依頼
しばらく誰も口を開かなかった。悟の話が終わり、工房には静かな沈黙が落ちる。その沈黙を破ったのは鉄斎だった。
「話は終わったか」
そう言うと、作業台の奥へ向かう。しばらくして細長い包みを抱えて戻ってきた。作業台の上へ包みを広げる。
「頼まれていた物だ」
中から現れたのは二振りの短刀だった。どちらも黒い鞘に収められている。派手な装飾はない。だが、ただの刃物ではないことは一目で分かった。
「これが師匠の分」
鉄斎が一本を指差す。
「こっちがお前の分だ」
もう一本を悟の前へ置いた。康太が思わず身を乗り出した。
「わあ……」
目を輝かせていた。
「すごい」
鉄斎の口元がわずかに緩んだ。
「手に取ってみろ」
悟が短刀を手に取る。やがて、静かに鞘を払った。刃が工房の灯りを受けて静かに輝く。その地金には木目のような肌が浮かんでいた。派手さはない。だが熟練の鍛冶師が打ったことは一目で分かる。悟は目を細めた。
「……驚きました」
「何がだ」
「ものすごくしっくりきます」
鉄斎は満足そうに頷く。
「お前に合わせて調整しておいたからな」
悟は短刀をじっくりと見つめる。そして丁寧に鞘へ戻した。
「ありがとうございます」
「うむ」
鉄斎はそう言って腕を組んだ。
「で、これからどうする」
悟も表情を引き締める。
「予定は変わりません」
迷いはなかった。
「これからすぐに、師匠のところへ向かいます」
「荷物は?」
「まとめてあります」
悟は頷いた。
「これ以上東京に留まるのは危険です」
私は黙って聞いていた。確かにそうだろう。襲撃者たちが、いつ再び現れてもおかしくない。
この時はまだ、他人事だと思っていた。
「康太」
悟が弟を見る。
「そろそろ出るか」
「嫌だ」
言葉が止まった。工房が静まり返る。康太は俯いたまま小さく呟く。
「お姉ちゃんと離れるの嫌だ」
悟がびっくりしたように目を瞬かせた。明らかに予想外だったのだろう。康太は元々聞き分けの良い子だ。周囲に反発することも少ない。ましてや、自分の希望をはっきり口にすることなど滅多にない。
「康太……」
「嫌だ」
今度ははっきり言った。
「お姉ちゃんと一緒がいい」
悟は黙り込む。私にも分かった。迷っている。本来なら答えは決まっている。私を巻き込むべきではない。まして出会ってまだ数日しか経っていない相手だ。そんなことは悟自身が一番よく分かっている。
だが――。
両親を亡くしてから塞ぎ込んでいて、食事も睡眠もままならなかった弟。襲撃に遭い、一人で夜を過ごした弟。そんな弟が今、私の隣で安心しきったような顔をしている。悟はその様子を黙って見つめていた。
しばらく葛藤するように視線を落とした後、悟は意を決したように顔を上げた。
「香月さん」
私は思わず背筋を伸ばす。悟は深く頭を下げた。
「こんなことをお願いするのはおかしいと分かっています」
しばらく沈黙が続く。それでも悟は頭を上げなかった。
「ですが……」
声が少しだけ掠れる。
「弟には今、香月さんが必要なんです」
私は何も言えなかった。悟は続ける。
「康太は、両親が亡くなって以来、まともに眠れたことがありませんでした」
「……」
「まともに食事を取れたのも、昨日が久しぶりだったんです」
工房が静まり返る。
「それだけ香月さんは特別なんです」
悟は拳を握り締める。
「無理を承知でお願いします」
再び深く頭を下げた。
「私たちと一緒に師匠のところへ来てもらえないでしょうか」
私は言葉を失う。すると悟は続けた。
「それに」
先ほどより低い声だった。
「香月さんにとっても、もう東京は安全とは言えません」
「えっ?」
私はハッとして顔を上げる。
「昨日、康太と一緒に行動していたところを見られている可能性があります」
悟の目は真剣だった。
「もし香月さんを人質に取られたら、俺たちは何もできなくなる」
鉄斎が静かに頷く。
「連中のことを考えれば、その可能性は否定できん」
再び沈黙が落ちた。全員の視線が私へ向く。私は思わず息を呑んだ。




