春と秋と冬と#2
「大丈夫なの……アレ」
薄く開いた扉の狭間から3人で中を覗き込み、時折吹き込む爆風に目を瞑る。素手での殴り合いのはずなのだが、身がぶつかる度に部屋中に亀裂が走っている。
部屋はもはや瓦礫の山だ。家具が原型を留めておらず、部屋の形が変わりつつある。
諦めてタバコを吸い始めた秋仁に倣って扉を背に座り込み、時折背中に感じる衝撃に頭を抱えた。
「心配しなさんな。壊れたりしないから大丈夫だろぉ」
「止めに入らないの?」
「止めに入れるの?」
言われてもう一度隙間に瞳を差し入れ、すぐに廊下の虚空へと視線を戻した。どう考えても巻き込まれた瞬間に粉微塵になってしまう。本当に徒手空拳の争いなのだろうか。
顔と同じ大きさはある拳を打ち払い、返す手で裏拳を入れる。ロックの攻撃は端的にいれば速い。目視できない速さで手数を打ち込んでいる。
受けている男は1撃がとてつもなく重い。1つ返す間にびりびりと振動が走る。
時折響き渡る罵声は男から、鋭い皮肉は父から飛んでいる。神を敬わない葬務官を見たのは彼が初めてだ。
どことなく誰かの面影のある男が父を襲う姿に困惑し、総真はおずおずと男を指さした。
「あの人誰?」
「神崎冬仕。神崎家現当主でシャーレの総帥。葬務官のトップね」
「偉い人じゃん!」
あれが噂の。神崎家の人間がシャーレの頂点に立っているという話だったが、あの男が。
驚愕に染まる総真に秋仁は自身と彩春を指さし、さらに言葉を付け加える。
「俺の兄貴で、彩春の父親ね」
言葉と同時に思わず視線が戦場に戻る。動きが激しすぎて顔があまり見えないが、誰かに似ていると感じたのは間違いではなかった。
「知り合いの父親と自分の父親が喧嘩してるの嫌なんだけど……」
「私もよ……」
「俺もやだなぁ」
沈黙が場を満たす。かといってできることは何もない。この場で最も実力のある秋仁に視線が集中するが、彼は肩を竦めるだけだった。
「あの2人は25年ぶりの再会だからさ。積もる話があるんだよ。うんうん」
「積もりすぎて殴り合いになってんよ。何があったのさ」
「それに関しては当時の側仕え達しか知らないから何とも」
当時まだ葬務官ではなかった秋仁は事情を良く知らないのだという。分かっているのは帰ってきたら必ず殴ると宣言していたことだけ。
実行に移されてしまっている現状、満足するまで止めに入れる者は神かもう2人いる現役の特務葬務官だけだろうと。
「カノン様は今シャーレにいないし、もう1人の特務葬務官も任務中。1人シャーレから頑として動かないジジイもいるけど呼びに行ける権限持ちが神と特務葬務官しかいないんだよねぇ」
「詰んでるじゃん」
「詰んでるわね」
捨て身でいいなら誰かが突進すれば1発もらった辺りで止まってはくれるだろうと付け加え、3人はそっと廊下に座り込んだ。
「特務葬務官ってあんなに強いの?」
「アレでも葬術は使ってないわ。深水操作だけ。総真と同じね」
「うっそぉ」
身体能力向上以外は一切使われていないという。神の方はそれすらも使っていないだろうという見解に頭が痛くなる。あれと同じにされたくない。
「随分手加減してるほうだ。葬術を持ち出さないのはもとより、深水操作が甘い。本当にちょっと遊んでるだけだし満足したら終わるって」
「私には全く動きが見えないです」
「俺も時々見失う」
「見えているだけすごいわ」
扉の向こうから出てきた罵声の中に「300歳のクソガキ!」だの「堅物クソ野郎」だの、聴くに堪えない言葉が混じっている。暴言の内容が子供だ。小学生でももう少し語彙力がある。
何より自分の父親と彩春の父親が暴言を吐き合いながら喧嘩をしている姿が居たたまれない。十中八九自分の父親の性格の所為のような気がする。
「ごめん、彩春」
「謝らないで。私たちが生まれる前の確執なんか知ったこっちゃないんだから。本気で嫌なら私が今から特攻してくるわ」
「やめてね?洒落にならないからね?」
「洒落だけどね」
逞しい彼女がふんす、と拳を作る動作に慌てて待ったをかけると可愛らしいウィンクが飛んできた。彼女の冗談はたまに分かり辛い。
スマートフォンの時計を見るとすでに30分の時が経っている。なんだか少しずつ音が小さくなっている気がする。
あとどれぐらい廊下に座り込んでいればいいのかと、冷たくなった足をのばせば、ふいに寄り掛かっていた扉がシュッと音を立てて開いた。
「おわっ」
「っと……大丈夫か?」
倒れ込んだ総真の背に暖かな腕が伸びる。後ろから支えられ顔を見上げると、真っ白な三つ編みが垂れ下がってきた。
「わふ、と、父さん」
「悪い悪い。待たせたな」
視線の先には穏やかに話をしていた時と変わり映えしない父の姿。その背後に立つ大きな影に視線を移すと、厳めしい顔をした冬仕が総真の顔を覗き込んでいた。
「その少年が例の」
「まあな」
喧嘩は終わったらしい。何事もなかったように会話をする姿に困惑し、突然降ってきた視線に体が固まる。
温度差が激しすぎる。先程まで父の顔面に右ストレートを入れていた男と同一人物とは思えない。
彼は総真の全身をくまなく眺め、倒れ込んだ総真を甲斐甲斐しく立たせているロックの姿が心底気持ちが悪いと宣った。
「真面目に子育てしているのが気色悪い。頭でも打ったのか」
「ほぉん?もう1ラウンド行くか?」
「「「それはやめて」」」
3人の声が重なる。地下の壁に大きな穴の開いた室内で、神は息子の言葉に小さく謝罪の言葉をこぼした。
荒地となったロックの私室。座る場所もない瓦礫の山の中で各々が適度な大きさの残骸に寄り掛かり、互いに顔を見合わせる。
この惨状の犯人の1人が何食わぬ顔で足を組み、コホン、と咳ばらいを落とす。
「総真。こいつは俺の側仕えの冬仕」
指をさされた冬仕がぎろりと主人を睨む。指を折る勢いで反対方向に捻じ曲げ、彼は総真を真っ直ぐと見据えた。見られているだけで威圧感を感じる眼光に圧倒される。
彩春と同じ明るい髪と真面目そうな風貌。あまり変わらない表情は全く考えが読めない。
急に父と殴り合いをし出す人物だ。その息子である総真を良く思っていない可能性もある。
最悪の事態を想定して固く身を構えていると、以外にも彼は柔らかな声音で総真に片手を差し出した。
「シャーレにようこそ。不本意ながら災害の管理を兼任している。神崎冬仕という。貴殿とはこやつを通して話をする機会もあるだろう。ぜひ手綱を握る手伝いを頼む」
握手をしよう、と言われているらしい。恐る恐る片手を重ねると、逞しく分厚い腕に優しく握られた。見た目に反してとても柔らかな手つきであった。
友好的に接してもらえるのだと悟り、総真は背筋を正す。母に礼には礼を尽くせと厳しく言いつけられている。
「日野総真です!よろしくお願いします!」
できうる限り深く頭を下げ、元気よく自己紹介を返した。彼はそれを素直に受け取り、握りこんだ手を小さく振ってくれた。思っていたより穏やかな人物だ。
「主人に対する敬いが一切ない不遜野郎だ。コキ使っていいぞ」
「無理だろ!」
事実上人間の頭にどうやって無礼を働けるというのか。話しかけるのすら恐れ多いと首を振ると、冬仕はなぜかロックに得も言われぬ顔を向けた。
苦虫を噛み潰してももう少しまともな顔をしている。
「ンだよ」
「本当にお前が育てたのか。まともに挨拶したぞ」
「俺を侮辱するのは致し方ないが総真を貶す発言は死罪に処す」
ロックの発言にさらに冬仕の眉間に皺が寄った。彼が想像するロック・ジョーとはどんな人物なのか定かではないが、相当イメージとかけ離れているようだ。
先ほどから何か考え込むように顎に手を当て、真剣な表情でロックに暴言を吐き捨てた。
「解釈違いで吐きそうだ。別人なのでは」
「冗談なら見逃してやってもいいが本気ならもう1ラウンドになる覚悟はできてンだろうな?」
「冗談だ」
冗談に聞こえない場面で冗談を言うところは彩春に似ている。
冬仕は戦闘の意志はもうないとグローブを全て外し、無造作にポケットに手を突っ込んだ。
「神崎家が一堂に会して密談というのも体裁が悪い。用件を済ませる」
「俺を殴るのが用事じゃねぇのかよ」
「それが用なら貴様を呼びつけて顔面を殴る」
「ほぉ~ん?」
「はいはいそこで揉めない!話が進まないから!」
冬仕の放った言葉に容易に噛みついたロックを引き離し、秋仁が間に割って入る。本当に話が進まない上に更なる争いは勘弁して欲しい。
止めに入った秋仁ごと殴り倒しそうなロックを無視し、冬仕は話を続ける。
「日野総真殿。貴殿は4等葬務官に着任し、以降訓練官として神崎家の後ろ盾の元、任務に当たることになる。異論はないな」
「よく分からないので異論を挟む余地がないっす」
「よろしい。では同意したということで処理する」
今の話聞いてた?と出かけた言葉を飲み込んだ。異論があろうがなかろうがこれはスルーされる奴だ。
強引なのはやはり神崎家の血筋だろうか。
「担当葬務官は神崎秋仁。貴殿は幼少より行われる学問を飛ばしているため、深水操作の基礎から訓練に励んでもらう。秋仁。良いな」
「はーい。任務はどうするの?」
「海魔との直接戦闘は深水操作の基礎を学んだ段階より許可する。その際、ロック・ジョーが同行を申し出た場合は断固拒否すること」
「はぁ!?なンでだ!」
「保護者同伴で海魔討伐など言語道断。訓練官としての成長の機が損なわれる」
訓練の見学や指導までは許可すると付け加えられ、ロックはぎゃあぎゃあと喚いたが、結局要望は通らずしぶしぶ了承した。
「日野4等葬務官」
「は、はい」
「強引な徴兵に貴殿は困惑していることだろう。志もなく目標もない。故に当初は自身の道を見つけることを強く推奨する」
「えっと……」
「やりたいことを見つけろってことだよ」
何を言われているのだろうと首を傾げると、横から彩春が耳打ちの解説が入る。
やりたいこと、と言われてもピンとこず総真は冬仕の一直線な視線を見返した。
「それってどういう意味、ですか?」
「命を懸けるだけの価値を求めよ」
余計に訳が分からず、彩春にもう一度助けを求める。一体何をしろと言われているのかさっぱりだ。
彼女は告げられた言葉に考え込むように唇に人差し指を当て、緩やかに首を横に振った。
「総真は葬務官になってなにがしたいか考えて欲しいんだと思う」
「なにがしたいか……」
強制的になった死と隣り合わせの職業に果たして何があるだろうか。知りもしない存在と戦い、身1つで投じた未知に感慨を覚えることはあるだろうか。
夢も希望もやりたいこともない。ぼんやりと生きてきた15年。周りに流されて周りと同じように人として生活してきた長い時間。
突然降って湧いた葬務官という新たな道に、総真は瓦礫の石を蹴り飛ばした。




