三十五、殻に灯る
――ドォオオン!!
身体を襲った衝撃音に、ヴェレは跳ね起きた。
枕元に忍ばせておいた刀を手に、急いで寝室を飛び出す。
廊下へ出ると、同じように武器を持ったハカリと目が合った。
言葉はなく、視線だけを交わすと、二人同時に音の発生源――階下へ転がるように駆け降りた。
「何事ですか!!」
工房は白い靄に包み込まれていた。
奥の方から「失敗した~~~」と呻き声が聞こえてくる。
「ミントさん? これは、一体、」
「悪い。火魂の作業だけでもしておこうかと思ったら、魔力配分間違えちまって」
いって~、と立ち上がったミントの顔は煤で真っ黒になっていた。
それを見たハカリもまた驚愕に目を見開く。
「錬成魔法の衝撃音にはとても思えなかったけど」
「相性が悪い素材を無理やり組ませようってんだから仕方ないよ。だーっくやしいー!!」
ミントはそう言って地団駄を踏むと、避難させていた予備の素材に目を向けた。
最初から上手くいくとは思っていない。
けれど、もしかしたら、という期待と、自分の力を過信していたことも事実。
それ故に悔しさはひとしおだった。
「……やっぱり、錬成魔法で作るべきか、いや、それだと質感が上手くいくかどうか、」
下唇を噛み締めながら、ぶつぶつと試行錯誤を始めたミントに、ヴェレとハカリはどちらからともなく顔を見合わせた。
窓の向こうは、まだ夜の余韻と静けさを引き摺っている。
ふわあ、と欠伸を溢したのはヴェレが先だった。
「二度寝してきます」
「ん? あ、ああ。起こしちまって、悪かったね」
「僕は少し興味があるから、残って見ていてもいいかな?」
「そりゃ構わないけど、」
「では、おやすみなさい」
片手をひらひらと振りながら二階へ戻って行ったヴェレの後ろ姿を見送って、ハカリは手近に転がっていた木製の椅子を拾い上げた。
炉から少し離れた場所に椅子を置いて、腰を下ろす。
喧しいくらいの視線の熱量に、ミントは小さくため息を吐き出した。
「見ていても構わないとは言ったが、そんな熱い視線を送られちゃあ、集中できないよ」
「おっと。これは失敬」
おどけてお辞儀を寄越したハカリだったが、視線の煩わしさは変わらない。
ミントは呆れたように首を横に振ると「何が気になるんだい」と諦めて言葉を投げかけた。
「シトラスくんが織潮を錬成したとき、僕はその手元を――魔法陣を見ることが叶わなかったからね。どんな風に造られるのか興味があって」
「ああ。錬成魔法の術式が知りたかったのか。残念だけど、アタイが今試しているのは生成錬金でね。手法が全然違う。あんたが見たいもんは見られないかもしれないよ?」
「構わないよ。僕は何かが造られる、その工程を見たいだけだから」
「……やっぱり《天秤座》の奴らは変わってるねぇ。こんなところを見て、何が面白いんだか、」
ふう、とミントの唇からため息が溢れた。
ハカリに嫌味が刺さった気配はなく、尚も変わらずにこやかな表情を浮かべてこちらの手元を覗き込んでいる。
「火花が飛んでも知らないからね」
「そんな脅し文句で怯むほど、子どもじゃないのだけれど?」
「子ども相手ならもっと楽だっただろうよ」
今度は流石にちくりと棘が柔肌に食い込んだらしい。
唇をへの字に曲げたハカリが、僅かばかりに椅子ごと後ろへ下がっていった。
この男とこうしてゆっくり会話を交わしたのは初めてだったが、存外扱いやすい性格なのかもしれない。
ふん、と鼻を鳴らして威嚇すると、ミントは再び素材を並べ直した。
先ほど、失敗したのは黒光石を最初に入れたことが原因かもしれない。
一定温度を超えると爆ぜる性質があるこの石は、単体だけでも扱いが難しく、刀鍛冶の間では《夜泣き石》とも呼ばれている曰く付きの素材だ。
それとは逆に《魚座》の髪や海獣の牙は熱に弱いため、全ての素材を均一にするためにも、やはり《殻守》の詠唱が必須だった。
「次は熱に弱いもの同士を先に混ぜてみるか」
「そうすると、どうなるんだい?」
「海の魔力が含まれている分、これら二つは結びつきやすい。ただ、そこに後で黒光石を加えるってなると、正直どうなるか……」
「…………その顔、爆発は避けられないと思った方が良さそうだね」
「まあ、生成錬金に爆発は付きもんだからねぇ」
「分かった。おとなしく遠目に見守ることにするよ」
「おいおい。今更怖気付いたのか? それでも男かいあんた」
「自分の命が可愛いと思うのは男女共通だと思うのだけれど?」
至極真面目な顔をしてそんなことを宣ったハカリに、ミントは面食らった。
次いで「違いない……!」と喉を逸らして笑い声を上げると、炉に掛けたままになっていた火鍋に海の性質を纏った二つの素材を投入した。
ぼふん、と可愛らしい音を立て、煙と共に《魚座》の髪と海獣の牙が泡になって溶けていく。
やはり熱に弱い分、二つの素材が混ざり合うのにそう時間は掛からなかった。
予想していたよりも数倍早く合わさった素材たちを火かき棒で軽く混ぜ合わせ、残った黒光石を細かく砕きながら火鍋へと差し入れる。
まるで胡椒を塗すかのようにゆっくりと上から散らばらせた――次の瞬間。
――ガッシャーン!!
今度は火鍋ごと派手に爆発したかと思うと、砕けた黒光石の破片が弾丸のようにミントとハカリの二人に襲いかかった。
うっかり《殻守》の詠唱を唱える前に投入してしまったのも良くなかった。
びゅん、と肌の上を走った黒光石の破片にミントは思わず「あっづあ!?」と悲鳴を上げる。
「ミントさん!」
「わーってる!! ったく、ちょっと火加減間違ったらこれだ!! だから《夜泣き石》使うの嫌だったんだよ!!」
ミントは声を荒げると両手を勢い良く打ち鳴らした。
「――《花盾》!!」
中に巨大な花弁が舞った。
薄紫の淡い光を纏った透明な花弁が、一枚、また一枚とミントの前に重なっていく。
五枚の花弁が飛び散った欠片を全て受け止めたかと思うと、はらり、と空気中に溶けて見えなくなってしまった。
「…………今度は何を爆発させたんです」
二度寝を邪魔されたヴェレの低い声に、ミントは思わずハカリを見遣った。
余計なことは言うなよ、と圧を掛ければ、彼は何かを心得たかのようにウィンクを返してくる。
「た、ただ少し、炎の勢いが強かっただけだよ、レディ」
「まさかとは思いますが、貴方が何か余計なことをしたんじゃないでしょうね?」
「君に誓ってそれはない」
「……どうだか。全く。これだから、あなたたち二人を残していくのは不安だったんです。寝起きの悪いペパーさんまで飛び起きるなんて余程のことですよ」
ん、と眠気眼を擦りながら、ペパーが短くヴェレの言葉に頷いた。
二人とも手に持っていた武器を収めると、訝しげに眉根を寄せ、工房の中へと入ってきた。
「姉ちゃんが失敗するなんて珍しいね」
ペパーはそう言って、散らばった椅子や道具を拾い集め始める。
妹の言葉に、ミントは何も言い返せなかった。
下唇を強く噛み締め、俯くと「まあね……」と消え入りそうな声で呟いた。
「生成錬金ってそんなに難しいの?」
「…………ああ。アタイがいつも使ってる錬成魔法はどちらかと言うと召喚魔法に近い。素材を贄にして武器を召喚しているようなもんだからね。でも、生成錬金は違う。無から有を生み出すのではなく、有を最良に変換するもの。構築式が違うどころの騒ぎじゃないんだよ」
二度の失敗を経て、ミントの心は暗い海の中を彷徨っているかのように深く沈みかけていた。
こんなことならもっと父の手元をよく観察しているべきだったか、と思っても後の祭りである。
「お主は一人で全部片付けようとするのが悪い癖じゃな」
いつの間にか宙を漂っていたフラーが、目を細めながらミントを見下ろしていた。
柘榴の瞳がミントとペパーの間に積み上げられた素材の残骸を鋭く射抜く。
「確かに《守りの鍛治》は《殻守》を展開しながら行われるものだが、全てを一人で行わなければならないという決まりはない。クベンスとて、弟子と三人がかりで行ったにも関わらず腕を持っていかれたんじゃぞ」
ぐさり、と心臓を刺し貫かれたかのような感覚だった。
一人で成功させたかったのは――見返したかったからだ。
《間の子》にも生成錬金が出来る、ということを示したかった。
「……ミントさん。私の武器に、命を賭ける必要なんてないんですよ。貴女の命を危険に晒してまで、」
「違うんだ、ヴェレ。アタイはアンタの武器を利用しているだけなんだよ。アタイらの証明のために」
「え?」
「アタイらにも出来るってことを見せたかっただけなんだ。でも、結果はこの様さ」
ミントは緩慢な動きで視線を持ち上げると、妹の瞳を真っ直ぐ見据えた。
困惑に染まるペパーの表情に「ははっ」と乾いた笑い声が溢れ落ちる。
「両親が殺されてから、ずっと二人きりで生きてきた。生まれたばかりのペパーを抱いて、あてもなく各地を彷徨いながらね、」
けれど、どこにも自分たちの居場所はなかった。
唯一手を差し伸べてくれたのはエルナト――《天海の槍》だけで。
色んな種族が集まったギルドの中だけが、ミントたちの世界だった。
「世界から嫌われ続けるなら、いっそ生まれなければ良かった。こんな、こんな簡単なことすらも出来ないアタイに、一体何の価値があるって言うんだい……!」
絞り出された声は、怒り、あるいは悲しみに震えていた。
低い唸りを上げながら崩れ落ちそうになったミントの身体を、ペパーがそっと寄り添うように支える。
「ずっと、そんなこと考えてたの?」
「…………」
「姉ちゃん。アタイ、姉ちゃんの妹で良かったっていつも思ってるよ」
ペパーの声も涙に濡れていた。
所在なく彷徨うミントの瞳を、今度はペパーが真っ直ぐ見つめ返す番だった。
「強くて綺麗で、それでいてかっこいい。姉ちゃんはいつだって、アタイの自慢の姉ちゃんだよ。世界に認めてもらえなくたっていいじゃないか。姉ちゃんには姉ちゃんの、アタイにはアタイの。それぞれにしか出来ないことがきっとある。――だから、そういう生き方を一緒に探していこうよ」
妹の言葉に、ミントは初めて彼女の前で涙を流した。
何か返事をしなければ、と思うのに、胸がいっぱいで言葉が上手く紡げない。
心の奥に溜まっていた澱みが、少しずつ、少しずつ解けていくのを感じていた。
「……アタイはさ、」
掠れた声で、ぽつりと溢す。
「ずっと、守る側でいなきゃいけないと思ってたんだよ。姉なんだから、って」
ペパーの肩に置いた手に、僅かに力が籠もる。
「でも、それって結局……。一人で抱え込む言い訳だったのかもしれないね」
フラーが、何も言わずに静かに頷いた。
ヴェレもまた、刀の柄からそっと手を離す。
「次は」
ミントは深く息を吸い、ゆっくりと吐き出した。
「……手を貸してもらってもいいかい?」
一瞬の静寂のあと。
「当たり前じゃん!!」
ペパーが、満面の笑みで答えた。
「《殻守》の詠唱なら、アタイも少し覚えてる。大地の魔力を込めれば、調整も楽になるはずだよ」
「……ありがとう」
炉の火が、再び息を吹き返す。
工房の空気が、ほんの少しだけ、柔らいだ気がした。
「さて、と。せっかく起きたことじゃし、わしも少し手伝ってやろうかの」
「……導師様の手を煩わせるわけには、」
「わしとてお前さんらと同じ《乙女座》じゃぞ? それに手を貸してもらっていいかと聞いたのはお主じゃろうて」
「うっ」
アタイはペパーにだけ言ったつもりなんだけど、と唇を尖らせたミントだったが、次いで考えを改めた。
フラーは初代《乙女座》族長にして結界術のスペシャリストだ。
彼女ならあるいは、綻びがあっても事前に防いでくれるかもしれない。
「…………じゃあ、お願いします」
「ほほ。素直なことは良いことじゃ」
そう言ってぐーっと伸びをすると、フラーは珍しく床に着地してみせた。
「では、あとは皆さんにお任せして、我々は退散致しましょう」
「何を言うか。お主の剣を作ると言うておろう? 最後までそこで座して待て」
フラーの言葉にヴェレはぱちりと瞬きを一つ落とした。
「……お邪魔では?」
「邪魔なのはそこの《天秤座》の視線くらいなもんさね」
ミントがげっそりとした表情で舌を突き出す。
ヴェレは白い目をハカリに向けると、彼の身体を引き摺って、少し離れた――居住区のテーブルまで引き下がった。
「この辺りなら、どうでしょうか?」
「ん。いいね。程よく視線を感じない。そのまま押さえといておくれ」
「分かりました」
酷いよ、レディと泣きつくハカリの頭をひっ叩いて黙らせる。
そして、真剣な面持ちで言葉を交わし始めた三人の乙女座たちに視線を向けた。
「さっきは火入れの順番を変えてみたんだけど、そうすると冷えた魔力に突っ込む形になって爆発した、んだと思う」
「ほう。ならば別々に溶かしてみるのはどうじゃ?」
「別々に?」
「そうして同じ温度になってから混ぜてみれば良い」
フラーの意見に、ミントは目を見張った。
その発想は全く無かったからだ。
順番に火鍋へ投入する方法ばかり考えていた。
一緒にするのではなく、それぞれの適温で溶かし、融合させる。
――有を最良に、とはよく言ったものである。
「……いけるかもしれない。それでやってみよう」
「じゃあ、アタイは黒光石を溶かすね。姉ちゃんはそっちの機嫌を損なうと拙い海の連中を……っとごめんヴェレ! 悪気はないよ!」
「そう言っている時点で嫌味にしか聞こえませんよ」
笑顔を取り戻した姉妹にヴェレもまた微笑みを浮かべる。
やがて、それぞれの準備が済んだのか、フラーの凛とした声が工房の中に響き渡った。
「わしとペパーが詠唱を担当しよう。ミントは素材の魔力が乱れんよう、意識を集中させよ」
「分かった」
「では、いくぞ」
両手を組み、祈りを捧げるかのように詠唱を紡ぎ始める。
「殻よ、我が手を包め
波打つ力を抱き留め
砕ける意志を拒み
交わる性を隔てよ」
フラーが前半部の詠唱を終えると同時に、二つの火鍋がぐつぐつと音を上げ、煮え立った。
それぞれの鍋に手を翳し、魔力が暴発しないようミントが意識を集中させる。
「火は我に従い
鋼は我を傷つけず
ここに在るもの
生まれるその瞬間まで
我が身を盾とし
我が業を守れ――《殻守》」
詠唱を引き継いだペパーの声が、ミントの背を力強く駆け抜けていった。
指先から魔力が溢れ出すのが分かる。
両手の人差し指と中指だけを立てた状態で、ふうと深く息を吐き出した。
「良きかな、良きかな、いざや合わされ!」
パァン、と小気味良い破裂音が響いたかと思うと、二つの火鍋から素材が溶け出た液体が生き物のように唸りを上げた。
自然と引き寄せられ、合わさり、溶け合い、一つとなっていく。
「…………で、出来た!」
ミントの掌の中には一つの刀が握られていた。
海の魔力を解放した時のヴェレを彷彿とさせる、白銀の光を放つ美しい刀だ。
「やったね、姉ちゃん!」
「うむ、見事じゃった」
「ミントさん!!」
わあ、と駆け寄ってきた仲間たちに揉みくちゃにされながら、ミントは天井を仰いだ。
自分にも、生成錬金が出来た喜びに、気を抜けばまた涙が溢れ落ちてしまいそうだった。




