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レーヴの海で逢いましょう  作者: 神連 カズサ
第6章、暮れ炉に咲く刃
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三十一、その心は鋼と共に


 石畳を照らす金色の太陽に、ヴェレはうっすらと目を細めた。

射手座(トクソテス)》の砦でも感じたことだが、僅か数日の滞在だったにも関わらず、マグナブルスで過ごした日々は濃密なものだった。

 特にレンデルや街の人々から語られるエルナトの話は傑作ばかりで、クラレットに良い土産話が出来そうだ。


「それでは、お世話になりました」

「――ああ。今度は蠍の嬢ちゃんと一緒に来なあ」

「ぜひ!」


 日が昇ったばかりだからか、今朝の出入り口である闘技場前は閑散としていた。

 二日前の熱気が嘘のように静かな街並みに、ヴェレの胸は少しだけ締め付けられる。

 眦を歪めた彼女に、レンデルがその巨体をゆっくりと傾いだ。


「この飾り角をお前にやろう。これは、エルナトが初めて仕留めた獲物で作ったものだあ」

「そんな大切なもの、頂けません……!」

「アストラがお前に剣を託したのならば、俺はお前に《盾》を授けたい。きっと必要になる。持って行け」

「でも、」


 戸惑うヴェレの手に無理やり装飾された角の欠片を持たせると、レンデルは白い歯を見せてにっかりと笑った。


「出口が変わる前にもう行け!! トーヴァ、祝詞を!!」

「えぇ!? きゅ、急なんだからあ……!! 戦士たちに太陽と大地の加護があらんことを!!」

「レ、レンデル様――!?」


 トーヴァが旅人を見送る祝詞を唱えるのと同時に、レンデルはヴェレたちを突き飛ばした。

 結界の向こうから「達者でなあ!」と豪快に笑う彼の声が響き渡る。


 こんなにも清々しい別れの朝は初めてだった。


「うっ……。もう少し優しく送り出してくれても罰は当たらないと思うんだけどねぇ」


 突き飛ばされた勢いでよろめいたハカリが、砂埃を払いながらため息をつく。

 ヴェレもまた、レンデルからもらった角の欠片を握りしめ、ハカリのすぐ後ろで立ち止まっていた。


「ま、まあ、レンデル様らしいというか……」

「ったく、これだから《牡牛座(タウロ)》は……。アタイらの骨が折れてたら、アンタに慰謝料請求するからね……!」


 ペパーが腰を抑えながら眉間に皺を寄せる。

 彼女の隣では同じように脇腹を抑えるミントの姿があった。


「咄嗟に防御魔法も張れんとは《乙女座(ユングフラウ)》の名も随分廃れたものじゃな」

「ちょ、っとフラー、せっかく仲直りしたんだから、喧嘩売っちゃダメだよ」

「わしはまだ許しとらん」

「も、も~~!」


 ちゃっかり自分とシトラスにだけ防御結界を施していたフラーが、ミントたちに鋭い視線を送った。

 フラーの言葉を真正面から浴びた魔女たちの顔からサッと血の気が引いていく。

 最初の頃の賑やかさが嘘のように沈鬱な雰囲気を醸し始めた仲間たちに、ヴェレは思わず額に手を遣った。

 

「皆さん、口ではなく足を動かしてください。これから一つ星半は歩くんですから、余計なことに体力は割かないで」


 余計なこと、の部分に殊更力を込めたヴェレの発言に、フラーがふんと鼻を鳴らした。

 それを彼女なりの返事として受け取ると、誰からともなくゆっくりと足を踏み出す。


 コツコツと軽快に石畳を打ち鳴らしていた靴裏が、柔らかい感触へと変化した頃。

 一行を潮風が出迎えた。

 

《真珠海》を訪れて以降、久しぶりに浴びる海の匂いが心地良い。

 

 うっとりと目を細めたヴェレに釣られるようにして、仲間たちも胸いっぱいに潮の香りを吸い込んだ。


「谷を越えた先に窪みがあるだろう?」

「ええ」

「あそこを抜けると《蟹座(クレブス)》の里、《サルティア》が見えてくるはずだ」

「山と海に囲まれている、なんて珍しい地形ですね」

「本来は刀鍛冶をするには向かない土地だと思うけれど、《蟹座》は体質の関係で塩水が欠かせないからね」

「というと?」


 ハカリの言葉にヴェレが首を傾げれば、その斜め前を歩いていたミントがげっそりとした顔で彼らを振り返った。


「あんた、そんなことも知らないで《蟹座》の武器を使ってたのかい? 《蟹座》は武器を生成するために自らの鋏を脱皮する。そのときに塩水で新しく生えた鋏を洗うんだよ。強い鋏になりますようにってね」

「お詳しいですね」

「……これでも一応《蟹座》の血を引いているんでね」


 どこか遠くを見つめながらそう溢したミントに、ヴェレは何も言葉を返すことが出来なかった。

 滅多に見ないほど暗い目をした彼女に、何と返すべきなのか分からなかったからだ。


「フラー」

「何じゃ」


 名を呼べば、丁度ハカリとヴェレの間を割くように、フラーの顔が突然宙に現れた。

 思わず、二人して「うわっ!?」と驚きの声を漏らすと、悪戯が成功したのが嬉しいのか今朝の不機嫌が嘘のように満面の笑みが綻んだ。


「き、聞きたいことがあるのですが」

「ん~?」


 どきどき、と煩い心臓を何とか落ち着かせながらヴェレが告げると、フラーは「わしに答えられることかの?」と片眉を持ち上げながら、地面に降り立つ。


「《間の子》について、教えてもらえませんか? その、列車で戦った《乙女座》との会話がずっと気になっていたんです」

「聞こえとったのか」

「ええ。でも、あの様子から察するに蔑称か何かだと思いまして」

「……懸命じゃの」


 フラーはそう言うと、先を歩く《乙女座》たちの後ろ姿を見遣った。

 一昨日の揉め事が嘘のように、シトラスと一緒になって魔導書を覗き込むリゼリア。

 そして、顔色の悪いミントを心配し、歩調を合わせてゆっくり歩くペパーの二人。

 それぞれを順番に視界へ収めると、困ったように眉尻を下げるヴェレに目線を戻す。


「そうさの。街に着く前に話しておくべきか。――《乙女座》の成り立ちを」


 柘榴の目が静かに瞬く。

 彼女の言葉に、《乙女座》たちが一斉にその歩みを停止した。

 一糸乱れぬ挙動で後ろを振り返ったリゼリアたちに、フラーは容赦無く「聴かれて困るようなことでもあるまい」と言い放つ。


「で、ですが、」

「《禁忌》を犯していることに変わりないのじゃからな」

「…………っ」


 反論を試みようとしたミントを、フラーは一撃で仕留めた。

 それから、お誂え向きに目に飛び込んできた――街道沿いに軒を連ねた旅人用の休憩小屋を指し示して言った。


「長い話になる。昼休憩も兼ねて、あそこで話そうかの」


 ◇ ◇ ◇


 はじまりは一人の乙女と一つの樹が出会ったことだった。

 老いることもなく死ぬこともない身体を持て余した乙女が、寂しさのあまり、自らの血を樹に分け与えてしまった。


 やがて樹は蕾をつけ、美しい花を咲かせた。


 その花は乙女と同じ姿をし、乙女と同じ力を宿した。

 けれど、花の寿命は短く、誰も乙女と同じ星を刻むことは出来なかった。


 花は自分たちの儚さに苦しんだ。

 乙女と同じ星を刻めなくとも、せめて長く寄り添いたいと。


 そして、花はあることを思い付く。

 他の部族から《種》を貰えば良いのではないか、と。


 他の種を抱いた花は宿木となり、実を結んだ。

 身を結んだことによって、花はそれから三年で枯れてしまう呪いを受けた。

 だが、彼女たちの残した実は、他の花たちよりも長く乙女に仕えることが出来た。


 だが、その実は《乙女座》としてではなく、種である父方の性質を大きく継いでいた。

 純粋な乙女の魔力を尊ぶ花とは違い、魔力の高さ故に父方の部族にも馴染めず、彷徨う花になった実を《間の子》と呼ぶようになったのは、自らのために苦しむ花たちを憐んだ乙女が姿を消してからすぐのことだった。


 フラーの口から語られた内容に、一同は呼吸をするのがやっとだった。

 中でもミントは酷い有様で、ただでさえ白い顔を青白く染め上げ、喘ぐように呼吸を繰り返している。


「はじまりの乙女――それが私。《乙女座》初代族長、ユングフラウ=ヴァリス」


 フラーはそう言って、仲間たちへと順番に視線を移した。


「つまり、私も母様が宿木の術を使ったことで誕生した、という訳ですね」

「そうなるの」

「ですが、私は魔法の才はからっきしです。《魚座(ピスケス)》としてなら、イクテュスに好かれている自覚はありますが」

「そうでもないぞ。お主の身体は特に魔力の伝導率が高い。《乙女座》の素体に《魚座》の魔力がよう馴染んでおるおかげじゃろ」


 刻印ではあるが、五大属性も扱えるようじゃしの、と告げたフラーに、それまで黙っていたリゼリアが「ええ!?」と声を弾ませた。


「《乙女座》の中でも二属性がやっとなのに!? い、一体どうやって!?」

「私じゃありませんよ? 坊やが武器に刻んだ刻印を使っているだけで、」

「普通は刻まれた刻印を維持するのもやっとなの!! ちょ、ちょっとやってみせて!!」


 重い雰囲気もお構いなしに、リゼリアが目を輝かせながらヴェレににじり寄った。

 困まりました、と珍しく眉尻を下げたヴェレを見て、シトラスがおかしそうに口元を歪める。


「見せてあげなよ、ヴェレ。減るもんじゃないし」

「……さては、坊や。新しい魔法を試したいだけですね?」

「えへへ、バレた?」

「それくらい、目を見れば分かりますとも」


 ヴェレは呆れたようにため息を吐き出すと、立ち上がってからフラーを一瞥し、外に出た。

 分厚い雲が太陽を隠し、まばら模様を地面に落とす。

 揺らめく木漏れ日の光が、不気味な美しさを放っていた。


「それで? リゼリアさんはどんな魔法を見たいんです?」

「どうせなら《乙女座》が使えない属性がいいわ! そうね……炎とか、どうかしら?」


 リゼリアの言葉に、ヴェレとシトラスは顔を見合わせた。

《魚座》は海の魔力――厳密に言うと水属性の適性が高い。そのため、相反する炎属性とは相性が良くなかった。


「あまり得意ではないのですが、良いでしょう」


 シトラス、とヴェレが相棒の名前を紡ぐ。

 少年は嬉しそうに魔導書を開くと「どれにする?」と小難しい魔法が記述されたページを広げた。


「と、言われましても、どれがどう違うのか私にはさっぱりですね……」

「その中なら《龍星(アズラフ)》がええじゃろうな。面白いものが見れるぞ」

「やっぱり!? 僕も《龍星》がいいかなと思っていたんだ! 流石、フラー!」


 シトラスは力強く頷くとヴェレに暁明剣を手渡した。

 魔導書の中から姿を見せたそれをおっかなびっくり受け取ると「少し離れてね」と何故か皆の輪から遠ざけられる。


「……一体何をさせるつもりなんです、」

「いいからいいから! さ、剣を高く掲げて!」

「こう、ですか?」

「うん! 良い感じ! ――それじゃあ、いくよ!」


 魔導書を開いたまま、シトラスは地面に跪いた。

 初めての魔法を試すとき、彼は必ずページを開いたまま呪文を唱える。

 フラーに師事を仰ぐようになってから、殊更線密さに磨きが掛かったようだった。


「揺らめくは蒼炎、穿つは閃光――《龍星(アズラフ)》!!」


 薄灰の空に蒼炎が爆ぜる。

 ボッと激しい音を立てて、一瞬で燃え上がった《暁明剣》にヴェレは目を瞬かせた。

 剣を通して、熱い魔力が全身を駆け巡る。

 その流れに身を任せるまま、ヴェレは自然と片手を振り翳した。


 龍が唸り声を上げるが如し。


 ヴェレの剣筋に炎が軌跡を描く。

 残光を引いた蒼い炎の姿に、誰もが目を奪われていた。


「……綺麗!」


 最初に感嘆の声を上げたのは勿論、リゼリアで。

 それに釣られるようにミントとペパーも息を呑んだ。

 こんなにも苛烈な炎は見たことがない。

 まるで生きているかのように唸る青白い炎の光に、視線が釘付けになる。


「あまり近付き過ぎるな。目を灼かれてしまうぞ」


 フラーが放心状態の三人娘の前に立ち塞がった。

 熱気を当てられても尚、平然としたその姿に、ミントが「あ……っ」と声を漏らす。


「《龍星》は貴女の得意な魔法だった、はず、」

「――いかにも。よう知っておるな」

「母さんが、貴女のことをよく話していたから」

「お主の母? そう言えば、まだ名前を聞いておらんかったの。何という娘じゃ?」


 フラーは一度だって里に残してきた花たちのことを忘れたことはなかった。

 彼女たちはフラーが去っても尚、宿木を続けていたようだったが、こうして何代も続いてきたところを見るに、現族長の考えとは別の本来あるべき《乙女座》たる思想も脈々と繋がれてきたらしい。


「イリス。《雷刃のイリス》と言えば、分かるか」


――ヴァリス様!


 瞬間、瞼の裏に咲いたのは、満面の笑みを浮かべるいた幼気な花の姿だった。

 フラーを真似て、自分も髪を長く伸ばしたいと笑っていた、幼い日のイリスが鮮明に思い浮かぶ。


「そうか、お主ら……イリスの娘じゃったか……」

「ああ」

「では、イリスを殺したのはやはり、」

「族長のユノシュカ様だ」


 フラーは「そうか」ともう一度、口の中で音もなく言葉を転がした。

 ユノシュカはイリスと同世代に生まれた花の名前だ。

《乙女座》の古い言葉で《雪の花》を意味するそれを名付けたのは他でもないフラーだった。

 心優しかった彼女が一体何故、という思いと、予感が的中した虚しさに、胸が締め付けられる。


「あの方は、《乙女座》こそが十二星座を総べるに相応しいと考えている」

「それで《星送りの儀》を再び起こし、新たな恩寵を授かろうとしているわけか」

「おそらくは」


《龍星》の炎に燥ぐヴェレたちを尻目に、ミントは唇を噛み締めた。

 両親が犠牲になった日のことを今でも夢に見る。

 里の外れで平穏に暮らしていたミントたちを、ゴミでも見るかのような顔をして一掃したユノーシュカの冷たい眼光が、脳裏に焼きついて離れなかった。


「ならば、尚のこと急いで里に向かう必要があるな」

「どうしてだ?」

「《牡牛座》の《星断つ斧》が戻った今、次に狙われる可能性があるのは《蟹座》の《星の涙》――《殻天の盾(カルパティア)》だからじゃ」


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