表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
幻獣の絆  作者: 斎佳奈
里巡り編
PR
44/73

龍神の岬

翌朝。


朝食は昨日と同じ食堂で済ませた。昨日と同じおばちゃんがいて、よく眠れたかと聞かれた。朝食を食べ終える頃には浜崎と省吾が迎えに来ていた。



「今日は聖域へ案内しよう」


浜崎に案内され、一行は町外れの坂道を登っていた。西村の姿はない。


「西村さんは?」


香月が尋ねる。省吾が苦笑した。


「事務所です。書類が山ほど溜まってますから」


少し間を置いて続ける。


「会長が上手いこと押し付けましたしね」


「人聞きの悪いことを言うな」


浜崎が振り返る。


「大事な仕事を任せただけだ」


「はいはい」


省吾は慣れた様子で受け流した。


やがて道は細くなり、海を見下ろす崖へと続いていく。香月は少し意外だった。もっと奥深い森の中や洞窟のような場所を想像していたからだ。


崖の先端には小さな祠と古い石碑が建っていた。石碑には「龍神碑」の文字が刻まれている。その下にも何か書かれていたが、風雨に削られてよく読めない。


「ここが聖域なんですか?」


香月が尋ねる。浜崎は首を振った。


「違う」


そう言って崖の下を指差す。遥か下、岩壁の途中に黒い裂け目が見えた。波が砕けるたびに、その奥がわずかに見え隠れする。


「あれが聖域だ。昔から龍神様の住処と言われとる」


香月は思わず身を乗り出した。


「行けるんですか?」


「船ならな」


浜崎は肩をすくめる。


「でも誰も近寄らん」


祠の前へ立つ。眼下では白波が絶え間なく岩へ砕けていた。潮風が崖を吹き抜ける。少し足を踏み外せば、そのまま海まで落ちてしまいそうだった。


「皆、ここから龍神様に祈るんだ」


浜崎が静かに言う。


「漁に出る前も。無事に帰ってきた後も」


香月は海へ目を向けた。


「龍神様って、どんな神様なんですか」


浜崎は少し考えた。


「昔話なら残っとる」


そして静かに語り始めた。


昔、この岬から娘が海へ落ちた。誰も助からないと思った。だが娘は無事に戻ってきた。龍に助けられたという。そしてその後、村へ一人の若者が現れた。働き者で、人当たりも良かった。やがて娘と結婚した。若者が村にいる間、不思議と海は荒れなかった。漁は豊かで、村は栄えた。だがある日、若者は突然姿を消した。海へ向かったまま帰ってこなかったという。後になって娘は言った。


「あの人は龍神様だった」


そんな話が残っている。


「本当に起きたことなのか分からんがな」


浜崎は笑った。


「でも漁師は案外信じとる」


しばらく沈黙が続いた。波の音だけが聞こえる。やがて浜崎が香月を見る。


「海を見てみろ」


「海ですか?」


「ああ」


浜崎は海へ目を向けた。


「漁師はな」


「空気だけで何が来るか分かる」


香月は首を傾げる。


「本当ですか?」


「長く海に出とるとな」


浜崎は笑った。


「風向き。潮の流れ。雲の形。全部見とる」


省吾も頷く。


「もっとすごい人もいますよ。海流も風向きも天気も読める。しかも、人によっては天気を変えることもできる」


香月は驚いた。宗厳が静かに言う。


「青龍じゃからな」


浜崎は海を見たまま続ける。


「海は毎日違う。でもずっと見とると分かる。流れを読むんだ」


宗厳が香月を見た。


「香月」


「はい」


「感じるか」


香月は首を傾げた。


潮風が頬を撫でる。波が寄せては返す。雲が流れ、光が海面を走る。風も、波も、雲も、絶えず巡っている。まるで大きな海に浮かぶ小舟のように、自分もその流れの中にいた。


それが宗厳の言う「流れ」なのかは分からない。


だが、自分より遥かに大きな巡りが確かに存在している。


しばらく誰も口を開かなかった。


やがて浜崎が満足そうに頷く。


「まあ、そんなもんだ」


香月は振り返る。


「そうなんですか?」


「言葉で説明できるもんでもないからな」


浜崎は海を見たまま言った。


「毎日見とるうちに、自然と分かるようになる」


省吾も頷いた。


「俺も子供の頃はさっぱりでしたけどね。今は何となく分かります。今日は荒れそうだな、とか。魚が寄りそうだな、とか」


香月は再び海を見る。


同じ海なのに、さっきまでとは少し違って見えた。



漁協会館へ戻ると、西村が会議室で待っていた。


机の上には資料が積み上がっている。


「お帰りなさい」


西村はそう言った後、浜崎へ視線を向けた。


「私は朝からずっと書類と格闘してたんですが」


「ご苦労様」


浜崎は悪びれない。西村は深いため息をついた。宗厳が苦笑する。


「相変わらずじゃな」


全員が席に着く。香月も少し迷ったが、浜崎が椅子を指した。


「座ればいい。別に、聞かれて困る話でもない」


香月は軽く頭を下げて席へ着いた。


会議は各地の結界の状況確認から始まった。それぞれの報告が共有される。その後、西村が一枚の資料を取り出した。


「こちらでも気になる変化が確認されています」


室内の空気が少し引き締まる。


「里の近海を通る龍脈です」


香月は顔を上げた。浜崎が腕を組む。


「最近、魚の動きがおかしい。潮も少し変わった」


省吾も続ける。


「最初は海流の問題かと思ったんです。でも調べてみると、龍脈の流れそのものに変化が出ていました」


宗厳は静かに頷いた。


「やはり青龍もか」


「ご存知だったんですか?」


「他の里でも似たような話が出とる」


宗厳は資料へ目を落とした。


「場所によって現れ方は違う。じゃが原因は同じじゃろう」


香月は黙って話を聞いていた。森、大地、そして海。形は違うが、どこかで繋がっている気がした。


会議はその後も続いたが、大きな方針は変わらなかった。青龍の里も引き続き結界の維持と龍脈の監視に協力する。そして必要があれば、富士での対応にも人員を出す。


それが結論だった。



夕食も食堂だった。


皆が海鮮定食を頼む中、清志だけはあごカツカレーを注文した。


「なんでここまで来てカレーなんですか」


由里子が呆れたように言う。


「食べてみたかったので」


清志は真顔だった。その答えに皆が笑う。


窓の外では港の灯りが揺れていた。静かな夜だった。


明日はいよいよ麒麟の里へと向かう。そんな期待を胸に、夜は静かに更けていった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ