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レーヴの海で逢いましょう  作者: 神連 カズサ
第5章、黄昏の蹄鉄
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二十四、星送りの歌


 午前中の麗らかな日差しが、朝翔の谷の白い岩肌に反射して目に痛いくらいだった。

 陸に上がると色素が薄くなるヴェレの瞳にはそれが眩しく、頻りに瞬きを繰り返してしまう。


「ヴェレや」


 不意に掛けられた声の主に、ヴェレは思わず身を固くした。


「フ、っ……ヴァリス様」

「そう畏まらんでも良い。取って食ったりせんからの。それと、真名はあまり好かんのでな。今まで通り、気軽にフラーと呼んでくれ」


 正体を明かしたことで気が楽になったのか、フラーは前にも増して表情が豊かになった。


「太陽神オライオスと月女神セレヴィアに選ばれたのも昔の話。今は只の流浪の魔女じゃよ」


 フラーの話によると、彼女は太陽神オライオスと月女神セレヴィアに選ばれた最初の族長《十二の番人》の一人だった、らしい。

 創世期から既に数百年は経とうとしている今、彼女は生きた魔導書、あるいは歴史書と呼ぶに相応しい殿上人を絵に描いたような存在である。

 全てを信用したわけではなかったが、フラーがヴェレたちに嘘を吐く理由もない。


 隠し事がなくなったフラーとは対照的に、ヴェレたちは身を固くする機会が嫌でも増える。

 数百年前の星巡りを生きた人間が今も目の前にいる――その事実だけで、息を詰めるには十分だった。


「一つ質問をしても?」


 だが、実際こうして目の前に存在しているわけだし、とヴェレは眩しさだけではない理由――フラーを訝しむように――で目を細めた。


「何じゃ」

「最果ての丘にあるのが貴女の仰っていた《星のゆりかご(トゥーレ)》で間違いないのですね?」

「ああ、そうじゃ」


 フラーは柔らかく目を細め、まるで懐かしい友について語るような口調で「正式な名称は《星送りの宮》と言うがの」と言った。


「突然浮上した、と聞いていたので、そんな昔からあるものだとは夢にも思いませんでした」

「十年に一度しか浮上せんからの。加えて、幻影と記憶眩ましの結界も張っておる。儀式のことが只人の記憶に残らんようにな」


 重く閉ざされていたフラーの前髪が、朝露に濡れた草の匂いを纏った風によって持ち上げられる。

 柔らかく肌の上を撫でていったそれにフラーが目を細めるのと、少し離れた場所から「始まるって~!!」とシトラスの元気な声が聞こえてきたのは同時だった。


「――月の宮へと渡った戦士たちに!」


 暁鷹が舞う空に、タリクの唱えた祝詞が響き渡った。

 それに続いて「戦士たちに!」と《射手座(トクソテス)》の人々の声が重ねられる。


「それでは《歌い手(ローレライ)》、お願いします」


 シャナールの案内で、祭壇の前に歩みを寄せたヴェレだったが不意にその表情を曇らせた。

 そして、「《射手座》の星送りの歌を教えていただけますか?」と持ち場へ戻ろうとしたシャナールを引き留める。


「《魚座(ピスケス)》のものでも、問題ありませんよ」

「……いいえ。アストラガル様たちには《射手座》の星送りの歌を捧げたいのです」

「…………っ」

「どうした? 歌わないのか?」

「いえ、その、ヴェレ様が、」


 どよめき始めた民衆を代表して、二人のもとにやってきたタリクが、妹の言葉を聞いて目を見開いた。


「………………俺の後に続けてくれ」

「分かりました」


 奥歯に何か詰まったような、何とも言えない表情で唇を噛み締めたタリクの表情に、ヴェレは何とか笑いを堪えると彼の言葉に音色を乗せた。


 星は翔ける 黎明(あけ)の空へ

 矢のごとく 闇を貫け

 行けよ 行けよ 流れの果てに

 風は汝を 導きて往かん


 二回、続けて繰り返す。

 気が付くと、ヴェレの髪は銀色に変わっていた。

 無意識で海の魔力を声に乗せてしまっていたらしい。


「戦士たちの魂に安らぎあれ」


 残響が風に運ばれていくのに目を細めながら、ヴェレは静かに一礼した。

 わっ、と歓声と嗚咽の混じった拍手が上がる。

 両脇を固める新しい《流星の矢(シダッラ)》たちに視線を向ければ、彼らはこくりと頷きを返した。


「……式典の後、話がある。仲間たちを連れて《流星の矢》――アストラガル様の家に来て欲しい」

「はい」


 今度はヴェレが頷きを返す番だった。


 ◇ ◇ ◇


《流星の矢》の屋敷にある巨大な暁鷹の剥製が、翼を広げて客人たちを迎え入れた。

 通常の暁鷹の倍はあるその剥製は、初代族長アグレイアの相棒リュヴナール。

《射手座》の古い言葉で、《流れる矢》を意味する。

《流星の矢》の語源ともなったその名は、文字通りその象徴として、代々《流星の矢》の屋敷に飾られてきた。


「……喪が明けるまでは、ここに置いておけば良いものを」


 タリクが苦虫を噛み潰したかのような顔をして小さく呟いた。


「兄上、」


 シャナールの呼びかけに「分かっている」とぶっきらぼうに返事をすると、客間に入ってきたヴェレたちを一瞥した。

 全員が古い木で造られた楕円のテーブルを囲んだのを待って、妹を側に呼ぶ。


「《星導の弓》」


 二人の声が重なったかと思うと、テーブルの上に軌跡を描きながら、《射手座》の神器が出現した。

 夜明けの空を彷彿とさせる淡い青と白に彩られた二振りの弓に、誰からともなく「ほう」と感嘆の息が溢れ落ちる。


「これを握ったとき、歴代《流星の矢》の記憶が流れ込んできた」

「皆様が知りたいと仰っていた《星の涙》について、分かったことがあります」


 兄妹が交互に言葉を紡ぐ。

 この二人はまるで、それぞれが何を語るのか分かっているかのように言葉を途切れさせる。

 だが、不思議と不快感はなく、二人の声音は凪いだ海のような心地良さをヴェレたちに与えた。


「《射手座》の《星の涙》は《流星の心臓》ではない」

「私たち――《流星の矢》が、《星の涙》みたいです」

「それから、他にも人が《星の涙》を務めている種族が存在しているようだ」

「フラー様なら、何かご存知なのではありませんか?」


 四つの灰色の目が、フラーを見据えた。

 

「そうじゃの。《守り手》が三人、いや四人も揃っておるんじゃ。話したとて、咎めはなかろう」


 フラーはそう言って、備え付きの椅子にゆっくりと腰を下ろした。


「《星送りの儀》には六人の《守り手》と、六つの《神器》を必要としている。十二部族それぞれを象徴とする、な」

「ということは、少なくともあと三人居る《星の涙》を保護しなければならないということですね」

「ああ。恐らく急いだ方がいいじゃろうな……。――すまんが、これ以上は語れぬ。わしは二柱の神々から《沈黙の呪い》を受けておってな。全てを語ることを許されておらん」


 胸元の衣服を握りしめながら、フラーがグッと息を飲み込んだ。

 重い空気が客間をゆっくりと満たしていく。


 誰も言葉を継がなかった。

 フラーの「沈黙の呪い」という言葉が、部屋の中に淡い緊張を落としたまま、時間だけが静かに流れていく。


「……そろそろ行きましょうか」


 ヴェレが一歩を踏み出す。


「リゲルまで送ろう」

「いえ、結構です。――十分に、いただきましたから」


 ヴェレの言葉にタリクは一瞬目を細め、それから苦く笑った。

 別れの挨拶を交わすとき、彼の手がほんの少し震えていたのをヴェレは見逃さなかった。


 それは《流星の矢》としての誇りか、あるいは重圧を背負う恐怖か――。


 ヴェレにも彼の気持ちが少しだけ分かった。

 励ますように、タリクの手をきつく握り返す。

 

 灰色の目は静かに流星を携えていた。


《流星の矢》の屋敷を出ると、谷の風が頬を撫でた。

 鎮魂祭の喧騒が過ぎ去った後の街並みは静かで、遠くで焚かれる香の煙が淡く立ち上っている。

 ふと振り返ると、屋敷の入り口でリュヴナールの翼が目覚めたばかりの朝陽を受け、かすかに煌めいた。


 その光が、まるで「行け」と告げているように思えて、ヴェレは小さく微笑んだ。


「……次は、どこへ向かうの?」


 荷をまとめながらシトラスが尋ねる。

 彼の声には、儀式を終えた安堵と、次の嵐を予感する僅かな不安が入り混じっていた。


「決まっているだろう。――《牡牛座タウロ》の地、マグナブルスだ」


 ハカリが治ったばかりの傷を撫でながら、自分の荷を担ぐ。

 その言葉に、ヴェレは頷いて懐から星屑を散らしたかのような光を放つ斧――《星断つトラヴィス》を取り出した。


「義父エルナトの遺品ですが、これは本来《牡牛座》の物。返すのが道理かと」

「それだけ? 何か、フラーの言葉が引っかかってる顔してるけど……」


 シトラスが覗き込むように顔を寄せる。

 ヴェレは短く笑って、夜空を見上げた。


「《守り手》は残り三人と言っていたでしょう。もしかしたら、その一人が――《牡牛座》に居るかもしれません」


 風が渡って、草の匂いが靡いた。

 マグナブルスは南西の大地にある。

 山と鉱脈に囲まれ、地の力が眠る堅牢な迷宮都市。


 重く静かな土地を思い描くうち、ヴェレは《星断つ斧(トラヴィス)》を見下ろした。


「そんじゃ、まずはリゲルに帰って、情報収集といくか」


 クラレットがぐいっと伸びをしながらそう言うのに、ヴェレは力強く頷いた。


「そうですね。そろそろ姉さんを椅子に縛りつけないと、私がミントさんに怒られてしまいます」


 ギルドマスター代理として汗水垂らしているであろうミントのことを思うと、自然と笑いが込み上げてくる。

 やがて笑いの輪は広がっていき、アグレイアとその隣に眠るアストラガルの墓標に高く響き渡った。


◇ ◇ ◇


 鮮やかな色彩の暴力に、シトラスは目が眩んだ。

 ここ数日は白い岩肌か、チェルカ草原に広がる緑しか見ていなかった所為で、久しぶりに見たリゲルの風景に視界が白く弾けるような錯覚に陥る。


 カイザールの街でセラスから借り受けた馬は、ハカリに随分と懐いているようだった。

 曰く、子どもの頃に世話をしていたことのある馬で、ハカリとの再会を喜んでいるらしい。

 この人混みの中でもおとなしく手綱を引かれてついてくる栗毛の馬に「主人より賢くて助かります」とヴェレの毒舌が閃いた。


「あ~~~~!!」


 ギルドがある通りに出た途端、一際大きな声がヴェレたちを出迎えた。


「やっと帰ってきたな!! クラレット!!」


 翡翠の髪を振り乱しながら走ってきたミントに、クラレットが「やべ」と眉根を寄せる。


「た、ただいま~。ミントちゃん~……」

「なぁにが、ミントちゃんだ! 白々しい! アタイらに仕事を押し付けて呑気に観光たぁ、良いご身分だなァ??」

「怒鳴るなよ。こちとら、病み上がりだぞ」

「知るか! ヴェレ! お前さんもだ! 何を他人事みたいに笑ってんだい!」


 ギルドの中でも古株に分類されているミントには、流石のクラレットも強く出られない。

 ましてや、二週間近くマスター代理を押し付けていたのである。

 小さくなって項垂れる姉の姿を見て、笑うなと言うのは無茶な話だった。


「ふふ。ごめんなさい。ミントさん」

「ったく、アンタたちは……」


 一頻り怒鳴ってスッキリしたのか、ミントは深く息を吐き出すとくいっと顎をしゃくってギルドの中へ入るように促した。


「ほう……? 収縮術式と結界術式を編み込んでおるのか。なかなか、器用なことをするのう」


 ギルドの外観と内装の違いに、フラーが瞳を輝かせる。


「…………おい。祈祷師の《乙女座(どうぞく)》を連れてくるとか、正気か?」 


 すわ自分たちを捕らえにやってきた処刑人では、とミントの顔が強張る。

 だが、彼女の言葉を聞いたフラーが豪快に笑い始めたことで、それは杞憂に終わった。


「だーはっはははは! 祈祷師とは! 言い得て妙なことを言う! 今の《乙女座》も捨てたものではないの!」

「ちょっと、フラー。声を抑えてください。他の皆さんが困っているじゃありませんか」


 ヴェレが視線だけで武器に手をかけていたギルドのメンバーを諌める。


「紹介が遅れました。この方は私たちの命の恩人です。ですから、皆さんそう殺気立たないでくださいな」

「すまんすまん。こんな純粋な同族を見たのは久しぶりでの。つい嬉しくなって、年甲斐もなくはしゃいでしまった」


 そう言って二人は微笑みを浮かべた。

 だが、その瞳に宿っている炎は猛々しく燃え盛っている。

 またヤバイ奴が増えた、とメンバーたちの心の悲鳴が一つになった瞬間だった。


「なら、いいけど。それじゃ、早速――」

「本当だ!! 帰ってきてるじゃないか!!」


 ミントがカウンターに回ったときだ。

 ギルドの開戸が豪快に開け放たれたかと思うと、ミントと同じ淡い緑の髪をぼさぼさにしたペパーが喜色満面でヴェレたちに駆け寄ってきた。


 普段は毛嫌いしているくせに珍しい。


「普段は近寄ってこないくせに珍しいな」


 クラレットも同じことを思ったのか、ヴェレと遜色ない意見を声に出して紡いだ。

 鼻歌を歌いながらカウンターに凭れかかったかと思うと、ペパーが懐から一枚の書類を取り出した。


「じゃーん! 指名依頼が来たんだ! それも《迷宮都市マグナブルス》から!」

「あら……! 本当ですね! もしかして初めての指名依頼では?」

「う、うん。でもちょっと、変なんだ」

「変、とは?」


「依頼主の名前がないんだよ。ほら、無記名なの」


 報酬を前払いすれば無記名でも依頼書を出すことは出来る。

 だが、ギルドとは信用で成り立っているものだ。

 そんな怪しい依頼書は受付に破棄されるか、依頼書を張り出している掲示板の隅でオブジェに成り果てるのがオチだ。


 けれど、指名依頼はそうもいかない。


 指名された冒険者は断ることも可能だが、そうすれば「冒険者としてあいつは頼りない」と一生後ろ指を差されて生きていくことになってしまう。

 特にギルド連盟の上位ギルドに名を連ねる《天海の槍》では、それが顕著だった。


「……奇遇だね。僕たちもこれからマグナブルスに向かおうと思っていたところなんだ」

「え?」


 ハカリがヴェレに持たされていた――帰路の途中から殆ど彼が運搬していた――《星断つ斧》をカウンターの上にそっと置いた。


「届け物をしに、ね」


 淡い光が《星断つ斧》の刃を撫で、カウンターの上でゆらりと瞬く。

 それはまるで、次の旅路を指し示す星明かりのようだった。


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