決断
第2章はここで一区切りです。次回から第3章が始まります。舞台も大きく変わり、新たな出会いと試練、そしてこれまで少しずつ張ってきた伏線も動き始めます。引き続きよろしくお願いします。
香月たちが挨拶をして事務所を引き上げようとした、その時だった。
「香月さん」
悠真が呼び止める。
「少しお話があります」
香月は少し首を傾げた。
「私ですか?」
「ええ」
悟は何となく察したように頷く。
「では先に戻っています」
「香月姉ちゃん、また後で」
康太も手を振る。
「うん」
二人を見送った後、悠真は着席を薦めた。香月は悠真の向かいへ腰を下ろした。しばらく沈黙が流れる。やがて悠真が口を開いた。
「香月さんは、この先どうするおつもりですか?」
香月は一瞬答えに詰まった。
「えっと、実は……まだ何も決めていません」
苦笑しながら答える。
「仕事は二週間ほど有給休暇を取ってあります。でも、その後のことは考えていませんでした」
手を頬に当てる。
「正直、いろんなことが一度に起きすぎて」
悠真は静かに頷いた。
「そうでしょうね」
そして少し考えてから続ける。
「ですが、おそらく香月さんが一人で寺の外へ出るのは危険です。東京へ戻ることも、あまりお勧めしません」
香月も頷いた。薄々は気付いていた。
「ですよね」
小さく笑う。
「たぶん当分、元の生活には戻れないんだろうなって」
少し考える。
「仕事も……長く休めば迷惑になりますし。辞めるしかないのかな、と思っています」
言葉にすると妙な実感があった。つい数週間前まで当たり前だった生活が、もう遠いもののように思える。
「そうなるとアパートも引き払った方が良さそうですね……家具付きでしたし、私物もそんなにありませんから。大家さんと会社には、明日連絡しようと思います」
悠真は静かに頷いた。
「それが良いでしょう」
しばらく沈黙が流れる。ふと香月は気になっていたことを思い出した。
「あの、私、食費とか滞在費とか払ってませんよね」
悠真が首を傾げる。
「そんなことは、気にしなくていいですよ」
「なんというか……悪い気がするんです」
香月は苦笑した。
「ずっとお世話になっているのに」
悠真は小さく笑った。
「食事の準備も掃除も手伝ってくださっていますよね。今はそれで十分ですよ」
香月は首を傾げる。
「そんなのでいいんですか?」
「ええ」
悠真は頷いた。
「ここでは皆、自分にできることを探してやっています。最初から役割が決まっているわけではありません」
香月は少し考え込む。
「でも、まだ分からないことだらけなんです。能力のことも、自分に何ができるのかも。これからどうなるのかも」
悠真は穏やかな表情のまま答えた。
「焦る必要はありません。ゆっくり探していけばいいんですよ」
そして少し微笑む。
「それに香月さんは才能があります。今はまだ分からなくても、訓練を重ねればできることは増えていきます。このまま行けば、いずれは結界維持の方も手伝っていただくことになると思います」
香月は曖昧に笑った。才能と言われても、全く実感が湧かない。
ふと視線を動かす。そこで初めて気付いた。悠真の机の上に書類が山積みになっている。帳簿。手紙。役所関係らしい封筒。領収書の束。整理はされているようだが、それでも処理待ちの書類がいくつも積み上がっていた。香月は思わず呟く。
「すごい量ですね」
悠真も机へ目を向けた。
「ああ」
少し困ったように笑う。
「最近いろいろありましたから、なかなか手が回らなくて。こういう仕事ができるのは、今のところ私だけですし」
香月はしばらく書類を見つめた。見慣れた光景だった。会社でも毎日似たような書類を捌いていた。やがて思い切って提案する。
「手伝いましょうか?」
悠真が顔を上げる。
「こういう書類なら、会社でも毎日のように扱っていましたし」
悠真は少し考えた後、頷いた。
「そうですね。少し手伝っていただけると助かります」
そして小さく笑う。
「せっかくのお申し出ですし」
香月も少し笑った。悠真が続ける。
「では、早速ですが明日から宜しくお願いしますね」
「はい」
話はそれでまとまった。
◇
客間へ戻る途中だった。悟と康太が縁側に座って待っていた。
「あ」
康太が立ち上がる。
「何の話だったの?」
香月は少し考えてから答えた。
「しばらく、ここに滞在することになりそう」
康太の顔がぱっと明るくなる。
「よかった!」
その反応に香月の顔が綻んだ。一方で悟は少し申し訳なさそうな顔をした。
「巻き込んでしまって、本当にすみません」
香月は首を振る。
「今さらですよ」
三人で小さく笑う。先のことはまだ分からない。不安が消えたわけではなかった。それでも香月は思う。
今は自分にできることをやろう。その一つ一つの積み重ねが、未来へと繋がっていくはずだから。
山の向こうでは、すっかり日が落ちていた。




