表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
幻獣の絆  作者: 斎佳奈
里巡り編
PR
41/73

悠久

源太郎を先頭に皆が洞窟へ入ってゆく。


一歩足を踏み入れた瞬間、空気が変わった。ひんやりと湿った空気が肌を撫でた。足元は岩肌がむき出しになっており、ところどころ水が滴っている。ぽたり、ぽたりと規則正しく落ちる水音だけが静かに響いていた。


洞窟は思っていた以上に広かった。天井は高く、奥へ進むにつれて少しずつ通路が狭くなっていく。香月はふと違和感を感じて足を止めた。足元の岩が淡く発光しているように見えたのだ。よく見ると、緻密な術式が岩に刻まれていた。なるほど、これのおかげで暗く感じないのだな、と妙に納得した。


もう少し進むと、今度は岩肌に幾重にも重なった層のようなものが見える。思わず手を伸ばすと、つるりと濡れるような感触だった。


「すごいですね……」


香月が呟く。宗厳は静かに頷いた。


「大地の記憶じゃ」


香月はもう一度岩壁を見上げた。確かに気の遠くなるほどの年月を閉じ込めたような光景だった。


さらに奥へ進む。洞窟は緩やかに下っていた。やがて開けた空間へ出る。香月は思わず息を呑んだ。


巨大な岩がそこにあった。洞窟の奥に鎮座するその岩は、人の手で削られたものではない。祠もなければ、注連縄すらない。その石はただそこに在る。それだけだった。


だが目を離せない。


源太郎が静かに頭を下げる。宗厳も続く。由里子と清志も頭を垂れた。香月も慌ててそれに倣う。目を閉じる。


洞窟の冷たい空気。水滴の音。岩の匂い。


何も聞こえない。何も語りかけてこない。それなのに、不思議とそこに何かがいるような気がした。まるで神様がそこにいるかのような。そう思わずにはいられない存在感があった。


しばらくして宗厳が目を開く。そして香月たちの方を向く。


「何か感じたか?」


清志と由里子が静かに頷く。宗厳が香月の方を見る。


「よくわかりませんが、確かに何か感じました」


「その感覚を忘れんようにな。それでは、行くか」


誰も何も言わなかった。


洞窟を出る頃には、香月は少しぼんやりしていた。頭の中が妙に静かだった。


帰り道。森の中を歩く。先ほどまで聞こえなかった鳥の声が耳に入る。風が葉を揺らす音もする。日常の音が戻って来た。


やがて集落が見えてくる。家々の向こうに白い土壁が並んでいた。


「あれは?」


香月が尋ねる。源太郎が振り返る。


「酒蔵や」


よく見ると同じような建物がいくつも並んでいる。白い壁。黒い板張り。軒先には丸い杉玉が吊るされていた。


「たくさんあるんですね」


「この辺は昔から酒造りが盛んなんや」


源太郎はそれだけ言った。


酒蔵の前を通る。どこかから微かに米を蒸したような匂いが流れてきた。香月は振り返る。古い蔵が夕暮れの光を受けて静かに佇んでいた。


気が付けば邸まで戻って来ていた。



夕食に呼ばれて座敷の襖を開けた瞬間、香月は思わず足を止めた。


「わあ……」


座卓いっぱいに料理が並んでいた。


大きな木箱に入った色鮮やかな寿司。煮物。焼き魚。漬物。小鉢。すまし汁とご飯。


机の中央には大きな鉄板が据えられていた。その上には厚切りの牛肉。じゅう、と脂の弾ける音が響いた。香ばしい匂いが部屋いっぱいに広がる。


「うわ」


清志が思わず声を上げた。


「これ絶対うまいやつじゃないですか」


部屋の空気が少し和む。


座卓の向こうで年配の女性が笑った。小柄で和装に割烹着を着た優しそうな女性だ。


「遠慮せんと食べてな」


その隣には源太郎によく似た顔立ちの年配の男性が座っている。


さらにその隣には源太郎の妻と思われる女性。そして高校生くらいの少年と、小学校高学年ほどの少女も座っている。


「親父です」


源太郎が短く紹介した。


「北野源蔵や。よう来てくれたな」


穏やかな声だった。


母親も続く。


「私は千代です」


妻も会釈する。


「恵です」


少年と少女も少し緊張した様子で頭を下げた。


「息子の大樹です」


「娘の美咲です」


香月たちもそれぞれ名乗る。


「さあ、冷めんうちに食べようや」


源蔵が笑う。皆が箸を取った。


まず目を引いたのは木箱に入った寿司だった。酢飯の上に色鮮やかな具材が敷き詰められている。


「綺麗ですね」


香月が思わず呟く。千代が嬉しそうに笑った。


「特別な日によく作るご馳走や」


香月は一口食べる。甘辛く炊かれた魚の旨味と酢飯がよく合っていた。


「美味しいです」


「そう?」


千代の顔がほころぶ。


一方、清志はすでに牛肉へ意識を奪われていた。恐る恐る一切れ口へ運ぶ。途端に目を見開く。


「うんまっ……」


思わず声が漏れた。部屋のあちこちから笑い声が上がる。


「そんなにか」


源太郎が聞く。


「口の中でとろけるっス」


源蔵が満足そうに頷く。


「この辺の肉は有名やからな」


やがて酒が運ばれてくる。徳利から注がれた酒は透明で、ほんのりと米の香りがした。香月はあまり飲めないので、少しだけ注いでもらう。清志が一口啜る。


「飲みやすいですね」


「うちの村で作っとる酒や」


源太郎が言った。


「昔からずっと造っとる」


そう言って盃を傾けた。


「最近は若いもんが色々考えとるけどな」


「色々?」


由里子が尋ねる。


「地酒ブームに乗る言うてな。宣伝を頑張っとる。地元の店や飲み屋にもよう売り込んどるらしい」


「いろいろ頑張っているんですね」


由里子が感心したように言う。


「細かいことは分からん」


源蔵は肩をすくめた。


香月はふと周囲を見回す。祖父母がいて。夫婦がいて。子供たちがいる。白虎の里では、最近こういう光景をあまり見なくなった。


胸の奥に小さな寂しさがよぎる。だが同時に、どこか温かい気持ちにもなった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ