巡り合わせ
自覚、と言われても困る。正直、何が何だか分からない。自分の中に白虎の血が流れていることくらいは分かっている。家族から聞かされていたし、幼い頃には血族についての逸話も何度も聞かされた。
だが、自分とはあまり関係のない話だと思っていた。昔話や伝承のようなもので、どこか遠い世界の出来事だった。私は祖父のように結界を張れるわけでもなければ、何か特別な力が使えるわけでもない。少なくとも、自分ではそう思っていた。
これまで生きてきて、自分が人と違うと感じたことはほとんどない。仕事をして、疲れて帰って、休日には家事をしたり、ちょっとした息抜きをして過ごす。そんなありふれた毎日だった。だからこそまったく心当たりがない。
白虎の力なんてものがあるのなら、なぜ今まで気づかなかったのだろう。なぜ、今、白虎の力がどうのこうのと言われているのだろう。
「どういうことですか?」
私が尋ねると、康太の兄は少し困ったような顔をした。どう説明したらいいか分からない、みたいな表情だった。
だが、その前に鍛冶屋の男が口を開いた。
「まあ、その話は後でいい」
工房の奥を顎で示す。
「立ち話もなんだ。狭くて悪いが、奥で話そう」
康太の兄がハッとしたように頷いた。
「そうですね」
隣では康太が緊張が解けたように小さく息を吐いた。ここのとこずっと張り詰めていたのだ。無理もない。
私たちは鍛冶屋の男の後について工房の奥へ向かった。と言っても別室ではない。作業場の端に設けられた休憩用のスペースだった。炉からは少し離れているが、金属と炭の匂いはまだ残っている。古びた木の机と椅子。壁際には茶筒や湯呑み、帳面や図面らしき紙束が並んでいた。
「適当に座れ」
鍛冶屋の男に促され、それぞれ腰を下ろす。私の隣にはコウタ。向かいには兄。鍛冶屋の男は慣れた手つきで湯を沸かし始める。やがて香ばしい香りが辺りに広がった。
「いい香りですね」
「里で作ってる茶だ」
鍛冶屋の男が答える。
「深蒸し茶ってやつだ」
湯呑みの横には瓦せんべいが添えられていた。
「土産にもらったやつだ」
鍛冶屋の親父がちょっと照れ臭そうに笑う。康太が興味深そうに焼印を眺めている。その姿を見て、兄の表情が少しだけ和らいだ。やがて兄が居住まいを正す。
「まずは自己紹介を」
そう言って頭を下げた。
「俺は悟と書いて、さとると読みます」
続いて隣の弟を見る。
「こっちは弟の康太です。健康の康に太いと書いて、こうたと読みます」
「……康太です」
康太も小さく頭を下げる。
「香月です。香るに月です」
私も会釈した。
「鉄斎だ」
最後に鍛冶屋の男が短く名乗った。
一通りの自己紹介が終わると、悟は改めて私に向き直った。
「失礼ですが」
一瞬だけ言葉を選ぶ。
「康太とは、どういう経緯で知り合われたんでしょうか」
「一昨日の夜です」
私は答えた。
「仕事帰りでした」
薄暗い路地裏。壁際にうずくまる小さな背中。あの時の光景が脳裏に浮かぶ。
「路地裏でうずくまって震えているのを見かけたんです」
「それで?」
「最初は迷いました」
正直に答える。
「でも、放っておけなかったんです」
悟は黙って続きを待った。
「ひどく怯えていましたから」
あれは普通の怯え方ではなかった。
誰かに怒られたとか、迷子になったとか、そんな程度ではない。何かに追い詰められているような、触れたら壊れてしまいそうな。そんな危うさがあった。
「正直、あのまま一人にしたら危ない気がしました」
悟の視線がわずかに動く。
「危ない?」
「はい」
私は頷いた。
「うまく説明できないんですけど」
少し考える。
「捕まったら駄目な気がしたんです」
言った瞬間、自分でも変な表現だと思った。
「捕まったら?」
「理屈じゃないんです」
私は苦笑した。
「ただ、そう思ったんです」
悟はしばらく黙っていた。
「それで家へ?」
「はい」
「見ず知らずの子供を?」
責めるような口調ではなかった。
純粋な疑問だった。
「我ながらちょっとめちゃくちゃだったとは思います」
私も苦笑する。
「でも、あの時はそれしか思いつきませんでした」
そこで康太がぽつりと口を開いた。
「お姉ちゃんは」
全員の視線が集まる。
「助けてくれたんだ」
少し俯く。
「ご飯も食べさせてくれたし」
「もの凄くこわかった時に、一緒にいてくれた」
悟は黙って弟を見ていた。そして再び私へ視線を戻す。
「香月さんは、普段から血脈者に関わる仕事をされているんですか?」
「いえ?」
私は首を傾げた。
「普通の会社員ですけど」
今度は悟が驚いた顔をした。
「師匠は?」
「いません」
「特殊能力について学んだことは?」
「祖父から少し聞いた程度です」
悟が黙り込む。どうやら予想していた答えではなかったらしい。
「それなのに」
小さく呟く。
「どうして……」
「だから白虎なんだろう」
鉄斎が横から言った。悟が納得したように息を吐く。
「なるほど」
だが私は全く納得できなかった。
「だからって何なんですか」
思わず聞き返す。
鉄斎は湯呑みに口をつけてから答えた。
「白虎はな」
静かな声だった。
「昔から人を鎮める力が強い」
「鎮める?」
「恐怖や混乱を和らげる」
鉄斎は康太を見る。
「こいつが警戒しなかったのもそのせいだろう」
康太は少し考えた後、小さく頷いた。
「……なんか」
言葉を探すように俯く。
「お姉ちゃんのそばにいると、ホッとする。」
鉄斎は満足そうに頷いた。
「そういうことだ」
だが私にはまだ実感がなかった。
そんな力が本当にあるのだろうか。家族からは聞いたことのない話だった。でも確かに祖父や両親の近くにいるとホッとする。もっとも、家族というのはそういうものだと思っていたのだが。
私が考え込んでいると、悟が静かに口を開いた。
「なるほど」
何か腑に落ちたような顔だった。
「それなら康太が香月さんを頼ったのも分かります」
そう言って弟を見る。康太は少し恥ずかしそうに視線を逸らした。悟は小さく笑う。そして改めて私に向き直った。
「香月さん」
「はい」
「まず、お礼を言わせてください。弟がお世話になりました」
深く頭を下げる。今度は先ほどまでの探るような様子はなかった。兄としての純粋な感謝だった。
「お世話になった以上、こちらの事情もきちんと説明した方がいいでしょう」
この章はかなり悩みながら書きました。
派手な戦闘や大きな事件が起きる回ではないのですが、物語としては大事な分岐点になります。
ここで交わされる会話や何気ないやり取りが、後々振り返ると少し違って見える、そんな話になればいいなと思っています。
伏線が沢山あるので後々全部回収出来るよう頑張ります。




