三十四、間に生まれた星
「好きに使うといいぞ」
クベンスに連れられて一行がやってきたのは、里全体を見渡せる高台にある一軒家だった。
一軒家といっても、リゲルの街やマグナブルスのような一般的な木造、石造りの建築物ではない。
大理石をそのまま真四角に切り出しただけの存在に、一同は我が目を疑った。
「……こ、これは、建物と評していいのでしょうか」
「《蟹座》は装飾品に対するこだわりが強い分、衣食住は二の次だからのう。火が入れば良しとさえいう奴もおる」
こやつがそうじゃ、とフラーが苦々しくクベンスを睨みながら言えば、当の本人は惚けた様子で「火が入れば万事解決しますぞ」と呑気に宣っている。
「うわあ! 凄いよ、この建物!」
「こんな綺麗なもの見たことないわ……!!」
大人たちの喧騒を他所に、子ども組――シトラスとリゼリアである――が、探検隊よろしく先に中へと入っていた。
歓声を上げた彼らに釣られて、ヴェレたちも恐る恐る一歩を踏み出す。
外観との温度差で風邪を引いてしまうのではないかと思うほど、煌びやかに飾り立てられた室内に、全員が立ち尽くした。
本当に同じ建物なのか、とミントとペパー姉妹が慌てて外に飛び出す。
そして、数拍の沈黙を経て、瞬きを繰り返しながら戻ってくる。
「……空間魔法でも使ってんのか?」
「そうとしか思えないよねぇ」
姉妹が二人して頷き合うのを尻目に、クベンスがゆったりとした足取りで奥にある鍛冶場へと足を踏み入れた。
使い古され、所々の塗装が剥がれている天鵞絨色の炉が、悠然と人間たちを見つめている。
「材料は後で人をやって持ってこさせよう。道具は好きに使ってくれてかまわん」
「でも、」
「……ミレイユの言うたことは気にするな。アレもお主に宿る鋼の匂いを感じ取った上で、管を巻いておるだけじゃ」
――パァン!
何かが破裂したかのような音が、ミントの背中で弾けた。
今にも折れてしまいそうなほどに頼りのないクベンスの細腕が、彼女の背を打った音だった。
激励にしては、いささか乱暴すぎるそれに、ミントが思わずその場に蹲る。
「だははは!! ではの!! ゆっくり寛いでくれ!!」
快活な笑い声を残し去っていった老人の後ろ姿を送り出したのは、誰からともなく溢された大きなため息だったのは言うまでもない。
◇ ◇ ◇
工房を調べると二階へ続く階段が見つかった。
どうやら住居としての機能もあるらしく、四つの寝室に、外付けの岩風呂まで備わっている。
「衣食住が疎かって言う割に、お風呂まであるなんて凄いね!」
「ええ。驚きました。まさか、個人宅にお風呂があるなんて……リゲルではとても思いつきませんもの……」
リゲルの街で、個人宅に風呂を付けようなどという考えは持てない。
下水処理は勿論、湯を沸かす魔水晶が信じられないほどに高いからだ。
「ギルドの大浴場には及びませんが、交代で入る分にしては十分な広さでしたよ」
久しぶりに入浴できる喜びを隠そうともせず、ヴェレが口角を持ち上げた。
「交代!? あれほどの広さであれば、全員で入っても何の問題も――ぐはっ!!」
冗談か真剣なのかいまいち分からない口調で、ハカリがヴェレの後ろからぬっと姿を見せる。
それに間髪入れず裏拳を叩き込むと、ヴェレは「ミントさんたちの方はどうでした」と風呂についての話題を終わらせてしまった。
「こっちも一通り見て回ってみたが、凄いよ。流石、族長様の工房といったもんさ。仮打ち用の石が黒光石なんだからね」
ミントが鼻息荒く、炉の近くに置かれていた石を全員の前に掲げた。
夜を煮詰めて溶かし込んだような、あるいは影を敷き詰めたような、漆黒の石が炎に照らされ、妖艶な光を醸し出している。
「こっ、黒光石!? 試し打ちに使うなんて正気!? 《蟹座》の人って頭大丈夫!?」
シトラスの悲鳴に、それまで恍惚とした表情を浮かべていたミントも苦笑を返す。
「だよねえ……とても正気とは思えないよ……」
「だから、言うたであろう。武器を造ること以外はてんで何も考えておらんのじゃ。その石とて『いい素材』くらいにしか思うておらんぞ」
「欠片だけで五ノヴァの価値があるのに、勿体ないねぇ」
よしよし、とまるで赤ん坊のように黒光石を大事に抱き抱えるとミントはちら、と炉に視線を向けた。
クベンスが去り際に火を灯していってから半星が経とうとしている。
もう直に、武器を作り出しても問題はない温度まで達することだろう。
胸の奥で燻り始めた職人魂に、ミントはぎりと奥歯を噛み締めた。
「そう言えば、どんな武器を作るのかもう決まったの?」
ミントの胸中を知ってか知らずか、シトラスが放った質問に皆の視線が一斉にミントへ集まった。
興味津々、と隠そうともせずに伝わってくる視線の煩わしさに、ミントがゆっくりと瞼を落とす。
脳裏に蘇ったのは、マグナブルスでシトラスが錬成してみせた閃く織潮の刃だった。
ヴェレの髪から錬成されたそれは、彼女に宿った海の魔力を遺憾せず発揮し、凄まじい威力を放っていた。
「……織潮を元にしなる刀を造ろうか。それなら、アンタの魔法も発動しやすいだろう」
織潮を使ったときの感触を思い出し、ヴェレは静かに頷いた。
錬成したシトラスもまた「ほ、本当に!? 本当に織潮を造ってくれるの!?」とやや興奮気味でミントに詰め寄っている。
「だが、それにはまずヴェレの魔力の波長を知らなくちゃならない。どうせなら、ヴェレにしか扱えない最高の武器に仕上げたいからね」
悪戯が成功した子どもみたいにウィンクを寄越したミントに、ヴェレも笑みを返した。
「喜んで、お手伝いしますとも。私の新しい相棒を造っていただくんですから」
「そうこなくちゃね。それじゃあ、手を出しとくれ」
ヴェレが両掌を仰向けにして、ミントへ差し出す。
ミントはそれに遠慮がちに手を重ねると、静かに瞼を下ろした。
「魔力を流してみてくれるかい?」
「ミントさんに、ですか?」
「ああ」
そんなことをして大丈夫なのか、という疑問がヴェレの頭に浮かんだが、毅然とした口調のまま頷くミントに不安や恐れは見えない。
ヴェレは少し戸惑いながらも、慎重に自身の魔力をミントに向かって集中させた。
「……大体、分かった。もういいよ」
それから数分が経ち、ミントが深呼吸を一つ落とした。
緩慢な動作で瞼を持ち上げたかと思うと、ヴェレの肩越しにフラーへ視線を移す。
「導師――いや《聖導師》様にお尋ねします」
「随分と古い呼び名を知っておるの。それもイリスから教わったのか?」
「はい。星導きの乙女、聖なる道筋を照らす者――《聖導師》の貴女にしか分からないことをお聞きしたい」
「申してみよ」
「あたしにも《蟹座》の固有刻印が使えると思いますか」
各部族が受け継いできた種族の証、そして秘匿の魔法。
それを《間の子》であるミントが使えるのか、どうか。
そんなこと、答えは考えるまでもなく――。
「どこの誰が言い始めたのかは知らんが、そんなもの固有刻印でも何でもない。《魔法》に制限などありはしないのだから」
「つまり?」
「――使えるに決まっておるじゃろ。ヴェレを見てみろ。わしの《龍星》を扱えとったではないか」
「でもあれは刻印だったから、」
食い下がるミントに、フラーは舌打ちを溢した。
ここ百年で魔法の質が下がっているとは思っていたが、それもまた現《乙女座》族長の差金なのだろうか。
同じ《乙女座》であるというのに、魔法の根元から教えなければならない腹立たしさに、年甲斐もなく頬が熱くなるのを止められそうにない。
「刻印は魔法を簡略化した《二式》じゃろ。意味を解して唱える必要がない分、《一式》の詠唱魔法よりもずっと簡単じゃ」
「じゃあ、アタイでも《殻守》を使えるってことだね」
「ああ。だが、あれは防御結界だろう。そんなもの、何に――」
フラーはそこで言葉を区切ると、ミントが何をしようとしてるのかを悟って、目を見開いた。
錬成魔法を使うだけなら防御結界など必要ない。
それが必要となるほど、過酷な錬成魔法は一つ。
「《守りの鍛冶》を行うつもりか」
「他に、何をするつもりに見える?」
「…………じゃが、あれはクベンスでも腕を持っていかれるような危険な魔法じゃぞ」
「族長様は歳も祟ったのだろうさ。……でも、あたしは違う。アタイは、イリスと《蟹座》ネリオの子。魔力調整ならユノーシュカ様にだって劣りはしないよ」
そこに立っているのは《間の子》という蔑称にさっきまで苦しんでいた人物と同一人物には見えなかった。
ニッと真っ白な歯を剥き出して笑うその姿に、在りし日のイリスが重なる。
フラーは無意識のうちに、生唾を飲み込んでいた。
次いで、ゆっくりとその瞳を瞬かせると、ミントに向かって自身の手を差し伸べた。
「ならば、やり遂げてみせよ。――イリスの子、ミント」
「ああ!!」
固い握手を交わした二人のやり取りに、ヴェレは胸が熱くなった。
鏡合わせのように向かい合った二人の横顔を見て、そっと口角を持ち上げる。
「素晴らしい出来を期待していますね」
「ったく、人が感傷に浸っているのにあんたって奴は……。任せなよ。とびっきり似合いの武器を作ってやるさ」
へへっと鼻の下を擦ったミントに、ヴェレもまた微笑みを返すのだった。
◇ ◇ ◇
翌日。
皆がまだ眠りの海を漂っている頃。
ミントは一人だけベッドを抜け出すと、一階にある工房へ勇足で向かった。
昨日、ヴェレから預かった髪の毛と必要な素材を両手いっぱいに抱え、作業台の上へと丁寧に並べていく。
「《電火》」
ミントの声に、炎が炉を照らし出す。
真新しい薪がぱちぱちと弾ける音が、工房の中を優しく包み込んだ。
燻された木の香りが、鼻腔を刺激する。
懐かしい匂いに、ミントは人知れず笑みを溢した。
父が生きていた頃、工房に忍び込んでは武器を錬成しているその背中をよく眺めていたことを思い出したからだ。
「さて、始めるか」
ヴェレたちが起きてくると騒がしくなる。
そうなる前に、神経を使う火魂の作業を済ませておきたかった。
特に今回造る織潮は、素材同士の相性が良くない。
それらに上手く魔力を伝達するには、火魂の作業を念入りにしておく必要がある。
「……苦手なんだよねぇ、これ」
ふう、とため息を一つ吐き出すと、ミントはヴェレの髪、海獣の牙、それから黒光石の三つの素材を、円を描くように配置した。
真ん中に砕いた魔水晶を置き、両手をゆっくりと合わせる。
魔力の騒めきが、ミントの肌を乱暴に撫でていった。
やはり、《魚座》の髪と黒光石の相性が一番悪い。
互いの魔力がぶつかり合って、少しでも流す魔力を間違えれば弾けてしまいそうな、そんな危うさを孕んでいる。
「こういうとき、父さんはどうしてたっけなァ」
一旦、素材の距離を離して、ミントは唸り声を上げた。
彼女が使用する錬成魔法と《蟹座》の生成錬金は、厳密に言うと手法が異なる。
普段ミントが扱っているのは、素材を知り、一つの素材を贄に魔力を流し、武器を生み出す錬成魔法。
だが今回は、《蟹座》の脱皮が肝となる生成錬金を行おうと思っていた。
ミント自身が脱皮できるわけではない。だが、脱皮と同じ原理で武器を造ることはそう難しくはなかった。
まずは魔力の媒介――要となる素材を選ぶ。
織潮を作るなら《魚座》の髪を主体とするところだが、黒光石との相性が悪いため、それはできない。
二つの素材と唯一波長が合う海獣の牙を媒介にするのが一番安全だろう。
「よし」
ミントは海獣の牙を手に取ると、それを炉の中に突っ込んでいた火鍋に放り込んだ。
空焚きしていた鍋肌に触れた途端、海獣の牙がどろりと音を立てて形を崩す。
海の性質が強い海獣は陸の獣よりも火に弱い。
身体から切り離されても尚、その性質は消えず、片腕ほどあった大きさは見る影もなく、白く濁った水へと変貌を遂げた。
「まあ、失敗してもまたヴェレから髪を毟ればいいか」
皆が眠っているのを良いことに、物騒な言葉を口遊む。
次いで、ミントは思い切って《魚座》の髪、黒光石の順に鍋の中へ投入した。
材料が全て溶けきれば、火魂の作業へと素早く移らなければならない。
少しの油断が命取りとなる。
深く息を吸って、ゆっくりと吐き出す。
肺の中の空気を全て入れ替え終わった頃。
まるでミントを待っていたかのように、材料が全て溶け、濃紺の夜を煮詰めて溶かし込んだような液体が火鍋の中を揺蕩っていた。
火鍋用の分厚い軍手を両手に嵌め、鍋を持ち上げる。
型取りの器へと慎重に液体を流し込めば、不自然な揺れに反応した魔力がぱちぱちと閃光を散らした。
「――殻よ。我が手を包め」
低く、静かな詠唱が工房の中に反響する。
ミントの言葉に応えるように、魔力の光が明滅を繰り返す。
荒ぶっていた魔力が、一瞬だけ形を顰めた。
ミントはその隙を見逃さなかった。
鍋を炉の中に戻すと、急いで左手に火かき棒、右手に金槌を持つ。
「火は我に従い、鋼は我を傷付けず」
詠唱を止めれば《守りの鍛治》は発動しない。
だが、鍛治の手も休めることは出来ない。
声と指先、その両方に同じだけの意識を注ぎながら、ミントは歯を食いしばった。
黒光石の重さが、自身の形を取り戻そうと抵抗を始める。
《魚座》の髪に含まれている海の魔力がそれに反発するように、波打った。
「……っ!」
刀になるにはまだまだ緩い液体が、手元で跳ねる。
器の中で、夜が鈍く煌めいた。
「境よ、我が内に在れ」
咄嗟に口を衝いて出たのは、詠唱の続きだった。
今にも破裂しそうだった魔力が、器の周辺にゆっくりと収束していく。
一つの器に収まろうとした液体は、けれどそう簡単にはいかなかった。
白煙が工房を包み込む。
しまった、とミントが呟いたのと同時に、工房を閃光が満たした。




