模擬試合
道場の引き戸を開けると、乾いた音が響いていた。
パンッ。パンッ。竹刀と木剣がぶつかり合う音だ。
香月が顔を上げると、道場の中央では康太と智樹が向かい合っていた。
「結局みんな来たんですね」
香月が呆れたように言う。陽菜や沙耶香、それに智樹の父親まで姿を見せていた。
静子は小さく笑う。
「皆さん娯楽に飢えていますから」
「先生もですよね?」
「否定はしません」
さらりと言われて、香月は思わず笑った。
道場の奥には悠真と巌がいる。悟は壁際で腕を組みながら試合を見守っていた。どうやら訓練というより、ちょっとした見世物になっているらしい。
その間にも試合は続いていた。智樹の手にあるのは竹刀。対する康太は木剣だ。
年齢は近い。だが戦い方は対照的だった。智樹は無駄がない。足を止めず、間合いを保ちながら相手を観察している。対する康太は前へ出る。どんどん前へ出ていく。
「とりゃあ!」
木剣が振り下ろされる。だが智樹は半歩だけ身体をずらした。空振り。康太の重心がわずかに前へ崩れる。
その瞬間。
パンッ。
智樹の竹刀が康太の胴を正確に捉えた。
「わあ!」
陽菜が思わず声を上げた。
康太は悔しそうに顔をしかめる。
「もう一回!」
「落ち着けよ」
智樹は冷静だった。再び向かい合う。今度は康太も慎重になる。木剣を構えたまま距離を測る。智樹も動く。互いに隙を探る。
しばらく膠着が続く。そして。
康太が踏み込んだ。速い。先ほどまでとは明らかに違う。木剣が横薙ぎに走る。
智樹は反応した。竹刀を構え、受ける。その瞬間だった。
バキッ。
乾いた音が道場に響いた。
誰も動かない。
折れた竹刀の先端が畳の上を転がった。ころころと音を立てて止まる。
「……」
智樹が呆然と折れた竹刀を見つめている。康太もびっくりした様子だ。二人とも何が起きたのか分かっていない顔だった。
やがて沙耶香がぽつりと言った。
「竹刀って、折れるんですね」
「折れましたね」
静子も頷く。
周囲からどよめきが上がった。
「いや、折れる?」
「木剣で?」
「木剣ですよね」
悠真だけは腕を組んだまま静かに見ていた。
結局、試合そのものは智樹の勝ちだった。技術も経験も智樹の方が上だった。だが最後の一撃だけは、誰の目にも強く印象に残った。
「よし、次」
巌が立ち上がる。その視線が悟へ向いた。
「来い」
悟が小さく息を吐く。
「お願いします」
今度は武器を持たない。体術のみだ。開始と同時に悟が動く。
速い。
一瞬で間合いを詰める。
拳が放たれる。脇腹。肩。胸。連続して打ち込まれる。香月の目には追いきれないほどの速さだった。
だが。巌は動じない。まるで岩だった。
「うわ……」
香月が思わず呟く。確かに当たっている。だが一歩も下がらない。
「やるねえ」
巌が目を細めた。
「効いてるんですか?」
陽菜が聞く。
「効いてますよ。普通の人なら立っていられません」
静子が答える。
「本当に?なんか全然平気そうですけど」
「巌さんは、顔に出しませんから」
どう見ても効いているようには見えなかった。道場にどよめきが広がる。
悟は攻撃を続ける。横へ、低く滑り込み、死角へ。位置を変えながら揺さぶる。判断は速い。動きも鋭い。だが巌は崩れない。
むしろ待っていた。悟が踏み込みすぎた、その瞬間。巌の腕が伸びる。肩を捕らえる。そのまま引き込むように体勢を崩した。
「あっ」
次の瞬間。
ドスン。
悟の身体が畳に転がった。巌は倒れた悟に覆いかぶさるようにして押さえ込んでいた。
「そこまで」
悠真の声が響く。悟は仰向けのまま天井を見上げた。そして苦笑する。
「やっぱり強いですね」
「まだまだだな」
巌はそう言って手を差し出した。悟も笑いながらその手を取る。
全員が集まったところで、悠真が前へ出た。
「では総評です」
その一言で空気が少し引き締まる。
「智樹」
「はい」
「相手を見る目は良いですね。ただ慎重すぎます」
智樹が顔を上げる。
「慎重なのは悪いことではありません。でも、もう少し攻めを意識してもいいでしょう」
「はい」
続いて康太を見る。
「思い切りの良さは長所です」
康太の顔が少し明るくなる。
「ですが、もう少し落ち着いて相手を見ることも覚えましょう」
すぐに肩が落ちた。周囲から和やかな笑いが起こる。
「その勢いを制御できるようになれば、大きな武器になります」
康太は今度こそ真面目に頷いた。
次は悟だった。
「悟君は、判断は速いですね」
「ありがとうございます」
「相手の死角へ回るのも上手い」
悟の表情がほんのわずかに和らいだように見えた。だが悠真は続けた。
「ですが途中から勝負を急ぎました」
悟の表情が引き締まる。
「巌先生がなかなか崩れないからといって、正面から押し切ろうとしてはいけません」
「……はい」
「相手の土俵で戦う必要はないんですよ」
悟は静かに頭を下げた。
最後に巌を見る。
「加減を覚えてください」
「加減したぞ」
即答だった。
「出来てません」
静子。
「全く加減なしでしたね」
陽菜。
「加減してないと思います」
沙耶香。
満場一致だった。
巌だけが納得していない顔をしている。
講評が終わると、静子が手を叩いた。
「では治療です。千春ちゃん、こっちへ」
千春が慌てて前へ出る。
「はい」
智樹の手首。康太の擦り傷。悟の打撲。大きな怪我ではない。だが実践には十分だった。静子が横から指導する。
「焦らなくていいんですよ」
「はい」
「香月さんは、よく見ていてくださいね」
千春の指先に淡い光が集まる。傷がゆっくりと落ち着いていく。香月はその様子をじっと観察した。
「治療も結界も同じです」
静子が言う。
「本来あるべき状態へ戻してあげるんですよ」
香月は小さく頷いた。何となく、しっくりきた。
治療が終わる頃には、道場の空気もすっかり和やかになっていた。悠真が時計を見る。
「三十分後に昼食です」
「お腹すいたー」
真っ先に反応したのは康太だった。
「お前、さっき朝ご飯食べたとこだよな?」
悟が呆れたように言う。
「訓練したから!」
「言い訳になってない」
再び笑いが起きる。香月はその光景を見ながら、ふと肩の力が抜けるのを感じた。
ここには笑いがある。子供たちがいて、それを見守る大人たちがいる。ほんの数日前まで想像もしていなかった場所だった。
だが。
こんな日常も、悪くないかもしれない。
そんなことを思いながら、香月はみんなの後を追った。




