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幻獣の絆  作者: 斎佳奈
里巡り編
30/41

結界の師匠

戦いから数日。寺には再び穏やかな日常が戻っていた。香月は千春と共に静子に指導を受けている。以前よりも少しだけ感覚が掴めるようになってきた気がする。寺の事務仕事も午後の数時間だけ手伝っていてこちらも順調だ。康太も連日訓練だ。悟、智樹、拓也と一緒に山道を走り、時には巌先生に投げ飛ばされながらも、毎日活発に過ごしていた。


まるで先日の襲撃が夢か何かのようだった。だが、何も変化がないわけではない。悠真先生たちは慌ただしく動き回っている。先日の戦いで寺の結界が突破されたため、その対策に専門家を招いた。その準備がある。


その日の昼過ぎだった。門の方が少し騒がしい。香月が振り返ると、石段を三人の人影が登ってくるのが見えた。先頭を歩くのは威厳のある老人だった。髪も髭もほとんど真っ白だ。落ち着いた仕立ての良い和装、手には一本の杖。年齢は少なく見積もっても七十は超えているだろう。


老人の後ろには女性が一人。三十代半ばくらいだろうか。襟のついたシャツにスラックス。背筋が真っ直ぐ伸びている。仕事のできる人間特有の隙のなさを感じた。


そしてもう一人。二十代前半くらいの若い男性。茶色く染めた髪に少し派手な服装。緊張とは縁の無さそうな雰囲気で、きょろきょろと辺りを見回している。


程なくして、悠真と静子が門の方へ出迎えに行った。


「柳沢宗厳先生、ようこそおいで下さいました」


悠真が頭を下げる。老人は小さく頷いた。


「二人とも久しぶりじゃな。お前たち、こちら、悠真先生と静子先生だ。挨拶しなさい。」


後ろに立っていた女性が一歩前へ出る。


「五条由里子です。柳沢先生の助手を務めております」


最後に若い男が続ける。


「柏田清志っす。弟子っす。よろしくお願いしまーす」


どこか気の抜けた口調だった。


「遠方からはるばるお越し頂き、ありがとうございます」


悠真が言う。宗厳は首を振った。


「そんなことは気にせんでええ。早速、結界を見せてくれ。話はそれからじゃ」


悠真と静子が顔を見合わせた。


「分かりました。こちらです」



悠真に先導されて一行はそのまま寺の裏側へ回り込む。やがて御神木の前へ辿り着いた。樹齢何百年の荘厳な楠木だ。


悠真が説明を始めた。


「この御神木が寺の結界の要です」


宗厳は黙って聞いている。


「この寺は龍脈の真上に建っており、結界を張るのに理想的でした。この結界は、私と静子先生で構築しました」


静子も頷いた。


「土地の力が強かったので、それなりに強力な結界が張れたと思っていました」


悠真の表情が少し曇る。


「ですが、先日の襲撃で破られました。今回は穴を開けるのに数日はかかったようですが、次はもっと早く突破されるかもしれません」


宗厳は無言でゆっくりと御神木へ歩み寄り、幹に両手を当てた。目を閉じる。沈黙が流れた。木の葉が風にさざめく音だけが聞こえる。


やがて宗厳がゆっくりと木から手を離す。


「悪くはない。土地の力を上手く取り込んでおる」


少しだけ間が空く。


「じゃが、まだ浅い」


悠真が静かに頭を下げる。


「はい」


「循環しているのは地表近くを流れる龍気だけじゃ」


宗厳は杖で地面を突いた。


「もっと深く流れる力へ繋がらねばならん」


悠真は真剣な表情で耳を傾ける。宗厳は続けた。


「それに、強固な結界は土地の力だけで作るものではない。異なる力を共鳴させることで初めて強固な結界となる」


「なるほど……」


静子が小さく呟く。悠真が頭を下げた。


「至らず申し訳ありません。勉強になります」


「謝る必要はない」


宗厳はあっさりと言った。


「だから儂を呼んだのであろう」


悠真が苦笑する。


「その通りです」


そして改めて姿勢を正した。


「依頼の通り、結界の強化をお願いしたいのですが」


宗厳は頷いた。


「承知した。まず、この寺で結界へ力を流せる者は何人おる?」


老人の視線が悠真へ向く。


「私と静子先生、それに巌先生と一成先生も、ある程度は力を提供できると思います」


悠真は指を折りながら答えた。宗厳は黙って頷く。


「生徒では千春、智樹、拓也。それに康太、悟、香月も親和性は高いと思います」


少し考える。


「ほかの生徒も、保護者の方々も、多少なら協力できるかもしれません」


「ふむ」


宗厳は小さく頷いた。


「十分じゃな」


由里子が手帳を開き、何かを書き留める。


「では明日の朝から始める。」


宗厳は御神木を見上げた。


「実際に力を流してもらいながら見ていこう」


悠真が頭を下げる。


「よろしくお願いします」



夕食の時間。食堂に全員が集まっていた。今日から数日の間、宗厳たち三人も寺に滞在することになっている。いつもより少し賑やかな食卓だった。悠真が立ち上がる。


「皆さんもご存知の通り、先日の襲撃で寺の結界が破られました。一旦修復しましたが、結界の強化は最重要課題です」


場が静かになる。


「そこで今回、柳沢先生にお願いして、結界強化の指揮を取っていただくことになりました」


宗厳が無言で頷く。


「結界の強化には多くの力が必要になります」


悠真は皆を見渡した。


「先生方はもちろん、生徒たちにも協力してもらいます」


香月たちが顔を上げる。


「また、力の大小は関係ありません。少しでも力を流せそうな方は、ぜひ協力をお願いします」


陽奈が真剣な顔で頷いた。


「分かりました」


隆之も続く。


「俺にできることがあるなら協力します」


沙耶香も小さく頭を下げる。


「私も」


悠真が微笑んだ。


「ありがとうございます」


そして手を合わせる。


「それでは頂きましょう」


「いただきます」


声が重なる。


並んでいるのは季節野菜の天ぷら、煮物、川魚の塩焼き、味噌汁、ご飯。小鉢も多く、いつもより豪華な夕食だった。


「おっ」


清志が目を輝かせる。


「うまそうじゃん」


由里子が即座に反応した。


「清志さん」


「いや、だってさ」


清志は悪びれた様子もない。


「寺って聞いたから、もっと質素なのを想像してたんだよ」


「失礼ですよ」


「え?」


清志は首を傾げる。


「だって本当のことじゃん」


一成が吹き出した。


「ははは。まあ、初めて来た人はよく言うな」


「ほら見ろ」


「そういうことではありません」


由里子がぴしゃりと言う。食卓に小さな笑いが広がった。先ほどまでの張り詰めた空気が少しだけ和らぐ。


「では改めて自己紹介をしましょうか」


静子が言った。


順番に名前と出身地、能力を話していく。やがて香月の番になる。


「白川香月です。白虎の里出身です。能力はまだよく分からないのですが、結界関係みたいです。祖父が結界師ですし。」


宗厳の箸が止まった。


「白川?」


老人の目が香月へ向く。


「白川勲の縁者か」


香月は思わず目を見開いた。


「祖父です。ご存じなのですか?」


宗厳は小さく頷く。


「ああ。昔少しあってな。なるほど、そうか。白川んとこのか」


それだけ言って再び箸を取る。


香月は少し気になったが、それ以上は聞かなかった。やがて沙耶香の番が回ってくる。


「渡辺沙耶香です。大国主大神の系譜になります。能力と言っても、大したことなくて。妹の千春ほどではありません」


おずおずと尋ねる。


「私なんかでも、お役に立てるのでしょうか」


少し不安そうな声だった。宗厳はしばらく沙耶香を見た。


「実際に、何が出来るのじゃ?」


沙耶香は苦笑する。


「少しだけ治癒術が使えるくらいで、それと……」


少し迷ってから続けた。


「兎の精霊と契約しています」


宗厳の目がわずかに細くなる。


「白兎か」


「はい」


「それは、興味深いのう」


そこへ清志が身を乗り出した。


「へえ、兎?面白いね。戦えるの?」


由里子が即座に睨む。


「清志さん、不謹慎ですよ」


「いや、純粋な疑問」


再び笑いが起きる。宗厳は小さく首を振った。


「派手な力があればいい、というもんではない」


沙耶香が顔を上げる。


「火には火の役目がある。水には水、風には風、土には土」


老人はゆっくりと食卓を見渡した。


由里子が補足する。


「陰陽道や五行思想でも同じ考え方ですね」


宗厳が頷く。


「異なる力がお互いを高め合い、調和してこそ強固な結界となる」


そして沙耶香の方を向いて続ける。


「お嬢さんの力が必要になるかどうかは、やってみなければ分からん」


「分かりました。ありがとうございます。」


沙耶香の表情が少しだけ明るくなった。


その様子を見ながら、香月は宗厳の言葉を反芻していた。異なる力を調和させる。それが強固な結界となる。昔祖父もそんな話をしていたように思う。


明日から始まる結界の強化。自分に何ができるのかはまだ分からない。


けれど、不安だけではなかった。新しい何かが始まろうとしている。そんな予感が、胸の奥で静かに息づいていた。

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