御鏡
父の部屋を出ると、香月は祖母と共に階下へ降りた。出汁の香ばしい香りが鼻をくすぐる。居間へ入ると、すでに昼食の準備が整っていた。
大きな器に盛られたうどんから湯気が立ち上っている。油揚げ。ちくわ。野菜。卵。山盛りのねぎ。とにかく沢山の具材が乗っていた。
「どうぞ」
祖父が言う。
香月は箸を取った。出汁は丁寧で優しい味だった。思わず箸が進む。
「美味しいです」
香月が言うと、祖父は少しだけ照れたように笑った。目尻にくしゃっと皺がよる。
祖母がすかさず口を挟む。
「この人、これしか作れんのじゃよ」
「余計なこと言わんでええ」
祖父が顔をしかめる。
「あの子もこれ、好きじゃったな」
祖母がぽつりと言った。
「あの子?」
「お前のお父さんじゃ」
香月は器へ目を落とした。子供時代の父がうどんを食べているところを、何となく想像した。
◇
食事が一段落した頃だった。祖母が香月へ視線を向けた。
「そういえば、香月は、どんな力が使えるんじゃ?」
香月は少し考える。
「結界の才能はあるらしいです」
「らしい?」
祖母が首を傾げる。香月は苦笑した。
「ちょっと上手く説明できないんです」
宗厳が口を開く。
「才能はある。ただ少々複雑での」
香月は今まで聞いた話を説明した。二つの力があること。その二つが干渉し合っていること。そのせいで力を上手く扱えないこと。
祖母は黙って聞いていた。やがて小さく頷く。
「なるほどなあ」
少し考え込む。
「うちは代々、巫女を出しとる家系なんじゃ」
香月は顔を上げた。
「昔の巫女は、人の力を取りまとめたり、増幅したり、融合したり、分離したり出来たそうじゃ。ある意味、人の力を司る役目じゃな」
祖母は静かに続ける。
「そんで火、水、風、土の力をそれぞれ別の力として捉えることができた。力を強くするだけじゃなくて、分けて操る訓練もしとったらしい。熟練すると、複雑に絡まった力も解きほぐせるようになったとか」
宗厳が興味深そうに頷いた。
「ほう」
祖母は香月を見る。
「一度、ご神体へ行ってみるかい?何か感じるかもしれん」
◇
「神域は代々、巫女だけが入る場所なんで、しばらく待っといてもらえんじゃろか」
祖母がそう言うと、宗厳が相槌を打ち、皆も頷いた。
祖母は香月を連れて神社の奥へ向かっていた。本殿のさらに先。普段は人が入らない場所らしく『立入禁止』と書いた木の柵が置かれている。祖母は柵を脇へ寄せて先へ進んだ。香月も続く。
森の中を少し歩くと、やがて小さな建物が見えてきた。その隣には手水場がある。祖母は柄杓を手に取った。
「ご神体の前じゃ。まずは身を清めんと」
言われた通りに手を洗う。口をすすぐ。最後に柄杓を清めて戻した。
◇
建物の中は思ったより質素だった。格子窓の隙間から、一筋の光が薄暗い堂内に差し込んでいる。中央の簡素な棚の上に、布に包まれた何かが鎮座していた。祖母が丁寧に色あせた朱色の布を広げ、古い鏡を取り出して香月に渡した。
「持ってみぃ」
香月は恐る恐る手を伸ばした。思ったより重い。ずっしりとした感触が掌へ伝わる。裏返すと、すり減ってはいるが、かろうじて麒麟の彫刻が刻まれていることが分かった。
香月は鏡の中を覗き込んだ。自分の顔がぼんやりと見返している。その瞬間だった。体を巡る、何か不思議なものを感じた。今まで一つの塊のようにしか感じられなかったものが、二つの流れとして感じられる。互いに絡まり合いながらも、それぞれ別の力として存在しているのが分かる。
祖母が静かに尋ねた。
「見えるかい?」
香月は鏡から目を離せなかった。
「……はい」
自分の中にあるものを、これほど鮮明に感じられたのは、初めてだった。




