南区防衛戦#2
気を失いそうなカノンを見越して抱え上げた秋仁は力が抜けきり、すっかり大人しくなってしまった主人をそれは大層嬉しそうに抱え続けた。
およそ15歳の子供に見せて良い執愛ではない。本人に全く隠す気がないのが恐ろしい。
「総真……ごめんなさい総真……あなたに気づかないなんて……お母さんは……お母さんはぁ……!」
抱えられている本人は総真に気づかなかったことが余程ショックだったらしく、先ほどから聞き取るのも困難なほど小さな声で謝罪を繰り返している。
ここで気にしていないと口にしても彼女はさらに謝罪を重ねるだけで無意味だ。
こうなってしまったカノンは自力で持ち直すのに数日かかる。彼女はガラス細工より傷つきやすい。
どうにかカノンの気を紛らわせないかと頭を抱えてしまった総真に、秋仁はちょいちょいと指先を曲げた。
「カノン様。大変お可愛らしいですが反省会はまたの機会に」
「う、うぅ……でも、でもっ!お母さんが気づかないなんて、悲しくて寂しくて泣いちゃうよ!総真はまだ15歳なの!赤ちゃんなの!」
「そうですね。育まねばならない歳です。だからこそ貴女が立派に勤めを果たさねばなりません。そうだよね、総真くん」
「急に歩み寄ってこないで?」
決してカノンに否定の言葉を吐かない秋仁に胡乱な目を向けていると、突然距離を縮められる。名前呼びで心の距離まで縮めないで欲しい。
苗字より名を呼ばれるほうが嬉しいが、今ばかりは下心による嫌悪感が勝った。
カノンへ近づくために総真に取り入ろうとしているのが透けて見え、ジリジリと距離をとる。
残念ながらビルの屋上では逃げ出したくともさして遠くには行けず、柵に背があたる。
総真を見ようと顔を上げたカノンの視界に、波を立てる海の姿が映った。
「あ、う……に、200を超える海魔の大群が、近海に見えたよ……ほとんどはお兄様の泡に弔われたけれど、120ぐらい侵入してきたの……個々の海魔を覆うバブルは落ちてきてない……お兄様が眠っている所為だと思う。壁に近づかれたら、人を、巻き添えにしちゃう……」
「うち40は既に弔われました。現在葬務官1人あたり同時に3体の規模で交戦中。幸い重傷者は未だ出ていませんが、状況は芳しくありません」
絶えず前線の報告は上がっている。ロックへ指揮権が移った際に多少現場が乱れたようだが、すぐに投入された追加戦力との連携により一旦の膠着状態を保っている。
このまま弔えれば問題はないのだが、何せ数が多い。
1体の実力は青から緑相当。総真や彩春でも弔えるレベルだ。だが、葬務官の数が圧倒的に足りていない。
1等葬務官から複数戦を強いられ、慣れない戦闘に消耗が始まっている。
「3体同時って無理じゃね?」
「複数戦に強い葬術もあるけれど、殆どが厳しい戦いを強いられるわ。私たちも早く前線に上がりましょう」
ここでもたもたしていては負傷者が出始めてしまう。その前に前線に出たいと彩春は強く訴えた。
秋仁も同意を示し、海のすぐ傍を指さした。
「ここから南下した場所に訓練官が1人で交戦してる。そこの援護から初めて。海辺は1等葬務官が対応しているから近づかないように」
ロックの指揮の元、強大な海魔が陸に上がらないように弱い海魔をあえて見逃している。
1等葬務官の包囲網をすり抜けた海魔は等級が上のものから順に交戦を開始。最終的に壁付近にいる少数の4等葬務官、つまるところ訓練官の元には青から緑の海魔が集中する。
「そこが1番数が多い。決して気を抜かないように。倒せないならそれでいい」
「倒せなくてもいいの?」
「カノン様がいらっしゃるから。俺は準備と治療に回る」
兎に角壁へ近づかせないことが葬務官達の役目。最終的な残滅はカノンが行うという。
どうやって広範囲に散らばった80体の海魔をたった1人で残滅するのか見当もつかない。
しかし、カノンは秋仁の言葉に小さく頷く。残滅できる、という意味だろう。
戸惑う総真の首根っこを掴み、彩春は躊躇いなく屋上の柵へと足をかけた。
「では私たちは前線へ。総真、行きましょう」
「あ、お、おわ!」
首を引っ張られ、自由落下に内臓に浮遊感を覚える。不安そうな顔でこちらを見つめる母を最後に、総真は引っ張られるままに海魔の津波の元へと向かった。
「お止めにならないのですね」
取り残されたカノンはしばし走り去っていく我が子を眺め、小さな肩を震わせる。
秋仁の意外そうな驚きを含んだ声音に力なく首を振った。
「私はあの子の人生に責任がとれないもん……」
本来いないはずの子が葬務官の制服に身を包み、異常事態に戦場へ駆り出されている。その事実にめまいがすると共に、引き留める言葉の出ない弱い自分が恨めしかった。
総真の教育方針、生活は全てロックが決めたものだ。それが総真の幸せになると言い聞かせ、エゴを押し付けている。
カノンには自身の行動が正しいと言い切れる自信がない。エゴを押し付け、愛おし子を縛り付ける傲慢さが持てない。
戦場に出たいと自らの足で赴けば、言葉が出ず止めることすらしない愚かな親だ。
頬を伝って流れ落ちる深水を袖で拭う。秋仁に聞きたいことが山ほどある上、後悔と自責の念に駆られているが今は全て後回しだ。
こんなところで人類を終わらせては兄妹達に顔向けができない。
「ロックお兄様に報告して。伝えなきゃいけないことがあるの」
「拝聴します」
カノンをゆっくりと下し膝をついた秋仁を見下ろす。今は何もない泡と海の境界線。その先を思い浮かべ、金の瞳が動揺に揺れた。
―――――――――――――――――
彩春とビルから飛び降りた先には後方の静寂が嘘のように海魔が跋扈する死地となっていた。
山で遭遇した海魔とは違い決まった形のない不定形の海魔が多く、大きくても70センチほどと海魔にしてはかなり小さい。
だが小さくても海魔は海魔。一撃が命取り。なにより道を塞ぐほどうじゃうじゃといる。一瞬でも気を抜けば脇を突かれて終わりだ。
攻撃手段に乏しく突進ばかりしてくる海魔に蹴りを入れ、新調した2丁のハンドガンを乱射する彩春に悲鳴をあげた。
「どうすんだこれ!先に行きたくても進めねえ!」
戦闘経験のない総真は彩春の射線に入らないように徹底的に背後を取り、死角の海魔から順にストレートを叩き込む。
借りたグローブはよく手に馴染み、打ち付けた拳から小さな爆発が巻き起こった。
なんの仕掛けか分からないが、威力不足の総真には心強い。
爆発に巻き込まれた海魔はばしゃん!と音を立てて深水となり、黒い煙を撒いて形を失った。
かれこれこんなことを10体以上続けている。幸い攻撃が通らないほど強大な相手はいないが、2人は道端で背を合わせて途方に暮れていた。
「おかしいわ!残りの海魔は約80体のはずなのに、私たちだけで20体は弔ってる!」
「ここに80体全部集まってんじゃないだろうな!」
「報告と出現数が合ってないの!ロック様の指揮も混乱してる!」
緊急用に投げ寄越されたインカムからは絶えず戦況報告があがっている。カノンの最初の報告より遥かに多い数の海魔の出現が言及されており、現場は混沌に包まれていた。
大群の出現位置を観測していた参列官からの報告では敵増援を確認できていない。つまりこの海魔達は海辺から侵入した個体とは別の大群ということになる。
一体どこから現れたのかを調べたくとも、手の空いている葬務官は1人もいない。
「カノン様の準備が整うまで耐えるしかないわ!」
「んな無茶な!」
カノンと別れて数分。準備にどれほど時間がかかるのか分からない。出来れば今すぐ助けて欲しい。
数体の群れの中心へと飛び上がり、地面へ拳を叩きつける。一段大きな爆発が周囲へと飛び、数体の海魔が鈍い音を立てて崩れた。
すぐさま空いた隙間に横から滑り込む海魔達より距離を取り、再び形なき異形に蹴りを入れる。
吹き飛んだ海魔がべちゃりと音を立ててビルの壁へぶつかり、哀れな姿で深水へと還っていった。
「訓練官の援護は!?」
「行きたいのはやまやまよ!でも身動きできる!?」
「努力次第!」
彩春は見境なく葬術を使い続けている。弾さえ撃てばあとは勝手にあたってしまうほど山のように海魔が湧いている。
問題は彼女の残弾だ。近接戦闘かつ葬術を扱わない総真は問題ないが、彩春は自身の深水と腰に下げたものしか持ち合わせていない。
このまま複数戦が続けばいずれは脱水症状を起こし、彩春も近接戦闘を強いられることになる。
かと言って他に有効な武器もなく、じわじわと追い詰められていく感覚にグリップを握る手が震える。
秋仁の指示である訓練官への援護も行えていない。その訓練官も状況は同じははず。2人1組のこちらより状況は悪いかも知れない。
「総真!あなた1人ならここを抜けられる!?」
「は!?で、できなくはないけど彩春を置いて行ったりしない!」
総真の身体能力であればこの大群の中先に進めるかもしれない。
だが代わりに追いつけない、彩春を置いて行くことになる。
それでは本末転倒だ。救援に行く葬務官の相棒へ逆に救援が必要になる。
そもそも彩春を置いて行くわけがない。
「ここで戦っていてもいずれ破綻する!リスクを取ろう!」
危険は伴うが、彩春を抱えて抜け出すことも出来なくはない。勝算が低い上に安全性は担保でないが、このまま干からびるよりはよほど良い。
「……わかったわ!無茶だけはしないでね!」
「りょーかい!」
彩春の許可とともに彼女の腰に手を回し抱え上げる。なるべく彼女が狙撃しやすい様に安定性を重視し、地面に蔓延る海魔を避けて地面を蹴った。
「飛ぶぞ!」
「わ、わ、わっ!」
低く連なるビルの壁を蹴り、街灯を足場に海側を目指す。ここから500メートル離れた地点に海魔と交戦している訓練官が1人。早く援護に向かわなくては。
宙を舞い、周囲を見渡す。あちこちに海魔羅しき存在がひしめき合い、見えるだけでもザッと60匹は居るだろう。
海魔による包囲網をすり抜け、険しい道のりを己の足1つで駆け抜ける。海魔を足場に前へ蹴り上げた先で、見覚えのある制服と緑ライン入りの腕章が目に入った。
「彩春いたぞ!」
くすんだ金色の髪と額に軽い汗を浮かべた青年。4等葬務官であることを告げる腕章が深水に濡れ、本人も頭から被ったのか髪が頬に張り付いている。
あれが例の訓練官だろう。
彼は両手に長い棒を手にしており、一振りするたびに海魔の弾ける音と風を切る音が遠くまで響いた。
棒の先端には氷の様なものが付着している。鋭い刃となった穂先を振り回し、青年は荒い息を吐き出した。
「総真!降りて!」
「はいよ!舌ぁ噛むなよ!」
海魔に囲まれた所為ねんの元へ、街灯を伝って接近する。強く口を閉じた彩春と共に彼の前へと降り立とうとして、真横から不定形の海魔が突進の構えをしていることに気がついた。
「まずい!」
所為ねんへ声を掛ける間もなくがら空きの背へと海魔の突進が向かう。命を賭けた刹那。
咄嗟に飛び出した総真の足が、背を貫く数センチ前に鉄の様に硬くなった海魔の身を打ち砕いた。
「なっ!?」
突如降り注いだ奇妙な2人に、振り返った青年は大きく目を見開いた。




