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水母の骨を拾う  作者: とりにてぃ
ひび割れた水槽

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27/48

泡沫へ消える夢#1

 白狼の背に身を預けた総真の視界には迫りくる高波とは全く違うものが映りこんでいた。


「オーレリア」


 誰かが優しく呼びかける声。赤く濁った薄い膜が周囲を埋め尽くし、声の主は見えない。

 どことなく聞き覚えのある声音だ。


 オーレリア。何度も呼ばれた知らない名。懐かしく聞こえるその名を声の主は呼んでいる。

 薄い膜を優しく撫でる感触がある。小さな手が薄い膜の向こう側の手と重なった。


「リュード兄さんが分かるみたい。ジャズ兄さんは分からなかったのに」

「ロイド。僕傷つくぞ。違うよなオーレリア。ちょっと聞こえにくかっただけだよね」


 これは聞いたことのない声だ。だがなぜかとても懐かしい。

 男性と幼い男の子の声は笑いながら薄い膜を何度も撫でている。


 暖かく心地よい微睡みの内海。揺り籠の中にいるかのように眠気が襲ってくる。

 まだ彼らの声を聞いていたいと願う心がぽかぽかと暖かい。


「ファンタジア姉さん!アリア姉さん!子守歌に合うロックが完成したぞ!」

「絶対に寝られないからだめ」

「ロック。君のアイデンティティを否定する気はないがオーレリアの気持ちを考えたほうがいい」


 今度はロックと呼ばれた少年の声と、女性2人の声が聞こえる。

 エレキギターのような音が僅かに聞こえたが、すぐに途切れてしまった。2人に止められたのだろう。


「カノンも声をかけてみなさい」

「で、でも……私なんかが声をかけても……」

 

 最初に聞こえた声の呼びかけに拙い発音の女の子の声が拒否を示す。

 薄い膜からも少女だけ遠くに立っているのが影になって見えていた。


 少女は周囲に押され、励まされながらこちらにやってくる。

 数分の時をかけてやっと近づいた少女はゆっくりと薄い膜に手を重ねた。


「オーレリア、は、はじめまして」


 たどたどしい挨拶。とても聞き覚えのある声。優しい手つきと暖かな感触。

 ふと、頭の中に不思議な音が響いた。何かが燃えるようにパチパチと弾ける。


 薄い膜の向こうに差し出されたソレが、小さな手の上にも宿っていた。


「こんにちは。オーレリア。私の愛しい子。我が最愛との形ある繋がりの証。忘れてはいけないよ。君は……」


 何かが薄い膜を覆い隠す。形あるものが映し出される直前、大きな手がその目を閉ざした。

 手の上に宿った炎を握りこみ、全てに目を瞑る。


「現実で起きたこと、今見たこと、聞いたこと。何もかも全て忘れなさい。人間の君には必要のないことだ」


 オーレリア。最初にその名を呼んだ誰かの声。

 真実を全て連れ去っていく泡の向こうに漆黒の瞳が覗き込んでいた。

 


 ――――――――――――――――――――――――――――――


 

 「――ま……総真!」


 揺さぶられ、視界が現実へと戻ってくる。気が付いたときには既に南区の壁直下にたどり着いており、周囲は騒然としていた。

 声の主である彩春に視線を上げると、彼女はほっとしたように息を吐いた。


「全く反応しないからどうしたのかと思ったわ……大丈夫?」

「あ、ああ」


 ちかちかと黒い粒子の舞う視界を手で塞ぎ、再び周囲を見渡す。確かにここは南区の壁付近で、あちこちに負傷した葬務官が転がっていた。

 医務官が走り回っており、遠くには座り込んだカノンの姿も見える。


 傍らには何か人のようなものが転がっており、全身が包帯に巻かれていて良く見えない。

 少し離れた場所の白狼が近くの医務官に何事かを伝えると、両手に携帯食料を抱えて戻ってきた。


「正気に戻ったか?」

「今し方。総真、ここがどこかわかる?」

「あー……えっと……」


 断片的な記憶を探る。何か夢を見ていたような気もするが、残念ながら覚えていない。

 とても大事な話をされたような気がする。忘れてはいけないものを思い出して、大切な何かを手で掴もうとして、その後は。


 ()()()()()()()()()()()退()()()()()()


「彩春、なんで壁まできてるんだ……?俺たち、3人で海魔と戦ってたよな?」

「ちょっと待って。3人?」

「え、うん。3人」

「戦闘の最中、秋仁と合流したじゃない。覚えてない?」

「先生?」

 

 彩春と白狼が顔を見合わせている。なにやらひそひそと話し合ったあと、2人は険しい顔で総真の前に座り込んだ。

 

「整理しましょう。私たちは白狼と合流し、海魔が居る地点に移動した。それは覚えているのね」

「うん。沢山海魔がいて大変だった」

「そのあと、あなたが深水の溜まり場を見つけたの」

「なにそれ」


 再び2人が顔を見合わせる。よく思い出してみろと促され必死に記憶を探っても、総真の頭の中には共闘以降の情報がぷっつり途絶えている。

 最初からその先はないかのように真っ暗闇で、覚えすらもない。


「自分の手から火が出たことも覚えてねぇのか」

「手から火なんて出るわけないじゃん!」

「火傷の痕があんだろうが!」


 指をさされた手のひらを見ると、確かに火傷の痕がある。手の平ごと恐れ知らずにも火へ潜らせたような痕だ。それも、長い時間火に触れている。

 だというのに記憶にはさっぱりそんなものはなく、何故この火傷があるのか見当もつかなかった。


「どういうことだ。記憶喪失か?」

「アビス・オーレリアに会ったことも覚えてないの?あなたを自分の子だなんて言った……」

「知らない」


 突如、総真の表情が変わる。無機質で機械的な強い拒否を示したかと思えば、虚ろな瞳が遠くを見つめている。

 ほんの数分前まで総真の身に起こっていた現象に酷似していた。


「総真?」

「え、あ……えっと、何の話?」


 彩春の呼びかけに一瞬の異常は消えうせる。光の宿った瞳は困惑に濡れ、困ったように眉根を寄せた。

 白狼と彩春は顔を見合わせる。もう一度記憶の内容を整理すると、先ほどまで話していた内容が綺麗さっぱり消え去っていた。


 手の火傷に関して指摘しても初見の反応のように首を傾げ、深水の溜まり場の話にも今初めて聞いたと驚く。

 アビスという単語を口にしようものならまた記憶が消えてしまいそうだ。


 何より厄介なのが、当人に記憶が消えた自覚がない。最初からないものとして扱っている。

 精神の異常からくる防衛反応にしては聊か不自然だ。


「……秋仁先生が命がけで私たちを助けてくれたことも忘れたの?」

「……え?」

「カノン様の傍で包帯まみれになっているのが秋仁さんだ」


 慌てて振り返った先にある白い塊。つい先ほど見たときは真っ白だったというのに今は赤く血が滲んでいる。

 カノンが座り込んでいるのは輸血パックを高く掲げ、自身の深水を薄めて秋仁に補給し続けているからだ。


「は、あ、え?」


 頭が割れるような頭痛に襲われる。失われた記憶と共にまだある記憶が繋がらない。

 確かに総真の中に秋仁が深水の波から救ってくれた記憶がある。けれど、それは事実としてあるだけで深水へ立ち向かう秋仁の姿が出てこない。


 何故だろう。全く違うものを見ていたような。


「おい!雑魚!どうした!」

「総真!?」


 転げ落ちた記憶のピースへ偽りの記憶が重なっていく。真実を塗りつぶすために嘘が折り重なっていく。

 疑うことも、忘れたことを知ることもできず、不完全な記憶が都合よく補完されていく。


 現実に起こった秋仁の命がけの攻防をはるか上空から眺める映像。そこに自分自身も映っている。

 そうだ。見なくていいことは忘れなければならない。知らなくていいことは覆い隠さなくては。足りない記憶は真実を混ぜて嘘を積み上げる。


 その方が幸せになれるだろう。オーレリア。


「俺は、俺は……!」


 これは、誰の記憶?


 全身から汗が噴き出す。偽りの記憶を拒もうとするほど身が割かれるように痛み、その場に倒れ伏した。

 身を丸く抱え、泡となって消えていく記憶にしがみつく。それが無意味だと理解していても、取り上げられた記憶を求めて目を強く瞑った。



―――――――――――――――――


 

 包帯に血と共に染み込んだ涙の跡を見つめ、ほんの少し顔を上げる。

 浅い呼吸を繰り返す秋仁の側を離れられず、パニックになった身を抱える。


 度重なるキャパシティを超えた状況の変化に、カノンは思考を停止し混乱を極めていた。


「わた、わ、わたしっ」

 

 カノンの少ない判断力は目の前にある瀕死の男によってズタボロに引き裂かれていた。

 後悔となって押し寄せる現実が、喧騒と共にカノンの自尊心を叩く。


 やめておけばよかった。葬術など発動せず迎えに行けばよかった。

 壁へ向かう海魔を放置すれば南区は甚大な被害を被っていた。それは分かっている。


 けれど、カノンにとって大事なものは家族と数少ない関わりのある人間だけ。その他大勢の人類なんてどうなったって構わないのに。

 

 痛みに無意識に痙攣をおこす身へ吸盤のようなもののついた腕を伸ばす。深水で構成されたそれを焼け爛れた頭へ置き、せめて痛みが和らいで欲しいと髪を撫でつけた。

 人類を顧みない300年を過ごしてきたカノンは、人体の構造すら把握できていない。


 秋仁を救うにはどうすればいいのか。そんな簡単なことも分からずにいた。

 無力な自分が恨めしい。カノン1人では混沌を極める現場すら治められていない。


「あ、あき、あきひ、あきひ、と!」


 縋りつく先は側仕えただ1人。瀕死の重体で呼吸するのもやっとの命へ極限まで薄めた深水を流し込む。

 人間からすれば薄めたとしても猛毒である深水を秋仁に流し込み続け、早く葬術を発動してくれと願う。


 一歩間違えれば殺してしまいかねない蛮行だ。混乱を言い訳にしても許されない行為。

 だが、主人の全てを肯定する存在が、肉の露出した手を動かした。


「かの、さま」

「あきひとぉ!」


 喉の穴を塞いだ秋仁が目を開ける。まだ片方の眼球は溶けたままだが、あちこちに空いていた無数の小さな穴は徐々に塞がりつつあった。

 カノンが注ぎ続けている深水を使い、浄化と同時並行で治療を行っているようだ。


 神から注ぎ込まれる通常の20倍の濃度を誇る深水を自身の周辺に溜め、片っ端から浄化を行い、できた分から治療に回している。

 どれだけ深水操作に長けた存在でも浄化は人体に大きな負荷のかかる行為だ。


 それを葬術を発動と並行しながら行うなど正気の沙汰ではない。それも、瀕死の重体のまま。


「すみ、ませ……おひと、りに、してしまい……あとしまつを、せずにたおれる、なんて……そばづ、かえ、失格……で」

「ちが、ちがうのっ!私が不甲斐ないから!」

「もう、大丈夫……です。俺が、医務官の指揮をとり、ます」


 瀕死から重傷まで回復した身はまだ貧血と脱水の症状を訴えているが、輸血のおかげで少しばかりマシだ。

 どれほど気絶していたのだろうか。カノンの葬術によって海魔は生き残っていないだろうが、平らげた現場は大混乱だろう。


 眼球で周囲を見渡しても何も目に入らず、動かない体がもどかしい。

 治癒の難しい複雑な構造の部分は飛ばし、最低限動く部分を優先して補う。


 固まった血反吐を吐きだし、新たに取り入れて血液を深水と共に体へ循環させ続ける。

 無理やり治療した身でなんとか上体だけを起こし、血の匂いが漂う戦場を見渡した。


「ほかの、現場は?」

「北区と東区とは連絡がついたよ。西区は……まだ、わかんなくて……」

「ろっく、さま、しごとおそいん、ですね」


 報告ではいち早く海魔を掃討したのは北区。剱が向かった現場。彼はものの1時間で現場を制圧し、海魔を残滅してシャーレの本部に戻っていったそうだ。

 東区はほんの数分前に目途が立ったと連絡があり、冬仕は後任にまかせ連絡のつかない西区へ向かった。


 側仕えが向かったのだ。あとは問題ないだろう。

 南区もカノンが全てを破壊したことにより一旦の落ち着きを見せ、現在は負傷者の手当に大忙し。


「一番重傷なのは秋仁なの……ごめんなさい……私が巻き込んだから」

「俺ごと破壊してくれって、頼んだんです……カノン様のせい、では……ありません。絶対、です」


 これだけは譲れない、と1つとなった瞳に射抜かれ、言葉を失う。

 反論の余地を与えない意志の強さに怖気づき、彼の慈愛に満ちた笑顔が爛れた頬をひきつらせた。


「そも、そも、耐えられない、俺が悪い、です。他の側仕え、なら、耐えられました」

「特務葬務官と2等葬務官を一緒にしちゃだめだよ……」


 死にかけていても軽口をやめない秋仁に少しずつ調子が戻ってくる。

 爆発しそうだった頭は鳴りを潜め、冷静に周囲を観察できるほどの余裕が生まれてきた。


 何を見ても歪んで見えた景色が正常に戻り、そうしてやっと蹲る総真が視界に入る。

 頭を抱えて脂汗を浮かべる息子に、カノンは息を詰めた。


「総真っ!」


 立ち上がろうとして慌てた身が後ろに倒れる。座り込んでいた所為で足がもつれ、顔を地面へぶつけてしまった。

 いつもならそこで恥ずかしさのあまり1時間は泣いて動けなかっただろう。


「かの、さ……ま」


 助けなければ。動かない体に鞭を打って感覚のない手を伸ばした直後、いつもと違う動きに秋仁は密かに口角を上げる。

 カノンはすぐさま立ち上がり、うめき声をあげる総真の身を掻き抱いていた。

 

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