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水母の骨を拾う  作者: とりにてぃ
あなたの為のアクアリウム

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プレリュード#2

 昼下がりの教室。半日授業の日に喜びを示す生徒たちがぞろぞろと帰り支度を済ませて教室を出ていく。

 新学期が始まって1か月。新入生として高校1年生を迎えた日野総真(ひのそうま)も彼らと同様に浮足立っていた。


「総真。帰りにゲーセン寄ってこうぜ」

「あー、悪い!今日は用事があるんだ」


 入学してからよくつるんでいた佐竹からの誘いに、総真はぱん!と両手を勢いよく重ねて謝罪する。佐竹は僅かに面食らったようにたじろぎ、首をかしげる。


「お前が遊びを断るなんて……」

「今日は父さんが帰ってくる日なんだよ」

「なんだそりゃ」

「あ、お前知らねぇのか。日野の親父つったら俺たちの村じゃ有名だぜ」


 小中と同じ西区の農村部で育った伊藤が総真の肩に腕をかける。彼の言う通り、総真の父は二人が住む村ではかなり有名な人だった。


「こいつの親父さん、元葬務官とかで全身に縫い目があるんだ。中央区の病院に定期的に入院してるんだろ」

「そう。1週間ぐらい前に検査入院して、今日は退院日」

「マジか。遊んでる場合じゃねぇじゃん!」


 父は月に1度ほど、検査入院と称して1週間ほど家を空ける。母は仕事で中央区に勤めているため、そもそも帰ってくること自体が稀だ。結果的に家で1人になりがちな総真にとって、父の帰宅は喜ばしいイベントの1つである。


 二人は事情を汲み、寄り道はせずとも途中まで一緒に帰ろうと共に教室を出た。


「親父さんが葬務官なんてすげぇなぁ。総真も深水操作ってできんの?」

「元、ね」

「出来てたらこんな田舎にいねぇって!今頃中央区の学校でエリートまっしぐら!」


 深水操作は人口のおよそ4割が発現する異能の一種。水がそこにあるだけで海魔を生む危険性のあるこの世界で、深水操作による浄化は必須の力だ。幼い頃の検査で能力が発覚次第、子供達は中央区で専門の学校へ通い、シャーレと呼ばれる軍の管理下に置かれることになる。


 更に上の異能に目覚め葬務官となった暁には一生安泰といわれている。

 西区の外れにある農村部に生まれ、長閑な田園風景の中にある高校に通ういち高校生とは住む世界が違う人たちだ。

 

「でもさー、両親が中央区に用があるなら、最初から中央区に住めばよかったんじゃねぇの?」

「父さん、ロックだから」

「え?どういうこと?」

「あーロックだよなあ」

「え?え?」


 答えになっていない返事に佐竹は「ロック 意味」とスマートフォン片手に検索をかけている。

 そんな他愛もない雑談に花を咲かせた帰り道、西区の駅前で帰り道の分岐点がやってきた。


「んじゃ、俺はこっちだから。また明日な」

「おう、またな」

「気を付けて帰れよ~」


 手を振る二人を背に田畑の中を歩いていく。その背中に、佐竹は伊藤の小脇を突いた。


「アイツいっつも山のほう行くけど、あの辺に家あんの?」

「日野の家はあの山」


 指し示す先はダムの隣にある大きな山。林業を営む大人たちがよく入っていく山の辺りだ。しかし、その麓には屋根の1つもない。

 首を傾げていると、伊藤は指の先を山の天辺へと変えていく。その先にはただ鬱蒼とした木々が広がるばかりだ。


「あそこ」

「あそこって……?」

「あの山の上のほうに社があるんだ。その付近にアイツの家がある」

「え」


 西区でもかなり大きな山の頂上。その場所に家があり、あまつさえ人が住んでいるとは露ほども思っていなかった。

 伊藤の話では日野一家が頂上に住んでいることは、山を保有している村の人しか知らないらしい。


「今度遊びに行こうぜ。マジで山道きついぞ」


 面白そうに笑う伊藤は何度か行ったことがあると笑っていた。数時間かけてやっと登れそうな山に、佐竹はふるふると勢いよく首を振った。



 —————————————

 


 歩き慣れた参道を迷うことなく歩いていく。この山の参道はなぜか何本にも道が分かれており、正しい道順で行かねば社にはたどり着けない。父曰く防犯対策とのことだが、こんな山を登ってまで罪を犯しに来る犯罪者が果たしているのだろうか。


 この参道は足場の名残がある道は全て不正解の道だ。何度かの土砂崩れで移動してしまったものもいくつかある。特にダム側から高さを稼いで参道に入ると、道を辿っただけでは社に入れないように改悪されている。

 正しい道は脇に逸れた獣道。その中のいくつかに紛れた見慣れた風景を辿って帰路を進んでいた。

 

 ふと、前方に見慣れない黄色い膜が目に入る。今朝家を出たときには無かったものだ。見覚えのない巨大なドームは山の頂をすっぽりと覆い、行く手を塞いでいる。


「これ、バブルか?なんでこんなところに?」


 海魔が発生した際、通常は周辺に避難勧告が出ることになっている。バブルの出現は避難が終わった後だ。だというのに避難勧告の通知は届いておらず、周囲に葬務官や参列官の姿がない。山の中はいつも通り静かで、眼前の目が痛むようなイエローだけが異物として鎮座している。


「触っても大丈夫かな」


 学校で習ったことが正しければ、一般人がバブルに触れてもただそこに壁があると感じるだけだ。固い壁となって拒絶され、事故でも中に入ることは絶対にない。

 好奇心からバブルの縁に手を重ねてみる。どこかひんやりとした感覚が手の平に触れ、未知の感触に感動する。しかし、壁があるとは感じなかった。


「あ」


 力が足りないのかと強く泡を押しやると、音もなく腕がすり抜ける。あまりの事態に脳が追い付かず、必死に腕を引いた。


「ちょ、まじか!ぜん、ぜんっ!抜けない!!」


 どういう仕組みなのか見当もつかないが、突き入れた腕と泡の境界線から一切外側に動かせない。内側に押し込むことは容易でも外に出すのはまるでつっかえ棒をされているようにびくともしなかった。数分必死に格闘しても状況は好転せず、腕だけ泡に突っ込んだ間抜けな姿に総真は遠い目を浮かべてしまう。


「どーしよ……バブルっていつ弾けるんだ……?」


 海魔の討伐が終わり次第バブルが弾けて消えるのは知っている。しかしそれがいつになるのかは検討もつかなかった。葬務官がすでに到着しているバブルでも数日は消えなかったなんて話もある。


「俺……この間抜けな姿で数日!?」


 それは無理だ。耐えられない。そもそもこの中に海魔という異形がいるからバブルがあるのだ。この何の抵抗もできないまま片腕を持っていかれそうな姿勢でずっといるなんて自殺行為だ。それならいっそ、住み慣れた庭で身1つ隠れたほうが勝算はある気がする。


「ええい!ままよ!」


 こうなりゃ自棄だ!

 勢いのままに全身を泡の内側に押し込む。何の抵抗もなくすり抜けた足がたたらを踏む。見慣れたはずの景色の中はどことなく薄暗く寒気を覚えた。


「出てこないでくれよぉ……」


 大して教科書の入っていない薄い鞄を片手に、社への道を歩いていく。海魔と出くわさないことだけを唯々祈っていた。

 

 木々の隙間を縫って、獣道を進んでいく。山は沈黙を貫き、時々遠くに写るイエローが外との隔絶を謳っている。

 風に揺れる葉音に肩が跳ね、自身の足音が嫌に大きく聞こえた。


 バブルへの一般人の侵入は、避難勧告に逃げ遅れた例しか聞いたことがない。事故で入ってしまった場合の対処法など誰にも教わらなかった。とにかく、海魔と接触しないように息を潜めて身を隠せる場所に向かわなければ。


「父さん、巻き込まれてないといいけど」


 今日の昼には帰る、と電話口で嬉しそうに話していた父は同じように巻き込まれていないだろうか。元葬務官とはいえ傷痍軍人となって退役したと言っていた。実際、痛々しい痕が全身にいくつも残っている。海魔の遭遇しても戦えないと、父は苦笑いを浮かべていた。


 なんだか段々と心配になってきた。避難勧告の通知が来ていないのは父も同じなのではないだろうか。もし、もし仮に、自分と同じように中にいたら。

 逸る鼓動を抑え、山道を駆け上がる。頬にかかる枝葉を打ち払い、残像となって過ぎていく木々の間をすり抜ける。


 いつも通る道を逸れ、近道に使っている道なき斜面を駆ける。鞄を背負い、飛び地のように草木の合間に突き出た岩山へ飛び乗り、軽やかに1つ、また1つと飛び移る。

 常人離れした脚力で慣れたように飛び回る様は野生の鹿を思わせる。不安定な切り立った岩をものともせず、頂上を目指してただひたすらに足を動かした。


 ふと、耳に聞き馴染みのない音が届く。周囲から響いた音は次第に大きくなり、ガサガサと草木を搔き分けているようだ。

 じとりと、背筋に冷たいものが伝う。


「うわぁぁ!?」

「きゃぁっ!」


 急速に音が近づき、逃げようと別の岩場に飛び跳ねる前に視界の端に影が差す。突如として現れたのは、柔らかな髪を高い位置で2つに結んだ可愛らしい女の子だった。


 長く伸びた蔦に足を取られ転んでしまった少女は、よく見ると腹部から背にかけて服が大きく裂かれ血を流していた。


「は!?おい!大丈夫か!?」


 岩から飛び降り、少女へと近づく。白い制服らしきものを身に纏った少女は腹部を庇い、苦しそうに顔を歪めている。

 総真の声に人がいることに気づいたのか、驚いたように目を見開いた。


「民間人……?」

「民間人って……あんた葬務官か」

「ええ……あなた、どうしてこんなところに、いっ……」


 腹部を抑える左腕には深い蒼を携えた腕章。葬務官であることを表すものだ。彼女の手には鈍く光る銃が握られている。


 総真に向き直ろうと蹲っていた身を起そうとし、小さく悲鳴を上げる。純白の制服がじわじわと紅に染まり腕を伝って落ちる紅が、傷の深さを示していた。


「無理に動くな!血ぃでてんぞ!」

「だい、じょうぶ、それより、ここは危ないわ……少しでも離れないと……!」


 切羽詰まったような声音と共に、ビュンッと風を切る音が頬を霞める。

 少女の真後ろ。数メートル離れた位置に揺れ動く蜃気楼が、形を成して複数の刃を触手のように這わせる。


 海魔に関する授業で見たことがある。確かクラゲ型と呼ばれる海魔だ。半透明な胴体が特徴で無数の触手を操ると教科書に書かれていた。

 海魔は邪魔な木々を薙ぎ払ってこちらに進んでおり、喉奥から乾いた空気が漏れる。


「あれが、海魔……」


 生きているうちに一般人が出会うことは殆どないと言われている怪物。人を侵し、意味もなく殺す蹂躙の化身。手先が恐怖に冷え、無意識に身が震える。

 

「くっ……!」


 少女は手にした銃を後方に向け、引き金を引く。火薬が弾ける音の代わりにどこからともなく表れた薄黒い水が収束し、銃口から弾丸となって射出される。


 真っ直ぐ海魔の本体へと突き進んだ弾丸は無情にも触手にはじかれ、大地を大きく抉る。海魔の歩みは止まらず、着実にこちらに迫っていた。


「今すぐ逃げなさい!どこでもいい!とにかく遠くへ!」

「あんたは!?」

「民間人の命が最優先よ!自分の身を守ることだけ考えて!」


 腹部を片手で庇いながら少女は立ち上がる。痛みに今すぐにでも蹲りたいだろうに、泥だらけになりながら銃口を真っ直ぐ海魔へと向け続ける。

 再び打ち出された弾は易く弾かれ、効いている様子はない。それでもせめて逃げる時間を稼ごうと少女は引き金を引き続けた。


「あっ」


 血で滑るグリップに狙いがズレ、明後日の方向に逸れていく。その隙を見逃すほど海魔は能無しではない。

 鋭く伸ばされた触手が眼前に迫る。鋭利に輝いた切っ先が鼻先を霞め、死の予感が少女の脳裏を過った。


「あぐっ!?」


 触手が脳を貫く直前。頭部よりも先に訪れた腹部への衝撃に肺の空気が押し出される。視界の木々が恐ろしい速度で過ぎ去り、海魔からあっという間に離れていく。膝下と背中、そして腹部を圧迫する感覚に下を見て、やっと人に担がれているのだと悟った。


「な、なに、をして!」

「怪我人を置いていけるか!逃げるならあんたも一緒だ!」


 人一人を担いでいるとは思えない速度で海魔から逃げていく。海魔の触手も追いつけぬようで、本体は既に見えなくなっていた。

 あまりの事態にあっけにとられた少女は、担がれたまま呆然と背後を見る。揺れる視界の端に残像の如く残る木々が噓のようだった。


「は、早すぎない!?かなりの傾斜よ!?」

「走り慣れてるから大丈夫!それより、社に逃げ込むけどいいよな!?この山は他に身を隠せる場所なんてねぇんだ!」


 少女の同意を得る前に既に走り出してしまったので今更コースは変えられない。海魔の足の速さは知らないが、木々を薙ぎ倒して直線で追いかけられたらひとたまりもない。

 海魔の視界に再び捉えられる前に身を隠さなくては。


「本気で走るから口閉じてろよ!」

「え、ちょ、きゃああぁぁぁ!!」


 山々に響く甲高い叫び声。周囲が一直線に繋がり、風を切る音ばかりが耳に叩きつけられた。

 

 

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