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水母の骨を拾う  作者: とりにてぃ
ひび割れた水槽

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17/48

泡の怪物#1

 精密検査と称して残りの半日全て医務室に放り込まれた総真と彩春が解放されたのは時計が10の時を指す時間であった。


 タバコをふかしながら検査結果と向き合う秋仁に医務室を追い出され、げっそりしながらシャーレの通路を歩く。


 昼頃には騒がしかった施設内もぱったりと鳴りを潜め、純白の道は静寂に包まれていた。

 互いの足音が響く中、きょろきょろと辺りを見回す総真に彩春は控えめに声をかける。


「総真、まだどこかに出かける元気はある?」

「え?いいけど、どこ行くんだ?」

「外が良く見えるところ」


 駆けだした彩春に手を取られ、2人で道を走っていく。誰にも会わない薄暗い廊下を女の子と一緒に。現実味のない現象に顔が赤くなり、されるがままに足を踏み出す。

 何度かエレベーターを乗り継ぎ、たどり着いたのは最上階。地上から遥か遠く離れた天を衝く塔の中。


 街を一望できるこの場所は哨戒塔。シャーレの中央に建てられた泡を突き抜ける先進技術の詰まった施設だ。


 偵察用に作られた展望台は葬務官であれば自由に出入りできるらしく、彩春は時折ここで街を眺めていると嬉しそうに笑った。


「私、葬務官の友達ができたら絶対にここに連れてきたかったの」


 友達。不意に降ってきた単語にむず痒くなる。つい一昨日であったばかりの彩春とトントン拍子で同僚になって、まだ彼女の存在すら曖昧なのに。

 喜色に色づく心臓を誤魔化すようにわざとらしく頬を掻き、熱くなった顔を外へと向けた。


 ガラスの向こうには上向くビル群と星々よりも輝いた街が一望できる。少し視線を逸らせば西区が、未だ見たことのないほかの区も見渡せる。


 山や丘を越え、平地の地平線の彼方に見えるのは未だ人間が足を踏み入れることができない一種の未踏の地、海がどこまでも続いていた。


「綺麗だな」

「でしょ。ここに来ると落ち着くの。人もあまり来ないしね」


 備え付けられたベンチに座り、外を眺める。山の中で空を見上げて眺めていた星と似たようなものが下を向けばもっと輝いて存在している。とても不思議な気分だ。

 友人たちと憧れを口にしていた中央区。訪れれば別世界に迷い込んだようで現実味がない。


 総真はこの3日間夢を見ているようだった。これは現実だといくら言い聞かせても脳が理解を拒否する。


 自分が深水操作を扱えたことも、父と母が神の1人であったことも、葬務官に成らざるを得ない状況になってしまったことも。何もかもが受け入れられていない。


「総帥に言われた言葉、覚えてる?」

「命を懸けるだけの価値を求めよってやつ?」

「それ。葬務官は命がけで海魔から人類を守る仕事だから、命を張る理由がないと自分を守ることすらできなくなってしまうの」


 深水操作を行える者は必ずシャーレの管理下に置かれる。そこまでであればまだいい。浄化作業で一生食うに困らない生活が約束され、危険も少ない。

 

 問題はそのあと葬術に目覚めた者。彼らの未来は悲惨だ。名のある家に生まれたのなら覚悟も決まっていよう。だが、総真のように海魔と無縁の家庭で育った者は必ず死と向き合うことになる。


 仲間の死か、自分の死か。泡に包まれてぬるま湯につかっていたはずが、いつしかぬるい血を浴びることになる。


「私は神崎家に生まれたときから葬術の覚醒を心から願っていた。人を救うことを是とし、誉と思うのが家訓だもの。私はそれに納得しているし人を守れることを誇らしいことだと思っている。でも、総真は違うわ」

 

 戦う理由は即ち死への納得と許容だ。過酷な痛みと凄惨な死を迎える自身へのはなむけを志とする。残酷な覚悟だ。

 覚悟なき者は生涯を悔い、葬術を憎み、神を嫌い、そうして心病んで散っていく。


 冬仕はやりたいことを見つけろと言っていた。志もなく目標もない総真に、命を懸けるだけの価値を何かに見出せと。

 きっと彼なりの贖いなのだろう。強制的に戦場へ引きずり込んだ総真へのせめてもの助言だ。


「正直さ。俺、父さんをシャーレに呼び戻すための餌として徴兵されたんだろ」

「……白状するならそうね」

「実力がなくても俺はシャーレに連れてこられた。たまたま戦う力があるから葬務官にさせられた。だよな?」

「その通りよ」


 この狭い世界ではシャーレに目を付けられた時点で未来はない。ロックは総真が健やかに育つことを心から願っていた。実の子ではないというのに破格の愛情を注いでくれている。


 兄から逃げ出したことを悔い、向き合うときが来たのだと悲しそうに笑っていたのは本心からだろう。だが同時に、総真が責任を感じないための配慮だったようにも思う。


「俺、家では祈ることを禁止されてるんだ。なんでだと思う?」

「目の前で息子に祈られたらいやだから?」

「それもあるだろうけど……俺は父さんの兄、リュード・オルカのためだと思う」


 父は祈りを嫌っていた。実際に彼の祈る姿は一度だって見たことがない。単純に神を信じていないか、祈る行為自体が嫌いなのだと思っていたが、あの凄惨な映像を見て納得した。


 あれは弟が兄を想っての行動なのだ。これ以上負担を増やしなくない。辛い思いをして欲しくない。祈らないことが、ロックなりの兄へ贈る祈り。


 人間嫌いを隠そうともしないのに人間を滅ぼそうとはしない。殺してもいいと言っているのに、目の前の人間に不遜な態度をとられても牙を剥かない。

 それはきっと兄が人々を守るために苦しんでいるからだろう。兄の想いを無下にしないためだ。


「今は、俺自身が命を懸ける理由は良く分かんない。でも、家族が大切にしているものは俺も大切にしたいよ」


 ロック・ジョーは総真の育ての父だ。ならばリュード・オルカは総真の伯父に当たる。会ったこともないけれど、身を砕いて人類を護る彼の願いを足蹴にしたくない。


 心臓をかきむしりたくなるあの悲鳴を少しでも軽くしたい。悲鳴のあとに浮かべた、父の全てを諦めたような顔を見たくない。そのために何ができるのか、シャーレでなら探せるかもしれない。

 

 人工の星々が瞬いている。この一瞬に悲しみを積み重ねている家族を想う。


「人類を護りたいなんて大志は抱けないや。俺、葬務官向いてないかな?」


 大それたことは言えない。目の前にいる人を大切にしたいだけ。小さな願いしか口にできない自分が恥ずかしかった。

 大雨の中、雨を止めるために科学と葬術を駆使するのが葬務官。けれど、雨に打たれている人に傘を差し出す程度のことしか未来を想像できない。総真にできる精一杯はそれだけなのだ。


「あなたは十分葬務官に向いてる」


 羞恥に濡れた総真に暖かな笑顔が訪れる。反射した街の光に照らされ、彼女の明るい髪がいっそう大きく輝いた。


「目の前の人を助けてくれたでしょ?」


 彼女の言葉に小さく頷く。最初は1人。次にもう1人。小さな積み重ねがやがて大きな意志と覚悟になることを信じて。



――――――――――――


 日付が変わる頃、展望台から宿舎の建物への道筋を教えてもらい、総真は女子用宿舎へと去っていく彩春を見送った。


 送ると言って聞かない彩春とこんな夜更けに女子を1人にできないと譲らない総真の攻防戦が30分ほど繰り広げられ、結局折衷案で互いの宿舎の中間で別れを告げた。


 濃厚な3日間を終え、体は疲れを訴えているのに目は冴えたままだ。新天地に頭が興奮を訴えている。

 宿舎の位置は確認したし、仮に割り当てられた仮眠室も確認した。少しぐらい散歩をしても怒られないだろう。


「夜は流石に誰もいないな」

 

 星が遥か遠いシャーレの施設内を歩いていく。山では夜の訪れと共に光が消えうせ、月明りだけが目印だ。


 だがこのシャーレでは街頭が立てられ、昼とまで言わずともとても明るく感じる。少なくとも歩くのに何の支障もない。


 車窓から眺めていた時は人がたくさん行きかい物音が絶えなかった。栄えているという印象がしっくりくる。


 夜のシャーレは一転して物音1つしない。あちこちの窓から明かりが漏れているため、人はいるのだろう。まだ働いている人もいるかもしれない。


 あてもなく散歩をするような者は総真だけだ。皆人類のために明かりの下で時間を使っている。

 改めて甘受してきた平和の重さを感じる。昼に見た多くの人たちが築き上げてきた平穏を総真は酷く後ろめたく思う。


 「ここは……門だっけ?」


 彷徨った果てに巨大な壁へ突き当たる。シャーレへやってきたときに通った門だと気付くのにそう時間はかからなかった。

 聳え立つ壁は首が痛くなるほど上に伸び、重厚な影はピクリとも動かない。


 物珍しさにしばらくその壁を眺めていると、ふと背後に大きな気配を感じる。同時に耳鳴りが走った。

 

「い……あがっ……いだっ!頭がっ!」


 突如訪れた頭痛にその場へ蹲る。鳴り響く耳鳴りと激しい痛みが頭部を襲い、逃げ場がない。

 頭に直接吹き込まれる悲鳴に覚えがあり、背筋に悪寒が走った。


 これは地下で聞いた悲鳴だ。痛みを訴え、悲劇を嘆き、家族の死に泣き続ける誰かの声。

 可哀そうに。哀れだ。どうしてこんなことに。ああ、どうして。


「オーレリア」


 脳内に響いた声は腹の底へ響く重低音に搔き消された。聞いたことがない単語だというのに自分が呼ばれているのだと直ぐに理解した。

 声の主は街灯の袂、いつの間にか出来上がっていた水溜まりに素足を浸して立っている。


 短く切りそろえられた漆黒の髪と顔の半分を覆う大きな火傷の痕。それは全身へと至り、無傷の肌は見える限りでは僅かしかない。

 雪白の病衣に身を包み、肩に羽織っている上着は特務葬務官の外套。その腕に縫われた黒地に金の腕章。


 「こんばんは、オーレリア。いい夜だ。海月(つき)が良く見えている」


 宵闇の瞳と白く濁った金の瞳。夜と月を携えた彼は空を見上げ、濡れた脚で地面を踏みしめた。


 その身が半透明に透けていることに気づき、立ち昇る漆黒の粒子に目を奪われる。それが高濃度の深水で構成された物体なのだと直感が告げている。


 彼が未だ出会っていない神。リュード・オルカなのだと気付くのにそう時間はかからなかった。


 リュードは月を見上げ目を細める。揺れる草木が彼を通してこちらに存在を主張し、消えかけている彼はまるで幽霊のようだ。

 信じられないことに彼はそこに確かに存在し、総真に語り掛けている。


「ロックとの生活はどうだった。お前はいつも友人たちと遊んでいたね。田んぼに落ちて、山では走り回って遊んでいた。夜更かしはあまり良くないと諫められていたのに最近はめっきり板についてきたようだ。反抗期とやらだろうか。あまりあの子を怒らせるようなことはするな。ロックは感情的になると酷く口下手になる。お前が6歳のときいうことを聞かない子は嫌い、なんて言い出した時は私も冷や汗が出た。あの子は少し言葉が強い」


 ぞわりと背筋が凍った。語られた内容に身に覚えがありすぎる。嫌に詳細な内容に後ずさる。まるで総真の半生を見てきたかのような物言いだ。


 額に流れた汗を拳で拭い、真っ直ぐリュードを見る。月ばかりを見ている彼の金と黒がぎょろりと弧を描いてこちらへ向いた。


「すまない。お前に会えた嬉しさでつい余計なことを言った。……泡から眺めることしかできなかった甥に語り掛けられるのだ。これ以上悦ばしいことはない」


 泡から眺めていた。その言葉の意味を測りかね、疑惑の目を向ける。彼は小さく微笑むと、天を覆う泡を指さした。


「私の目であり、私の耳であり、私の手足であり、私の武器だ。泡で覆われた全てを私は観ている」


 見上げた泡はいつも空を覆っていた。彼は自身の葬術を通して世界をずっと眺めているのだ。その中には弟のロックと甥の総真のことも。


 彼の総真を呼ぶ名は聞き覚えがない。オーレリア。どうしてだかこの名を聞くと背筋に奇妙なものが走る。

 

「直接お前に触れて話をできないのが残念だ」

「目の前にいるのに……?」


 やっと絞り出した声は酷く掠れていた。彼は総真の言葉を一言一句聞き逃さまいとしているように、総真が音を紡ぐ間は微動だにしなかった。


「今の私は永い眠りの中、時折微睡むことしかできん。私は今、夢を見ているのだ」


 弟と共に墓参りに来てくれた甥の夢を。

 リュードの天に掲げた右手が泡となって消えていく。泡沫に消えゆくその顔は心底楽しそうだった。


「いっときのしあわせを、ありがとう」


 今夜は良く眠れそうだ。

 言い残した言葉と共に泡が弾け、宵闇に小さな水溜まりと天へと上る泡だけが残された。


 

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