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幻獣の絆  作者: 斎佳奈
里巡り編
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温泉

朝食を終えると、宗厳たちは源太郎とともに別室へ移った。結界や今後のことについて話し合うらしい。由里子と清志も当然のようについて行く。気が付けば香月だけが取り残されていた。


「置いて行かれてしまいました」


思わず苦笑すると、恵が小さく笑った。


「よかったら里を案内しましょうか」


「いいんですか?」


「もちろん」


恵は立ち上がった。



外へ出ると、初夏の風が心地よかった。


昨日はあまり周囲を見る余裕がなかったが、改めて歩いてみると玄武の里は思っていた以上に活気がある。


子供たちが広場で走り回っていた。鬼ごっこだろうか。元気な声が響いている。その横を軽トラックがゆっくり通り過ぎる。畑仕事帰りらしい老人が手を振ると、子供たちも元気よく手を振った。


「仲がいいんですね」


「みんな顔見知りですから」


恵が笑う。


さらに歩くと、庭木を剪定している人。酒蔵へ荷物を運ぶ人。軒先で野菜を干している家。普通に人が暮らしている風景だ。ただ、とてもゆっくりしているように感じられた。


やがて二人は市場へ出た。屋内に並ぶ小さな店々。魚屋、肉屋、八百屋、惣菜屋、菓子屋。買い物客が思い思いに品物を選んでいる。


「野菜はあんまり買われないんですか?」


香月が問うと、恵が笑った。


「野菜は自分の家で作ってますから」


「なるほど」


香月も思わず頷いた。


野菜の自給率が高いところは白虎の里とよく似ている。だが、この里には子供の姿が多い。若い夫婦もいる。市場には活気があった。白虎の里では最近あまり見なくなった光景だった。



昼前に邸へ戻ると、宗厳たちも話を終えたところだった。


「うまくいったんですか?」


香月が尋ねる。宗厳は湯呑みを置いた。


「まあな」


どうやら話はまとまったらしい。


すると源太郎が言った。


「せっかくやから温泉に寄っていったらええと思うて、宿を予約しといたで」


「え、温泉ですか?」


香月は思わず目を丸くした。


「せっかく来たんやし、このまま何もせんと帰るんはもったいないやろ」


源太郎は笑う。


「温泉に入ってゆっくりしてきたらええ」


里にもう一泊するものと思っていた香月は少し驚いた。だが、もちろん異論はない。



午後。駅まで見送りに来てくれたのは源太郎と恵だった。


「また遊びに来てな」


恵が言う。


「はい」


香月も笑顔で頷いた。


短い滞在だった。それでもどこか名残惜しい。列車が動き出す。窓の外で二人が手を振っていた。


やがてホームが見えなくなる。香月は静かに窓の外の景色の移り変わりを眺めた。


「何か考えとるな」


宗厳がふいに言った。


「玄武の里のことです」


香月が答えると、宗厳は小さく頷いた。


「どうじゃった?」


「うまく言えませんけど……不思議な場所でした。まるで時の流れが、そこだけゆっくりになったような」


宗厳はしばらく黙ってから言った。


「玄武は急がん」


香月は顔を上げる。


「地の流れと共にあり、整え、守る。それが玄武じゃ」


香月は小さく頷いた。なぜか、その言葉はすんなり胸に落ちた。



温泉へ着いた頃には夕方になっていた。


旅館へ向かう道すがら、香月は思わず足を止める。


「綺麗ですね……」


川の両側に柳並木が続いている。木造の旅館が軒を連ね、橋がいくつも架かっていた。浴衣姿の人々が下駄を鳴らしながら行き交う。まるで町全体が一つの大きな旅館のようだった。どこか懐かしい雰囲気だ。初めて来た場所のはずなのに、不思議とそんな気がした。


「面白い場所ですね」


「そうですね。温泉街に来た、という感じがします」


由里子が答えた。


旅館は風情こそあるが、内部は綺麗に改装されていた。由里子と二人部屋だ。部屋へ入ると、窓の向こうには静かな水辺が見える。小さな船が揺れていた。穏やかな景色だった。



夕食は宗厳と清志の部屋で一緒に取ることになった。季節の食材が趣味のいい器に彩りよく並ぶ。いかにも温泉宿らしい少し贅沢な献立だった。その中でひときわ目を引いたのは大ぶりの岩牡蠣だった。


「大きいですね」


香月が思わず声を上げる。


「この時期の名物らしいですよ」


由里子が言った。清志は一口食べるなり、


「うまっ。最高っすね」


と呟いた。皆が思わず笑う。



食後。浴衣に着替えた一行は外湯へ向かった。川沿いの柳が風に揺れている。橋の上を渡る。下駄の音が石畳に響いた。


「ここは外湯巡りが有名なんですよ」


由里子が手にした湯めぐり券を見せる。


「なるほど」


香月は周囲を見回した。確かに温泉へ向かう人が多い。やがて目的の湯へ着いた。


大浴場には多くの人がいたが、露天風呂へ出ると人はまばらだった。しばらくすると他の客も上がり、残ったのは香月と由里子だけになる。湯気が静かに立ち上っていた。


「次は青龍の里ですね」


香月が言う。


「ええ」


由里子が頷く。


「行ったことあるんですか?」


「一度だけ」


由里子は少し考える。


「海鮮が美味しかった記憶があります」


香月が思わず笑った。


「由里子さんらしいです」


由里子も少しだけ笑う。


「まあ、楽しみの一つではあります」


それから少し間を置いた。


「でも一番印象に残っているのは景色ですね」


「景色?」


「ええ」


湯気の向こうを見る。


「砂丘の景色です。見渡す限りずっと砂で、いきなり砂漠に降り立ったみたいな感じなんです。そして大きな砂の壁を越えると、いきなり真っ青な海が広がっているんです。まるで別世界でした」



香月は湯に肩まで浸かる。


「宗厳先生の助手は長いこと勤めてるんですか?」


由里子は少し首を横に振った。


「そうですね、もう三年くらいになります。元々は協会の職員だったんですよ」


由里子は少し照れくさそうに笑った。


「勉強も嫌いじゃなかったですし、結界術もそれなりにできましたから」


「でも、協会へ入ってから気付いたんです」


由里子は湯面へ視線を落とした。


「上には上がいるんだなって」


少し間を置く。


「少しでも結果を出そうと思って、いつも最後まで職場に残っていました」


「それで宗厳先生に?」


香月が尋ねる。由里子は頷いた。


「ある日、仕事が終わらなくて一人で残っていたんです」


しばらく黙ってから続ける。


「その時に宗厳先生に呼び止められて。こう言われました」


湯気の向こうを見る。


『焦って走るより、まず足元を見ろ』


香月は思わず笑った。


「宗厳先生らしいですね」


「ですよね」


由里子も笑う。


「その時は何を言われたのか全然分かりませんでした」


「でも後になって分かったんです」


焦って先のことばかり考えていた。自分が抱え切れるより多くのことを抱えようとした。


「今できることをちゃんとやる方が大事だったんですよね」


静かな声だった。


「その後に助手になったんですか?」


「ええ」


由里子は頷く。


「結局、前よりもっと大変になりましたけど。宗厳先生、結構無茶振りしますし」


香月が吹き出した。


「やっぱりそうなんですね」


「結構強行スケジュールで全国を回りますから」


由里子も苦笑する。


「でも不思議と、前みたいな焦りはなくなりました」


露天風呂の向こうで木々が揺れている。


「全部やらなくていい。自分にできることを、一つ一つやればいいんだって思えるようになったので」


湯から上がって外に出ると、あたりはすっかり暗くなっていた。川の両岸に並ぶ柳の木と伝統的な木造建築の旅館が灯に照らされて、幻想的な雰囲気を醸していた。


カランコロンと下駄の音が静かな夜の街並みに響く。香月は立ち止まり、しばらくその景色を眺めた。


なぜなのかは、自分でもよく分からない。


ただ、この景色も、里で出会った人たちのことも、きっとずっと覚えているだろうと思った。

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