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幻獣の絆  作者: 斎佳奈
山寺編
22/28

結界の授業

昼食の席は思いのほか賑やかだった。


「熊先生、全然動かなかったよな!まるで岩みたいだ。」


康太が興奮した様子で言う。


「あれには俺も驚いた」


悟も苦笑する。智樹は当たり前のように言った。


「熊先生だから」


「熊先生?」


香月が首を傾げる。


「本当は熊瀬川先生なんだけど」


「長いからみんな熊先生って呼んでる。あと見た目も熊みたいだし、先生も何も言わないし」


「むしろ返事するよね」


千春がさらりと言う。


その瞬間。


「呼んだか」


低い声が聞こえた。全員が振り返る。巌がいつの間にか後ろに立っていた。


一瞬の沈黙。そして食堂に笑いが広がった。


そんな時だった。玄関の方から戸の開く音が聞こえた。


「ただいまー」


香月が顔を上げると、細身の男と、その後ろに中学生くらいの少年が食堂に入ってきた。


「あっ」


陽菜が顔をしかめる。


「帰ってくるんなら先に言ってよ」


「悪い悪い」


男はまるで悪びれた様子もない。


「足りるか分かんないじゃない」


「何とかなるだろ」


「ならないから言ってるのよ」


陽菜は呆れたように立ち上がった。


「しょうがないなあ」


そう言いながら台所へ向かう。沙耶香も慌てて立ち上がった。


「私も手伝います」


香月は何となくその様子を見ていた。怒っているわけではない。少し困っているのだ。だが、それも含めていつものことらしかった。


しばらくして陽菜と沙耶香が戻ってくる。追加された茶碗と味噌汁が並べられた。


そこで悠真が口を開いた。


「この二人は、まだ紹介していませんでしたね」


細身の男へ視線を向ける。


「こちらは杉林一成さん。寺の見回りや情報収集を担当してくれています」


「よろしく」


一成は軽く手を上げた。悠真は続ける。


「こちらは山口拓也君です」


「よろしくお願いします」


拓也は軽く頭を下げた。


「こちらは、先日に話した、中村悟君と康太君です。それと付き添いの白川香月さん。」


香月たちも慌てて会釈を返す。


全員が席についたところで、改めて昼食が始まった。


しばらくは穏やかな時間が流れる。康太は相変わらず勢いよく食べているし、悟はそんな弟を横目で見ながら箸を動かしている。智樹は静かに食事を進め、千春は時折沙耶香と小声で話していた。


食事も終盤に差し掛かった頃、悠真が湯呑みを置く。


「見回り、ご苦労様。どうでしたか?」


その言葉に一成が顔を上げた。


「麓の方で少し気になる動きがありました」


香月は思わず視線を向ける。食卓の空気がわずかに変わった気がした。だが誰も慌てない。


「詳しくは後で」


「分かりました」


悠真は頷く。それだけだった。話題は自然と別の方向へ流れていく。


だが香月は少し気になった。寺へ来てまだ日が浅い。ようやく落ち着ける場所に辿り着いたと思っていた。それだけに、麓で何かあったという言葉が妙に引っ掛かった。


昼食が終わる頃、悠真が立ち上がる。


「午後は班を分けます」


全員の視線が集まった。


「悟君、康太君、拓也君は私について下さい」


三人が頷く。


「香月さん、千春ちゃん、智樹君は静子先生のところ」


「はい」


香月も返事をした。


「では各自準備をして一時に集合してください」


昼食会はそこで解散になった。


それぞれが食器を片付け、自分の用事へ向かっていく。


香月も立ち上がり、ふと昼食中の会話に思いを馳せる。麓で気になる動き。詳しくは後で。


少し迷った末、香月は静子の後を追った。


「静子先生」


「はい」


静子が振り返る。


「さっきの話なんですけど」


香月は少し言葉を選んだ。


「麓で何かあったって言ってましたよね。大丈夫なんですか?」


静子は少しだけ考えた。そして穏やかに微笑む。


「今のところは大丈夫ですよ」


香月は少し肩の力を抜いた。


「もし何かあれば、結界が知らせてくれますから」


静子は続ける。


「見回りも定期的にしていますし、必要ならすぐ対応できます」


「そうなんですか」


「だからあまり心配しなくて大丈夫ですよ」


静子は少し笑った。


「今までだって、ちゃんと対処してきましたから」


その言葉には不思議な安心感があった。


やがて教室の前に着く。そこにはすでに千春と智樹が待っていた。


だが静子は教室の戸を開けなかった。


「今日の授業は外でやりましょう」


そう言って寺の裏手へ向かう。香月たちもその後に続いた。


少し開けた山道を歩く。山鳩がバサっと音を立てて飛び立つ。そよ風が木々を揺らし、葉擦れの音が静かに響いていた。


しばらく進んだところで、静子が足を止めた。周囲を見回す。少し考えるような仕草を見せた後、また歩き出す。


「何かを探しているんですか?」


香月が尋ねた。


「場所です」


「場所?」


「結界を張る場所ですよ」


静子は当然のように答えた。


「土地の流れが良い場所と、そうでない場所があるんです」


さらに少し歩く。やがて二本の大木の前で静子が頷いた。


「この辺が良さそうですね」


「どうやって分かるんですか?」


「慣れれば何となく」


静子は微笑む。


「龍脈にも近いですし」


香月は思わず周囲を見回した。だが特に何も感じない。何の変哲もない森に見える。


「では始めましょうか」


静子はそう言って二本の木へ向かって手を伸ばした。目を閉じる。僅かな風が吹いた。枝葉がざわめく。その瞬間だった。


何かが変わった。


香月は思わず辺りを見回す。見た目は何も変わらない。木も、空も、地面もそのままだ。


だが空気が違う。まるで場そのものが静かに整えられたような感覚があった。


「感じましたか?」


静子が尋ねる。香月は少し迷った。


「何か変わった気はします」


「それで十分ですよ」


静子は微笑んだ。


「今、結界を張りました」


香月は思わず周囲を見回した。だがやはり何も見えない。


「見えないんですね」


「見える人もいますけど」


静子は肩をすくめた。


「基本的には感覚で捉えるものです」


智樹と千春は当然のような顔をしている。どうやら二人には珍しいことではないらしい。静子は結界の中央へ歩いた。


「では問題です」


振り返る。


「この結界には一か所だけ綻びがあります」


香月は首を傾げた。綻び、と言われてもピンとこない。


けれども、数歩歩いた瞬間だった。何となく違和感を覚える。ほんの僅かだ。風の流れが違うような。音の響きが違うような。そんな曖昧な感覚。


香月は思わず足を止めた。


「あれ?」


静子が目を細める。


「どうしました?」


「何か……この辺」


香月は木の根元を指差した。


「少し変な感じがします」


一瞬、静子が目を見開いた。千春も驚いた顔をしている。


「正解です」


静子が言った。香月は思わず目を瞬く。


「え?」


「そこです」


静子が頷く。


「綻びがあります」


香月はもう一度見た。だがやはり何も見えない。漠然と感じるだけだ。


千春がぽつりと言った。


「すごい……」


その声に香月が振り返る。


「そうなの?」


「私、見つけられるようになるまで結構かかったのに」


千春は少しだけ頬を膨らませた。悔しそうにも見える。だが同時に嬉しそうでもあった。


「香月お姉ちゃん、才能あるんだね」


静子も頷く。


「白虎の血が関係しているのかもしれませんね」


そして二人を見る。


「では次です。千春ちゃん、智樹君」


「はい」


「綻びを修復してみましょう」


二人が前へ出る。香月は少し後ろから見学することになった。


千春が両手を結界へ向ける。淡い光が浮かぶ。綻びが少しずつ埋まっていく。


だが。


「少し流しすぎですね」


静子が言った。


千春が慌てて力を弱める。


「もっとゆっくり」


「はい」


今度は智樹だった。とても丁寧で、正確だ。綻びそのものは綺麗に修復されていく。


だが静子は首を横に振った。


「一箇所に集中しすぎています」


智樹が顔を上げる。


「もっと全体的に均一になるように力を流してください」


静子は結界全体を指差した。


「結界は一か所だけ強くても意味がありません」


智樹は真剣な顔で頷く。再び調整を始めた。


香月は二人の様子を見比べた。どちらも上手い。だが先生から見れば、まだ課題があるらしい。


静子はそんな香月を見て微笑んだ。


「治療も結界も同じなんですよ」


「同じ?」


「ええ」


静子は頷く。


「本来あるべき状態へ戻してあげる」


「流れを整える」


「それが基本です」


香月は結界を観察する。そして模擬試合の後の治療を思い出した。確かに似ている気がした。


静子は満足そうに頷く。


「今日はここまでにしましょう」


木々の間を風が吹き抜ける。


張られていた結界が静かにほどけた。


香月はもう一度周囲を見回した。相変わらず何も見えない。


けれども。


来た時とは少しだけ見える景色が変わった気がした。

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