栗饅頭
「一緒に行くのはいいんですけど……」
私はおずおずと述べた。
「一度アパートには戻りたいです」
悟が頷く。
「着替えとか通帳とか、取りに戻りたいですし」
私は少し考え込んだ。
「会社にも連絡しないといけないし……冷蔵庫の中身も結構危ないんですよね」
「冷蔵庫?」
康太が首を傾げる。
「鶏もも肉とか、牛乳とか」
「そっか。それは腐ると嫌だね」
なぜか康太が真面目な顔で頷いた。私は思わず笑ってしまう。
「でしょ?」
悟もわずかに表情を緩めた。
「失礼ですが、ご自宅はどちらですか」
「荻窪駅の近くです」
その言葉に悟は少し考え込む。
「どちらにしても、一人で行くのは危険です」
「え?」
「俺たちも同行します」
鉄斎も頷いた。
「その方がいいだろう」
私に異論はなかった。ここまで来ると、自分でも少し感覚が麻痺してしまっているのが分かる。隠れ里へ行くことには納得できなくても、一人で帰るのは危険だと言われると、それはそうかもしれないと思ってしまう。
「じゃあ決まりだな」
鉄斎が立ち上がる。
「送っていく」
そう言って工房の戸へ向かった。私たちも後に続く。ガラガラと軋んだ音がする。遅朝の光が差し込んだ。商店街は相変わらず閑散としていた。
八百屋のおばちゃんが店先で野菜を並べている。喫茶店のマスターが看板を出している。反物屋の女将が店の前を掃いている。いつもと変わらない光景だった。
だが。鉄斎の足が止まる。
「……待て」
空気が変わった。悟の表情も一瞬で引き締まる。私は思わず周囲を見回した。
「どうしたんですか?」
鉄斎は答えない。代わりに低く呟いた。
「囲まれている」
背筋が冷えた。次の瞬間。鉄斎は懐から小さな金属製の笛を取り出した。甲高い音が商店街に響き渡る。
ピーーーッ!
驚いて耳を押さえる。鉄斎が怒鳴った。
「襲撃だ!」
その声が商店街中に響く。
ほぼ同時だった。路地の奥。商店街の入口。建物の陰。黒服の男たちが姿を現した。十人近い。全員が武器を持っている。私は思わず息を呑んだ。
「嘘でしょ……」
喫茶店の扉が開く。マスターが出てきた。
「やれやれ。朝は苦手なんですよ」
金物屋のおじさんも現れる。
「朝っぱらから騒がしいな」
反物屋の女将も箒を置いた。
「全く。近所迷惑だねえ」
八百屋のおばちゃんは手にしていた大根を店先へ戻す。
「またかい」
またなの?思わずそう聞きそうになった。
鉄斎が叫ぶ。
「おかみ!」
店の奥から返事が飛んできた。
「聞こえてるよ!」
恰幅のいいおばちゃんが暖簾をかき分けて現れる。
「この二人を頼む!」
鉄斎が私と康太を指差した。
「はいはい」
おばちゃんはあっさり頷く。そして。
私の腕を掴んだ。
「え?」
反対側の手で康太も掴む。
「ちょ、ちょっと」
「いいから来な!」
有無を言わせない勢いだった。私たちはそのまま和菓子屋へ引きずり込まれる。戸が閉まる。
その直後だった。外から轟音が響いた。何かが砕ける音。怒号。衝撃音。戦いが始まったのだと分かる。私は思わず立ち上がりかける。だがおばちゃんに肩を押された。
「座りな」
「でも外が」
「戦うのはあっちの仕事」
そう言って湯呑みを置く。さらに皿も置いた。栗饅頭だった。
「食べな」
「いや、今そんな場合じゃ」
「いいんだよ」
おばちゃんは当然のように言った。横を見る。康太はもう食べていた。早い。
「美味しい……」
「だろ?」
おばちゃんが得意げに笑う。私は半ば呆れながら栗饅頭へ楊枝を入れた。一口食べる。
「あ」
思わず声が漏れる。中から大きな栗が顔を出した。想像していたよりずっと大きい。饅頭のほとんどが栗だった。
「大きい……」
「うちの自慢の看板商品だからね」
おばちゃんが胸を張る。その瞬間。外で何かが爆発したような音が響いた。店が揺れる。私は思わず身をすくめる。
だが康太は知らん顔で栗饅頭を食べ続けていた。おばちゃんはお茶を淹れている。まるで何事も無かったかのように。外では怒号と衝撃音が響いているというのに。
それだけで少し安心してしまう自分がいた。




