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幻獣の絆  作者: 斎佳奈
山寺編
24/31

束の間の平穏

寺へ来てから一週間ほどが過ぎた。


最初は慌ただしく過ぎていった毎日も、少しずつ決まった日課に落ち着いてきている。


朝は瞑想と朝食。午前中はそれぞれの授業。昼食。午後も訓練や実習。夕方には掃除や手伝い。夜は皆で食事をして、それぞれの時間を過ごす。


香月も少しずつ、その生活に馴染み始めていた。


「では、もう一度やってみましょう」


静子の声が響く。


香月は向かい合わせた両手へ意識を集中した。まず、お腹の奥にある力を意識する。そこから右手へ動かす。右手から左手へ流すイメージをする。そしてその流れを保つ。


静子に教わった通り、流れを途切れさせないようにする。神経が研ぎ澄まされる。思った以上に疲れる。


最初の頃はうまく感覚が掴めなかった。けれど最近は違う。両手の間に確かな何かがある気がする。


見えるわけでも、触れるわけでもない。それでも、そこだけ空気が静かに張り詰めているような感覚があった。集中していると、時折そこに淡い光が見えた気さえした。もちろん気のせいかもしれない。けれど、何も感じなかった頃とは確かに違う。


「どうですか?」


静子が尋ねる。


「少しだけ感覚が分かるようになってきたと思います」


香月は正直に答えた。


「前よりは」


静子は微笑む。


「順調ですよ」


「そうなんですか?」


「ええ」


静子は頷いた。


「普通はもう少し時間がかかるんですけどね」


香月は首を傾げた。だが静子はそれ以上何も言わなかった。代わりに千春の方を見る。


「千春ちゃんも続けて下さい」


「はい」


千春が真剣な顔で頷く。香月も再び意識を集中した。


まだ分からないことだらけだ。それでも少しずつ前へ進んでいる気はしていた。



午後。


授業が終わり、香月は中庭を歩いていた。


洗濯物を取り込んでいる沙耶香の姿が目に入る。


「お疲れ様です」


「ありがとうございます」


沙耶香が笑う。


「今日は良い天気だったので」


香月も空を見上げた。雲一つない青空だった。


ふと気になっていたことを思い出す。


「そういえば」


「はい?」


「沙耶香さんたちは、いつ頃からこのお寺にいるんですか?」


沙耶香は少し考えた。


「一年ちょっと前ですね」


「そんなに長く?」


「ちょうど高校を卒業した頃です」


香月は少し驚いた。


もっと最近だと思っていた。


「本当は短大へ進学する予定だったんですけど」


沙耶香は苦笑した。


「千春のことがあったので」


香月は静かに続きを待つ。


「千春、昔から怪我をした動物を放っておけない子だったんです」


どこか懐かしそうな口調だった。


「怪我をした鳥とか猫とか見つけると、すぐ助けようとして」


香月は何となく想像できた。確かに千春らしい。


「ある日、瀕死の小鳥を見つけたんです」


沙耶香は続ける。


「それで、力を使っているところを近所の子供に見られてしまった」


香月は息を呑んだ。


「死にかけていた鳥が急に元気になって飛んでいったら目立ちますよね」


確かにそうだ。


「それから少し騒ぎになってしまって」


沙耶香は苦笑した。


「千春もかなり参ってしまいました」


香月は黙って聞いていた。


「父も母も医者なんです。開業しているので、なかなか仕事を離れられなくて」


少し間を置いて続ける。


「それで両親が、お寺で学ばせようって決めたんです。朱鷺先生とは昔からの知り合いですし。それで私が付き添いで来ることになりました」


沙耶香は少し照れたように笑った。


「一人で行かせるのも、あんまりだったので」


まるで大したことではないように言う。だが高校を卒業したばかりの少女が決めるには、ずいぶん大きな決断だったはずだ。


その時だった。草むらがかさりと揺れた。小さな白い影が飛び出してきた。


「え?」


香月は目を瞬いた。白い兎だった。兎はぴょんと跳ねると、当たり前のように沙耶香の足元へ寄っていく。


「ここって兎を飼ってたんですか?」


香月が尋ねる。沙耶香はくすりと笑った。


「飼っているわけじゃないんです」


そう言って兎を抱き上げる。


「私の精霊です」


「精霊?」


「はい」


白い兎は大人しく抱かれている。不思議と人を警戒する様子もない。


「探し物を見つけてくれたり」


沙耶香が言う。


「危ない人が近くにいると落ち着かなくなったり」


「便利ですね」


香月は素直に感心した。


沙耶香は少し照れたように笑う。


「あと、不思議と運が良くなるんです」


「運?」


「はい」


少し考える。


「説明は難しいんですけど。物事が何となく良い方に転ぶことが多いんですよ」


香月は思わず笑った。


「それは有難いですね」


「ですよね」


沙耶香も笑う。そして腕の中の白兎へ目を落とした。


「抱いてみますか?」


「いいんですか?」


「大丈夫ですよ」


沙耶香がそっと兎を差し出す。香月は恐る恐る受け取った。


思ったより軽かった。羽毛のように柔らかな白い毛並みだった。


白兎は嫌がる様子もなく、大人しく香月の腕の中に収まっていた。


「可愛いですね」


「でしょう?」


沙耶香が嬉しそうに笑う。


その時だった。


道場の方から木刀のぶつかる音が聞こえてきた。


沙耶香がそちらへ目を向けて微笑む。


「少し覗いてみましょうか」


香月も頷いた。



道場では巌が指導をしていた。木刀を構えているのは康太だった。


香月は思わず足を止める。以前なら真っ先に飛び込んでいたはずだ。だが康太は動かない。じっと巌を見ている。


距離を測るように。様子を窺うように。


しばらくして踏み込んだ。


木刀がぶつかる。巌は軽く受け流した。


「今のは悪くねえ」


巌の低い声が響く。康太の顔が少し明るくなる。


「前より良くなってるよな」


横で見ていた悟が拓也へ声を掛けた。


「ああ」


拓也も頷く。


「今はちゃんと相手を見るようになったからね。前はすぐ突っ込んでたし」


康太は少し照れたように頭を掻いた。


「相手の出方を見てから動いた方がいいってことが、最近やっと分かってきたんだ」


巌は腕を組んだまま頷く。


「それでいい」


香月はそんな様子を見ていた。


千春も。康太も。悟も。自分も。皆少しずつ前へ進んでいる。


寺へ来たばかりの頃は余裕などなかった。けれど今は違う。


この場所での日々が、少しずつ当たり前になり始めていた。

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