学校
「一成先生がですか?」
香月は思わず聞き返した。悠真は少し笑う。
「結構な問題児でしたよ」
その言葉に香月は目を丸くした。今の一成からは想像がつかない。
「もちろん優秀ではありました。ただ、気になったことがあると放っておけない性格でしてね」
少し懐かしそうに目を細めた。
◇
養成学校には全国から能力者の子供たちが集まっていた。授業も多岐にわたり、結界術、戦闘訓練、治癒術、幻術、付与術に加え、各地の血脈や歴史について学ぶ座学もあった。
その日の授業は結界術だった。教室では教師の説明が続いていた。生徒たちは真面目にノートを取っていた。だが、一成だけは窓の外へ視線を向けていた。校庭の木に止まった一羽のカラス。何度か鳴いたあと、落ち着きなく枝を移っている。どこか様子がおかしかった。
「杉林」
教師に名を呼ばれる。一成は視線を戻した。
「今の質問の答えを言ってみろ」
教室の空気が少しだけざわつく。だが一成は淡々と返事をした。教師はため息をつく。
「聞いているなら結構だ」
教室に小さな笑いが広がった。だが一成の意識は再び窓の外へ向いていた。授業が終わると、一成は席を立った。
「どこへ行くの?」
後ろから声がする。幼馴染の森岡霞だった。
「ちょっとな」
それだけ言って教室を出る。霞は何も言わず後を追った。
少し離れた席では、不破宵司が面倒そうに頬杖をついていた。
「またか」
小さく呟いて立ち上がる。
校舎から少し離れた丘の麓。カラスが騒いでいた辺りだった。しばらく周囲を調べていた一成が足を止める。
「どうしたの?」
霞が尋ねた。
一成は地面の一角を指差した。結界の一部が僅かに歪んでいた。放置しても大事にはならない程度の小さな綻びだった。だが一成は眉をひそめる。
「何か見つけたの?」
霞が覗き込む。宵司も少し遅れて斜面の上から覗き込んだ。
「また面倒事か?」
「さあ?」
一成は首を傾げた。大袈裟に騒ぎ立てるほどではない。ただ何となく引っ掛かった。自然に傷んだのかも知れないが、誰かが弄ったようにも見えた。もちろん確信はない。
「先生に報告しないと」
霞が言う。
「もう少し見てくる」
一成は斜面を降り始めた。
「危ないって」
霞が声を上げる。
足場はあまり良くなかった。一成は構わず進む。もう少し近づけば、もっと細かく様子が分かる気がした。
その時だった。足元の土が崩れ、一成の身体が傾く。咄嗟に近くの岩へ手をつき、体勢を立て直した。
「一成お兄ちゃん!」
霞が駆け寄る。
一成は顔をしかめながら腕を見る。肘の辺りを岩で擦ったらしい。血が滲んでいた。
「たいしたことない」
そう言って立ち上がる。
結局、その綻びについては教師へ報告した。もっとも、その時は誰も深刻には考えていなかった。後で修復すれば済む程度のものだったからだ。
ただ、一成だけは最後まで少し気にしていた。
◇
保健室の扉を開けると、中では静子が書類へ目を通していた。足音に気付いて顔を上げる。
「どうしたんですか?」
そして一成を見るなり少し苦笑した。
「また怪我ですか」
一成は何も言わない。代わりに霞が前へ出た。
「一成お兄ちゃんがまた無茶をしたんです」
「無茶って言うほどではないと思うけど」
静子はさらに苦笑した。
「とりあえず見せてください」
一成は渋々椅子へ腰を下ろした。静子は傷口を洗い、丁寧に消毒していく。
「少し沁みますよ」
消毒液が触れた瞬間、一成が僅かに顔をしかめた。静子は慣れた手付きで包帯を巻き終える。
「これで大丈夫です」
「ありがとうございます」
「次からは気を付けてくださいね」
一成は曖昧に頷いた。
静子は少しだけ笑った。
◇
昼になると、生徒たちは一斉に食堂へ向かった。全国から集まった生徒たちが思い思いに席へ着き、賑やかに昼食を取っていた。
一成たちも空いている席へ腰を下ろした。霞は隣。宵司は向かい側だ。
「午後は格闘技の訓練だったっけ」
霞が言う。
「そうだ」
一成が答えた。宵司がぽつりと言った。
「午後の訓練、巌先生か。終わったな」
その言葉に三人は少しだけ顔を見合わせた。
◇
午後の訓練は予想通り過酷だった。訓練場では巌の声が何度も響く。生徒たちは汗だくになりながら走り回っていた。
「足が止まっとるぞ!」
容赦のない叱咤が飛ぶ。だが理不尽ではない。誰よりも先に動き、誰よりも生徒のことを見ているからこそ、生徒たちも文句は言わなかった。
訓練が終わる頃には、皆がへとへとになっていた。夕日が校舎を赤く染めている。一成は訓練場の端に腰を下ろし、水筒の水を飲んでいた。
「一成お兄ちゃん!」
聞き慣れた声が飛んでくる。霞だった。
「一緒に帰ろう!」
「先に帰れ」
「ううん、待ってる」
こうと決めたら霞は譲らない。一成は呆れたようにため息をつく。
「なんでだよ」
「そんなの、別にいいでしょ」
霞は笑った。その時、後ろから声がした。
「そろそろ帰るか」
振り返ると宵司が立っていた。一成は眉をひそめる。
「お前もか」
「悪いか」
結局、三人は並んで寮へ向かった。
夕暮れの校庭にはまだ生徒たちの声が残っていた。自主訓練を続ける者。仲間と盛り上がっている者。寮へ戻る者。
ごく普通の学校生活だった。
◇
「本当に手の掛かる生徒たちでしたよ」
悠真は苦笑した。香月も思わず笑う。
「でも、楽しそうですね」
悠真は少しだけ目を細めた。
「ええ」
窓の外へ視線を向ける。
「あの三人は、いつも一緒でしたから」
まるで遠い昔に思いを馳せているかのようだった。




