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幻獣の絆  作者: 斎佳奈
山寺編
20/28

最初の授業

朱鷺静子に通されたのは、本堂の奥にある一室だった。畳敷きの簡素な部屋だ。


座布団がいくつか並べられており、誰かの私室というよりは面談や勉強会に使われている場所らしい。


部屋へ入ると、千春がすでに座っていた。


「おはようございます」


香月が頭を下げる。


「おはようございます」


千春もぺこりと頭を下げた。


「どうぞ座ってください」


静子に促され、香月は座布団へ腰を下ろした。どこか落ち着く空気だった。柔らかく、人を安心させるような雰囲気がある。


「さて」


静子が穏やかに口を開いた。


「悠真先生から話は聞いています」


香月は思わず背筋を伸ばした。


「香月さんからは、治癒や結界に近い資質を感じるんです」


「治癒と結界、ですか?」


「ええ」


静子は頷く。


「私や千春ちゃんと同じ系統ですね」


香月は思わず千春を見る。


千春は少し照れたように笑った。


「朱鷺先生の能力って、どんなものなんですか?」


素朴な疑問だった。


「治癒もできますけど、本職は結界ですね」


「結界、ですか」


「ええ。守るための力です」


その言葉は、とてもしっくり来るものだった。


「千春ちゃんは?」


今度は千春へ視線を向ける。静子が微笑んだ。


「千春ちゃんは治癒が得意なんです」


「そうなんですか」


「腕は私より上かもしれません」


千春が慌てて首を振る。


「そんなことないです!」


その反応が年相応で少し微笑ましい。


「まあ、それはさておき」


静子が話を戻した。


「まずは感じてみましょう」


そう言って香月へ手を差し出す。


「両手を貸してください」


香月は少し緊張しながら両手を差し出した。


静子がそっと握る。


温かい。不思議と安心する温もりだった。


「これから少しだけ力を流します」


静かな声が響く。


「どう感じるか教えてくださいね」


香月は目を閉じた。


最初は何も分からなかった。


だが数秒後。右手から何かが入ってきた気がした。温かな何か。それが腕を伝い、肩を通り、胸を抜けていく。ゆっくりと、穏やかに。やがて体の中心へ辿り着く。


「……あ」


思わず声が漏れた。


「何か感じましたか?」


「はい」


香月は戸惑いながら答える。


「体の中を何かが流れていく感じがします」


静子が満足そうに頷いた。


「そのままお腹の辺りに意識を向けてみてください」


香月は感覚を追う。みぞおちの辺、いや、もう少し下だろうか。そこに小さな光があった。柔らかく、温かい。眩しくはないのに、不思議と安心する光。どこか懐かしいような気さえする。


「どうですか?」


「温かいです」


香月はゆっくりと言葉を探した。


「なんだか……優しい感じがします」


静子が微笑む。


「そうですね」


「これが私の力なんですか?」


「ええ。その一部ですね」


静子は静かに頷いた。


「治癒や結界の力は、そういう感覚と近いんです」


香月は再び光へ意識を向ける。確かに攻撃的なものではない。誰かを傷つけるための力には思えなかった。


「人を守りたいとか、誰かを助けたいとか」


穏やかな声だった。


「そういう気持ちが強いほど、この力は強くなります」


香月は少し驚いた。力というものは、生まれつき決まっているものだと思っていたからだ。


「才能とか素質だけじゃないんですね」


「もちろん素質もあります」


静子は優しく笑った。


「でも、それだけではありません」


「……」


「力は心と繋がっています」


香月は再び体の奥の光を感じた。確かに不思議だった。これまで一度も意識したことがなかったのに、今はそこにあると分かる。


「では手を離しますので、その感覚を自分で再現出来るかやってみてください」


しばらく同じことを繰り返した。わずかな光を感じる。意識を向ける。見失う。もう一度探す。結構難しい。


最初は曖昧だった感覚も、少しずつ輪郭を持ち始めていた。


「初めてにしては上出来ですよ」


静子が言った。


「そうなんですか?」


「ええ」


千春も嬉しそうに頷く。


「私なんて最初は全然分からなかったもん」


「そうなの?」


「うん」


千春は少し恥ずかしそうに笑った。


「何回やっても分からなくて、泣きそうになったこともある」


香月は思わず笑ってしまう。なんだか親近感が湧いた。


やがて静子が立ち上がった。


「少し外へ出ましょうか」


三人は部屋を出た。境内には朝の光が降り注いでいる。小鳥が木の枝を飛び回っている。山を渡る風が木々を優しく撫でている。


「力は自分の中だけにあるものではありません」


静子が歩きながら言う。


「周囲との繋がりも大切なんです」


「周囲との繋がり?」


「ええ」


静子は足元を指した。


「少し立ち止まってみてください」


香月は言われた通り立ち止まる。


「足の裏に意識を向けてみましょう」


「足ですか?」


「難しく考えなくて大丈夫ですよ」


静子は穏やかに笑った。


「土を感じてみてください」


香月は目を閉じた。


土。そう言われてもよく分からない。だが、先ほど感じた光を思い出しながら意識を向ける。地面はひんやりしていた。しっかりと身体を支えている。それくらいしか分からない。香月は首を傾げた。


「と言われても、よく分からないです」


静子は小さく笑った。


「そうですね」


少し考えてから続ける。


「では、自分が一本の木だとイメージしてみてください」


「木ですか?」


「ええ」


「足の裏から根が伸びて、地面に張っているところを想像してみるんです」


「その根から養分や水を吸い上げるようなイメージです」


「養分?」


静子は微笑んだ。


「何でもイメージしやすいものでいいんですよ」


「逆に、太陽を思い浮かべても構いません」


静子は木漏れ日の向こうを見上げた。


「暖かな光が降り注いで、自分の中へ入ってくるところを想像してみてください」


目を閉じて自分が木になったイメージを思い浮かべる。大きな枝と、大地にしっかりと張った根。何だか気持ちいい。でもエネルギーと言われるとやっぱりよくわからない。


「ちょっとよくわからないです」


静子は頷いた。


「最初から分かる人なんてほとんどいませんから」


千春も元気よく頷く。


「私も分からなかったよ」


少し安心した。


三人は再び歩き出す。


「風はどうですか?」


静子が尋ねる。


香月は頬を撫でる風を感じた。


「気持ちいいです」


「それも大切な感覚なんですよ」


静子は空を見上げた。


「私たちは常に周囲から影響を受けています」


「空気や風や土もですか?」


「ええ」


静子は頷く。


「結界もそういう力に働きかける技術なんです」


香月は少し驚いた。


「全部、自分の力で作るものだと思っていました」


「もちろん術者の力も必要です」


静子は近くの木へ視線を向けた。


「でも本質的には、流れを整えたり、導いたりするものなんですよ」


香月は周囲を見渡した。山。木々。風。土。今まで何気なく見ていた景色が、少しだけ違って見えた。


「朝の瞑想も、そのためなんですか?」


静子が微笑む。


「ええ」


香月は少し意外だった。朝の瞑想は、もっと禅の精神統一のようなものだと思っていた。


「もちろん心を整える意味もあります」


静子は穏やかに続けた。


「でも厳しいことそのものに意味があるわけではありません」


香月は少し意外に思った。


「力を感じやすくするための訓練でもあるんです。」


「なるほど」


「毎日少しずつ続ければ、もっと自然に感じられるようになりますよ」


気が付けば、ずいぶん長い時間歩いていた。


最初は何も分からなかった。


それでも、ほんの少しだけなら理解できた気がする。少なくとも、自分の中にあの温かな光があることは。


その時だった。


鳥の声と風の音に混じって、遠くから打撃音が聞こえてきた。香月は足を止める。


「あれ?」


千春がそちらへ顔を向けた。


「康太君たちかな」


静子も耳を澄ませる。


「向こうもそろそろ佳境かしら」


香月は思わず音のする方へ視線を向けた。どうやら訓練はまだ続いているらしい。少し気になる。いや、正直かなり気になっていた。


「見に行きますか?」


千春が笑う。香月は小さく頷いた。


三人は連れ立って訓練場の方へ向かった。

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