旅立ち
数日後。夕食の席で悠真が立ち上がった。
「皆さん、お疲れ様でした」
食堂に視線を巡らせる。
「結界は完成しました。メンテナンスは必要ですが、当面は大丈夫でしょう。これも柳沢先生と、皆さんのおかげです」
子供たちの表情が明るくなる。
「今後は寺の者たちで定期的に力を流し、維持管理していきます」
宗厳も頷いた。
「土台は十分じゃ。多少の攻撃ではびくともせんじゃろう」
その言葉に香月もほっと息を吐いた。結界の補強は無事成功したらしい。
「というわけで」
陽奈が奥から皿を運んでくる。
「今日はちょっとだけ特別です」
続いて沙耶香も現れた。
「ケーキを焼いてみました」
白いクリームにフルーツが乗ったデコレーションケーキだ。食堂から歓声が上がる。
「おおー!」
「すごい!」
康太などは目を輝かせていた。悠真が立ち上がる。
「宗厳先生たちは明日の朝、出発されます」
食堂の空気が少し静かになる。
「短い間でしたが、本当にありがとうございました」
悠真が頭を下げる。宗厳は相変わらず落ち着いていた。
「礼を言うほどのことではない」
「そうはいきません」
静子が微笑む。
「助かりました」
香月も立ち上がった。
「実は、柳沢先生たちと一緒にしばらく旅をすることになりました」
皆の視線が集まる。
「短い間でしたが、皆さんには本当にお世話になりました」
少し照れくさい。だが本心だった。
「必ずまた戻ってきます」
その言葉に悠真が頷く。
「ええ」
康太も元気よく手を挙げた。
「待ってるからね!」
食堂に笑いが広がった。
◇
翌朝。まだ空気がひんやりとしているうちに出発だ。通用口で巌が車を停めて待っていた。荷物を積み終えた清志が伸びをする。
「助かったー」
そう言って寺の石段を見上げた。
「またあの階段を荷物抱えて下りなきゃいけないのかと思った」
宗厳は呆れたように言った。
「あれぐらいでへこたれてどうするんじゃ」
「いやいや、あれ普通にきついっスから」
由里子が苦笑した。やがて車は山道を下り始める。
◇
何度目かの乗り換えを終えた頃には、清志はげんなりした顔になっていた。
「同じ東京なのに、東京駅まで電車三本乗り換えってマジで意味わかんないっス」
「そんなもんですよ。東京も広いんですから」
由里子がさらりと言う。
「いや、ほんとに東京なんですか?」
「東京都です」
「納得いかないっス」
香月は思わず笑った。少し分かる気がする。
◇
東京駅は人で溢れていた。
駅弁売り場の前で香月は思わず足を止める。
全国各地の駅弁がずらりと並んでいる。峠の釜めし。ますのすし。牛肉どまん中。めんたい重。山陰鳥取かに飯まである。見ているだけで楽しい。
由里子が全員に切符を配る。
「各自駅弁を買って、ホームで集合してください」
と言った。それからじっと弁当を吟味している香月に声をかける。
「香月さん、ちょっとワクワクしてますよね」
香月は思わず笑った。
「分かります?駅弁、好きなんです」
香月は素直に答えた。
「こういうのを見ると、旅が始まるなって気がして」
由里子も小さく頷く。
「分かります」
「では、私はちょっと向こうを見てきますね」
由里子が去り、香月はもう一度売り場を見渡した。どれも美味しそうだ。
◇
やがて全員がホームへ集まる。新幹線は定刻通り発車した。車窓の景色がゆっくりと流れ始める。
「じゃあ」
清志が待ちきれない様子で弁当を取り出した。
「いただきます」
箱を開く。現れたのは厚切り牛たん弁当だった。
「見てくださいよ。東京駅で駅弁と言ったら牛タンでっス」
得意そうに弁当を掲げる。
「この牛タン。ぶ厚くて柔らかそうでしょう」
まだ温かい湯気が立っている。
「しかもホカホカっスよ」
清志は満足そうに頷いた。
「超うまそう」
「牛タンといえば仙台では?」
由里子が突っ込んだ。清志は一瞬だけ考える。
「細かいことは気にしないっス」
香月は思わず吹き出した。
「香月さんは?」
香月も自分の弁当を開く。彩りの良い幕の内弁当だった。季節の炊き込みご飯。焼き魚。煮物。出汁巻き卵。様々なおかずが少しずつ並んでいる。
「香月さんらしいですね」
由里子が言った。
「そうですか?色々少しずつ食べられますから」
香月は苦笑する。否定できなかった。
「由里子さんは何を買ったんですか?」
今度は香月が尋ねる。由里子は静かに弁当を取り出した。丸い顔のゆるキャラが描かれている。
「由里子さん、それ……」
「このキャラ好きなんです」
即答だった。弁当を開く。エビフライ。ソーセージ。唐揚げ。ミートボール。マカロニサラダ。しかもご飯がキャラの顔になっている。ほとんどお子様ランチだった。少し反応に困る。
「なんかすごいですね」
由里子は弁当箱の脇に入っていたキーホルダーを見せた。何ともいえない変な顔のゆるキャラだ。
「このキーホルダーがついてくるんですよ。それだけで大いに価値ありです」
最後に宗厳が包みを開く。深川めしだった。
「先生はそれなんですね」
「うむ」
宗厳は頷く。
「昔から好きでな」
そう言って静かに箸を取った。
それぞれが弁当を食べ始める。車内にはしばらく穏やかな時間が流れた。
ふと思いついて、香月が尋ねる。
「もう他の里は結構回られたんですか?」
宗厳が頷く。
「うむ。北海道、東北、関東、北陸の主な里はすでに回った。今回は近畿、中国地方なんかを回る予定じゃ。白虎の里もその一つじゃな。」
香月が驚く。
「もうずっと旅してるんですね。大変じゃありませんか?」
「まあ足労ではあるが、必要なことじゃからのう」
宗厳がそう答えると、清志が割り込んだ。
「大変ですよ。観光する暇もないし、移動時間半端ないし。まあ美味しいもん食えるからあんまり文句言えないっスけど。」
香月が尋ねる。
「特に印象に残ったのは何ですか?」
「ジンギスカンと金沢カレー。あと盛岡冷麺も美味かったな。」
由里子も加わる。
「富山で食べたお寿司が最高でした。水揚げしたての新鮮な魚を握ってくれるんです。函館の海鮮丼も印象に残りましたね」
香月が笑う。
「結構食べ物ばっかりなんですね」
清志が少し不貞腐れる。
「ろくに観光してないからそんなもんだろ」
皆が笑い合う。
窓の外を流れる景色が少しずつ変わっていく。やがて車内アナウンスが響いた。
「まもなく京都、京都です」
香月は思わず顔を上げた。
◇
京都駅へ到着した後も移動は続いた。特急に乗り換えてさらに1時間以上。そこからタクシーへ乗り換え、市街地を離れる。
窓の外の景色が少しずつ変わっていく。住宅街が減り、田畑が増える。やがて車は細い山道へ入った。なだらかな里山が続く。その向こうには険しく連なる深い山々が見えた。
子供の頃は何とも思わなかったが、こうして離れてみると、ずいぶん山奥だったのだと改めて思う。
香月は窓の外へ目を向けた。山を登るにつれて雑木林が姿を消し、代わりに巨大な杉林が現れた。
真っ直ぐに伸びた幹が幾重にも並び、その間を縫うように道が続いていた。まるで森の奥へ吸い込まれていくようだった。
頭上では何十メートルもある杉の枝葉が空を覆い、昼間だというのに薄暗い。わずかに差し込む陽の光が木漏れ日となり、湿ったアスファルトや苔むした路肩にまだら模様を描いている。
やがて山道が開け、小さな集落が姿を現した。幼い頃から見慣れた景色。何年も離れていたはずなのに、不思議と覚えていた。
山を渡る風。杉の香り。胸の奥が少しだけ熱くなった。
「懐かしいか」
宗厳が静かに尋ねた。香月は小さく頷く。
「はい」
その一言だけだった。けれど、それで十分だった。




