違和感
キャンプ場へ戻る頃には、午後の日差しも少しずつ傾き始めていた。
「今日は予定どおり進みましたね」
荷物を降ろしながら静子が小さく息をつく。
「この調子なら明日も順調に行きそうだな」
巌も頷いた。
その時、一成がふと思い出したように懐から遊漁券の束を取り出した。
「今朝、巡回のついでに買っておいたんだ。まだ夕食まで時間もあるし、釣りなんかどうだ」
「行きたい!」
康太が真っ先に反応する。
「「行く!」」
他の子供達も皆乗り気だ。巌が笑う。
「よし。それじゃあ行くか」
◇
夕陽が湖を茜色に染める頃、一成達がキャンプ場へ戻ってきた。
「ただいま!」
康太が得意そうにバケツを掲げる。中では銀色の魚が何匹も元気よく跳ねていた。
「すごい!たくさん釣れましたね」
香月が覗き込むと、巌が笑う。
「今日は千春が一番大きいのを釣ったぞ」
千春が少し照れたように笑って呟く。
「お姉ちゃんの運を分けてもらったのかも」
その一言に、皆が思わず微笑んだ。
夕食には、釣ってきた魚が塩焼きになって並んだ。香ばしい匂いが辺りへ広がる。
「いただきます」
皆で手を合わせると、賑やかな夕食が始まった。
「やっぱり釣りたては美味しいですね」
香月が焼き魚を口へ運ぶ。
「自分で釣った魚は格別だな」
巌も満足そうに頷いた。
食事を終え、それぞれが後片付けを始めた頃だった。
「一成」
久しぶりに聞く声に、一成が驚いて振り向く。そこには宵司が立っていた。
「ちょっといいか」
その表情はどこかいつもより真剣だった。
「気になる所があるんだ。一緒に見に来てもらえないか」
一成は宵司の表情を見つめ、小さく頷いた。
「分かった」
立ち上がろうとした拓也へ、一成が静かに声を掛ける。
「拓也、お前は残っていろ」
「……はい」
普段なら理由を尋ねる拓也も、その声色だけで何かを察したように頷いた。
◇
まだ夕暮れの名残を残した空の下、一成と宵司は静かに森へ向かっていた。しばらく無言で歩いていた一成が口を開く。
「何があったんだ」
宵司は前を向いたまま答える。
「昼間、管狐を周辺へ見回りに出しておいたんだ。そのうちの一匹が、少し気になる場所を見つけた」
「気になる場所?」
「ああ。今日、皆が力を流した場所の一つだ」
二人は昼間、宗厳達が力を流した洞窟へ近付いた。大地を覆う厚い緑の苔が足音を吸い込み、風の音すらも木々に遮られて聞こえない。洞窟の入り口は、まるで大地が陥没したかのような巨大な穴だった。湿った苔に覆われた石段を一段ずつ降りるたび、肌を刺すような冷気が足元から這い上がってくる。
宵司が懐中電灯で祠を照らす。
「ここだ」
一成はしゃがみ込み、祠へそっと手を当てて目を閉じた。しばらくして静かに目を開く。
「……確かに」
宵司が視線を向ける。
「分かるか」
「今日、流れを整えたばかりのはずなのにここまで乱れているのは不自然だ」
宵司も小さく頷く。
「俺も最初は気のせいかと思った。でも、何度確認しても同じだった」
一成は祠から手を離し、ゆっくりと立ち上がる。
「時々、突発的に流れが変わることはある」
少し間を置く。
「だが……嫌な感じがする」
「他にも一緒に確認して欲しい場所がある」
宵司がそう言って歩き出す。二人は洞窟を後にし、山道をしばらく進んだ。
やがて林道へ出ると、一成は足を止めた。
「これは……」
道路の中央を、大きな木が横たわっている。根元から折れたというより、誰かが意図的に倒したような不自然な倒れ方だった。一成はゆっくりと倒木へ近付き、幹や切り株を注意深く見回す。
「朝、巡回した時にはこんなものはなかった」
宵司も頷く。
一成は倒木の周囲を見渡した。
「自然に倒れた可能性も無いとは言い切れない」
「まあそうかも知れないけど」
宵司も静かに答える。
「この先にも似たような場所がある」
二人はさらにもう一か所確認した。今度は小規模な土砂崩れだった。人が歩いて越えることはできても、車は通れそうになかった。
一成は腕を組み、小さく息を吐く。
「一つだけなら偶然かも知れないが」
宵司も静かに頷く。
「ここまで重なるとおかしいだろう」
二人は顔を見合わせた。
「宗厳先生に報告しようか」
「それがいいと思う」
◇
宗厳達の泊まっている宿泊施設は、明日の準備で慌しかった。
「先生、お時間よろしいでしょうか。少し気になることがありまして」
一成の声に、宗厳が顔を上げる。
「何があったんじゃ」
一成と宵司は、龍穴で感じた流れの乱れと、林道の倒木、そして土砂崩れについて順を追って説明した。
宗厳は途中で口を挟むことなく、最後まで静かに耳を傾けている。話が終わると、しばらく考え込むように目を閉じた。
「人為的だと言う証拠はありません」
一成が付け加える。
「ですが、嫌な予感がします」
「私も同じです」
宵司も静かに頷いた。
宗厳はゆっくりと目を開く。
「分かった」
その声は落ち着いていた。
「現時点で作業を中止する理由にはならん」
一成も宵司も黙って頷く。
「じゃが、二人が違和感を覚えたことは軽く見る訳にはいかん」
宗厳は由里子へ視線を向けた。
「巡回を増やせ。明日は巡回班との連絡も、いつも以上に取る」
「承知しました」
由里子はすぐに頷いた。
宗厳は再び一成と宵司を見る。
「何も起きなければ、それで結構。じゃが、念のための準備はしておく」
一成は小さく息を吐いた。
「よろしくお願いします」
その夜、巡回に出る人数は予定より増やされた。
誰も口にはしなかったが、静かに流れていた空気は、いつの間にか少しだけ張り詰めたものへ変わり始めていた。




