糸口
翌朝、目を覚ますと、部屋の中には静かな朝日が差し込んでいた。昨夜の雨は上がっている。
私はベッドから起き上がり、隣を見る。少年はまだ眠っていた。昨夜はあれほど警戒していたのに、今は安心しきったような顔をしている。少しだけ胸が痛んだ。
私は起こさないよう静かにキッチンへ向かった。冷蔵庫の中身は相変わらず乏しい。味噌汁を温め直し、卵焼きを作る。レンジで温めたご飯をよそい終えた頃、背後で小さな物音がした。
振り返ると、少年が眠そうな目で立っていた。
「おはよう」
「……おはよう」
昨日より声が出ている。私は洗濯して乾燥機にかけておいた服を渡した。
「これ、乾いたから」
少年は小さく頷き、服を受け取った。
朝食を並べると、少年は少し驚いたような顔をした。
「食べていいの?」
「もちろん」
そう言うと、少年は遠慮がちに箸を手に取った。
しばらくは静かな食事だった。けれど食べ終わる頃には、昨日より緊張が解けているのが分かった。私はお茶を注ぎながら尋ねる。
「お兄さんと最後にはぐれた場所、覚えてる?」
少年は考えるように俯いた。
「……大きな駅の近く」
上京してきたばっかりだったら上野かな、と言う漠然とした勘で尋ねる。
「上野?」
こくり、と頷く。
そこから私は一つずつ質問を重ねていった。急かさないように。思い出せる範囲でいいから、と。
少年の話はあちこち飛んだ。上野駅の話をしていたかと思えば浅草寺の大きな提灯の話になり、大きなメロンパンの話になり、またホテルの話に戻る。それでも少しずつ繋ぎ合わせていくと、兄と二人で数日前に東京へ出てきたこと、上野や浅草の安いホテルを転々としていたことが分かった。
「兄さま、同じところに泊まらないようにしてた」
「どうして?」
「見つかると危ないからって」
私は小さく息を吐いた。
やはり狙われていたのだ。昨夜の襲撃も偶然ではない。
「他に行った場所は?」
少年はしばらく考え込んだ。そして何かを思い出したように顔を上げる。
「お店」
「お店?」
「古いものがいっぱいあった」
骨董品屋だろうか。私は続きを促した。兄はその店の男と知り合いだったらしい。店の奥へ通され、しばらく話をしていた。その後、包み紙に包まれた何かを受け取っていたという。
「何をもらったか分かる?」
少年は首を横に振る。
「見てない」
それでも十分だった。今ある手掛かりの中では、一番有力だった。
「その店、覚えてる?」
「たぶん。見たらわかると思う」
自信なさそうな返事だったが、他に方法もない。私は立ち上がった。
「行ってみよう」
少年の目が少しだけ明るくなった。
昼前には二人で上野へ向かっていた。上野駅周辺は週末ということもあり人が多かった。地元民、観光客、買い物客。人混みの中を歩きながら、少年は何度も首を傾げる。
「ここじゃない」
「たぶんあっちのほう」
似たような通りが続く。
骨董品屋らしい店を見つけるたびに覗いたが、どれも違った。昼を過ぎても見つからない。午後になっても見つからない。
さすがに私も半分諦めかけていた。子供の記憶なんて曖昧なものだ。それでも、今はこれしか手掛かりがない。
夕方が近づいた頃だった。突然、少年が足を止める。
「あっ」
その声に振り返る。少年は通りの向こうを指差していた。
「ここだ」
そこには古びた木造の店舗があった。表には茶碗や掛け軸、古い置物が並んでいる。一見すると、ごく普通の骨董品屋だった。
だが店内を覗いた瞬間、私は確信した。普通ではない。棚の奥には、血脈者しか使わない封印札が置かれていた。獣の牙を加工した短刀もある。一般人にはただの骨董品にしか見えないだろう。
私は少年を連れて店へ入った。奥から白髪混じりの体格のいい男が現れる。男は私達を見るなり目を細めた。
「いらっしゃい。何かお探しですかな」
男はそう言いながら、私達を訝しげに見た。骨董品を買いに来た客には見えなかったのだろう。
「人を探しています。この子のお兄さんです。昨日一緒に来たそうですが。」
男はしばらく黙り込む。そして少年を見た
「あいつの弟か」
「お知り合いなんですね」
「ああ」
男は短く答えた。少年の顔に希望が浮かぶ。
私は身を乗り出した。「連絡を取りたいのですが、連絡先は分かるでしょうか?今、何処にいるのかご存知ですか?」
しかし男は首を横に振る。
「それは言えん」
「じゃあ、受け取った物は?」
「それもだ」
取り付く島もない。けれど不思議と腹は立たなかった。血脈者社会では珍しくない。守秘義務は命より重いこともある。
男は腕を組み、しばらく考え込んだ。やがて小さく溜息をつく。
「次の行き先には、一つだけ心当たりがある」
私は顔を上げた。
「次は鉄斎のところへ行くかもしれん」
「鉄斎?」
「鍛冶屋だ」
男は店の奥から紙を持ってきた。住所が書かれている。
「表向きは刃物屋だがな。頼めば血脈者用の武器も作る」
私は紙を受け取った。そして店主に紙を借り、自分の名前と携帯番号を書き付けた。
「弟さんは、今のところ私が預かっています。もしお兄さんが来たら、連絡するよう伝えてもらえませんか」
男は紙を受け取り、小さく頷いた。
これでようやく次の手掛かりが見つかった。
店を出ると、空は赤く染まり始めていた。少年が不安そうに尋ねる。
「兄さま、見つかるかな」
私は手の中の紙を見る。分からない。けれど昨日よりは確実に前進している。
「少なくとも、糸口は見つかったと思う」
私は住所の書かれた紙を折り畳み、ポケットへしまった。
「行ってみよう」
夕暮れの風が街を吹き抜ける。
兄の行方も、昨夜の襲撃者の正体も、まだ分からない。
それでも私は、ようやく見つけた細い糸を手繰るように歩き出した。




