると」


 確かに25年も雲隠れした神の言葉を信用できるはずがない。権力をフル活用して逃げられたら今度こそおしまいだ。

 信用されないのならそれまでと五体投地の姿勢で泥水を浴び、ひんやりとした深水の中で曇天に沈む空を見上げた。

 

「めんどくせぇ。で?蛮行の意味は?」

「貴様に聞きたいことがある。互いに穏便に済ませたかろう」

「人の手と足を曲げておいてよく言うぜ」

 

 滴った血が深水に溶け出ていくのを眺め、さっさと用件を言えと先を促す。

 側仕えが主人に危害を加えたというのに咎めることもせず放置。舐められているとしか言いようがない。


 1発顔面を殴りたいのを必死に抑え、ロックの隣へ腰を下ろした。

 その際、捻った腕を踏みつけるのを忘れずに。


「貴様、アビスの出現を予想していたな」

「兄貴が総真に伝言を残してただろ」

「違う。2()5()()()()()()()()()()()()


 確信めいた発言にロックは顔を顰める。残念ながらロックの葬術は未来予知に類するものではない。

 当然、今日この日にアビスが出現するとは思っていない。ただ、必ず戻ってくる確証はあった。


「いつになるかは知らねぇよ。戻ってくンのは全員予想してたことだ」

「カノン様もリュード様もか。では海魔の女王がいることを何故隠した」


 彩春から直接、冬仕へアビスについての情報共有があった。海魔の女王などという話は神から1度も共有されていない。

 敵の重要情報であり、海魔の生態に関する研究を左右する内容だ。それほど大事なことを何故今まで黙っていたのか。

 

「隠してねぇ。てめぇら人間がわりぃんだろ」

「なに?」

「勝手に調べて勝手に忘れたンだろうが。俺に責任をなすりつけンな」


 300年前。大戦時に失われた資料はいくつもある。意図的に神が消去した資料もあれば、戦争に巻き込まれ紛失したものも多い。

 後者の中に当時の技術で海魔について調べた研究資料があったと、ロックはこともなげに言い放った。


「その情報を何故共有しない!時間はいくらでもあっただろう!」

「言ったってテメェ等が忘れンだ。俺は無駄なことはしない」


 こればかりは寿命の違いだ。大戦後の混乱期に当時を知る者は殆ど碌な引継ぎもせずに息絶えてしまった。

 歴史は途絶え、シャーレにおいても設立当初の記録は空白が多い。


 忘れてしまったことの責任を他人に問うのは違うと、ロックは青筋を浮かべた。

 

「では、アビスは何が目的で出現した」


 質問の内容を変えよう。もっと建設的な話に時間を使うべきだ。

 単刀直入にかの厄災について問うと彼は何が面白いのか、酷く歪んだ笑顔を浮かべ鼻で笑い飛ばした。


「ンなの誰が知るか」


 訪ねたくとも真実を知る者の1人は消え去り、もう1人は眠りこけている。

 知りたいのはこちらの方だ、と失われた手の先を掲げ、血の滴る折れた骨を天の泡へ突き立てた。



――――――――――――――――――


 

  結局、ロックへの尋問は碌な情報がでず、出し惜しみしているのではなく本当にアビスの目的も、それに繋がる300年前の大戦の結末も知らないと偉そうにふんぞり返る。

 全てはアビスとリュードの間に起こったこと。兄妹達は誰1人として真実を知ることはできなかった。


「俺とカノンも真実を知る前に死ぬと思ってたンだがな」

「リュードが沈黙を貫く理由は」

「そりゃお前、俺達のためだろ。知ったらもう知らなかった頃には戻れねぇンだし」


 そこに何が隠れているのかは知った者にしか分からない。

 だが聞いてしまったからには知らなかったことに戻れないのが情報というものだ。


 リュードはアビスの目的が人間、あるいは兄妹達に悪影響だと断じたのだろう。

 この地上を彼の葬術で覆い隠し、海に住まう海魔達から世界を隔絶した。


「ここは兄貴のアクアリウム。俺たちは目を覆われ、偽善を甘受する。テメェ等はそれで満足だったろ?」

「襲撃を受けたというのにか」

「水槽ってのはいつか割れるモンだ。いくら綺麗に管理しても水は濁るし、魚は死ぬし、枠は割れる。300年もたちゃなおのこと」


 内側からも外側からも叩かれ続けてきた水槽はとっくに崩壊を迎えている。

 命を削って繋ぎ止めた先にあるのは忌々しいアビスの笑い声だけだ。


 ロックの周囲に浮かび上がった泡が黒く濁っている。

 高濃度の深水で構成された泡に視線を送り、ロックは遥か高く聳え立つシャーレ本部へ先のない肩を上げた。


「泡が弾けた先が本番だ。真実を知りたいなら、覚悟を持たなきゃならん」


 泡がはじけ、飛沫が飛び散る。地面を溶かし、田んぼを汚染する深水は小さな海のようであった。

 深水に浸かり折れた足へ、人間にとっての猛毒が流れ込む。


 ひしゃげた足を深水が補い、まるで何事もなかったかのように足は元通り真っ直ぐ天をむいていた。

 引き千切れ、明後日の方向を向いている両腕も同様形を取り戻していく。


 縫い目に沿うようにブロックごとに補われ、間を糸に似た細い深水が縫い合わせていく。

 失われていたはずの骨や肉を深水が形成し、ものの数秒で五体満足のロックが干上がった田んぼに転がっていた。


「相変わらず規格外の葬術だ。不完全な生(パッチワーク)と名付けた祖は何を考えていたのやら」


 不完全な生。治療系葬術の頂点であり、秋仁でさえ超えられない壁。

 究極の葬術は肉片さえ残っていれば形を取り戻すことができる。


 度重なる無茶な治療の果てにたどり着いた葬術の極致。

 死を超越した再生は、本人に生の意識があれば厳しい条件はあれど蘇りにも似た治療が可能になる。


「葬術は使えば使うほど強くなンだからテメェ等も努力しろ」

「人間の寿命は精々80年と少し。さらに葬務官の平均寿命は40歳だ。300年戦場に出続けている貴様と一緒にするな」

「けッ!脆弱過ぎて話になンねぇ!」


 葬術は発動した回数だけ練度が上がる。複雑な葬術ほどその傾向が強く、治療の葬術も例に漏れない。

 寿命が短く脆弱な人間は大抵研鑽を積む前に死んでしまう。全く持って使えない。


「まともに治療できる葬務官は秋仁しかいねぇじゃねぇか」

「奴は優秀だ。医務官としても葬務官としても申し分ない」

「人間性が終わってンだろ」


 治療系葬術持ちで戦場に出せる者はそういない。その中でも2等葬務官まで駆け上り、側仕えとして働いている秋仁は特別な存在だ。

 希少性にかまけず訓練を欠かさない貪欲さも持ち合わせている。


 これで性格が良ければ文句のつけようもないのだが、生憎秋仁の評価は最悪だ。

 仕事以外の評価はボロボロ。人間として性格が悪い、上司になってほしくない、姪が可哀そう、などと言われていた。


 仕事はできるため質が悪く、カノンを全肯定して依存にも似た信頼を受けているのがロックは気に入らなかった。

 あの顔を思い出したら腹が立ってきた。奴はちゃんとカノンを護っているのだろうか。


「ここはもういいだろ。さっさと南区に戻ンぞ」


 西区の海魔は残滅した。アビスの出現予兆はない。総真の元へ行ったという話が本当なら南区の方が壊滅的な被害を受けているかもしれない。

 自身の連絡端末を持っていないロックは冬仕をつつき、連絡をとれと足を蹴り上げる。


 南区では近場にいた葬務官からインカムを奪い取ることで事なきを得ていたが、西区では葬務官の殆どが負傷により撤退してしまい、現地調達ができない。

 カノンと総真の様子を確認できないのはロックにとってかなりのストレスだった。


 容赦なく脛を蹴られ、致し方がなくインカムを1つ投げ渡す。どうせ持っていないだろうといくつか予備を持ってきておいて正解だった。

 最終報告ではカノンの葬術によって海魔は掃討したはず。現場は負傷者の手当でてんやわんやだろう。


「連絡を入れるなら移動しながらにしろ」

「へーへー」


 1度現場を見に行った方がいいだろう。ついでに補給物資についての相談と負傷者の輸送について秋仁と話し合わねば。


「カノン?今こっちがひと段落……あ?」


 全体連絡の回線でカノンへと連絡を飛ばしたロックを傍目に秋仁へ飛ばそうとしていたメッセージを打つ手が止まる。

 ロックの困惑した声に嫌な予感がし、インカムに手をかけた。


「——総真の具合が悪いみたい」

「なんだって?」

「——さっきまで蹲ってて……」

「すぐにいく。そこにいろ」


 状況を説明しようとしたカノンの言葉はインカムの通信事途絶えた。いつの間にかロックの足元には巨大な深水溜まりができており、泡が浮かび上がっている。

 ロックはそこへ足を入れ、地面だったはずの場所から文字通り落ちて行った。


「……置いていきよった」


 本当にすぐに行くやつがあるか。

 叫び出したい気持ちは西区の静寂へと吸い込まれていった。

 

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