表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
幻獣の絆  作者: 斎佳奈
山寺編
16/28

山寺

ホームに降り立った瞬間、香月は小さく目を見開いた。


「あ」


思わず声が漏れる。空気が違う。都心では当たり前だった騒音、雑踏、埃っぽさ、排気ガスの匂い。ビルの谷間にこもる熱気。それらがごっそり消えていた。


代わりに鼻をくすぐったのは、湿った土と木々の香りだった。肺いっぱいに吸い込んだ空気はひんやりとしていて、気持ちがいい。


見上げれば、駅の向こうに山が迫っている。濃い緑が幾重にも重なり、その隙間を白い雲がゆっくりと流れていた。東山魁夷の描く神秘的な風景を思わせた。


「どうしました?」


先を歩いていた悟が振り返る。


「あ、いえ」


香月は小さく首を振った。どこか懐かしいと思った。子供の頃、母や義父に連れられて歩いた北の山々。杉林の続く、石や木の根が顔を出す山道。かすかな沢のさざめき。時折聞こえる鳥の声。木々の隙間から幾筋にも分かれて差し込む光。


景色はまるで違う。けれど、山が持つ静けさだけはどこか共通していた。


東京から、そう遠く離れたわけではない。それなのに、まるで別の世界へ足を踏み入れたような気がする。不思議な感覚だった。


「行きましょう」


悟に促され、三人は駅を後にした。


 ◇ ◇ ◇


駅前を離れるにつれ、人の姿は少なくなっていく。小さな商店。古びた民家に混ざって比較的新しく建てられた家もある。やがてそれらも途切れ、道の両側を木々が占めるようになった。


康太はしばらく黙って歩いていたが、不意に口を開いた。


「兄さま」


「うん」


「師匠ってどんな人?」


悟は少しだけ考えた。


「少し変わった人だ」


「変わった人?」


「ああ」


「それ大丈夫なのか?」


「まあ、たぶん」


「たぶんって何だよ」


康太が眉をひそめる。その反応が少しおかしくて、香月は思わず笑った。悟も口元だけで笑う。それを見て、康太はさらに不満そうな顔になった。


「笑うなよ」


「悪い悪い」


全然悪いと思っていない顔だった。少しだけ空気が和らぐ。けれどしばらく歩くと、康太はまた前を向いたまま呟いた。


「僕たち、これからどうなるの?」


今度は誰もすぐには答えなかった。山道を吹き抜ける風の音だけが聞こえる。悟は少しだけ視線を伏せた。


「しばらくは寺に留まることになると思う」


「その後は?」


「正直、分からない」


実直な答えだった。康太は黙る。悟はそんな弟を見て続けた。


「でも」


その声は穏やかだった。


「少なくとも、しばらくは安全だ」


「なんでそんなことが分かるんだよ」


「師匠の結界は最強だから。多分、日本一だ」


康太は何も言わなかった。けれど少しだけ肩の力が抜けたように見えた。


香月は二人の後ろ姿を見つめた。


康太はまだ子供だ。強がっていても、不安がないはずがない。


そして悟も若い。本当は自分だって不安なはずなのに、それを見せない。康太の前では、強い兄の背中を見せようとしている。


香月は胸の奥が少しだけ温かくなるのを感じた。


 ◇ ◇ ◇


参道の入り口を過ぎると、急な山の斜面に沿って長い石段が姿を現した。石はところどころ丸く摩耗しており、長い年月を感じさせる。香月は見上げる。


そしてもう一度見上げる。


「長くないですか?」


「長いですね」


悟は真顔で答えた。


「これ登るのか?」


康太も顔をしかめる。


「登ります」


「帰りたい」


「まだ着いてもいないのに?」


三人は石段を登り始めた。思った以上にきつかった。香月は早々に息が上がる。康太も文句を言いながら登っている。香月の膝裏も軋み始めた。


ふと前を見ると、悟も少しだけ息を切らしていた。まだ本調子ではないはずだ。それでも一切顔に出さないし、足も止めない。香月は苦笑した。最後まで弱音を吐くつもりはないのだろう。


最後の石段を登り切った時には、三人揃って疲れ果てていた。


その先に、寺はあった。古い山門。年季は入っているけれど、丁寧に手入れされた本堂。周囲に点在するいくつかの建物。それらをつなぐ石畳の整然とした通路。寺の裏側には樹齢何百年も経っていそうな大木。山そのものに抱かれるように建つ、大きな寺だった。


思わず香月は息を呑む。


悟はその寺を見上げ、小さく微笑んだ。


「着きました」


中央の大きな建物の前で、箒で軒先を掃いていた背の高い男がこちらに気づく。箒を下ろすとゆっくりとこちらに近づいてきた。


「やあ。よく来たね。私はここの住職で悠真といいます。悟君、久しぶりですね」


「康太君とは初めましてかな」


その表情が少しだけ曇った。


「ご両親には昔お世話になりました」


その声には、わずかに痛ましさが滲んでいた。悠真が香月へと向き直す。


「ところで、こちらのお嬢さんは?」


「こちらは東京で康太を助けてくれた方で、香月さんといいます」


悟が紹介する。


「そうですか。何もないところですが、ゆっくりしていって下さい」


「ありがとうございます。あの、香月です。自分でも、どうしてここにいるのかよく分からないのですが……よろしくお願いします」


「これも何かの巡り合わせです。まずは中に入って話を聞きましょう」

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ