案内
「とりあえず中へどうぞ」
悠真に促され、三人は中門をくぐった。本堂の脇を抜け、回廊を渡る。
案内されたのは庫裏だった。外観は古いが、きちんと手入れが行き届いている。
玄関で靴を脱いで中へ入ると、木製の廊下を少し歩く。歩くたびに足下で木の廊下がきしりと鳴る。客間に香月たちを座らせると、悠真は「お茶を淹れて来ますね」といって部屋を出ていった。
通された和室は十二畳ほどだろうか。中央には年季の入ったちゃぶ台が置かれ、座布団が並べられている。漆喰の壁はところどころ傷んでいたが、それがかえって寺の歴史を感じさせた。
床の間には古い掛け軸が掛かっている。何か名言が書いてあるのだろうが、達筆すぎて香月には読めなかった。その脇には小さな花入れが置かれ、季節の草花がさりげなく活けられていた。
派手さはない。けれど不思議と落ち着く空間だった。
悠真が手にお盆を乗せて戻ってくる。
「どうぞ」
湯飲みを並べる。立ち上る湯気とともに、香ばしい香りが一気に広がった。
香月が一口飲む。
「おいしい……」
思わず声が漏れる。
「ほうじ茶です」
悠真が微笑む。
「ここでは一番よく飲まれているお茶なんですよ」
「こちらもどうぞ。近所のお店からいただいたものです」
悠真が小皿を差し出した。湯飲みの横には、小ぶりの饅頭が添えられている。
「酒まんじゅうです」
「酒?」
康太が首を傾げた。
「お酒が入ってるの?」
「生地を発酵させる時に使うんですよ」
「変な味しない?」
ずいぶん率直な質問だった。悠真は苦笑する。
「その質問、よく聞きます」
香月も饅頭を手に取った。
「甘酒みたいな感じなんですか?」
「そこまで強くはありません」
まず香月が一口かじる。ふわりとした生地の甘みが広がった。その奥に、ほんのり酒の香りが残る。
「あ、美味しい」
思わず声が漏れる。
「お酒の味っていうより、香りですね」
「そうなんです」
悠真が頷いた。
「言われなければ分からないかもしれません」
康太も恐る恐る口に運ぶ。しばらくもぐもぐと咀嚼していたが、やがて少し意外そうな顔をした。
「けっこう普通の饅頭、という感じだね」
「そうだね」
香月も頷く。悠真は肩を落とした。
「もっと他に感想はありませんか」
「おいしいですよ?」
「なら良かったです」
部屋に小さな笑いが広がった。
「ところで」
香月は持っていた紙袋を差し出した。
「お土産に、と思って」
「これは?」
「お漬物です。たいしたものじゃないんですけど」
悠真は少し目を丸くした。
「ありがとうございます」
包みを見て、ふと首を傾げる。
「京都のお店ですね」
「分かるんですか?」
「ええ。有名なお店ですから」
香月は少し照れた。
「祖父が好きなんです。お茶とか漬物とか。わざわざ京都の老舗から取り寄せたりして」
「京都の方なんですか?」
「いえ、市内じゃなくてもっと北です」
「北……」
悠真が少し考える。そして何かに気付いたように顔を上げた。
「もしかして白虎の里の?」
今度は香月が驚く番だった。
「ご存じなんですか?」
「もちろんです」
悠真は笑った。
「こちらの界隈では有名ですよ」
香月は何だか不思議な気分になった。自分にとっては何か突出したものがあるわけでもない、ぼんやりした故郷に過ぎない。けれど外から見れば、それなりに名の通った場所らしい。
悠真は湯飲みを置いた。
「さて」
穏やかな表情のまま言う。
「今後のことをお話ししましょうか」
康太が身を乗り出した。悟が居住まいを正す。
「まず、ここは表向きは普通のお寺です」
そう言って窓の外へ視線を向ける。
「ですが実際には、力の制御を学ぶ場所でもあります」
「制御?」
康太が聞き返した。
「はい。先祖返りなどで強い力が発現した子供たちを預かり、使い方を教えています」
「学校みたいなものですか?」
香月が尋ねる。
悠真は少し考えた。
「学校というより、訓練所ですね」
「今は何人くらいいるんですか?」
「子供は三人です」
悠真は指を折った。
「十三歳の男の子と、十一歳の女の子。それから九歳の男の子」
康太が顔を上げる。
「他にもいるの?」
「親御さんや兄弟が滞在している方もいます」
「家族も?」
「できるだけ一緒に来てもらっています」
悠真は頷いた。
「いきなり家族と離されるのは辛いですから」
康太の表情が少し和らぐ。悟も静かに耳を傾けていた。
「先生は何人いるんですか?」
香月が聞く。
「私を含めて四人です」
「四人で全員を?」
「力の相性がありますから」
悠真は説明する。
「なるべく一対一で教えています。暴走した力を止めるのは大変ですし、他の子への被害も避けなければなりません」
「訓練はここで?」
「基礎はここで。実践は山ですね」
そう言って窓の外を見た。
「幸い、訓練に使える場所はいくらでもあります」
康太が少し考え込む。そして気になっていたことを口にした。
「その子たち、今ここにいるの?」
「ああ」
悠真は微笑んだ。
「たいていは訓練に出ています」
「じゃあ会えない?」
「夕方には戻りますよ」
康太の顔が少し明るくなる。
「晩ご飯の時に紹介しましょう」
「うん」
「康太君には、しばらくここで生活して、私と訓練してもらいます。悟君と香月さんについては、おいおい考えていきましょう」
悠真は立ち上がった。
「では、ひとまず境内を案内しますね」
◇ ◇ ◇
庫裏を出ると、柔らかな風が吹き抜けた。境内は思っていたよりずっと広い。
本堂の周囲にはいくつか建物があり、それらを回廊がゆるやかに繋いでいる。
丸く刈り込まれた低木。苔むした鐘楼。石畳の隙間から伸びる草。
どれも派手ではない。
けれど長い時間をかけて育まれた落ち着きがあった。
「春になると綺麗なんですよ」
悠真が一本の木を指差す。しだれ桜だった。今は葉だけを茂らせている。
「満開になると境内が華やぎます」
香月は思わず見上げた。きっと綺麗なのだろう。里の桜も、満開の時はそれは見事だった。
その時だった。
ガンッ。
木がぶつかる音が響いた。
さらにもう一度。
ガンッ。
「訓練中ですね」
悠真は音のする方へ歩いていく。道場だった。
引き戸を開ける。中では少年が木剣を振っていた。相手をしているのは、がっしりとした体格の男だ。二人とも汗だくだった。男がこちらに気付く。
「おーい」
木剣を肩に担ぎながら声を上げた。
「一旦休憩だ」
少年も振り返る。
「新入りですか?」
「そうですよ」
悠真が答える。
男は近づいてきた。
「話は聞いている」
低く落ち着いた声だった。
「康太君と悟君だな」
二人が頷く。
「俺は巌だ」
親指で後ろを指す。
「こっちは智樹」
「よろしく」
智樹が軽く手を上げた。康太より少し年上に見える。
「そちらは?」
巌が香月を見る。
「香月と申します」
「よろしくお願いします」
巌は頷いた。
「よろしく」
智樹は康太を見る。
「お前、新しく来た子か?」
「うん」
「そっか」
意外とあっさりした反応だった。
「よろしくな」
「うん」
康太も少し笑う。
悠真が手を叩いた。
「訓練の邪魔をするのも悪いですし、この辺で」
「おう」
巌は再び木剣を肩に担いだ。
「また晩飯の時にな」
◇ ◇ ◇
「残りは夕方にでも」
悠真はそう言いながら回廊を歩く。
「今は皆出払っていますから」
やがて客間の並ぶ建物へ到着した。
「悟君と康太君はこちら」
隣の部屋を示す。
「香月さんはこちらです」
回廊を挟んだ反対側だった。
「男女で分けているんですか?」
「基本的には」
悠真が頷く。
「ただし家族の場合は同室です」
部屋は質素だった。だが清潔で、障子の向こう側には山の緑が見える。
「掃除や食事の準備は皆で協力して行っています」
「ご飯は何時ですか?」
香月が聞く。
「五時です」
「え?」
思わず聞き返した。
「早いですね」
「四時から準備を始めますので」
悠真は平然としている。
「ちなみに八時消灯です」
「八時?」
今度は康太も声を上げた。
「朝五時起床ですから」
香月と康太は顔を見合わせる。
「ものすごく早いですね……」
「慣れると気持ちいいですよ」
悠真は笑う。
「朝の空気は澄んでいますし、瞑想にも向いています」
香月は曖昧に頷いた。
瞑想。訓練。朝五時起床。夜八時消灯。どう考えても、自分がこれまで送ってきた生活とはかけ離れていた。
康太も同じことを思ったらしい。少し不安そうな顔をしている。自分も似たような顔をしているかもしれない。
本当にやっていけるのだろうか。
香月は窓の外の山を見つめた。寺の鐘が遠くで鳴る。
ほんの数日前まで、こんな未来は想像もしていなかった。そう思うと、少しだけ気が遠くなった。




