三十六、脱ぎ去った先に
黄金の光が、瞼を突き刺す。
眠っていたミレイユを起こしたのは、突如として光り始めた大剣の仕業だった。
元許嫁が遺した唯一の遺品に、思わず寝起きなことも忘れて、ベッドから転がり落ちるように大剣へと駆け寄る。
「……何だってんだい、今更」
「――ミレイユ」
窓の外から投げて寄越された声に、ミレイユは息を詰めた。
「親方、どうして、」
「ずっと眠っていたネリオの剣が目を覚ました、ということは、《守りの鍛冶》が成功したのじゃろう」
「…………まさか!?」
脳裏を過ったのは、ネリオと同じ緑髪を宿した《間の子》の姿だった。
慌てて取るものも取らないまま、玄関を飛び出していった弟子を、クベンスが小さく肩を竦める。
「儂は成功すると思っておったよ。何せ、あれはネリオと同じ目をしておったからの」
嬉しそうな顔でそう言ったクベンスの背中を、夜の匂いを纏った潮風がそっと撫でていった。
◇ ◇ ◇
豪快な音と共に開け放たれた扉を、ヴェレたちはポカンと見つめた。
鼻息荒く現れたミレイユは、酷く激昂しているようで、鋭い目つきのままミントの前に立ち塞がる。
一触即発の雰囲気に、ヴェレもまた出来上がったばかりの剣を持って、彼女たちの間へ割って入った。
「……《守りの鍛冶》をやったんだってね」
「あ、ああ」
「出来たのはこれか」
「――!? ちょ、っと、」
ヴェレが止める間もなく、ミレイユは彼女の手から織潮を奪い取った。
それから舐めるような目付きで刀の鞘から剣先までをじっくり検分し始める。
刀身の根本から先まで魔力の澱みが一切感じられない。
それどころか、海と星の魔力が均等に配合され、美しい波紋を浮かべていた。
族長のクベンスの業物に匹敵する――素晴らしい出来栄えである。
「…………あんた、名前は?」
「……ミント」
「そうかい。付いてきな。見せたいもんがある」
ミントの手を強引に引っ掴むと、ミレイユは今来たばかりの道を早足で引き返した。
工房にはまだクベンスが残っていたようで、ミントと二人で現れたミレイユの姿に満面の笑みを浮かべる。
「やはり、お前も《蟹座》の性からは逃れられんの」
「……こうなることを分かっていて、あの依頼書を出したんでしょう?」
「さあ、どうかの?」
クベンスはそう言って戯けると、ミントの前に一歩踏み出した。
突然ミレイユに拉致された彼女の表情は硬く、唇は薄紫色に染まっている。
「そう硬くならずとも良い。ミレイユは、お前さんにこれを見せたかっただけじゃ」
誰の造ったものか分かるかの。
クベンスから手渡された大剣は、極光を宿した白い刃が特徴的なものだった。
血管のように細く幾重にも走る光の筋と、それを覆い隠す鈍い白銀。
魔力を効率良く流動化させるために人間の血管を模しているらしい、その細やかな造りにミントは息を詰めた。
指先から伝わってくる懐かしい魔力の残滓に、自分の意思とは無関係に眦を涙が溢れ落ちていく。
「…………父さん。ネリオの造った剣だ」
「そうじゃ。――お前の父は《殻天の盾》と呼ばれる《蟹座》の星の涙じゃった」
「父さんが、」
「だから、狙われた。《乙女座》のユノシュカに」
ミレイユが歯を食い縛りながら、俯いた。
瞼を閉じれば、今でも昨日のことのように、ネリオが拐われた日のことを思い出す。
『……次の《殻天の盾》はお前だ』
去り際に自分の死を悟った彼はそれだけ言い残して消えてしまった。
けれど、ミレイユは《殻天の盾》にはなれなかった。
ネリオが残した大剣さえも呼び起こせない、そんな自分をずっと責めていた。
だからこそ、彼女が、ミントが里に現れたとき、動揺したのだ。
ネリオと同じ波長の魔力に、同じ色彩を宿した容姿。
まるでネリオが戻ってきたかのような、そんな感覚が胸を引っ掻いて、癇癪を起こした子どものような八つ当たりに走った。
「こんな良いもんを見せられちゃあ、負けを認めるしかないね。……オレの剣はお前さんのものに遠く及ばない」
ミレイユは噛み締めるようにそう溢すと、仕上げを残すだけとなった造りかけの剣をミントの前に差し出した。
剥き身の剣から漏れ出す星と海の魔力、そしてそれらを繋ぎ止めている《極光石》の気配に、思わず恍惚の息が溢れ落ちる。
「……アタイも、黒光石と極光石を使うかで迷った」
工房には黒光石だけではなく、様々な鉱石が準備されていた。
その中でミントが黒光石を選んだのは、偏に父との思い出が詰まった素材だったからに他ならない。
普通の鍛冶師であれば、扱いの難しい《夜泣き石》など絶対に選ばないだろう。
でもミントは違った。
「黒光石はね、ネリオが好きだった素材の一つだよ」
そこの大剣もそうさ、と告げられた言葉に、ミントは目を見開いた。
どう見ても、黒光石の質感を感じられない。
それどころか、真逆――白光を放っているそれに、「嘘だあ」と素直な感想が口を衝いて出る。
「本当さ。なあ、族長殿」
それまで黙って二人のやり取りを見守っていたクベンスが「ぎしゃしゃしゃ」と特徴的な笑い声を上げ、こくりと頷きを返した。
「黒光石は一定の魔力を注ぐことで白く濁る。お前さんの造った剣も、等身が白銀になったであろう?」
「あれは、ヴェレの髪を混ぜたからだとばかり、」
「確かに《魚座》の魔力も影響を及ぼしておるじゃろうが、それだけであの光は出せん。あれは黒光石が魔力を上手く繋いでいるからこそ出せる光じゃ」
クベンスはミレイユとミントの二人を交互に見遣り、満面の笑みを浮かべた。
その意味ありげな表情にミレイユが「げ」と舌を突き出す。
「何じゃ? 人の顔を見て舌を突き出すとは、失礼な奴じゃのう」
「…………その顔をしているときの族長は、大体碌なこと言わないんだよ」
「ほほ。そうさな。《殻天の盾》の導き手になってほしいと言おうと思っていたところじゃが」
「……オレに?」
「他に誰が居る? 儂に次ぐ実力者で、先代とも親しかった鍛冶師が、他にこの里に居るのかえ?」
ネリオの名前を出されると弱い。
「うっ」と唸ったミレイユを、クベンスは見逃さなかった。
「あれの言葉から解放される星巡りがやってきたということだ」
クベンスの言葉に、ミレイユはゆっくりと瞼を閉ざした。
脳裏に蘇った、あの日の――ネリオが最後に残した笑顔に、胸が緩く締め付けられる。
『次の《殻天の盾》はお前だ』
託された願いに応えようと必死にここまでやってきた。
けれど、それはいつしかミレイユの肩に、背中に、重く伸し掛かり、刀鍛冶としての本質を見失わせた。
ミレイユを鼓舞するかのように、またしても大剣の光が明滅を繰り返す。
『――ミレイユ』
俺の娘を頼む、とまるでそう言われているかのような気がした。
「……ったく、どいつもこいつも、面倒ごとばかりオレに押し付けやがって、」
眦を伝った涙を乱暴に拭い、ミレイユはその両目をミントに向けた。
ネリオと同じ、美しい翡翠の髪に、見知らぬ赤が滲んでいる。
「《刻燈》のミレイユ。謹んでそのお役目を引き受けよう」
クベンスの前に、ミレイユが膝を折って傅いた。
弟子の言葉を聞き、クベンスは喉を逸らし、盛大に笑った。
「そうと決まれば、お前さんの工房を拵えんといかんの!! どれ、導師様たちも呼んで盛大に祝うとするか!」
「え、ちょ、待っとくれ! 話が、」
「……諦めな、ミント。こうなったジジ様は誰にも止められないよ」
「ええ……っ!?」
年甲斐もなくきゃっきゃと騒ぎながらミレイユの工房を飛び出して行ったクベンスの背中に、ミレイユの深いため息が吹きかけられるのであった。
◇ ◇ ◇
太陽が岩肌を明るく照らし出す――明け方の騒がしさは更に喧騒を増し、サルティアの街は歓喜に包み込まれていた。
新たな《殻天の盾》の誕生を族長が盛大に発表したからである。
「これでは、里を出るのも一苦労ですねぇ」
新しい武器を装備しながら、ヴェレが苦笑を溢す。
「……悪いねぇ。まさか、ここまでの騒ぎになるとはオレも思っていなくて、」
すっかり疲れた表情――どうやら方々で揉みくちゃにあったらしい――を浮かべたミレイユが、肩を竦めながらに言った。
その隣では、同じようにげっそりしたミントとペパーの二人が身を寄せ合って、座り込んでいる。
「《乙女座》って明かしてからも、こんなに話しかけられたの初めて……」
「《蟹座》の人間怖い」
異口同音で《蟹座》への悪態を吐き出す姉妹に、ヴェレは乾いた笑いを返すことしか出来ない。
「ほれ、しゃきっとしな。見送りに来た意味がないじゃあないか」
「……見送り?」
てっきり一緒に帰るものだとばかり思っていたヴェレは、ミレイユの言葉に片眉を持ち上げた。
「ミレイユさん――師匠から、父さんや族長たちの技を教えてもらえることになったんだ。ユノシュカ様に対抗するためにも、アタイは強くなりたい」
ミントがゆっくりと立ち上がりながら言葉を紡いだ。
柔らかく弧を描いた彼女の眦に、ヴェレも釣られて笑みを浮かべる。
「そうですか……。健闘を祈ります」
「ああ。ありがとう」
「……可笑しなことを。お礼を言うのは私の方です。――新しい武器を造っていただき、ありがとうございます」
穏やかに笑うミント、という初めて見る彼女の表情に気圧されながらも、ヴェレは握手を求めた。
ふ、と口元を緩めたミントが、乾いた音を鳴らし、その手をきつく握りしめる。
「そうだ。すっかり忘れてたよ。――餞別だ。持って行きな」
二人のやり取りを見守っていたミレイユがヴェレに向かって一振りの刀を差し出した。
それは折れてしまっていた愛刀で。
「今度は大丈夫さね。何たって、オレが鍛えて、ミントが魔力を注いだんだからね」
鞘から抜いた刀は、元の色とは程遠く、けれど、確かに同じ温もりがそこにはあった。
手に馴染んだ魔力と、真新しい刃の色が、美しいコントラストを生み出している。
「……また折ったら、アタイが直してやる」
「もう折りませんよ。大切な友人に造っていただいたものなんですから」
「…………うすら寒いこと言うんじゃねえよ。見ろ、この鳥肌を」
「まあ! ひどい!」
二人の笑い声はやがて輪を広げ、気が付けば、その場にいた全員を笑顔にしていた。
「クラレットによろしく」というミントの声に、ヴェレは力強く頷きを返すと、仲間たちと共にサルティアの門を潜った。
憎たらしいほどの快晴が照らす、友の背が小さくなるまで、ミントはじっと見送るのであった。




