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水母の骨を拾う  作者: とりにてぃ
あなたの為のアクアリウム

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プレリュード#1

 雨が降っていた。

 あの日は、雨が降っていたんだ。


 何かを失う日はいつも雨が降っていた。

 降り注ぐ粒が頬を伝うたびに赤黒く変色し、落ちない泥となっていつまでも身体にこびり付く。身動きが取れぬほど張り付いた罪に苛まれる。

 斬られ、抉られ、千切られ、燃やされた半身を捨て置き、言うことを聞かぬガラクタを引きずって倒れ伏した男に近付く。

 

 男は心底楽しそうに口角を歪め、崩れゆく自分を見ていた。その頭上に煌々と輝く冠が瞬いては怨嗟に揺れる。この世の全てに憎悪を示す嘆きの声は雨音と共に掻き消える。耳に届いたのは男の冷ややかな声だけだった。


「また、会いに来るよ」


 誰が望まなくてもまた会いに来る。お前達の気不味そうな顔が見たいから。お前達の憎悪に満ちた顔が見たいから。お前達がまた殺しに来てくれることを願っているから。


 背後から自分を呼ぶ声が聞こえる。振り向いた先、ボロボロになった弟と妹の姿。山のように積み上がった誰とも知らぬ者達の亡骸。血と憎しみを吸ってぐしゃぐしゃになった地面を雨は洗い流さない。罪を擦り付ける粒が、自分の形を連れ去っていく。


「どれだけ時が過ぎようとも、忘れないで」


 振り上げた拳がぐしゃりと音を立てて血を抉る。水となって溶けた男は跡形もなく血に混じる。お前ばかり全てを洗い流して、責任と罪をこちらに押し付けて、何と身勝手な男だろうか。

 握りしめた手が汚泥に包まれる。もう一度振り上げた手は行き場なく虚空へと落ちて行った。



 

 -----------


 


 暖かい陽気が差し込む春の空。流れゆく雲の切れ間に虹色の光彩を放つ泡が空を覆っている。

 田畑を吹き抜ける風は冷たく、飛び立つ鳥たちの鳴き声は耳に心地よい。都心部に慣れた身には幾ばくか新鮮で、自然と足が止まる。


彩春!(いろは)おいていくぞ!」


 先を行く同行者に促され、名残惜し気に緩む足を叱咤する。

 今日は仕事で来たのだ。上官の手間を取らせてはいけない。


「ごめんなさい、神崎先生」


 小さく2つに結んだ髪を揺らし、同行者に追いつく。先行く男、神崎秋仁(かんざきあきひと)は眉根を寄せ、苦虫を嚙み潰したような顔をしていた。

 

「お前も神崎なんだから、せめて名前で呼べよぉ。ややこしいだろぉ」

「は、はぁ」


 神崎彩春(かんざきいろは)。秋仁の姪であり、去年15歳になったばかりの子供。

 しかし、彼女達の現在の関係は学生と教師でも、ましてや叔父と姪でもない。列記とした軍人。上官と部下の関係にある。

 

「かんざ……秋仁先生。今回のダムへの視察、本当に私が必要だったのでしょうか」


 都心部にある軍事施設にて訓練を積んでいる彩春は秋仁が面倒を見ている訓練官だ。時々彼の任務について回り、現場での経験を積む。

 今回の任務は西区にあるダムへの視察。広大な農耕地帯である西区では最も重要な場所でもある。

 任務の内容自体に異論はないのだが、彩春は自分の必要性について強く疑問を抱いていた。


「訓練官とはいえ私は……」

「まあまあ。行けばわかるよ」


 この質問は西区に足を踏み入れたころから小一時間は続いている。その間に大した回答を得られず、結局流されてダムのすぐ傍まで連れてこられてしまった。

 頭を抱える彩春の肩に、秋仁の手が乗る。ぽんぽん、と軽く叩いたと思えばその顔は胡散臭い笑みを携えていた。


「俺は戦闘向きじゃないからね。頼んだよ、彩春3等葬務官(そうむかん)殿」


 葬務官。それが彼女らが持つ役職の肩書であり、彼女たちが背負う使命の名であった。

 

 ダムへと上がる道のりの中、秋仁は頭上に広がる広大な水辺を指さす。事の始まりは数日前。突如として現れた異形の影が報告されたこと。


「ダム周辺は林業のための山間部になっていてそこそこ人通りもある。ダムへの浄化作業も1か月おきにあるし、水が淀んでいるって報告も上がってない。でもねぇ?水辺で異形の影って言われちゃうと~やっぱあれしかないっしょぉ」

「海魔、ですね」

「淡水なのにねぇ」


 海魔。この世に発生する害の権化。人に仇名し全てを破壊する暴力の塊。真水を彼らの住処となりうる深水(しすい)へと変え、無限に増殖する生物と定義するにはあまりにも悍ましく不気味な存在である。


 海魔の主成分は深水。深水は人体には毒であり、触れただけでその箇所から皮膚が腐り落ちる。とても人間が相手にできるような存在ではない。

 その異形を討ち取るべく生まれたのが葬務官なのである。


「海魔のランクは?」

「推定ブルー。訓練官ならグリーンが妥当だけど、彩春は3等だし妥当だね」

「わざわざ私を連れてこずとも貴方が相手をすればよろしいのでは?秋仁2等葬務官殿」

「戦闘向きじゃないんだってばぁ」


 ひらひらと手を振って指摘を躱す彼が、実際のところ自分より遥かに強いことを彩春は知っている。大方、実戦経験を積ませようと任務を勝手に受けてきたのだろう。

 訓練官の任務は担当者が選べるとはいえ、事前に相談するか資料を寄越して欲しかった。


「戦闘になるなら先に伝えてくださいと何度も言っているじゃないですか。銃も一丁しか持ってきていませんよ」

「あっはっは、だろうね~」


 事前通達があればもう少しマシな武装を選べたというのに。腰のホルダーに下げたハンドガン一丁ではいささか不安だ。

 前の戦闘で愛用していた銃が破損し、整備に出しているタイミング。まさかこの機会を狙ったわけではないことを祈りたい。

 

「大丈夫、何とかなるって」

「ならなかったらちゃんと手伝ってくれるんですよね」

「さぁて」


 早足に進む背を追いかける。暖かいはずの風に冷ややかな風が混じり、水辺への道を知らせていた。


 ダム周辺は異様なほど静かだった。

 水場はこの地域にとって、とても重要な箇所だ。大抵の場合、偵察や物資支援のサポート役である列席官(れっせきかん)が巡回しているはず。海魔が出現している可能性があるならなおさらだ。

 だというのに周囲には海魔の気配はおろか、人の気配すらしなかった。


「誰もいませんね」

「このダム、列席官の常駐がそもそも少ないんだよね。引退組が余生を過ごすためにやっていて、危ないから俺たちが来るタイミングで下がってもらった」

「引退した列席官しかいないって……新しいダムの建設予定でもあるんですか?」

「老朽化が激しいから修繕の話が出てるんだ。深水の浄化装置が何台かイカれてる」


 生活水の生命線になるダムで海魔が出現などおかしな話だと思っていたが、浄化装置が一部停止しているのなら合点がいく。長らく同じ場所に留まった水はいずれ淀み、自然と深水に変容してしまう。今稼働している浄化装置では間に合わなかったのだろう。


「浄化員の派遣は?」

「俺」

「は?」

「だから浄化員は俺」


 ぽかん、と間抜けにも口を開けたまま放心してしまった。深水の浄化はなにも葬務官でなくても可能な業務だ。深水を操る特殊な技術さえ扱えれば浄化作業はできる。人口の凡そ4割が会得している技術だ。だというのに、海魔が出現しているこの状況で2等葬務官殿が直々に浄化を行うと宣っていた。

 だから戦闘には参加しないと頑なにはぐらかしていたのだ。


「いやぁ、一度ダムの浄化作業やってみたかったんだよね。すんごい楽しいらしいよ。浄化装置が高級なの使ってるからさ、ちょっと深水操作しただけで超光るんだって。見たくない?光るダム」

「……結構です」

「えー絶対楽しいのに」


 だめだ、この人に付き合っていたらいつまでたっても仕事が進まない。もう放っておこう。

 ダムの縁に身を乗り出して覗き込む大きな子供を置いて、彩春は山間部へと向かう。道中もらった情報によると、山間部にある古びた社付近で多数目撃されているらしい。

 

「バブルはもう出ているんですか?」

「もうすぐ飛んでくると思うよ~」


 海魔は基本、バブルと呼ばれる泡のドームで隔離される。周辺住民の避難が完了次第本部へ報告を上げ、上空の泡から落ちた一滴がバブルを生成する。

 バブルは葬務官でなければ通り抜けることができない。しかしそれも外から内への話。一度中に入れば何人たりとも外部には出られず、海魔と閉ざされた空間に籠ることになる。

 バブルの色は中にいる海魔の強さに直結する。報告が正しければ山間部にバブルが発生するはずだ。


「お~噂をすれば」


 突如、天を覆っていた光彩に一滴の影が落ちる。瞬きの間に地上へと降り注いだそれは大きな傘となって大地を覆い、青色に輝いた。


「社への参道はほとんど整備されてないらしいから頑張って~」


 のんきにひらひらと手を振る秋仁に一瞬イラっと来たものの、彩春は黙って山への道を歩き出した。

 地図によれば、山間部の中腹にダムを建設する際に建てた安全祈願の社があるらしい。完成後は滅多に人が立ち入らず放置されているとか。

 秋仁の言葉通り参道にはいくらか足場の名残があるものの、とても歩きやすい道とは言えない。


「この辺りは民家もないのね」


 軍から支給されているスマートフォンに映し出された地図には民間人の住居が1つもないことを示すまっさらな色が浮かんでいる。


 青白く輝くバブルへの道のりは不便ながら歩けないほどではない。誰も参拝しない社への道にしては随分と踏み鳴らされているようにも感じる。

 スカートの端に引っかかった枝を払い除け、山道を進んでいった。

 

 山道をほどなくしてバブルの縁へとたどり着く。ゆらゆらと揺れ動く半透明の泡に触れると、するりと体が通り抜けていく。ホルダーにかけていたハンドガンを引き抜き、慎重に歩みを進める。どこかに海魔の姿があるはずなのだが木々の隙間からでは視界が悪く、その形を捉えることができない。

 社まで抜ければ開けた場所に出るはずだ。それまでは慎重に警戒しながら進むしかない。


「索敵は苦手なのに」


 木々の揺れ動く音、髪を揺らす風、吹き降ろす土の匂い。僅かな違和感も逃さぬように神経を尖らせる。

 ハンドガンを握る手に手汗が滲む。時折隆起した木の根をまたぎ、視線をさ迷わせる。


 バブルが落ちてきたということは確実に海魔がいるはずだ。だというのに物音の1つもしない。

 嫌な予感が汗となって額に浮かぶ。その直後、周囲を覆う青白い泡が徐々に夕暮れを思わせる黄昏へと変わっていく。


「なっ、イエロー!?」


 バブルの色相変化。報告された海魔の強さが変化したときに起こる現象だ。イエローはブルーの1つ上。2等葬務官が1人、あるいは3等葬務官が複数人で当たる任務だ。


 このままでは荷が重い。バブル中に入ってしまった現状、秋仁が色相変化に気づいて救援に来てくれるのを待つしかない。

 それまで、できうる限り視界の開けた場所で時間稼ぎをしなくては。


 身の危険に歩調が速くなる。山を駆け上がる最中、背後から急速に近づく気配に目を見開いた。

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