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幻獣の絆  作者: 斎佳奈
山寺編
17/32

案内

「とりあえず中へどうぞ」


悠真に促され、三人は中門をくぐった。本堂の脇を抜け、回廊を渡る。


案内されたのは庫裏だった。外観は古いが、きちんと手入れが行き届いている。


玄関で靴を脱いで中へ入ると、木製の廊下を少し歩く。歩くたびに足下で木の廊下がきしりと鳴る。客間に香月たちを座らせると、悠真は「お茶を淹れて来ますね」といって部屋を出ていった。


通された和室は十二畳ほどだろうか。中央には年季の入ったちゃぶ台が置かれ、座布団が並べられている。漆喰の壁はところどころ傷んでいたが、それがかえって寺の歴史を感じさせた。


床の間には古い掛け軸が掛かっている。何か名言が書いてあるのだろうが、達筆すぎて香月には読めなかった。その脇には小さな花入れが置かれ、季節の草花がさりげなく活けられていた。


派手さはない。けれど不思議と落ち着く空間だった。


悠真が手にお盆を乗せて戻ってくる。


「どうぞ」


湯飲みを並べる。立ち上る湯気とともに、香ばしい香りが一気に広がった。


香月が一口飲む。


「おいしい……」


思わず声が漏れる。


「ほうじ茶です」


悠真が微笑む。


「ここでは一番よく飲まれているお茶なんですよ」


「こちらもどうぞ。近所のお店からいただいたものです」


悠真が小皿を差し出した。湯飲みの横には、小ぶりの饅頭が添えられている。


「酒まんじゅうです」


「酒?」


康太が首を傾げた。


「お酒が入ってるの?」


「生地を発酵させる時に使うんですよ」


「変な味しない?」


ずいぶん率直な質問だった。悠真は苦笑する。


「その質問、よく聞きます」


香月も饅頭を手に取った。


「甘酒みたいな感じなんですか?」


「そこまで強くはありません」


まず香月が一口かじる。ふわりとした生地の甘みが広がった。その奥に、ほんのり酒の香りが残る。


「あ、美味しい」


思わず声が漏れる。


「お酒の味っていうより、香りですね」


「そうなんです」


悠真が頷いた。


「言われなければ分からないかもしれません」


康太も恐る恐る口に運ぶ。しばらくもぐもぐと咀嚼していたが、やがて少し意外そうな顔をした。


「けっこう普通の饅頭、という感じだね」


「そうだね」


香月も頷く。悠真は肩を落とした。


「もっと他に感想はありませんか」


「おいしいですよ?」


「なら良かったです」


部屋に小さな笑いが広がった。


「ところで」


香月は持っていた紙袋を差し出した。


「お土産に、と思って」


「これは?」


「お漬物です。たいしたものじゃないんですけど」


悠真は少し目を丸くした。


「ありがとうございます」


包みを見て、ふと首を傾げる。


「京都のお店ですね」


「分かるんですか?」


「ええ。有名なお店ですから」


香月は少し照れた。


「祖父が好きなんです。お茶とか漬物とか。わざわざ京都の老舗から取り寄せたりして」


「京都の方なんですか?」


「いえ、市内じゃなくてもっと北です」


「北……」


悠真が少し考える。そして何かに気付いたように顔を上げた。


「もしかして白虎の里の?」


今度は香月が驚く番だった。


「ご存じなんですか?」


「もちろんです」


悠真は笑った。


「こちらの界隈では有名ですよ」


香月は何だか不思議な気分になった。自分にとっては何か突出したものがあるわけでもない、ぼんやりした故郷に過ぎない。けれど外から見れば、それなりに名の通った場所らしい。


悠真は湯飲みを置いた。


「さて」


穏やかな表情のまま言う。


「今後のことをお話ししましょうか」


康太が身を乗り出した。悟が居住まいを正す。


「まず、ここは表向きは普通のお寺です」


そう言って窓の外へ視線を向ける。


「ですが実際には、力の制御を学ぶ場所でもあります」


「制御?」


康太が聞き返した。


「はい。先祖返りなどで強い力が発現した子供たちを預かり、使い方を教えています」


「学校みたいなものですか?」


香月が尋ねる。


悠真は少し考えた。


「学校というより、訓練所ですね」


「今は何人くらいいるんですか?」


「子供は三人です」


悠真は指を折った。


「十三歳の男の子と、十一歳の女の子。それから九歳の男の子」


康太が顔を上げる。


「他にもいるの?」


「親御さんや兄弟が滞在している方もいます」


「家族も?」


「できるだけ一緒に来てもらっています」


悠真は頷いた。


「いきなり家族と離されるのは辛いですから」


康太の表情が少し和らぐ。悟も静かに耳を傾けていた。


「先生は何人いるんですか?」


香月が聞く。


「私を含めて四人です」


「四人で全員を?」


「力の相性がありますから」


悠真は説明する。


「なるべく一対一で教えています。暴走した力を止めるのは大変ですし、他の子への被害も避けなければなりません」


「訓練はここで?」


「基礎はここで。実践は山ですね」


そう言って窓の外を見た。


「幸い、訓練に使える場所はいくらでもあります」


康太が少し考え込む。そして気になっていたことを口にした。


「その子たち、今ここにいるの?」


「ああ」


悠真は微笑んだ。


「たいていは訓練に出ています」


「じゃあ会えない?」


「夕方には戻りますよ」


康太の顔が少し明るくなる。


「晩ご飯の時に紹介しましょう」


「うん」


「康太君には、しばらくここで生活して、私と訓練してもらいます。悟君と香月さんについては、おいおい考えていきましょう」


悠真は立ち上がった。


「では、ひとまず境内を案内しますね」


 ◇ ◇ ◇


庫裏を出ると、柔らかな風が吹き抜けた。境内は思っていたよりずっと広い。


本堂の周囲にはいくつか建物があり、それらを回廊がゆるやかに繋いでいる。


丸く刈り込まれた低木。苔むした鐘楼。石畳の隙間から伸びる草。


どれも派手ではない。


けれど長い時間をかけて育まれた落ち着きがあった。


「春になると綺麗なんですよ」


悠真が一本の木を指差す。しだれ桜だった。今は葉だけを茂らせている。


「満開になると境内が華やぎます」


香月は思わず見上げた。きっと綺麗なのだろう。里の桜も、満開の時はそれは見事だった。


その時だった。


ガンッ。


木がぶつかる音が響いた。


さらにもう一度。


ガンッ。


「訓練中ですね」


悠真は音のする方へ歩いていく。道場だった。


引き戸を開ける。中では少年が木剣を振っていた。相手をしているのは、がっしりとした体格の男だ。二人とも汗だくだった。男がこちらに気付く。


「おーい」


木剣を肩に担ぎながら声を上げた。


「一旦休憩だ」


少年も振り返る。


「新入りですか?」


「そうですよ」


悠真が答える。


男は近づいてきた。


「話は聞いている」


低く落ち着いた声だった。


「康太君と悟君だな」


二人が頷く。


「俺は巌だ」


親指で後ろを指す。


「こっちは智樹」


「よろしく」


智樹が軽く手を上げた。康太より少し年上に見える。


「そちらは?」


巌が香月を見る。


「香月と申します」


「よろしくお願いします」


巌は頷いた。


「よろしく」


智樹は康太を見る。


「お前、新しく来た子か?」


「うん」


「そっか」


意外とあっさりした反応だった。


「よろしくな」


「うん」


康太も少し笑う。


悠真が手を叩いた。


「訓練の邪魔をするのも悪いですし、この辺で」


「おう」


巌は再び木剣を肩に担いだ。


「また晩飯の時にな」


 ◇ ◇ ◇


「残りは夕方にでも」


悠真はそう言いながら回廊を歩く。


「今は皆出払っていますから」


やがて客間の並ぶ建物へ到着した。


「悟君と康太君はこちら」


隣の部屋を示す。


「香月さんはこちらです」


回廊を挟んだ反対側だった。


「男女で分けているんですか?」


「基本的には」


悠真が頷く。


「ただし家族の場合は同室です」


部屋は質素だった。だが清潔で、障子の向こう側には山の緑が見える。


「掃除や食事の準備は皆で協力して行っています」


「ご飯は何時ですか?」


香月が聞く。


「五時です」


「え?」


思わず聞き返した。


「早いですね」


「四時から準備を始めますので」


悠真は平然としている。


「ちなみに八時消灯です」


「八時?」


今度は康太も声を上げた。


「朝五時起床ですから」


香月と康太は顔を見合わせる。


「ものすごく早いですね……」


「慣れると気持ちいいですよ」


悠真は笑う。


「朝の空気は澄んでいますし、瞑想にも向いています」


香月は曖昧に頷いた。


瞑想。訓練。朝五時起床。夜八時消灯。どう考えても、自分がこれまで送ってきた生活とはかけ離れていた。


康太も同じことを思ったらしい。少し不安そうな顔をしている。自分も似たような顔をしているかもしれない。


本当にやっていけるのだろうか。


香月は窓の外の山を見つめた。寺の鐘が遠くで鳴る。


ほんの数日前まで、こんな未来は想像もしていなかった。そう思うと、少しだけ気が遠くなった。

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