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幻獣の絆  作者: 斎佳奈
富士編
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69/73

奪われた時間

学校の廊下で突然戦闘が始まった時、俊文は何が起きているのか分からなかった。


担任の先生が生徒達をかばうように前へ出て、見知らぬ男達を必死で押し返していた。廊下には怒号が飛び交い、生徒達は壁際へ身を寄せた。俊文も息を呑みながら、生徒達の後ろの方に隠れていた。


その時だった。

突然、背後から誰かに腕を掴まれる。


「──っ!」


振り向く間もなく、口元へ布のようなものが押し当てられた。鼻を突く甘い匂い。息を止めようとしたが、間に合わない。視界が揺れ、先生の声が遠ざかる。そのまま、意識は闇へ沈んでいった。



目を覚ました時、俊文は見知らぬ部屋のベッドに横たわっていた。隣には机と椅子、本棚が置かれていた。ベッドの向こうの窓は少ししか開けられない型だ。窓の外には森が遥か遠くまで広がっていた。


「……ここ、どこだ」


急いで起き上がる。扉へ駆け寄り、勢いよくノブを回した。鍵が掛かっているのか、開かない。力いっぱい扉を叩く。


「誰かいますか?」


何の反応もないので、何度も叩き続ける。


「誰か、助けて!」


しばらくして、廊下から足音が近づいてきた。鍵の開く音が響き、ゆっくりと扉が開く。現れたのは二十代後半ほどの見知らぬ青年だった。


「ここでは叫んでも誰も来ない」


青年はドアを閉めると、宥めるように話した。


「とりあえず、座って。状況を説明するから」


青年は俊文をベッドに座らせると、部屋の中央にあった椅子へ腰を下ろした。


俊文は早口でまくし立てる。


「どうして、こんなところに連れてきたんですか?早く学校に帰してください」


青年は小さく息をついた。


「それも説明する」


「そんなのはいいから!」


俊文は声を荒らげた。


「とにかく帰してください!」


青年はしばらく黙って俊文を見つめていた。


「……君の名前は」


「そんなの関係ないでしょう」


青年は少し考える仕草をした。


「俺は晃だ。神崎晃」


それだけ名乗ると、椅子に座ったまま続けた。


「君には、人より少し特別な力がある。人が考えていることが分かるらしいな。嘘をついているかどうかも」


俊文は何も答えない。


「俺達は、そういう力を持つ子供達を保護している」


「嘘だ!」


俊文は即座に叫んだ。


「保護じゃなくて誘拐じゃないか。それに、こんなところに閉じ込めといてよく言うよ!」


部屋に沈黙が落ちる。晃は反論しなかった。


「そう思われても仕方ない」


短くそう答える。


「でも、俺達にも大事な目的がある」


俊文は首を横に振った。


「そんなの僕の知ったこっちゃない!今すぐ帰して!」


晃はゆっくり立ち上がった。


「今日は無理だ」


俊文は思わず一歩踏み出す。


「嘘つき!今日はって何だよ。返すつもりなんて無いくせに」


晃は扉の前まで進むと、振り向いて言った。


「……また来る」


そう言い残し、部屋を出ていった。


扉が閉まり、再び鍵の掛かる音が響いた。


俊文はベッドへ崩れるように倒れ込み、固く拳を握り締めた。



どれくらい時間が経ったのか分からなかった。再び鍵の開く音が響く。晃が盆を手に部屋へ入ってきた。一枚の皿にご飯と焼いた肉、サラダが載っている。


「昼飯だ」


机の上へ静かに並べる。俊文は顔を背けた。


「いらない」


「少しでも食べた方がいい」


「嫌だ」


晃は無理に勧めようとはしなかった。


「そうか。じゃあ置いておくから、腹が減ったら食べろ」


それだけ言うと、盆をそのまま机へ置いて部屋を出ていく。再び鍵が掛けられる音が響いた。


俊文は食事へ一度も手を付けなかった。



窓の外が赤く染まり始めた頃、再び鍵が開いた。晃が夕食を持って入ってくる。机の上には昼食がそのまま残っていた。


「やっぱり食べなかったのか」


俊文は黙ったままそっぽを向く。その時、小さく腹が鳴った。俊文は思わずお腹を押さえる。


晃は笑わなかった。


「食べないと体力が落ちるぞ。そうしたら、逃げることもできなくなる」


晃はそれ以上何も言わず、食事を置いて部屋を出ていった。俊文はしばらく机の上の夕食を睨んでいた。


腹は減っている。それでも、食べたら負けのような気がした。だが、時間が経つにつれ、空腹は増すばかりだった。確かに逃げ出すのも体力がいる。俊文はゆっくりと立ち上がり、机の前へ座った。


「……逃げるためだから」


誰に言うでもなく呟き、箸を手に取った。


翌日も、その翌日も、晃は決まった時間に部屋を訪れ、食事を届けるついでに他愛のない会話をして出ていった。



1週間を過ぎた頃、時々別の部屋へ連れて行かれるようになった。


その部屋には大きな窓があり、その前に年配の男性が座っている。ガラスの向こう側では、見知らぬ男が誰かと話をしていた。向こうからはこちらは見えないらしい。男性が俊文に質問する。


「左側の男が話していることは、本当だと思うか」


俊文はしばらくガラス越しに様子を見つめてから、小さく答える。


「……本当だと思う」


男は頷いてメモ帳に何かを書き込んだ。


また別の日には、


「右側の男はどうだ」


と聞かれる。


「何か隠してる」


帰り道に晃は決まって声を掛ける。


「少し散歩でもしないか」


そのたびに俊文は首を横に振った。


「いらない」


晃は無理に連れ出そうとはしない。


「そうか。それじゃまた明日な」


それだけ言って部屋を出ていく。


ある日、俊文は少し考えてから口を開いた。


「外に行きたい」


晃は穏やかに頷いた。


「分かった」


二人は部屋を出た。俊文は景色を眺めているふりをしながら、周囲へ目を配っていた。建物の構造、塀の高さ、門の位置、見張りの人数。


(どうやって、逃げようかな……)


頭の中は、それだけでいっぱいだった。


次の日も俊文は晃と散歩へ出かけた。俊文は辺りを眺めるふりをしながら、門までの距離を測る。


(今なら……)


晃が少し前を歩いた、その瞬間だった。俊文は門へ向かって駆け出した。


「待て!」


振り返らない。門の脇にあるドアへ飛びつく。ノブを回す。開かない。


「開け!」


力いっぱい押す。叩く。それでも開かない。その間に晃が追いついた。


「離して!」


俊文は腕を振り払おうともがく。晃は無理に押さえつけることはせず、逃げ道を塞ぐように立った。


「そのドアは開かない」


「どうして!」


俊文は叫ぶ。晃は息を整えながら答える。


「この建物は、昔は高齢者の介護施設だった。だから認知症の患者が外へ出ないよう、職員が解除しない限り開かない仕組みになっている」


俊文は唇を噛み締めた。



翌朝、部屋へ入ってきたのは晃ではなかった。がっしりとした体格の男が無言で食事を机へ置く。俊文は男を見上げた。


「……晃さんは?」


男は素っ気なく答えた。


「今日から俺が担当だ」


俊文は眉をひそめる。


「どうして?」


「お前を逃がしそうになったからな。責任をとらされた」


男は振り返ることもなく続けた。


「今日からは俺の指示に従ってもらう」


扉が閉まる。



次の日から、部屋と取調室の隣の部屋を往復するだけの毎日になった。


「左の男は本当のことを話しているか」


「……分からない」


「右の男は」


「分からない」


何を聞かれても、それだけしか答えなかった。


数日後。年配の男性が俊文の部屋を訪れた。


「どうすれば、また協力してくれる?」


俊文は少しだけ考えた。


「学校へ帰して」


「それは出来ない」


「……だったら、晃さんを担当に戻して」


年配の男性は俊文をじっと見つめた。


「晃を戻せば、また協力してくれるんだな」


俊文は小さく頷いた。男性は少し考え込むと、静かに立ち上がった。


「上に掛け合ってみよう」


それだけ言い残し、部屋を出ていった。



翌日、鍵の開く音が響いた。


「よう」


聞き慣れた声だった。俊文が顔を上げる。


「晃さん……」


晃は少し困ったように笑う。


「また担当になった」


それからも、取調室の隣の部屋で能力を使う日々は続いた。その帰り道、晃は決まって俊文を散歩やキャッチボールへ誘い、それが二人の日課になっていった。


やがて基礎訓練にも参加するようになり、同じように連れて来られた子供達とも顔を合わせる機会が増えていった。皆、それぞれ違う能力を持ち、組織の中で役割を与えられていた。気が付けば、一緒に訓練を受け、食事をし、話をする仲間もできていた。


いつしか俊文は、組織で過ごす時間を当たり前のように受け入れていた。



ある日の帰り道。キャッチボールを終えた二人は、並んで歩いていた。俊文はボールを眺めながら聞いた。


「晃さん、昔、野球やってたの?」


晃は少し驚いたように笑う。


「ああ。高校までやってた」


「上手だもんね」


「まあ、それなりにな」


少し間を置いて、晃は空を見上げた。


「親父もおふくろも、毎試合見に来てくれてた」


俊文は意外そうな顔をする。


「そうなんだ」


「俺は神社の息子でな」


晃は苦笑した。


「卒業したら神社を継ぐのが当然だと思われてた」


「でも、それがとにかく嫌だった」


俊文は黙って続きを待つ。


「親父たちが嫌いだったわけじゃない。でも、俺は違う生き方をしたかった」


晃は手の中のボールを軽く放り上げ、また受け止める。


「里を出てしばらくした頃、俺と似た考えを持つ人達に出会ったんだ。それが、この組織だった」


俊文は少し考え込む。


「じゃあ、晃さんは、この組織が正しいと思ってるの?」


晃は少しだけ空を見上げた。


「少なくとも、血脈者だけに全部背負わせる今のやり方は、変えないといけないと思ってる」


俊文は納得したわけではなかった。それでも、晃が本気でそう信じていることだけは伝わってきた。晃はそれ以上、この話を続けなかった。



それから一年ほど経った頃。晃が部屋に来ない日が何日か続いた。代わりの人に質問しても、任務に出かけている、の一点張りだ。


数日後、年配の男性が静かに部屋へ入って来た。男性は少し言いにくそうに目を伏せる。


「君の担当者の神崎晃は、任務中に亡くなった」


俊文は言葉を失った。


「……え?」


「昨夜のことだ」


それだけ告げると、男性は静かに部屋を出ていった。


俊文はその場に立ち尽くした。胸の奥にぽっかりと穴が開いたような感覚だった。



それでも日常は続いた。


能力を使い、訓練を受け、時には施設の外へ任務に出ることもあった。任務に必要な情報以外は与えられず、毎回脅された。


「余計なことは考えるな」


「逃げようとすれば、ここにいる仲間達も責任を取ることになる」


俊文は何も答えなかった。


施設へ戻ると、いつものように仲間達が待っている。その顔を見るたびに、自分だけ逃げることはできないと思った。

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