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レーヴの海で逢いましょう  作者: 神連 カズサ
第5章、黄昏の蹄鉄
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二十五、迷宮都市の守人


「やっぱり、アタシも行こうか?」


 クラレットの問いに、ヴェレは眉間にぎゅっと力を込めた。

 深い溝を刻んだ妹の額に気付いているのか否か、クラレットがもう一度同じ台詞を口にする。


「やっぱり、アタシも……」

「姉さん。いい加減にしてください。その台詞、昨日から何度目になると思っているんです」

「え、」

「長くギルドを空けていたんです。マスターの承認が必要な書類や会議が山積みになっているでしょう。今回はおとなしくお留守番していてください」

「え~~~……」


 クラレットの身体がゆっくりとベッドに吸い込まれていく。

 普段は綺麗に結い上げている髪も、風呂上がりの今は結ばれておらず、緋色の波が豊かに唸る様をヴェレは呆れたように見つめた。


「それに、姉さんは迷宮都市には行かない方が良いと思います」


 ぽつり、と呟いたヴェレの言葉に、クラレットの肩が小さく震えた。


「どういう意味だ」

「言葉通りですよ。《牡牛座(タウロ)》の方々を見ても問題ないと胸を張って言えますか?」

「う、ぐ……」

「ほら、ご覧なさい。偶には妹の言葉に素直に従っても罰は当たりませんよ」


 自身の髪を梳かし終えると、ヴェレはそっと寝台に近付いた。

「くそ、生意気なこと言うようになりやがって」と悪態を吐く姉の隣に身体を沈める。


「それに、アンタレスの毒もまだ完全には解毒出来ていないのでしょう? もう暫く安静にした方が良いとフラーも言っていましたし」

「…………あのババア、余計なことを」

「私が姉さんの分も持って行きますから」


 何を、とヴェレが言わずとも、クラレットには分かった。

 エルナトへの想いを、一緒に連れていく。

 そう言いたいのだろう、と。

 返事の代わりにヴェレの額に、自分の額を預ける。


 伝わってくる体温は低く、クラレットにはいっそ冷たく感じるほどだった。


 昔は――それこそ、連れてこられたばかりの頃のヴェレは泣いてばかりで、今とは別の意味で手がつけられない子どもだった。

 ヴェレが大声を上げて泣く度に、クラレットやエルナト、果てはギルドのメンバー総出で彼女をあやそうと必死になったものだ。

 

「ふふっ」

「姉さん?」

「やっぱり、生意気だなと思って」

「まあ、酷い! こんなに心配しているのに!」


 芝居がかったヴェレの泣き真似に、どちらからともなく笑みが溢れた。

 柔らかな風が頬を撫でていく。

 その日、二人は姉妹揃って懐かしい父の夢を見るのだった。


 ◇ ◇ ◇


「つーわけで、今回のパーティメンバーを選出しておいた。面倒臭いから《黄昏》として処理してある。困ったことがあれば連盟の事務所から連絡してこい」


 昨日まで駄々を捏ねていたのが嘘のように晴れやかな表情を浮かべたクラレットが、シトラスに一枚の紙を差し出した。

 パーティの加入承認書だ。

 これがあれば、ギルド連盟の事務所で通行証を作ってもらえる。


「じゃあ、先に事務所で通行証もらった方が良いね。どうする、行きに寄っていく?」

「そうですね。必要な準備は済みましたし、」

「――悪い! 遅くなった!」


 星の流れには煩い《乙女座》が遅刻するなんて珍しい。

 息を切らして駆けてきたミントたち姉妹の後ろで、同じように肩で息をする少女が見えた。


「あれ? 君って確か――」


 シトラスはその少女に見覚えがあった。

 まだハカリと出会って間もない頃、《帰らずの谷》と呼ばれる《乙女座》の里を尋ねたときに、黒龍に襲われていた少女だ。


「ええ、お久しぶり。私、リゼリアって言うの」

「よ、よろしく?」

「あなたたちが《迷宮都市》に行くって聞いて……。私も一緒に連れて行ってほしいの!!」


 赤い火花が弾けた。


 熟れた柘榴の実のように真っ赤なリゼリアの双眸が、シトラスの視界で鮮やかに閃く。


「ミントさん?」

「いや、これに関しては本当申し訳ないと思ってるよ……。ペパーがうっかり口を滑らせたんだ」

「…………すいません」


 ヴェレの眼圧に負けた姉妹が、珍しく頭を下げ、おとなしくなる。

 ただでさえ、目立つメンバーが多いのだ。

 そこに《乙女座》の人数が増えるとなると、何が起こるか大体の予想はつく。


「まあまあ、レディ。そうカリカリしないで。旅は道連れって言うじゃないか。人数は多い方がきっと楽しいよ」

「そうじゃの。何かあればわしもついておる」


 呑気な年長組――クラレットが抜けた今、ヴェレよりも年下のハカリが繰り上がってきたのは如何ともし難い――の二人に、ヴェレは出発前から頭痛に襲われることになった。


「ま、気楽に行ってこい。何かあったら、骨だけでも拾いに行ってやるからよ」

「…………」

「何だよ、その目は? お前が言ったんだろ? 『姉さんはおとなしく留守番していてください』ってよォ」


 他人の不幸は蜜の味。

 そう言わんばかりに下卑た笑みを浮かべるクラレットの頬をこれでもかと引っ張ると、ヴェレはリゼリアに気付かれないよう小さくため息を漏らした。

 

 付いてきてしまったものは仕方がない。


「列車へ乗る前に、書類を書き直してもらう必要がありますね」


 ヴェレの言葉に、リゼリアの顔がぱっと明るくなった。

 引っ張られた所為で赤くなった頬を摩っているクラレットに、渡されたばかりの書類を突き返す。


「はいはい……。ちょっと待ってろ」


 そう言って、クラレットがリゼリアの名前を文末に書き連ねるのを、シトラスは黙ったままじっと見つめるのだった。


 ◇ ◇ ◇


《迷宮都市マグナブルス》へと行くためには、リゲルの街から列車を二本、乗り継ぐ必要があった。

 つまり、丸一日ほど列車の中で過ごすことになる。


「わあ……!!」


 車窓から流れていく景色に、シトラスが歓声を上げる。

 少し奮発して二等席を買った甲斐があった。


 嬉しそうにきゃっきゃと燥ぐ少年の姿に、ヴェレの眦も自然と柔らかくなる。


「楽しそうだねぇ」

「ええ。列車の旅はあまりしたことがなかったので、新鮮なんでしょうね」

「ふっ、ふふっ、ごめん。レディのことを言ったつもりだったのだけれど」

「……私?」

「うん。さっきもほら、そんなにいっぱい車内売りを買い込んでいたから」


 ハカリの指摘に、ヴェレは自身の荷物へ視線を移した。

 寝台列車であるこのシルキー特急には多くの商人が乗り込んでいる。

 二等席以上の個室を訪ねて周り、商品を売りにやってくるのだ。


「どれも美味しそうだったので、いけませんか?」

「いいや? 君が買わないのなら、僕が買おうと思っていたところさ」

「……何なんです、一体」

「何が?」


 きょとんと目を丸くしたハカリは、不思議そうに首を傾げた。


「…………自覚がないなら、結構です」

「?」

「あ! ねえ、ヴェレ! あれは何!?」


 居心地悪そうに身を捩ったヴェレの腕をシトラスがぐい、と引っ張る。

 少年が示した指の先には、地面から突き出した巨大な岩が天に向かって首を擡げていた。


「あれは、」

「ルグの大岩だね。伝承では、《牡牛座》の星獣トウリオンが大地を引っ張るために生えてきた、と言われているよ」

「へえ! ハカリ、物知りだね」

「んふふ、それほどでも」


 得意げに笑うハカリが気に入らなくて、ヴェレは遠慮なくその頬を引っ張った。

「いひゃいよ、れりぃ」と舌足らずな口調で訴える彼を無視して、シトラスと同じように窓の向こうへと視線を移す。


 ルグの大岩へと近付いていく景色を、ゆっくりと追いかける。

 遠くで暁鷹の声が聞こえたような気がした。


 昼と夜の(あわい)を揺蕩う黄昏の空が、大地にじんわりと染み込んでいく。

 たたん、たたん、と微かに響く列車の揺れに身を預けながら、ヴェレはすっかり眠ってしまったシトラスの髪を優しく撫でてやった。


 こんなにのんびりと星が流れるのは久しぶりだ。

 規則正しい寝息を立てる少年の額に、良い夢が見れるよう口付けを施す。


「シトラスくんだけずるーい」

「……一体いつから起きていたんです」

「ついさっきだよ。君の穏やかな表情は貴重だからね」


 ハカリの調子も絶好調だ。

 ヴェレは小さく肩を竦めると、シトラスに視線を戻した。

 出会ったばかりの頃は臆病で泣きべそばかり掻いていた子どもだったのに、その横顔は今や一端の『男』に変わりつつある。


「貴方が変な冗談を言わなければ、私だってもう少し態度を改めますよ」

「冗談? 僕はいつだって思ったことをそのまま口にしているだけなのだけれど」

「何事にも節度というものがあるでしょう」

「……君の美しさを讃えるのに、節度が必要なのかい?」

「おかしいですねぇ。私の話は右から左に流れていってしまったのでしょうか。それとも、天秤に載せるほどの価値もない、と遠回しに馬鹿にしていらっしゃる?」


 淡黄色の髪が、毛先から徐々に銀色へと変貌を遂げ始める。

 普段のヴェレを春に例えるなら、海の魔力に満たされた彼女は真夏の海面だった。

 ぎらぎらと目が眩むほどの輝きを放つヴェレに、ハカリは恍惚の眼差しを送る。


「やはり、その姿こそ君らしい」

「…………はあ。怒るのも馬鹿らしくなってきました」


 こんな風に素直な賛辞を贈られることに慣れていない。

 首の後ろが痒くなりそうな言葉の雨に、ヴェレが纏っていた海の魔力を霧散させる。


「ああ、そんな……。もう少し見ていたかったのに……」

「嫌です。貴方に見られると、何かが減りそうな気がします」

「ひ、酷いよレディ」


 よよよ、とハカリがお得意の泣き真似を披露したときだ。


――キキィイイ……ッ!!


「な、何事ですか!?」

「分からない! 先頭車両を確認してくるよ。君はここに居て!」

「ちょっと、ハカリ、」


 ヴェレが止める間もなく、ハカリは窓から華麗に飛び出していった。

 まるで、野を跳ね回る子兎のような俊敏さで列車の屋根へと飛び移った青年の姿を、ヴェレは深いため息と共に見送るのだった。


「どうも、星灯(テラルクス)が故障したらしい」

「星灯が? 何故?」


 戻ってきたハカリの話に、ヴェレは首を傾げた。

 ヴェレたちの二等席には騒ぎを聞きつけた《乙女座》たちも集まっている。

 隣の席で眠りの波を泳いでいた彼女たちも、不機嫌な表情を隠すことなくハカリに「はあ?」と詰め寄った。


「星灯は星の魔力で半永久的に動く魔水晶だよ? そう簡単に壊れるはずないだろ!」

「僕もそう思って運転士に確認してみたのだけれど、実物を見せるわけにいかないと門前払いされてしまってね」


 鼻息荒く言葉を吐き出したミントを抑えながら、ハカリは苦笑を返した。 


「……ふむ。もしや、《星断つ斧》が反応したのかもしれんの」


 フラーが荷物用の棚に置かれている神器へと視線を移す。


「どういうことです?」

「《星断つ斧》は文字通り、星の魔力を断つ権能を持っておる。それだけでは無論、発動はせん。ただのう、」


 フラーはそこで言葉を区切ると、ちら、と窓の向こうを見遣った。

 星明かりだけではない、家々に灯された明るさが、宵闇を滲むように照らしていた。


「次の駅は我らの目的地マグナブルスじゃろう? 恐らく、星灯は魔力暴発を起こしかけたのやもしれぬ」

「それで、《星断つ斧》が起動した、ということですか」


 ヴェレの問いに、フラーは短く頷きを返した。


「左様。《星断つの斧》は元々、星の魔力を調整する役目を担っていた。高濃度の星の魔力を感知すると起動する術式が施されておる」


 見てみろ、とフラーが全員を窓近くへ誘導し、景色を示す。

 迷宮都市と言われる由縁――街を囲い込むように聳え立つ円形の土壁。そして、その門前に見える二つの巨影。


「あれもその一つ。星灯のオリジナル。《星送りの迷宮》を守りし番人――星明(エルステル)。今はこの街の番人へ鞍替えしたようじゃがの」


 どこか嬉しそうに呟いたフラーの声に、ヴェレはそっと目を細めた。

 窓の向こうでは、ぽつり、ぽつりと明かりが一つずつ消えていく。

 それに呼応するかのように、二等席を照らす魔水晶が明滅を繰り返した。 


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