三十、折れた刃の向こう
自身の右手にしっくりと馴染む《星断つ斧》を見て、トーヴァは瞳を瞬かせた。
牡牛座の戦士たちが長年に渡って引き継いできたそれは、確かな重みを伝えてくる。
「……よぉく似合うなぁ」
レンデルが眩しそうに目を細めながら甥っ子の肩を叩いた。
新たな《星断つ斧》としてトーヴァが選ばれたことを誰よりも喜んでくれた彼に、トーヴァもまた熱い思いが胸に込み上げてくる。
「そうかなあ」
「応とも。歴代《星断つ斧》の中で、お前が一等強そうだあ」
「……エルナトさんより?」
「ああ。エルナトよりも、ずっと――」
「それは聞き捨てなりませんね」
二人の間を凛と切り裂いたのは、客間で雑魚寝をしていたはずのヴェレだった。
ぐ、と凝り固まった身体を起こすように伸びをすると、レンデルたちが居る中庭までゆったりとした足取りで近付いてくる。
「義父はかつて《星影の動乱》を鎮めた連合軍の中でも一、二の腕を持った戦士でした。いくら幼馴染のレンデル様と言えど、先ほどの発言は看過できません」
「そういう皮肉が好きなところはアルフェレに似たようだなあ」
「あら、話を逸らすんですか?」
「そんなつもりはない。ただ、トーヴァはエルナトには無いものを一つだけ持っている」
「どういう意味です?」
見た方が早いか、とレンデルは甥へと視線を遣った。
二人分の視線を一心に浴び、トーヴァが困ったように眉尻を下げた。
「ヴェレさんの前ではちょっと……」
「いいだろお。こいつも名の知れた戦士だ。早々のことでビビったりしないだろうよぉ」
「ええ。《魔女殺しの龍》と戦ったこともありますし、多少のことでは驚きません」
「そ、そお? ならいいかあ?」
トーヴァは肩を竦めると右手で握ったままになっていた《星断つ斧》に力を込めた。
トウリオンの瞳が、彼の魔力に応えるかのように淡い光を放つ。
ドシン、と重い衝撃が大地を波打った。
どこからともなく突風が吹き遊び、ヴェレの髪を悪戯に弄んでいく。
次いで、自身を覆った巨大な影に、ヴェレは大きく目を見開いた。
「――――ト、トーヴァ、さん?」
「そおだよお~~!」
白み始めた笑う月にまで手が届きそうなほど、身体が巨大化したトーヴァが苦笑混じりに手を振っていた。
「やっぱり、びっくりするよねえ~~!」
「わっ、分かりましたから! 叫ばないで! 皆、起きてしまいます!」
宵闇に包まれた街中に、大きくなった彼の声はよく響いた。
しーっと指を立てて言うヴェレの姿に、レンデルだけが喉を逸らして笑っている。
「《星獣刻印》と言ってなあ。一族の中で稀に星獣の加護を受けた奴が使えるんだよお」
「へえ……」
「お前さんのそれも、イクテュスからの贈り物だろお」
「てっきり《歌い手》の刻印かとばかり思っていました」
「まあ、そういう意味も込められているんだろうが、それだけなら《魚座》の紋章だけで事足りるはずだろお?」
「…………確かに」
ヴェレの鎖骨に刻まれた刻印にはイクテュスを示す紋章も入っていた。
《歌い手》としての証だとばかり思っていたヴェレはレンデルの言葉を反芻し、「なるほど」と口の中で言葉を転がす。
「固有刻印の威力が上がったり、普通は使えない刻印が使えたり、と星獣によって能力は違うらしいがなあ。お前さんのもウチと同じく能力向上といったところだろお」
「海の魔力が陸上でも使えます」
「見たことあるから知ってるよお。アルフェレも確か、《星獣刻印》持ちだったしなァ」
「父様も、ですか?」
「ああ。あいつの《水刃》は凄まじい威力だった。カラカラに乾いた砂漠を水浸しにするほどになあ」
ここに来て、エルナトだけではなく実父であるアルフェレの話も聞けるとは夢にも思わなかった。
今はもうぼんやりとしか思い出せないその姿に、ヴェレは僅かばかりに口元を綻ばせる。
「レンデル様」
「ん~~?」
「ありがとうございます」
突然寄越された感謝の言葉に、レンデルは思わず元の大きさに戻った甥っ子を一瞥した。
礼を言われるようなことをした覚えはない。
むしろ、こちらが《星断つ斧》の礼をいくら言っても足りないくらいだ。
「それはこっちのセリフだろお。わざわざ《星断つ斧》を持ってきてくれて、ありがとなあ」
「いいえ――義父が私に、私たちにしてくれたことを思えば、瑣末なことです」
「そうかあ……。娘たちが立派に育って、月の宮に居るあいつも鼻が高いだろうよお」
「だと、良いのですが」
はにかんだヴェレに、レンデルも釣られて笑みを浮かべた。
娘たち、と自分で言ってから、もう一人の娘――クラレットの姿が見えないことを今更ながらに疑問に思った。
「そう言やあ、蠍の嬢ちゃんはどうした。元気にしてるかァ?」
「ええ。おかげさまで。今はギルドマスターを引き継いでくれています」
「そうかあ。いやな、エルナトの最期の言葉がずーっと引っかかっていてよお」
「義父はレンデル様に、会いにきたんですか?」
「ああ。『結婚したい子が居るんだ』と。子っていう言い方からして、年下だと思って問いただしたら、自分の養い子とそういうことになったっつーから、」
「…………実は、その。義父とクラレットの間に、子どもが出来たんです」
多分、それで。
義理堅い彼は責任を取ろうとしていたのだろう。
クラレットが聞けば、きっと怒るだろうなと苦笑を返しながら、ヴェレは十年前の記憶をそっと手繰り寄せた。
「《蠍座》は卵生ですから、今も卵は大事に保管されています。けれど、本来は両親揃って魔力を与えなければならないので、」
「……ずっとか?」
「はい。姉さんは十年間、毎日欠かさず魔力を注いでいます」
たとえ卵との距離が離れていても魔力供給を怠らないために、彼女は自身の身体に特殊な魔水晶を埋め込むほど徹底していた。
異種族間に子供が生まれることは極めて稀だ。
特に胎生の牡牛座と卵生の蠍座では何もかもが違う。
魔力供給を続けていても、卵の中身はもしかしたら――。
「子どもの顔も見ずに、月の宮へ渡りやがったってのか。あの馬鹿野郎はよお」
「…………そう、ですね」
「なるほど。それで嬢ちゃんは《牡牛座》を見ない方が良いとお前さんが判断したわけか」
「ええ。義父の亡骸を抱いたまま一日中、泣き叫び続けたほどだったので、」
ヴェレが依頼先から戻ったとき。エルナトは既に月の宮へと渡ってしまっていた。
別れを悲しむ暇もなく、慟哭し憔悴しきった姉から義父の遺体を引き剥がさなければならなかった。
まるで眠っているかのように穏やかなエルナトの姿が、今でも脳裏に焼き付いて離れない。
「今でも時々思うんです。義父さんは、私たちを引き取ったことで死を引き寄せてしまったのではないかと」
独白のように吐き出されたヴェレの言葉に、レンデルは唇を噛み締めた。
そして、その大きな身体からは考えもつかないほど俊敏な動きで、ヴェレとの距離を詰め、彼女の身体をきつく抱きしめる。
「馬鹿言っちゃいけねえ!! そんなこと、絶対にあるわけねえよぉ!! あいつはな!! お前さんらを引き取ったおかげで、毎日楽しそうだったんだあ!!」
「レンデル様、」
「そうだよお。僕も数えるくらいしか会ったことないけど、街へ帰ってくる度に嬉しそうに話をしていたものぉ」
「トーヴァさん、まで、」
大男二人に抱き抱えられ、ヴェレは苦笑を溢した。
抵抗するどころか、身動ぎ一つ取れない。
やがて、ひとしきり熱い抱擁を交わすと、レンデルとトーヴァはゆっくりとヴェレの身体を解放した。
「……トーヴァ。《星断つ斧》を受け継いだ者として、必ずエルナトの仇を取ってくれ」
「もちろん!! 伯父さんやヴェレさんたちのためにも頑張るよお!」
むん、と両腕に力こぶを作ってみせたトーヴァにヴェレは不覚にも笑ってしまった。
《歌い手》の奏でる軽やかな笑い声に惹かれたのか、客間から次々に仲間たちが顔を覗かせる。
気が付けば、夜明けがすぐそこまで迫ってきていた。
◇ ◇ ◇
日の出前に起きたにも関わらず一行の表情は晴れやかなものだった。
一番先に荷造りを始めたシトラスを横目に、ヴェレもまた自身の荷物へと手を伸ばす。
「そう言えば、折れた剣は大丈夫なの?」
シトラスの問いかけに、ヴェレは「ああ……」と相槌を打ちながら、抜刀した。
剣先から中間あたりまで綺麗に砕け、もはや短剣と言っても遜色ない長さになってしまったそれに、シトラスが「うわあ、」と声を上げる。
「綺麗に折れちゃってるね……」
「ええ。子どもの頃から使っているので、仕方ないと言えば仕方ありませんが」
「エルナトさんが造ってくれたんだっけ?」
「リゲルの親方に頼んでくれましてね。――ああ、そう言えば、確かアストラガル様から頂いた暁明剣がありましたね。坊や、そちらを出してもらえます? しばらくはそれで凌ぎ、」
「――暁明剣だって!?」
一体どこから会話を盗み聞きしていたのか、血相を変えたミントが二人の間に割って入ってきた。
「見せてくれ!!」
「……朝から元気ですねえ」
「いいから、早く!」
「う、うん」
ミントに気圧されたシトラスが、魔導書の中に収納していた暁明剣をゆっくりと引き抜く。
輝ける明星の光を宿した白光の刃を、ミントは恍惚とした表情を浮かべながら受け取った。
「……おい、これ《蟹座》の族長が打った業物じゃねえか!!」
刃紋をなぞる指先が震えている。
ミントは呆然と息を呑むと、刃の根元へそっと触れた。
「この光の走り……間違いねえ。なんでお前らが、こんなの持ってんだよ……!」
「《射手座》のアストラガル様から頂いたんです。義父の兄弟刀、だと」
ヴェレが淡々と言うと、ミントは「はあ!?」と裏返った声を上げた。
「おいおいおい……! だったら尚更だ! 里に行くなら、折れた剣も一緒に持っていけよ!!」
「はあ……いえ、折れた剣はもう十分役目を果たしてくれましたし――」
この街で別れようかと思っていたと告げたヴェレに、ミントの顔がますます強張った。
「バカ言うなっての!!」
ミントは剣を抱えたまま、勢い良くヴェレの肩を掴んだ。
「《蟹座》の鍛冶師なら、砕けた刀身だろうが『剣だという認識ができれば』修復は可能なんだよ!」
「そ、そうなんですか……?」
「そうなんですか、じゃないよ! どうせ依頼書の確認に行くんだ! ついでに直してもらえ! いいな? 絶対だぞ!」
ゴリ押しという言葉では生ぬるいほどの迫力に、ヴェレは僅かに肩を落とした。
「……分かりました。持っていきます」
「よしっ!」
満足げに頷いたミントは、暁明剣を丁寧にシトラスへ返すと、折れた剣を見せろと言わんばかりに手を差し出した。
「ん。やっぱり、この程度なら直してもらえるよ。私の錬成魔法で完全再現も可能だけど、それだと今まで蓄積してきた馴染みがなくなっちまうからな」
「本当に直せるんですね?」
「ああ。私の見立てを疑うってのかい?」
「いいえ。――義父さんに貰った大切な剣に変わりはないので、」
直るのなら嬉しい、とその目が語っていた。
ミントはヴェレの肩を力強く叩くと、にっかりと太陽のような笑顔で笑ってみせる。
遠くから、レンデルが自分たちを呼んでいる声が聞こえてきた。
東の空が淡く色づき始め、新たな一日の到来を告げる。
『《天海の槍》一番の剣士になれるといいなあ』
エルナトの声が、優しく耳朶を撫でた。
ヴェレは誰にも聞こえないほど小さな声で「……なれましたよ、義父さんのおかげでね」と仲間たちの背中を追いかけながら呟く。
彼女をずっと守ってきた二振りの剣が、それに応えるかのようにかちゃり、と鍔を鳴らした。




