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水母の骨を拾う  作者: とりにてぃ
ひび割れた水槽

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20/39

南区防衛戦#1

 胃がひっくり返る浮遊感を数秒、あるいは数分味わった先。水溜まりに飛び込んだと思ったら次に目を開けたときにはどこまでも続く広大な海が広がっていた。


 鼻腔を擽る潮の匂いとアスファルトを走る列席官達の声。気が付いたときにはその場には渦の痕跡すらなく、総真は人生で初めて目にする海に口を大きく開けた。


 南区の海岸沿いは他の地域とは比べ物にならないほど高濃度の深水で汚染されている。海岸すら人が立ち入ればたちまち浸食され、風で飛来した砂粒により建物が常に劣化の危機に晒されていた。


 故にバブルは陸に寄った位置に展開しており、バブルの辺縁たる海岸沿いにはシャーレが管理している壁が全てを覆い隠している。


 民間人が海を見ることは殆どない。高い位置から眺めることしかできない海魔の楽園が、今この瞬間は足元に迫っていた。


「本物の海だ……」

「そのうち珍しくなくなるわ」

「海岸沿いの任務が大半だからね」


 天然の深水による恩恵を受けられる南区はその分強大な海魔が出現しやすい。この地に常駐している葬務官は優秀な葬務官であり、2等葬務官以上。

 そんな彼らが負傷している戦場が、一瞬のうちに目の前に現れた。


 幸いなことにワープ地点にはまだ海魔は到達していないようで、周辺は静寂に包まれている。


「俺、さっきまでシャーレの本部にいたよな?なんでもう南区?え?どゆこと?」

「一方通行のワープ技術ね。正確には葬術なんだけど。便利な葬術を発現しやすい芹沢って家があんの。その区のどこに飛ぶかまでは指定できないんだけどね」

「葬術便利すぎん?」


 葬務官が中央区で悠々自適に暮らしていける理由が良く分かった。緊急対応のために常駐している葬務官が少ないのはこの一方通行の技術のおかげだ。

 これがあれば列席官と少数の葬務官で時間を稼ぎ、一気に複数の葬務官を現場に送れる。何て便利な葬術。


「さ!お勉強はあとあと!カノン様のところにいくよ!はい!走る!」

「わ、わ!ちょっと!先生速いって!」

「秋仁先生!本気で走ってませんか!?」


 感心していたのもつかの間。背中を勢いよく叩かれ、前方に躓く。姿勢を持ち直すころには秋仁は遥か遠くに走り去っており、2人は慌てて彼の後を追った。

 流石2等葬務官というべきか、1歩の格差が大きい。山を軽々駆け上る身体能力の高い総真の全速力でさえ秋仁と全く差を縮められない。


 彩春は早々に足取りが重くなり、どんどん引き離されていく。


「わ、私!走るの!苦手なの!」


 ビル街を障害物がまるでないかのように駆け抜ける秋仁は、背の低い建物は足場に超えられないビルは足蹴に、果ては街路樹を飛び越えて走っていく。

 平地を走るので精一杯の彩春では太刀打ちできず、背負っていた銃ががちゃがちゃと音を立てて揺れた。


「遅いと置いてくよ~」

「カノン様の!ことになると!加減しないんだから!!」


 必死になって走る彩春を揶揄ったと思えば瞬きの前に豆粒よりも小さくなっている。このままでは3人バラバラになってしまう。


「彩春!俺が運ぶ!」

「え!?あ!ちょっと!」

 

 足を止めるわけにもいかず必死に走る彩春の前に、総真が息を乱しながら戻ってきた。

 総真は彩春の同意も取らず、足元を救い上げ肩に担ぐ。つい最近同じ姿勢で運ばれた覚えのある彩春は思わずその肩にしがみついた。


「や、優しく!優しく運んで!!」

「ちょっと余裕ない!」


 激しい揺れに両手で必死に口を押える彩春に構う余裕はなく、一瞬でも気を抜けば見失いそうな背を追う。

 いつもの飄々とした態度を一切崩さず息すら乱していないのに総真ですらその速度に追いつけていない。少しずつだが引き離されている。


「あの人本当に治療の葬術!?身体強化だけでアレ!?深水操作ってそんなすごいの!?」

「う、あれ、は!例外っ!あなた、こそっ!身体強化、ほぼ、なしでっ!ついていけてるのが、うっ、すご……う、ゆれるっ」


 秋仁の話では総真も無意識のうちに深水操作による身体強化を行っている。秋仁との違いについて吐きそうになりながら伝えてくれた内容を要約すると、意識的な深水操作が身体強化の要になるそうだ。


「あれは、マネしないほうが、いい……変な、くせが、うっ」

「喋らせてごめん!俺達にはできないってことは伝わった!」

 

 今にも胃の中がひっくり返りそうな彩春に背中をバンバン叩かれ、兎にも角にも真似だけはするなと注意された。


 身体強化一本で2等葬務官に上り詰めた前例は片手で数えるほど。血の滲むような努力と訓練の賜物は一朝一夕では習得できない。なにより基礎を知らない総真が真似をすれば足が吹っ飛びかねないと嗚咽交じりに伝えられた。


「すぐ、もうすぐ、つくからっ」


 車よりも速い足で進んでいる限り、この狭い陸の上では見失う前に目的地にたどり着く。その言葉の通り、秋仁が視界から消え失せる前に彼の足が止まった。

 たどり着いた先は海が良く見える5階建てのビルの屋上。壁を蹴り上げて駆け上がった秋仁に続いてその場に降り立つと、そこに小さな人影が1つ。


「カノン様!」


 小さな人影が呼びかけに肩を震わせた。


 マリンブルーの髪が肩口で切りそろえられ、先端は浅瀬へ向かう浜辺のように徐々に薄まり白い波打ち際を彷彿させる。美しい花々が彼女の海上に浮かび、風に揺れるたび揺蕩う。空色の差し色があしらわれた純白のドレスに身を包んだ少女は金色の瞳いっぱいに涙を溜め、声の主に振り返った。


「あ、あ、あっ!あきひとぉ~!」


 腕につけられた黒と金の腕章が風にはためく。

 弱弱しく歪んだ酷く情けない声を上げた彼女の名はカノン・クラーケン。正真正銘、神として崇められる存在である。


 カノンは周囲には目もくれず一目散に秋仁へと飛びついた。彼はそれを両手を広げて受け止め、優し気な手つきでその頭を撫でる。

 潮風に当てられ散った髪をひとつひとつ丁寧になぞり、ドレスの皺を伸ばし、大きな瞳から零れ落ちる涙を指で拭い去った。


「おいたわしやカノン様。俺の不在に海魔の群れなど!よく御1人で持ちこたえてくださいました!お~よしよし」


 秋仁の周囲には深水の雫がいくつも浮かび上がっている。ひっそり怪我の確認をしているようだ。

 いつも胡散臭い笑顔を浮かべている顔は鳴りを潜め、どろどろに溶けた色素の薄い瞳がカノンを捉えて離さない。


 毛先1本にすら定位置があるかのようにその身なりを整え、とめどなく溢れ出る涙をわざわざ指でひと粒ずつ拭っている。

 抱き着かれているのをいいことにちゃっかり腰へ手をまわしカノンの小さな体を余すことなく見つめていた。


「あき、秋仁っ!海魔が!い、いっぱ、いっぱいきて!南区の葬務官たちが!私にしき!指揮しろって!だからっ、だからっ」

「ええ、ええ。存じております。2等葬務官3名負傷、うち1人片腕の欠損により戦線離脱ですよね。ちゃんとフォローに医務官を派遣しております。綺麗さっぱり治ります!戦線維持のため優先的に1等葬務官以上を複数名投入。補佐に2等葬務官と3等葬務官をつけ、離脱態勢もばっちりです。カノン様と同等以上の者が指揮を引き継いでおりますので、ご安心ください」

「……ほんと?」

「本当です。壁付近の現在位置に海魔が居ないことこそが証拠です。それに、あなたの秋仁が嘘を吐いたことがありますか?」

「……ううん、ない。そっか、よかった」


 絶対に嘘ばかり吐いていそうな男がいけしゃあしゃあと。しかしカノンには身に覚えがないようで、秋仁の言を信じ冷静さを取り戻す。

 しれっと()()()()という部分を強調して告げられた言葉にカノンは気づいていないのか、嬉しそうに先程より強く秋仁を抱きしめた。


 口角が吊り上がり、悍ましいと感じるほど満面の笑みを浮かべた秋仁には気づいていない。


「……アレ誰?」

「見てると砂糖吐くから海風で中和したほうがいいわよ」


 彩春はこの惨状に予想がついていたのか、青白い顔のまま海を遠い目で眺めている。甘ったるさに潮風が混じると、どこかぬるついてむしろ気分が悪くなりそうだ。

 叔父の恋愛模様を見せられる彩春も哀れだが、総真はさらに悲惨だ。なにせカノンは彼の育ての親であり15年間慕ってやまない母なのだ。


 父であるロックとは兄妹であり、浮気には当たらないとはいえその心情は推して知るべし。

 

「砂糖の前に情緒がどうにかなりそう」

「どんまい」


 他にかける言葉はなかったのか。

 薄情な台詞に涙が出そうだったが、自分も同じ状況であれば言葉に詰まって同じような台詞を吐いている気がする。


「あれもすぐに見慣れる。海と同じよ」

「色が随分違うのですが」

「ピンクだろうが赤黒かろうが青かろうがそこにあるのが自然というものよ」

「あっちはゴリゴリの人工物じゃん……」


 これ以上目にしていては毒だと早々に手を引かれ、同じように海を見ろと促された。

 聞いたことのない波を引く音を身近に感じ、潮の香がつんと鼻を突いた。多分これは涙ではない。本当に。


 ショックを受けている少年を放置し、主従というには秋仁からの感情が重すぎる会話が続く。


「人間如きにカノン様がお心を痛める必要はございません。皆喜んでカノン様に命を捧げます。俺はそうします。ついでに人類が守れますよ」

「人類はついでじゃないよ……そんなこと言っちゃだめだよ。いつも言っているでしょう。自分を大切にしなさいって」

「大切にしています!あなたを護り慈しむことが何物にも代えがたい悦びです」


 海を背に告げられる安っぽい映画のようなセリフが総真の心にとげを刺す。ささくれでももう少し手心がある。

 なにより母は子供を叱るような口調なのがとても辛かった。身に覚えのある母のたしなめる言葉がゆがむ情緒を加速させる。


「私と同等以上の葬務官ってだぁれ?冬仕くん?剱くんはお兄様のお傍を離れたがらないから違う?」

「ロック様です」

「……え?」


 カノンと同等かそれ以上の葬務官はこの世に4人。特務葬務官かつ総帥たる冬仕。同じく特務葬務官の皇剱。

 冬仕はともかく剱はリュードの傍を一切離れたがらないため現場には30年以上出てきていない。

 

 となれば、冬仕しかいないだろうと決めつけたカノンの言葉を秋仁はバッサリと切り捨てた。

 突然挙げられたいないはずの兄の名に、カノンは驚きのあまり固まる。


 カチカチに固まった彼女の体を壊れ物を扱うかのように抱き上げ、鼻先が付くほど顔を近づけた秋仁が海を眺めている総真の傍に近づいた。


「ロック様と日野くん、捕まりました」

「……え?え?そ、そうま?総真!?なん、なんで!なんで!?」


 再び混乱の渦に陥った彼女がびちびちとその身を捩って暴れる。それを見越してなのか、しっかりと抱きとめた秋仁の腕から逃れられていない。

 決して非力ではないはずなのだが、秋仁を傷つけたくないがために本来の力が出せていないようだ。


 やっと気づいてもらえた総真の顔はどことなく覇気がなく、秋仁を恨めし気に睨んだ。


「先生、性格悪いよ……」

「ごめーん。お詫びに今からでも父さんって呼んでもいいよ。ロック様のことは伯父さんって呼んでやって。既成事実万歳!」

「み゛!」


 謝る気が微塵もない。元々歪な人の家庭をさらにややこしくしようとする悪魔だ。

 未だ状況を飲み込み切れていないカノンが抜けさせない檻の中で得も言われぬ奇声を上げ、ぐったりと秋仁の肩に額を押し当てた。


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