三十二、潮騒の迷い子
《蟹座》の里、サルティアは山と海に挟まれた稀有な土地にあった。
《牡牛座》の屈強な戦士たちに始まり、《双子座》の商団や《牡羊座》の旅商人まで様々な種族が里の入り口にずらりと並んでいる。
どこかリゲルの騒々しさを彷彿とさせる人波の最後尾に一行も加わった。
少し休憩を挟んだためか、一番混み合う昼過ぎに到着してしまったらしい。
「少し検問の様子を見てくるよ」
「ええ。お願いします」
ハカリが軽やかな足取りで、先頭の様子を窺いに行った。
その後ろ姿を見送りながら、肌を撫でた生ぬるい潮風に、ヴェレは人知れず頬を緩める。
「……嬉しそうじゃの」
「すみません。思っていたよりも、潮の香りが恋しかったみたいです」
「《歌い手》に選ばれた影響かもしれんのう。以前より、《海の魔力》が増しておる」
「そう、ですか?」
ヴェレの言葉にフラーがこくりと頷きを返した。
列の進み具合は亀の歩みよりも遅く、順番が回ってくるにはまだまだ星の巡りが悪そうだった。
「先ほどの話の続きですが、」
意を決してフラーに話題を振ってみると、紫紺の長い前髪の隙間で二つの柘榴が瞬く。
けれど、ヴェレは臆さなかった。
《間の子》という自身の成り立ちを知った今、これだけは聞いておかねば、と思うことがあったからだ。
「父様は承知の上で、母様と、」
「知っておったはずじゃ。だからこそ、《星送りの儀》を行おうとしていたのだからな」
「どういうことです?」
「アルフェレが《星の声》――神託を授かったことが全ての始まりじゃった」
フラーはそう言って、背後に並ぶシトラスたちに目を向けた。
彼らは後ろに並んでいた魔導書の商人――《双子座》の中年男性と話に花を咲かせており、こちらに気付く様子はない。
今なら、ヴェレと二人だけで、話が出来る。
そう踏んだフラーが、ふうと短く息を漏らした。
「《魚座》の中で男が《歌い手》に選ばれたのはあやつが初めてだった、ということはもう知っておるな」
「え、ええ」
「本来、《歌い手》の役割は星の御子に祝詞を唱え、月の宮に送り返すこと。なればこそ、初代に始まり歴代の《歌い手》は全て女が選出されておった」
「……」
「だが、アルフェレは初代族長シアナに次ぐ、良き《歌い手》だった。それ故に選ばれてしまったのだろう。《星の声》を聞く者としてな」
「《歌い手》には別の役目もあった、ということですか?」
「…………そうじゃな。今、答えられるのはここまでのようじゃ」
フラーの視線の先には、満面の笑みを浮かべたハカリが立っていた。
「ご機嫌じゃのう。列も少し進んだようじゃし、何かあったのか?」
「何やら商団が揉めていたようだったけれど、天秤を見せたら快く道を譲ってくれたんだ」
「それは譲ってもらったのではなく、脅しただけでは?」
「え~? 僕はただ天秤を見せて『連れが後ろで待っているんだけど』と伝えただけだよ? 勘違いしたのは向こうの方さ」
穏やかな口調とは裏腹に、その場にどんな空気が流れたのかは、ハカリの言葉の端々から容易に想像がついた。
天秤を示された商団が、どういう判断を下したのかも、言わずもがなである。
「さあ、行こうか!」
「お一人だけずっと元気で、羨ましい限りです」
「褒め言葉として受け取っておこう」
「お好きにどうぞ」
ヴェレが小さく息を吐く姿に、フラーはどこか楽しげに口元を緩めた。
◇ ◇ ◇
「悪いが《間の子》を里に入れるわけにはいかん」
やっと自分たちの番が回ってきたと喜びも束の間、ヴェレたちは衛兵によって門前で待ったを掛けられてしまった。
衛兵の態度と、後ろに続く行列への焦りから、堪えきれず「どうしてです?」と詰め寄ったヴェレの声は低く、震えていた。
「……気にするな、ヴェレ。アタイらはここで待ってるよ。悪いけど、代わりに依頼書の内容を確認してきてくれ」
「ですが、」
「待て。依頼書だと? 見せてみろ」
ミントとヴェレのやり取りに、衛兵の一人が片眉を持ち上げる。
急に態度を変えた彼を訝しみながらも、ミントはカバンから依頼書と一緒に《牡牛座》族長・レンデルから預かった紹介状を取り出した。
それを引ったくるように奪い取った衛兵に、ヴェレの蟀谷に青筋が浮かぶ。
「流石に今のを見過ごすわけにはいきません」
ヴェレが、書類を読もうとした衛兵の手首をきつく掴んだ。
「いいって、ヴェレ。ここで騒ぎを起こすな。アンタらまで中に入れなくなるよ」
「構いませんよ。《天海の槍》の仲間を侮辱されたんです。そこまでして、この里に入ろうとは思いません……!」
凛とした声がその場を支配した。
喧騒は漣のように穏やかに凪いでいく。
「さっきから何の騒ぎだい。後ろが詰まっているのが見えないのか?」
再び波紋を広げたのは、ヴェレとはまた違った凄みを纏った低い女性の声だった。
ぎくり、と肩を震わせたのはヴェレたちだけではない。
衛兵もまた、聞こえてきた女性の声に口元を引き攣らせた。
「ミ、ミレイユ様」
「《牡牛座》族長の印が入った書類を、アンタが読んでどうするんだい? 寄越しな。オレが直接、族長のところまで案内してやらァ!」
短く髪を切りそろえた女性――ミレイユは衛兵の手から書類を奪うと、ヴェレたちに視線を投げた。
「付いてきな。この時間ならまだジジ様も起きているはずさ」
「は、はい」
「……」
「そこの《乙女座》も、オレの気が変わらないうちに早くしな」
その言葉にミントは慌てて「あ、ああ」と返事をした。
最前席でヴェレたちのやりとりを見ていた仲間たちもそれぞれが身形を整えて、後に続く。
苦虫を噛み潰したかのような顔でヴェレとミントの二人を見送った衛兵の足を、ハカリとシトラスが『うっかり』踏んでしまったのは仕方のないことだった。
「あの、ありがとうございます。助けていただいて、」
「何。気にするな。あいつは少々真面目すぎるきらいでね。里に《乙女座》が立ち入ることをよく思っていないのさ」
ミレイユの背中には、彼女の身の丈とほとんど変わらぬほどの大きな剣が背負われていた。
彼女が歩くたび、金属がぶつかり合うがしゃん、がしゃん、という独特な音が響き、その音に気が付いた人々がミレイユに言葉を投げて寄越す。
「……皆様、あまり驚かれないんですね」
「ん? ああ、こいつか? オレが試し切りに出かけるのは珍しいことじゃないからな」
「試し切り、というと、もしかして職人の方ですか?」
ヴェレの問いに、ミレイユは足を止めた。
街の中央通り――海と山の丁度真ん中に作られた十字路の手前で、ヴェレたちを振り返る。
「《片鋏》のクベンスが弟子の一人。《刻灯》のミレイユたぁ、オレのことさ。覚えといておくれよ? ――《魚座》のヴェレ」
「なっ、どうして、私の名前を?」
「わからいでか。《獅子座》のガキを連れた、双剣の女剣士。トドメに《天海の槍》の名前を臆せず叫ぶたぁ、自己紹介されんでもアンタが誰か里の人間なら皆、想像がつく」
そう言って豪快に笑い飛ばしたかと思うと、ミレイユの目がスッと細められた。
視線が、ヴェレの顔から腰元――双刀の一つを捉える。
「おやまあ、懐かしい。親父殿の打った刀じゃないか。その折れ方は、随分と無茶な使い方をしたねえ」
「刀身も抜いていないのに、折れていると分かるものなんですか?」
「分かるとも。オレの親父――ラルクの打った刀は特に気性が荒い。それにあの人は魔力の込め方も独特だからねぇ。ご覧よ、少しの綻びでこうなるんだ」
ふう、とミレイユがヴェレの刀に向かって息を吹きかけた。
途端にほろほろと刀から星の魔力が溢れ出す。
「刃毀れしているから余計に酷いね」とミレイユが苦笑を溢すのに、ヴェレも釣られて口元を綻ばせた。
「先に刀を預かっといてやるよ。族長の家はこの道をまっすぐ、海の方へ下ると良い」
「――よろしいのですか?」
「ここまで来て、暴れる奴らには見えないからね。訳を聞かれたら、オレの名前を出してくれて構わないよ」
ヴェレの後ろで身を縮ませていたミントたち《乙女座》を値踏みするように眺めると、ミレイユは預かっていた書類をヴェレに返した。
「オレの工房は十字路の山向こう。琥珀色の星灯に照らされているからすぐ分かる。用が済んだら来ると良い」
「あ、ありがとうございます」
「まあ、お代はきっちりといただくけどね?」
「はい! それはもちろん!」
じゃあね、と言い残して、ミレイユが十字路の左側、山間に沿った道へと消えていった。
目まぐるしい展開には随分と慣れたつもりだったが、行き着く暇もなく交わされたやり取りに、思わず笑いが込み上げる。
「春の嵐のような御仁だったね」
「ええ、本当に」
「お主らも似たようなもんじゃろ」
「まあ! フラーったら!」
笑い声に包まれながら、ヴェレたち一行は《蟹座》の族長、クベンスの館を目指した。
潮騒を纏った海鳥の鳴き声と、街中を行き交いする荷馬車の蹄鉄音が、心地良く耳朶を打つ。
ミレイユに教えられた通り、海に向かって道を進んでいった先――白塗りのレンガで造られた長方形の屋敷が見えてきた。
「お屋敷、というより、箱を連想させますね」
ヴェレの感想に、仲間たちが力強く頷きを返す。
入り口には屈強な戦士が二人立ち塞がっており、一目見て他部族と分かる装いのヴェレたちに冷たい視線を向けてきた。
そんなに他部族が嫌いなのか、とヴェレが内心で舌を突き出しながら、書類を片手に微笑む。
「《牡牛座》族長、レンデル様より書類をお預かりしてまいりました。クベンス様はご在宅でしょうか?」
「…………長なら、今は居らん」
「おかしいですねぇ。ミレイユ様から、今の時間だったらお会いできるとお伺いしたのですが」
「………………少し待て」
戦士たちがヴェレの一声にサッと顔色を変えた。
慌てて屋敷の中に入っていく彼らを見送りながら、ハカリが笑いを隠そうともせずヴェレの隣に並び立つ。
「レディ? あまり虐めては可哀想だよ」
「先に喧嘩を売ってきたのは彼らの方ですよ? 買い叩いて何が悪いんです?」
「ふむ。それもそうだね」
「……納得しないで! ハカリ! また騒ぎになっちゃうよぉ!」
神妙な顔付きで頷き、使い物にならないハカリを見て、シトラスが涙目になった。
揉めないよう止めに入ってくれと彼に耳打ちしたはずが、面白がっていては話にならない。
「おお!! 導師様じゃねえですかい!! お元気そうで!!」
突如、背後から大きな声が一同を震撼させた。
気配に聡いヴェレやハカリを始め、あのフラーでさえも、その人物の接近に気が付かなかった。
ごく自然に一行の輪に溶け込んだ存在に、各々が武器を手に臨戦態勢を取る。
「クベンス。お主、妙な刻印の使い方はするなと再三申したはずじゃぞ! 魔力の力場が乱れるであろう!」
「ほっほっほ。導師様に褒められるとは、儂もまだまだ捨てたもんじゃねえのお」
「阿呆なことを抜かすな! 見よ、子らが腰を抜かしてしまったではないか!」
呆気に取られるヴェレたちの前に姿を見せたのは、小柄な老人だった。
背はシトラスの胸元辺り。頭髪はなく、つるりとした頭頂部が輝きを放っている。
その眩さに思わず目を窄めれば、ぎしゃぎしゃと金属をを引っ掻いたような笑い声が響いた。
皺まみれの顔を更に皺くちゃにして笑う彼――クベンスの姿に、フラーが鋭く目つきを尖らせる。
「八十を超えてもやっとることは子どもの頃から変わらんのう」
「長生きのコツをお教えします。全て、楽しむことです」
「……わしに喧嘩売っとるのかこやつは、」
はあ、と珍しく疲れた様子を見せるフラーと、それを物ともせず笑い飛ばすクベンスの姿に一同は釘付けとなった。
屋敷の中から「親方様!?」「どちらです!!」と戦士たちがクベンスを探す声が轟く。
けれど、彼がそれに応えることはなく、煩わしそうに目を細めた。
「ここじゃとゆっくり話もできんのぉ。娘さんや、ミレイユにはもう会ったかえ?」
「あ、は、はい。先ほど、偶然お会いしました」
「なら、話は早い。あれの工房で話をしよう。――《間の子》らも、共に来なさい」
クベンスの言葉に、ミントの目が不自然に揺れた。
まるで蝋燭の火が風に煽られるかのように不安定なそれに、ヴェレがミントの肩をそっと叩く。
「……行きましょう」
ヴェレの声を合図に、ミントが漸くハッと息を飲んだ。
次いで、酷く緩慢な動作で足を動かすと、列の最後尾を歩き始める。
頭上を照らす太陽が、彼らの影と道行きを優しく見守っていた。




