思わぬ援軍
遠くで響いた犬の遠吠えは一つではなかった。山のあちこちから次々と応えるように声が返ってくる。敵も味方も思わず動きを止めた。
森の奥で草木が揺れる。次の瞬間だった。犬の群れが飛び出してきた。白い犬、黒褐色の犬、人の腰ほどもある大型犬もいる。毛色も大きさも様々だが、どれも狩猟犬らしい精悍な体つきをしていた。犬たちは迷うことなく敵の進路へ回り込み、一斉に吠えた。その後ろから10人ほどの男女が姿を現す。普段から山仕事や狩猟に従事しているのだろう。動きに無駄がない。
先頭にいた男が悠真に話しかける。
「騒々しいと思って来てみれば」
男は肩越しに犬たちを見る。
「こいつらが落ち着かなくてな。様子を見に来たらこのザマだ」
男は周囲を見回した。
「どうやら取り込み中みたいだな」
悠真は小さく笑った。
「お久しぶりです」
「助っ人はいるか?」
「助かります」
悠真は頷く。
「詳しい話は後で」
男は犬たちへ軽く手を振った。
「聞いたな」
その声だけで十分だった。犬たちが一斉に動く。敵の前へ回り込み、退路を塞ぐ。狼の里の者たちも続く。まるで狩りだった。敵を包囲し、孤立させ、一人ずつ無力化していく。戦況は一気にひっくり返った。
敵術者も圧倒的に不利に陥ったのを理解したらしい。静かに周囲を見回す。
「撤収です」
男が言った。
「作戦を中止します」
敵の動きが変わる。
残っていた者たちが次々と後退を始めた。一成が問いかけるような視線を悠真へ向ける。だが悠真が首を振った。
「深追いはしません」
「了解」
一成も頷いた。
静子はその間も綻びの修復を続けていた。敵術者の干渉が消える。乱れていた流れが少しずつ整い始める。やがて綻びが完全に閉じた。静子はようやく息を吐く。
終わった。
◇
「ありがとうございました」
悠真が頭を下げる。
「助かりました」
狼の里の男は肩をすくめた。
「勘違いするな」
そう言って周囲の森を見回す。
「うちのシマで騒ぎを起こしてる連中がいたから片付けただけだ」
「別にお前たちを助けに来たわけじゃない」
悠真は苦笑した。
「それでも借りが一つできましたね」
男も笑う。
「覚えとけよ」
「そのうち返してもらうからな」
散っていた犬たちが主人の周囲へ戻ってくる。男は軽く手を挙げた。
「じゃあな」
狼の里の者たちは森の中へ溶け込むように消えていった。
◇
「悠真先生」
一成が呼ぶ。
倒れていた男の一人が目を覚ましかけていた。一成がその男の前にしゃがみ込む。男の目がトロンとする。一成の幻術の効果だ。
「この襲撃の目的はなんですか?」
一成が聞く。意識がはっきりしないまま男が呟く。
「蛇の子供を、確保してこいと……」
悠真と巌が顔を見合わせた。
「誰に命令されたんですか?」
一成が尋ねる。だが男は首を振った。
「詳しくは知らない……」
そこで男の目に焦点が戻る。一瞬だけ表情が変わった。このままではまずいと悟ったようだ。男は体を起こすと、そのまま森の中へ走り去る。
さあ引き上げようと踵を返すと、木々の間から二人の男女が姿を現した。どちらもきっちりとした実用的な服装だ。年配の男と、三十代ほどの女性だった。二人は周囲の状況を見る。倒れた木々。戦闘の痕跡。そして悠真たち。男が歩み寄ってきた。
「失礼」
落ち着いた声だった。
「ここで何があったんですか?」
悠真は相手を観察する。現地の警察ではない。だが似た種類の空気を纏っていた。
「寺が襲撃されそうになりまして」
悠真は答えた。
「応戦していました」
男の眉がわずかに動く。
「寺?」
隣の女性も周囲を見回した。
「こんなところにお寺があるんですか?」
悠真は少しだけ微笑む。
「ええ」
男は頷いた。
「実は我々も、この辺りを調べていたんです。東京で起きたある事件の関係者を追っていましてね」
悠真の表情は変わらない。だが視線だけが鋭くなる。男は続けた。
「駅までは追跡できました。ですが、この周辺で足取りが消えてしまった」
「その関係者に会って、どうするつもりなのですか?」
悠真が聞く。
「お話を聞きたいだけです。今の時点で、どうこうするつもりはありません」
悠真は少し考えた。このまま周辺を嗅ぎ回られる方が面倒かもしれない。それにこちらの事情も伝えた方が良い方に転ぶ可能性もある。どのみち政府の上層部は寺の存在を黙認している。
男は改めて名乗った。
「政府直轄特殊捜査官の鈴木といいます。こちらは相棒の山岡です。よろしければ事情をお聞きしたいのですが」
しばらく沈黙が流れる。やがて悠真は頷いた。
「分かりました」
そして山の奥へ続く道へ目を向ける。
「では寺までご案内しましょう」
鈴木と山岡が顔を見合わせた。悠真は静かに歩き出す。二人もその後に続いた。
少なくとも当面の危機は去った。だが問題は何一つ解決していない。




