二十七、誇り高き戦士
夜を抱き始めた星々の光に混じって、白い欠片が鈍い光を放っていた。
人型を模した――重装備の騎士にも見える――黒い装甲の星明が、ヴェレに向かって手を伸ばす。
避けなければ、と脳が警鐘を鳴らしているのに、ヴェレの身体は動かなかった。
まるで、半身を失ったかのような虚無感が、身体の動きを封じてしまっていた。
「ヴェレ――!」
ハカリの声に、ハッと息を飲む。
だが、一歩遅かった。
身を引いたヴェレの首元を、星明がきつく握りしめる。
「この……っ! 彼女を離せ!」
ハカリが二人の間に躍り出るも、星明は何の意も介さず、ヴェレの首を握る手に力を込めた。
「がはっ……!」
「くそ!! 離れろ!!」
力任せに押し返すも、無機質な星明は人間と違って怯む隙を見せない。
くそ、ともう一度口の中で毒吐いたハカリだったが、不意に視界の端で煌めいた白い光に視線が吸い込まれた。
ヴェレの刀の欠片が、星明の装甲に深く食い込んでいる。
防御結界を展開する素振りを見せないのが不思議だったが、なるほど――張らないのではなく、張れなかったのか。
事切れる最後の瞬間に、ヴェレの愛刀は役目を全うしたらしい。
深々と突き刺さったそれを見て、ハカリは眩しそうに目を細めた。
「最後まで主人を守った君に報いよう」
ごめんね、と音もなく紡いで、ハカリは欠片をグッと押し込んだ。
星明の手からゆっくりと力が抜けていく。
妖しく光を放っていた赤い瞳が明滅を繰り返し、やがて止まった。
静けさを取り戻した夜の中、自分の息遣いがやけに荒く響いていることにハカリは顔を顰めた。
「レディ!」
「げほっ、ごほっ……!」
乾いた地面に打ち捨てられたヴェレの上体を優しく抱き起こす。
窒息寸前だったのか、その顔色はいつにも増して白く染まっていた。
額に汗を滲ませる彼女に「大丈夫かい?」と声を掛けると「まだ、です、」と鋭い睨みが返ってくる。
「も、一体は、」
「あ……」
「…………なぜ、目を離したんです」
「ご、ごめんよ。君を助けなければ、と思って、」
言い合いをするのも億劫だ。
はあ、と深いため息を吐いたヴェレの耳が、不意に重い足音を拾った。
こちらに向かって近付いてくるそれに、咄嗟に刀へと手を伸ばす。
一方の刃は欠けてしまっていたが、それでも手に馴染んだ武器だ。何もないよりは幾分かマシだった。
「君はじっとしていて。僕が相手を、」
「ですが、」
「そんな顔色で戦わせるわけにはいかないよ。……シトラスくんのお説教を聞きたいのなら、止めはしないけれど」
「…………」
「いい子だ」
戦場でも軽薄な笑顔を浮かべる彼とは対照的に、ヴェレの眉間には深い皺が刻まれた。
口もへの字に曲げられ、目付きは鋭いまま、近付いてくる足音の方へ向けられている。
暗闇を背負ったそれは突如として二人の前に影を落とした。
ぬっと音もなく現れた巨体に、悲鳴が出なかったのが唯一の救いだ。
「お、何だ。一体倒しているじゃあねえか。やるなあ、お前ら」
「へ?」
「――動くなよ。死にたくなかったらなあ」
のんびりとした口調で、物騒なことを言われ、二人は身を固くすることしか出来なかった。
振り返るより早く、風が唸る。
装甲の軋む音がしたかと思えば、鈍い衝撃音が地面を伝ってヴェレたちの身体を震わせた。
「エ、星明、」
ハカリが唇の端を引き攣らせながら、男が殴り飛ばしたものの正体を見た。
「応とも。認識阻害の魔法、使われてたぞお。危なかったなあ」
ゆったりとした口調とは裏腹に、男の拳は熱を纏って赤く光っていた。
溶接された鉄のような鮮やかな色に、視線が釘付けとなる。
「義父さんと、同じ、」
「義父さん?? あ~~?? お前、よく見るとどっかで……??」
男がどさりと地面に腰を下ろし、ヴェレの顔を食い入るように見つめた。
突然現れたかのように思えたのは、男が《牡牛座》だったからだ。
闇夜に溶け込む真っ黒な肌の上、朝靄を詰め込んだような色合いの瞳が二度三度と瞬きを繰り返す。
「アルフェレ――いや、今はエルナトの娘か」
「えっ」
「ま、覚えてないのも無理はないか。お前、ガキだったしなあ」
会ったことあるんだぜ、俺たちと続けられた言葉に、今度はヴェレが瞬きを繰り返す番だった。
透き通ったガラス玉、あるいは魔力を注がれる前の水晶のような澄んだ双眸に凝視され、思わずたじろぐ。
男性はそんなヴェレの様子に、くはっと大きな口を開けて笑った。
「初めて会ったときのアルフェレと同じ反応だなあ。おンもしれえ~」
大きな掌がハカリとヴェレ、それぞれの頭の上に着地する。
そして、乱雑に撫で回したかと思うと、何かを思い出したかのようにヴェレたちの後ろを覗き込んだ。
「おっと、忘れるところだった。お前ら、シルキー見なかったか? 食材の受け取りが出来んと商人たちに泣きつかれてなあ」
「それなら、僕たちが乗ってきたものがそこに……」
「こいつ、偶に誤作動を起こすんだ。古いものだし仕方ねえが、災難だったな。本当に」
屈託なく笑うその笑顔は、初めて見るはずなのにどこか懐かしさを感じさせた。
目尻をくしゃくしゃにして笑うエルナトの姿が脳裏を掠める。
「…………クラレットを連れてこなくて、本当に良かった」
安堵の息と一緒にぼそりと吐き出したヴェレの呟きは、誰に咎められることもなく、滲み出した夜の中へと静かに溶けていった。
◇ ◇ ◇
まず初めにヴェレたちを出迎えたのは、鼻奥を刺激するほどの香ばしい匂いだった。
門を抜けた先で立ち並ぶ色取り取りの屋台と、ムッと暑いくらいの熱気に出迎えられ、誰からともなくごくりと生唾を飲み込む音が零れ落ちる。
「ちょっと出てる間に商業区と変わりやがったなあ。すぐ戻るつもりだったのによお」
男性が悔しそうに顔を歪めていると、すぐ近くの屋台で焼き鳥を作っていた女将がひょっこりと顔を出した。
「あら、レンちゃん。さっきシャールが探してましたよ。確認してほしい書類があるって」
「そのシャーリー坊やが泣きついてきたから、星明を止めに行ってきたんだろおが」
「おやまあ、そうでしたか。組合に居ると思いますんで、呼んできましょうね」
「いや、いい。こいつらの案内ついでに寄って行くことにする」
男性の指先がヴェレたちに向く。
すると、女将は物珍しそうに眉根を寄せながら、焼き鳥を置いてこちら側に出てきた。
――男性と同じ、もしくはそれ以上に大きな身体を揺らして現れた女将に、寝起きのシトラスとリゼリアが「ひえっ」と互いに手を握りしめながら悲鳴を上げた。
「……驚いた。《牡牛座》は女性の方が大きいと聞いていたけれど、想像以上だ」
「ちょっと、ハカリ。失礼ですよ」
「いやあねえ、そんな小さなこと気にしませんよ。それよりあんた、どこかで見たことある気がするねえ」
女将がヴェレの前で僅かに身体を傾けた。
黒い肌にぽつりと浮かび上がった白金の瞳が食い入るようにヴェレを見つめる。
「エルナトの養い子だよ。昔、何度か連れてきていただろお」
「ああ! エルちゃんの! 通りで見たことあると思ったわあ」
そう言って、肌とは反対に真っ白な歯を見せたかと思うと、女将は人数分の焼き鳥を手渡してきた。
「こ、こんなにたくさん、いただけません。お代をお支払いします」
「エルちゃんにはお世話になったからねえ。歓迎の証として受け取ってちょうだい」
「でも、」
「好意は素直に貰っとけ~。どうせそれっぽちくれたところで、売り上げに赤はつかねえよ」
「そうよお。はい。熱いうちにお上がんなさい。うちのは秘伝のタレを使ってるから美味しいわよお」
半ば押しつけられる形で受け取った焼き鳥を前に、空腹の一行は抗えるはずもなく――。
恐る恐る齧り付いたヴェレは、途端にパッと顔を輝かせた。
肉厚の鳥に絡みつく甘辛いタレが絶妙な旨みを引き出している。
焦げている部分の苦味がアクセントとなり、間に挟まれたネギもまた香ばしい。
「美味しいです……っ!」
思わず心から漏れ出た賛辞に、女将は嬉しそうに目を細めた。
「ありがとう。エルちゃんもよくうちのを買いに来てくれてたよ」
「義父さんが、」
「それより、レンちゃん――いや、族長様、《乙女座》まで街に入れて、大丈夫なのかい?」
焼き鳥を頬張っていた乙女たちの肩がぎくり、と強張る。
派手な髪色を隠すようにローブを被ったことで逆に怪しまれたのか、女将の鋭い視線がミントたちに降り注いだ。
「そう怒るな、カラウ。美人が台無しじゃぞ」
一行の後ろから聞こえてきたフラーの呑気な声が、いやな緊張感の中に小さな波紋を広げた。
「…………ど、導師様!? いやだわ、導師様の巫女とは知らずにご無礼を、」
「良い良い。それより、今こやつのことを族長と言わんかったかえ?」
もう一本とちゃっかり焼き鳥に手を伸ばしながら、フラーがレンちゃんと呼ばれた男に視線を戻す。
先の大戦に参加した《牡牛座》の数は少なく、その中でもエルナトが異彩を放っていたことから、フラーもマグナブルスの住人について、それほど詳しくない。
唯一、商業区の屋台には馴染みの商人が何人か居るくらいで、この女将――カラウもその一人だった。
「レンちゃん、レンデル様はエルナト様の幼馴染なんですよ」
「え!?」
ヴェレの声に、レンデルはバツが悪そうな顔でそっぽを向いてしまう。
「俺の話は良いだろお。急いでるんだ。もお行くぞ」
「はいはい。あ、導師様。これおかわりね。あとでまた巫女様たちとゆっくり召し上がってくださいな」
「すまんのう」
全く悪びれもせず大量の焼き鳥を受け取ったフラーに、ヴェレとハカリが同時にため息を漏らす。
良くも悪くも自由な乙女に、思わず天を仰いだ。
「ったくよお。お喋り好きなのも大概にしてもらいたいぜ。俺ぁ、ここでネタバラシしようと思ってたのによお」と、レンデルはぶつぶつ言いながら大股で歩を進めた。彼の歩幅は、ヴェレたちにはとてつもなく大きく見える。
彼が足を止めたのは広場の中央、噴水を囲む円形の空間だった。
石畳に並ぶ店は人で溢れ、歓声と物売りの呼び声が渾然一体となっている。
鮮やかな色彩を放つ中でも取り分け目を引いたのは、噴水越しに並ぶ胸像の列だ。
「どうよお。お前の義父と俺。どっちが立派に見える?」
レンデルが手を伸ばし、隣に並ぶ胸像に腕を伸ばす。
のそりと肩を乗せられたその胸像に、ヴェレは無意識に息を詰めた。そこには「偉大なる勇敢な戦士・《星断つ斧》エルナト」と刻まれている。
若き日のエルナトを模したものらしく、ヴェレの知る顔立ちより少しだけまろい曲線を残している。胸の奥が疼く気配を覚え、彼女はぽつりと囁いた。
「……義父さん」
その一言に、レンデルはふっと緩んだ表情を見せる。誇らしげな笑いと、どこか遠い色を帯びた目つきが交差した。
そこへ、突如として場の空気が変わるほどの騒めきが広がった。
人々の視線が一斉に門の方へ向き、歓声が弾ける。
群衆の中心に現れたのは、背に大きな戦斧を背負った若者だった。
白桃色の髪を振り乱し、どすんどすんと派手な足音を立てながらこちらへと近付いてくる。
「おいおい、もう帰ってきやがったのか。トーヴァの奴」――レンデルが呟く。
族長の言葉に周囲が色めき、誰彼となく騒めきが広がった。
闘技場に近付いてから、住民や観光客の間、そこかしこで囁かれていた名だ。
歴代最多優勝を持つレンデルの記録を塗り替えようとしている――トーヴァと呼ばれた青年の姿を想像して、ヴェレの胸に小さな波紋が立つ。
ふつふつと湧き起こるそれは嫌なものではなく、戦いへの期待からくる昂揚感に近かった。
「おじさああああん!!」
「うっせえぞ!! トーヴァ!! 客の前で情けねえ声出すな!」
半ば泣き出しそうな声で駆けてきた青年の慌てぶりに、周囲がくすりと笑う。
手にしているくしゃくしゃになった紙は、どうやら闘技場の参加表のようだった。
想像とはかけ離れた――胸像の列に並ぼうとしているにしては随分と幼い――トーヴァの姿に、ヴェレの眉間に皺が寄る。
「これ、何だよ! 急に組み込むなんて聞いてないぞお!」
トーヴァが顔を紅潮させながらレンデルに詰め寄る。
煩わしそうに青年の顔を片手で押さえ、レンデルはフンと鼻を鳴らした。
「いや何、エルナトの娘がどんなもんか見てえだけだ。俺が行ったときには、星明はもう倒れてたんだ。だから興味が湧いたわけよお」
その一言に、場が一瞬静まる。
次いで、ヴェレとハカリが互いに顔を見合わせる。と、トーヴァは尚もレンデルに追い縋った。
「そ、そんなこと言ったって無理だよお! 個人戦の枠はもう埋まって――」
「じゃあ、団体戦に組み込めばいいだろう。面白ぇもんが見れそうだ」
レンデルの声は広場にしっかり届いた。
観客や通りすがりの者たちが賑やかに反応する。トーヴァの顔には困惑と、小さな期待の色が滲んだ。
「団体戦ならまあ、いやでも俺も組む相手探さないといけんな……」
伯父がここまで言う相手はなかなか居ない。
そんな相手と戦えるなら、戦ってみたいというのが戦士の本音だった。
「出るって何に……ちょっと、勝手に出さないでください!」
「まあまあ。やってみりゃあ分かるだろ。若いもんは血が騒いでなんぼだろうがあ」
ハカリが苦笑を漏らし、ヴェレは無言で拳を握る。
シトラスは目を丸くして名簿を覗き込み、そしてちらりとヴェレを見る。
広場全体が、いつの間にか期待で満たされていた。石畳に耳を寄せれば、人々の息遣いまで伝わってきそうだ。
ヴェレは深呼吸をひとつして、闘技場の方向へ視線を戻す。
養父エルナトが勝利を刻んだ、その舞台に興味がないわけではない。
ふう、ともう一度大きく息を吐いたヴェレの目に宿った光に、レンデルは在し日の幼馴染を見た。
「良い目だ」
闘技場の方向に目を遣りながら、ヴェレは胸の奥でそっと呟いた。
――義父さん。あなたが見た景色を、私も見てきます。
生まれたての笑う月が静かにヴェレを見守っていた。




