母と娘
夕方になる頃、一台の軽トラックが家の前に停まった。
「帰ってきはったな」
弥生が立ち上がる。しばらくして玄関が開いた。
「ただいま」
日に焼けた精悍な顔立ちの中年男性だった。香月の義父だった。
「ああ、香月か」
義父は少し目を細める。
「久しぶりやな」
「ご無沙汰してます」
「ほんまに久しぶりや。お母さんが寂しがっとったで」
そう言いながらも、その顔はどこか嬉しそうだった。弥生が呆れたように言う。
「あんたも人のこと言えへんやろ」
「それもそうやな」
義父は笑った。
そのまま宗厳たちへ挨拶し、座敷へ上がる。
◇
しばらくして夕食の準備が整った。座卓の上には大皿の料理が所狭しと並んでいる。蛸と胡瓜の酢の物。ポテトサラダ。茄子の煮びたし。だし巻き卵。筍のたいたん。地鶏の照り焼き。白和え。漬物。味噌汁。炊きたての白米。机を二つ繋げているはずなのに、それでも少し狭そうだった。
「大したもんやないんやけど」
弥生が申し訳なさそうに言う。清志は料理と弥生の顔を見比べた。
「いやいや」
思わず声が出る。
「すごい豪華ですよ」
弥生はきょとんとした。
「そう?」
「そうっスよ」
即答だった。香月は思わず吹き出した。
「お母さん、それよその人には通じひんから」
「ああ、そういうやつっスか」
清志は納得したような顔になる。由里子が小さく笑った。
「いただきます」
皆で手を合わせた。
◇
食事は賑やかだった。
清志は早々に地鶏へ箸を伸ばす。
「これうまいっスね」
弥生が少し嬉しそうに答えた。
「近くで育てとる人がおるんや。けっこう有名らしいで」
「いいねえ」
清志は頷きながら地鶏をもう一口食べた。それから何気なくご飯を口へ運ぶ。そして箸が止まった。
「おー」
「どうしたんじゃ」
宗厳が尋ねる。
「いや」
清志は茶碗を見つめた。
「このご飯、めちゃくちゃうまくないっスか?」
弥生が首を傾げる。
「そう?」
「いや、本当に」
清志は真顔だった。
「米だけで普通に食えるレベルなんスけど」
弥生が小さく笑った。
「この辺の米やからね。水もええし」
香月は黙ってご飯を口に運んだ。確かに美味しい。子供の頃は当たり前だった。けれど東京で暮らすようになってから、この土地の米や水がどれほど恵まれていたのかを知った。
漬物を口に運ぶ。懐かしい味だった。
「その漬物、うちで漬けたやつやで」
弥生が言う。
「うまいっス」
清志は素直に頷いた。
「これだけでご飯一杯いけます」
「そう言うてもらうと作り甲斐があるなあ」
弥生が少し嬉しそうに笑った。食卓に笑いが広がる。
◇
気付けば外はすっかり暗くなっていた。食事が終わり、皆がくつろぎ始める。香月は弥生と並んで後片付けをしていた。流しには大量の皿が積み上がっている。
「相変わらず作りすぎやな」
香月が苦笑する。
「残りもんはまた明日食べたらええやろ」
弥生は平然としていた。しばらく皿を洗っていた香月は、ふと口を開く。
「お母さん」
「ん?」
「この後ちょっと時間ある?」
弥生の手が一瞬だけ止まった。
「ええよ」
それだけ答えた。
◇
後片付けを終えた後、二人は縁側へ出た。夜風が心地良い。虫の声が聞こえている。庭には月明かりが静かに落ちていた。しばらく無言の時間が流れる。
やがて香月が口を開いた。
「実はな」
そう言って、この数週間で起きたことを話し始めた。
東京での襲撃。康太との出会い。寺へ行ったこと。結界の訓練を受けていること。寺への襲撃と結界の補修。そして宗厳との出会い。弥生は途中で何度も驚いた顔をした。
「ちょっと待って」
思わず口を挟む。
「襲撃って何?しかも二回も?」
香月は苦笑した。
「まあ、私は直接襲われてへんねんけど」
そして改めて説明する。話が一通り終わった頃には、弥生の顔色は少し青くなっていた。
「そんな危ないことに巻き込まれとったんや……」
「まあ、そうやねんけど」
少し間を置く。
「訓練の中で分かったことがあるねん」
弥生が顔を上げた。
「私の中に二つの流れがあるらしい」
「二つ?」
「一つは白虎」
香月は静かに続ける。
「もう一つは違う」
夜風が吹き抜ける。
「宗厳先生は麒麟かもしれへんって言うてた」
弥生の表情が固まった。
「お母さん」
静かに尋ねる。
「お父さんのこと、教えてほしい」
弥生は小さく息を吐くと、躊躇いがちに話し始めた。
「ほんまはな」
ぽつりと言う。
「話さん方がええと思っとったんや」
香月は黙って聞いていた。
「あの人、危ないことに関わっとったみたいやから」
弥生は庭へ視線を向ける。
「せやから、あんたには関係ないままの方がええと思っとった」
香月は苦笑した。そして静かに首を振る。
「もうとっくに巻き込まれてるわ」
東京での襲撃。寺での訓練。結界の修復。様々な出来事が頭をよぎる。
「だから知りたいんや」
香月は続けた。
「少しでも自分のことが分かったら、逆に自分を守ることになるかもしれへん。皆の役にも立ちたいし」
弥生は長い間黙り込んでいた。やがて小さく息を吐く。
「そうやな」
少し寂しそうに笑う。
「もう関係ないとも言うてられへんなあ」
香月は黙って頷いた。
弥生は夜空を見上げると、静かに語り始めた。
次話はいよいよ香月の父と母が若かった頃のお話になります。
今までほとんど語られてこなかった二人の過去。なぜ出会い、なぜ別れることになったのか。
少し昔話にお付き合いいただければ幸いです。




