春と秋と冬と#1
シャーレ本部作戦司令室。最上階に位置するその部屋の奥の扉を無遠慮に開け放ち、秋仁は大股で紙の山に近寄る。
積み上げられた決済待ちの紙束の中心に険しい顔で文字を追う兄を見つけ、紙束を押し除けながら机の上に乗り上げた。
「神崎さぁん?今日は何徹目ですかあ?」
「まだ104時間だ」
「4徹目じゃねえか。主治医の神崎さんは大層お怒りです」
「なるほど。患者と医者が同じ苗字だ。つまり1人2役か」
「判断つかない冗談を言うのはやめな?娘に遺伝してるぜ?」
半分を白髪に染めた壮年の男は娘という単語に漸く書類から目線を外した。片眉をあげほんのりと影を落とす隈を擦る。老眼鏡を端に置き、目頭を強く押した。
「彩春はどうした」
「総帥の部屋に訓練官の娘を連れて行ったら皇の連中にこれ見よがしな苦情入れられるぞ。判断力落ちてるな」
勝手にデスクの上に閉じていたノートパソコンを間借りし、カルテにアクセスする。ダムに向かってから冬仕が自ら記録している健康管理表を眺め、備考欄に寝不足と書き足した。
猫背になっている分厚い背を叩き、鍛え上げられた身体を探っていく。槌を取り出して反射を確認しようとした辺りで静止の声が入り、致し方なく秋仁はカルテを閉じた。
「あとで睡眠を取ること。それから2週間後に検査に来い。血液検査と尿検査が終わってない。徹夜も慎め。もうそんな歳じゃない。水分はちゃんと摂っているんだろうな。このマグカップ、コーヒーか?手洗いに立ったのは何回……」
「わかったわかった。問診と小言はあとにしてくれ。これ以上頭痛の種を増やすな」
米神を揉む太い指に片眉が寄る。頭痛を訴えたいのは言うことを聞かない患者を持った医者だと言い返したいのを堪え、備え付けのケトルを手に取った
棚から清潔なタオルを探す間、冬仕は決済済みの書類を端に避け、大きく肩を回している。
「ロックは帰ってきたのか」
「昨晩お戻りに。今は部屋でご子息に説明中なんじゃない?」
沸いた湯の中にタオルを漬け、程よい温度になるまで調節している秋人の背に冬仕からのため息が飛んだ。
「全く。突然いなくなったと思ったら外で人間の子供を育てていたなど……何を考えているのやら」
「神の御心を推し量るのは到底無理だろ。ほら、顔に乗せとけ。少しはマシになる」
暖かなタオルを受け取り、冬仕はシワの寄った目元を塞いで天を仰いだ。
拾い子は冬仕の娘と同い年の15歳。類稀な身体能力と深水操作の才覚があると報告に上がっている。
電話越しに特例の徴兵制度を要求された時は冬仕も耳を疑ったものだ。25年も行方不明になっていた我が主がまさかそんな山奥に居ようとは。
25年前、側仕えとしてロックに仕えていた冬仕は主人の逃亡を皇劔の口から告げられた。
側仕えは神に忠義を尽くし、その一生を捧げるものだ。どうせ逃げるなら一緒に連れて行って欲しかったと当時は嘆いた。
それももう遠い昔。25歳の若かりし男はすっかり筋骨隆々のおじさんになってしまった。今ではシャーレを率いる総帥の立場。時の流れとは残酷なものだ。
「私も歳をとった」
ロックの側仕えとして過ごしていた日々を懐かしく思う。15歳から特務葬務官に抜擢された優秀な冬仕を、ロックは揶揄い半分で側仕えに任命した。
先代の側仕えが歳を取り床に伏せた時期だったのだ。人間の尺度では想像すらできないロックの思考回路と突飛な行動に相当手を焼かされた。
「あの男は変わりないか」
「見た目は写真のまま、性格は冬仕の話と変わらないように見えた。子育ての影響か親バカ気味っぽい」
「親バカ?奴が?人間の子に?」
秋仁の報告ではかなり息子を大事にしていると書かれていたが、正直半信半疑だった。
何せあのロック・ジョーだ。神は皆根底に人間への負の感情を宿している。その中でも特に表に出して憚らない神、それがロック・ジョー。
シャーレ内でも彼の被害者は多数おり、ボロボロになるまで訓練させられる葬務官の姿など日常茶飯事だった。
戦えない者や一般人には手を出さず、時に理不尽な言動と行動で人々をサンドバッグにし、嵐のように去っていく。
そんな男が人間の子供に親バカ。にわかには信じ難い話だ。
「日野総真と言ったか。産みの親は?」
「記録がなくて調べられない」
「復元不可能か?」
「そもそも記載がないみたいだ。日野くんの戸籍自体がロック様の手に渡ってから作られたみたいで全く手掛かりにならない」
記載されていた誕生日から全ての産院にアクセスし、葬務官権限で調べてもヒットしなかった。これ以上は直接赴くか、専門機関を利用していないことを考慮しなければならない。
人が1人産まれているのだ。絶対に父親と母親はいるはず。
「日野総真の身体検査結果は」
「限りなく神に近い深水濃度を誇る人間、としか」
体の構造も血液も全て人間だという。異常に高い深水濃度こそ観測されたものの、他は全て人間のもの。症状が重く身体検査に人間の手が入らないリュードはともかくロックとカノンは人間とは違う物質で肉体が構成されている。人間とほぼ同じ組成であるならば、新たな神という線は薄いと秋仁は結論付けた。
「会ってみたほうが早いよ」
ロックの自室。25年前の仕事場であり再び訪れる地に冬仕は重い腰を上げた。
シャーレの本部は海魔を駆逐するために作られた300年前の軍事基地を改築、増築し続けてできた巨大施設である。
地下施設は当時の研究施設の名残であり、海魔に対する研究が日々行われている。地下は30階まで造られており、最下層がリュード・オルカの寝殿。29階、28階がロック・ジョーとカノン・クラーケンの私室である。
1フロアを占領した広い私室には私物が飾られており、それぞれの趣向が透けて見える。ロックの趣向は端的に言えば音楽。楽器、特にギターをこよなく愛し、その種類は様々だ。集めるだけでなく自ら楽譜を書き上げ演奏までこなす。代わりに生活空間が狭く、寝床など床にシーツを敷くだけで過ごしていた。
壊滅的な生活習慣に冬仕は毎日のように小言をこぼしていた。
部屋はとにかく汚かった1週間に1度掃除に訪れても3日後には元通りになっている。本人曰く自分が分かりやすいように配置しているのでこのままでいいとのことだが、見るに堪えないほど散乱したものに冬仕が耐えきれなかった。
応接セットが投げ出されたシーツに埋もれ、書きかけの楽譜が散乱、次のページがなぜか部屋の対角に放り出されていることもザラだった。
脱ぎ捨てた服が散らばり、何故か食べかけのピザが床に放置されていることも良くあった。しまいには本人が血まみれで倒れていたりもする。全て返り血なのがなお恐ろしい。
体を動かしていないとだめになると専用の訓練室に大穴を開けている間掃除をするのが常だ。側仕えではなくハウスクリーニングに来ている気分で、ほかの側仕えとの扱いの差に頭を悩ませたものだ。
自由気まま勝手気まま。そんな彼が人間を15歳まで育てたことすら冬仕には信じられないのに、あまつさえ親バカだと聞く。
心境の変化かと思えば、報告では早朝から葬務官達をサンドバックに相当の人数に被害を出したと聞いた。おかけで今日の業務が半分消し飛んだ。
他者への迷惑を一切考えないところは25年前と何1つ変わっていない。
冬仕は部屋から持ってきたグローブを手に嵌める。良く手に馴染んだ白を数回握り、長い時間をかけて到着した29階の戸を開く。何かを察した秋仁がそっと距離を取るのを横目にその巨体を低く、山よりも重く腰を落とす。
狙いはただ1つ。半歩引いた踵が地面を抉る。拳を引き、扉が全て開いた瞬間ソファーに座す主人目掛け光よりも早く拳を突き出した。
「天誅!!!」
突き出した拳がソファーを粉々に砕き、地を割る。風圧に机が飛び、向かいに座っていた人影が遠くに逃げていく。光速を超える推進力と共に打ち出された拳は部屋の半分をクレーターに変貌させていた。
攻撃された本人は両脇に子供達を抱え、涼しい顔で部屋の隅に逃亡している。
「なに!?!?なにごと!?!?」
小脇に抱えられた子供達は目を白黒させ土埃に紛れた襲撃者を見つめている。総真は混乱し、彩春は驚いて声も出せなかった。
純白の制服に身を包み、漆黒の腕章を掲げた巨漢。シャーレ総帥神崎冬仕が、自身の主人であるロック・ジョーに奇襲をかましたのである。状況が飲み込めないのも無理はない。
子供達は多少風圧を受けたものの無傷。拳を出すよりも前に2人を回収して飛び上がったのだろう。でなければ無防備な彼らの柔い体が千切れて吹き飛んでいた。
総真はもとより、彩春までも守る行動にでる様子に冬仕は元々深い眉間の皺をさらに深く刻む。
「ロック・ジョー。貴様、随分腑抜けたようだ」
「ご挨拶じゃねぇか、冬仕。そンなに俺に会いたかったか?」
「貴様のような厄災に誰が会いたいものか!」
直線状に迷いなく打たれた正拳突き。風1つで全身が吹き飛びそうな2人を抱えたまま跳躍1つで入り口付近まで移動する。扉を隔てて廊下に隠れていた秋仁を見つけ、その背を軽く蹴った。
「おい。すげぇ怒ってるぞ。お前なにした」
「自分の胸に手を当てて考えたほうがいいと思いますよ」
「チッ。使えねぇ」
秋仁が何かやらかしたのかと責任を問えば、彼は大真面目な顔で首を横に振った。神に誓って身に覚えはないという。誓われた側の神に胸に手を当てろとはいい度胸だ。
冬仕の怒りは心当たりがないといえばかなりの嘘になる。雑用ばかり押し付け、やりたくもない仕事を良く投げていた。扱いも相当悪かった記憶がある。迷惑だと散々言われた上、小言も毎日のように降ってきた。真面目で小うるさい男だ、などと言い返してよく口喧嘩になる。
突然行方不明になったことを怒っているのか。はたまた積年の恨みか。判断が付かない以上受け止めるしかないと、ロックは諦めて子供達を廊下におろした。
「子供達見てろ」
「喜んで」
退いた3人を見送り、男へ向き直る。構えを解かない姿を見るに、まだ殴り足りないようだ。1発も当たっていないのだから当然だ。怒りに震える顔には青筋が浮かび、隙はどこにもない。
既に悲惨なことになっている室内に足を踏み入れ、面倒くさそうに長い溜息を吐いた。




