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レーヴの海で逢いましょう  作者: 神連 カズサ
第5章、黄昏の蹄鉄
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二十六、灯の果て


 薄闇のカーテンを引き始めた空の下、迷宮都市へと続く線路上で停止したシルキー特急に乗客は困惑を極めた。

 その多くが、停車の衝撃で目を覚ました者たちばかりだ。

 手近な乗務員を捕まえ、責め立てるような声があちこちから湧き始める。


「こんな騒がしいってのに、お子様たちはすやすやと……。羨ましいねぇ」


 隣の部屋へ戻ったミントが、欠伸を噛み殺しながらリゼリアと荷物を抱え、再び姿を見せる。

 お子様たち、と称されたように、シトラスもまた座席に深く沈み込み規則正しい寝息を立てていた。


「ペパー。アンタはここでお守りを頼むよ。アタイらは星灯の状態を見に行ってくる」

「ん~、分かったァ~……」


 珍しく素直な返事を寄越したペパーに、ヴェレが目を丸くする。

 するとその様子に気付いたのか、ミントがにやりと口角を持ち上げた。


「アイツ、寝起きが悪いんだよ。寝惚けている隙にさっさと行っちまおう」

「なるほど……。では、今後頼みごとがあるときは、寝起きを狙うことにします」

「ほどほどにしてくれよ」

「もちろん」


 ヴェレは聞き分けの良い子どものような、お手本通りの笑顔を浮かべた。

 それに小さく肩を竦めると、ミントは二等席の扉を背もたれにしているハカリとフラーに視線を遣った。


「待たせて悪かったね。――行こうか」


 二等席の扉を静かに抜け出す。

 共用通路は、人でごった返していた。

 ほとんどが罵詈雑言を垂れ流し、乗務員の業務を邪魔しているようにしか見えない客ばかりで、誰からともなくうんざりとした深いため息が溢れる。

 二等席は列車の六両目から位置づけられているため、星灯がある先頭車両に向かうまでの残り五両もの間、この汚い言葉の嵐を掻い潜って行かなければならなかった。


「…………んん゛っ」

「あ~……。レディ、抑えて、ね?」

「………………分かっています」

「それなら、良かった」


 額に青筋を浮かべるヴェレに、ハカリはほっと胸を撫で下ろす。

 ここで彼女がお得意の《大海》でも放とうものなら、騒ぎは更に大きくなってしまう。

 それだけはどうしても避けたかった。


「ったく、誰かさんが張り切って二等席なんか買うからだろ……」

「あら、私の所為だと仰りたいんです?」

「まあ、普段しないことすると何か起こるとは言うよねぇ」


 一触即発のヴェレとミントの間に挟まりながら、ハカリも苦笑を溢す。

 漸く、六両目を抜け、五両目に差し掛かった時だ。

 当然だが、前方に向かえば向かうほど、起きている乗客の人数も増える。

 何せ、先頭車両が急停車した衝撃のほとんどが前方の四両に集約してしまっていた。

 詰まるところ、一等席を購入した貴族やそれに連なる金持ち連中が鼻息荒く牙を剥き出しにしているのである。


「ふむ……。ちと煩わしいのう」


 ふがふが、と鼻息を荒く、涎まで飛び散らしながら理性なき獣のように怒鳴る乗客たちの姿に、流石のフラーも口をへの字に曲げた。

 次いで、指先を鳴らしたかと思うと、《夢鎖(ネリオス)》と言葉を編んだ。


「これで少しは静かに進めるというものよ」


 ばたばたと音を立てて脱力している人たちを、三人は信じられないと言った目で見遣った。

 魔法は術者の視認圏内でなければ、効果を成さないことが多い。

 けれど、フラーが使った魔法は、彼女の視界に入っていない場所にまで効果が及んでいた。


「どうした? 先を急ぐんじゃろ?」

「え、あ、ああ。……この姐さん、本当にアタイらの味方、なんだよな?」

「味方じゃなければ、今頃あの人たちと一緒に眠らされてますよ」


 きょとんとした顔で先に歩き始めたフラーを追いかけながら、ミントとヴェレが肩を竦ませる。

 足元では先ほどまで怒鳴り合いをしていた乗客と乗務員が、一緒になって気持ち良さそうな寝息を奏でていた。


 ◇ ◇ ◇

 

 先頭車両の扉を叩くと、中から恰幅の良い運転士が汗びっしょりで顔を覗かせた。


「ま、誠に申し訳ございません。ただいま、星灯の動作確認中でして……」

「ああ、知ってるよ。アタイとこっちの姐さんは《乙女座(ユングフラウ)》だ。ちょいと状態を見せてもらえないかと思ってね」

「《乙女座》の方でしたか……。いやしかし、これはどうにもならないかもしれません……」

「どれ、見せてみよ」


 ミントとフラーが先に運転席へと身体を滑り込ませる。

 他の車両とは比べ物にならないほどの熱気が二人へと襲い掛かった。


「やっぱり、魔力暴走一歩手前だな。念の為、先頭車両の人間は後ろに下げた方がいい」

「分かりました。ハカリ」

「え? 僕が運ぶのかい?」

「当たり前でしょう。何のためにそのご立派な天秤をお持ちなんです」

「……少なくとも、人を運搬するためじゃないんだけどなあ」


 ここには《乙女座》が二人も居るのだから、自分たちは肉体労働といこう。

 ヴェレはハカリの背を叩いて叱咤すると、先頭車両で寝息を立てている人たちの回収へ向かった。


「時に、主よ」

「はい? 私ですか?」

「わしはのう、この列車に乗っておるわしら以外の全員に魔法を掛けたつもりだったんじゃが――何故、起きておる?」


 フラーの言葉に、運転士の顔が文字通り固まった。

 ミントがすかさず武器を錬成し、彼から距離を取る。


「ほう。綺麗な太刀筋じゃ。お主《蟹座(クレブス)》の間の子か」

「……アタイの話は、今どうでもいいだろ。それより、アンタの話が本当なら、こいつは、」


 チッ、とミントの鋭い舌打ちが空を割く。

 次いで、運転士の身体が糸の切れた人形のように大きく、不自然に傾いだ。


「まさかご同胞とは思いもしませんでした。それも《間の子》とは、穢らわしい……!」


 バキバキと骨がぶつかり合う嫌な音が反響したかと思えば、運転士の身体が逞しい男のものから、しなやかな女のそれに変貌を遂げる。

 苦々しく吐き捨てられた言葉に、ミントの額に青筋が浮かんだ。


「《間の子》だと? アンタがそれを言うのか――その髪色、アンタだって間の子(おなじ)だろう!!」


 運転士の姿を捨てた女の顔が、見る間に歪んだ。

《乙女座》の直系筋は皆、美しい藤色や薄桃の髪をしている。

 けれど、女は違った。

 極限まで短く切り揃えられた髪は、夜を落とし込んだような深い濃紺だ。


「その様子じゃ《魔力》も編み込めない。自分の髪を嫌っている証拠だ」

「――黙れ!!」


 女の一喝に、車内を照らしている星灯の明滅が激しさを増した。

 パチパチと弾ける直前のように、不穏な音を奏でるそれに、フラーがゆっくりと視線だけを持ち上げる。


「落ち着け。主らの魔力に反応して、今にも破裂しそうじゃ」

「黙れと言っているのが聞こえないのか!!」

「――おや、わしも含まれていたとは知らなんだ。すまんがもう少しはっきりと喋ってくれるか? 近頃、耳が遠くてのう」

「このっ!!」


 女が鋭く伸ばした爪をフラーに向かって振り翳す。

 紫紺の髪の隙間で、赤い柘榴が瞬いた。


「躾がなっとらんのう。どれ、これでも浴びて頭を冷やすといい――《海憶(ウィス=マーレ)》」


 音もなくフラーは女に迫った。

 拳一つ分ほどしか開いていない近距離での刻印発動を、女が防げるはずもなく――。

 フラーの掌が掴んだ女の首から上を、水球がゆるりと包み込んだ。

 呼吸を奪われた女が「がぼっ」と水を吸い込んだ醜い音が、戦闘車両の中に不気味な響きを残す。


「……ふむ。やはり狙いは《星断つ斧》と星明の核と言ったところか」


 女の頭を包み込んでいる水球に、次々と何かが浮かび上がり始める。

 それは、女の記憶だった。

 浮かんでは弾け、弾けては浮かぶ。

 それらを繰り返し眺めながら、フラーは「目新しいものはないのう」と小さく呟いた。


「何なんだ、アンタ。その刻印、一体何の短縮詠唱だ? そんな二式、アタイは見たことがない!!」


 ミントの言葉に、フラーの目が柔らかく細められた。

 その手中にある女の意識は既に失われ、白目を剥いている。

 女を乱暴に床へと放り投げると、フラーは緩慢な動作でミントを振り返った。


「ほう。二式の呼び名を使っておる者に出逢うたのは初めてじゃの。シトラスとて、刻印は刻印としか呼ばなんだのに」

「はぐらかしてんじゃないよ!! アンタ、一体ッ、」


 ミントが更に問い詰めようと語気を荒げた、その瞬間――列車が悲鳴を上げた。

 床が唸ったかと思えば、車内に浮かぶ星灯を始め、街を照らす星灯までもが次々に明滅を繰り返す。

 暴走する魔力の奔流が、まるで呼吸を奪うかのように車内を飲み込んだ。


「まずいのう。今ので、星明を完全に起こしてしまったようじゃ」


 ――ドォン!!


 遠くから何かが破裂した嫌な音が響き渡る。

 窓の向こう、土煙を上げながらこちらに向かって一直線に走ってくる影が二つ見えた。


「おい、あれって!」

「見えたかの。《星断つ斧》の反応を探知して、星明が向かってきおった」

「そんな悠長に言っている場合か!! おい、ヴェレ!! やばいことになった!!」


 ミントが悲鳴のような叫びを上げながら、客室へと続くドアを開け放つ。

 そこには既に臨戦態勢を取ったヴェレとハカリの姿があった。


「分かっています。強い星の魔力を感じたので、何事かと思いましたが、」

「あれ星明、だよね? 確か門からは動かないと聞いていたのだけれど」

「……アタイもついさっきまではそう思っていたところだ。何にせよ。このままだと列車と衝突する」


 ミントはヴェレの瞳を真っ直ぐ捉えた。

 桜色の美しい双眸が、月明かりを帯びて妖しい光を放つ。


「分かっていますとも。フラー、私たちに速度強化の魔法をかけてください」

「それは構わんが、こやつの《交刻》で入れ替えた方が早いのではないか?」

「……それだと最低でも一体はここに現れるけど、」


 乗客の多い列車内での戦闘は避けたい。

 ハカリの言葉にフラーは「なるほど」と口遊みながら両手を上げ、降参を示した。

 ふ、と息を吸い込んだフラーに釣られ、列車の空気が僅かに揺らぐ。


「歌うは綻び、切り裂くは風――《烈風(アイラ)》」


 詠唱が紡がれると、車内を暖かな風が包み込む。

 次いで、ヴェレとハカリの二人は背中を押されるような突風に襲われた。

 無理やりこじ開けた扉から弾かれた矢のように飛び出していった二人の姿に、ミントが「うそだろ……」とか細い声を漏らす。


「今の、攻撃魔法じゃないか!! 下手すりゃ死んでるぞ!!」

「大事ない。威力は抑えておる」

「あれで!? あれでか!? ……つーか、どうやって止まるんだ、あいつら」

「それは……考えておらんかったの、ほほ」


 フラーの苦笑は二人に届くはずもなく。

 頬を撫でた一陣の風に、ミントは思わず天を仰ぐのだった。


 ◇ ◇ ◇ 


「…………ねえ、レディ?」

「何です」

「これ、どうやって止まるか聞いた?」

「…………ぶつかって止まればいいでしょう」

「君って顔に似合わず脳筋だよねぇ」

「黙ってください。集中できません」


 空を割くような激しい風圧の中、ヴェレは鋭く息を吐いた。

 腰元へ手を伸ばし、愛刀を鞘から引き抜く。

 目前に迫った土煙にこのままぶつかった方が早いと判断したのだ。


「あれが、星明ですか」

「完全に暴走しているね。あんなのが列車にぶつかったら、と思うとゾッとするよ」


 ハカリの軽口に短いため息を返す。

 次いで、ヴェレは猫のようにスッと目を細めた。

 迫る巨体の正面――胸元に浮かび上がった星の紋章に片眉を持ち上げる。


「でしたら、壊す前にこちらがあれを壊してしまえばいいだけのこと」

「君ならそう言うと思った。それで、どうするつもりだい?」

「まずは私たちをぶつけます」

「おっと……穏やかじゃないな……」


 困ったように眉根を寄せながらも、ハカリの口元は笑みを描いている。


「まずは手前の一体目を確実に仕留めたいです」

「分かったよ。それじゃあ、僕の腕を掴んでくれるかな」

「腕?」

「いいから」


 この非常時に一体何を、と訝しげに寄越されたヴェレの視線に「ち、違うから! 疾しい気持ちのあれそれじゃないから!」とハカリが唇を震わせた。


「ま、いいでしょう。これで、構いませんか?」

「う、うん。出来ればもう少し強めに握ってもらえるとありがたい」

「はあ、」

「ち、違うよ! 本当に疾しい気持ちはないったら!」

「それはそれで、馬鹿にされているような気持ちになりますねぇ」

「れ、レディ~~! からかわないでおくれよぉ~~!」

「あら、シトラスの真似ですか? お上手ですこと」


 きゅ、と言われるがままきつく腕を掴めば、ハカリはぴたりと泣き止んだ。

 その代わり、顔と言わず首元まで真っ赤にするものだから、思わず自然と笑みが綻ぶ。


「…………ハカリ」

「わ、分かってるよ」


 星明の形がはっきりと見える距離まで迫ってきていた。

 ハカリが左手――ヴェレが掴んでいない方の手だ――を強く握りしめる。

 真っ白な閃光が瞬いたかと思うと、そこには《星明かりの天秤》が鎮座していた。


「反転せよ――《秤裁(ユースティア)》」


 ハカリが言葉を紡いだのと、二人の身体が星明に吸い込まれたかのように加速したのは、ほとんど同時だった。


「何を、」

「《天秤座(リブラ)》の固有刻印だよ。重さ、速さ、理、任意のものを反転できる。君と初めて戦ったときにも使っていただろう? 今回は星明の《調整》の役割を《吸収》に反転した。君と僕をぶつけるためにね」


 得意げに笑うハカリに「へえ」と相槌を返すと、ヴェレは瞬時に身構えた。

 星の紋章を掲げた一体目が、すぐそこまで迫ってきていたのだ。


 衝突の瞬間は唐突に、そして空気に押しつぶされるような衝撃が二人を襲った。

 鈍い音が骨の奥まで、重く響く。


 いつものように刀を振り払おうと、ヴェレは柄を握る手に力を込める。

 けれど、刃がそれに応えることはなかった。


――白刃が砕け散る。


 乾いた音が耳奥で何度も反響を繰り返した。

 

『ヴェレ、今日からこれを使うと良い』


 エルナトが照れくさそうに刀を手渡してきた光景が脳裏を掠めた。

 指の隙間から刃の欠片がゆっくりと零れ落ちていく。

 

 見たくない、という気持ちが胸中をゆるく締め上げるのに、それでもヴェレは目を逸さなかった。


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