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レーヴの海で逢いましょう  作者: 神連 カズサ
第4章、流星を追う弓
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二十三、流星を継ぐ者


 一瞬の静寂。

 誰もが言葉を失い、ただ倒れ伏すアストラガルの傍に立ち尽くしていた。


「……兄上」


 シャナールの嗚咽が、張りつめた空気を揺らす。

 息を切らして走ってきたタリクは、アストラガルの穏やかな表情を見た途端に、膝から崩れ落ちた。


 けれど、彼の右手は弓矢を掴んだまま離さない。

 もう片方の手で顔を覆ったタリクの肩は、小刻みに震えていた。


 悲しみの波が、静かにその場を支配していく。

 誰もが皆、《流星の矢(シダッラ)》の死を受け入れられずに、呆然としていた。


――天空の覇者、ルクバトを除いて。


 ルクバトは濁った眼で彼らを見下ろしていた。

 暴風が吹き荒び、再び大地を飲み込まんと、唸りを上げる。


「っ……まだ……! 皆さん、構えてください……!」


 ヴェレが剣を構え直す。震える声を押し殺しながら、射手座の戦士たちを振り返った。


 その時――アストラガルが握りしめていた《星導の弓》が、宙に浮かび上がった。

 タリクとシャナールの前に引き寄せられたかと思えば、ぴたりと動きを止める。


「兄上、これって、」

「……《流星の矢》が、そう望むのなら、」


 タリクは毅然とその弓に手を伸ばした。

 けれど、シャナールは違う。

 何故、自分が選ばれたのか、という戸惑いが、彼女を躊躇させた。


「シャナール」


 タリクの灰色の目がシャナールを真っ直ぐ見つめる。


「《流星の矢》の言葉を忘れたのか」


 兄の言葉を受けて、シャナールの耳にアストラガルの声が呼び起こされた。


『忘れるな。弓矢はどちらかが欠けても意味を成さない。――《星導の弓(セイドゥナ)》が、お前たちを導いてくれるだろう』

 

 弓と矢。タリクとシャナール。

 自分たちの名前に準えて、そう例えたなら、これ以上のない激励だった。


 シャナールの目から、迷いが消える。

 白い手が震えながらに、《星導の弓》を掴んだ。


 その瞬間。辺りを真っ白に染めるほどの眩さを放ち――。


《星導の弓》が、二振りに分かたれた。


「神器が二つに……!?」

「残念ですが、感傷に浸っている暇はないようです。来ます――!!」


 驚いている二人を他所に、ヴェレは走り出した。

 そうしなければ、ルクバトがアストラガルの遺体に向かって突進してきていたからだ。


「ハカリ!! 私を《入れ替えて》ください!!」

「……全く、無茶を言う!」


 ヴェレの叫びにハカリは苦笑を返した。

 何か手頃なものがないか、と辺りを見渡すも、ヴェレと交換できそうな飛来物が見当たらない。


「何をするつもりかは知らんが、《歌い手(ローレライ)》をルクバトの元へ届ければいいんだな?」

「ああ。出来れば、真上を取りたい」

「……任せろ」


 一足早く立ち上がったタリクが、小ぶりになった《星導の弓》をルクバトへ向かって構える。

 

「我が矢からは逃れられない――《星矢(アステリオス)》!」


 勇ましい掛け声と共に放たれたのは、稲妻を帯びた光の矢。

 空気を震わせながら、ルクバトへ向かって真っ直ぐに飛んだ矢は、然してルクバトに届かなかった。

 暴風の壁が、矢を巻き上げて、攻撃を弾く。


「今だ!」


 タリクの狙いは、ルクバトに攻撃を防がせることだった。

 暴風が分厚い防御壁となり、弓矢は悉く防がれてきた。

 だが、そのおかげで分かったことがある。

 射手座の放つ矢は、暁鷹の羽を使っているため、対空時間が長く上空に留まるのだ。


 それを承知の上で、タリクは一矢放った。

 初めから、ルクバトの上空で長く留まらせることが出来る矢を。


 空中で輝く光の矢を、ハカリはしかとその両目に焼き付けた。

 刀の柄に口付けを落とす。


「行くよ、レディ――《交刻(フィルダ)》」

「待ってください!! そんな急に!?」


 浮遊感に襲われたかと思えば、ヴェレの身体は空中にあった。

 荒れ狂う風が、ヴェレを抱きしめる。

 頬を突き刺すような冷たい風を受け、双刀を握る手に力が籠った。


「《潮流(テトラウム・)(グラディウス)》!!」


 銀に棚引くヴェレの髪が、薄明の空を流れ落ちていく。

 渦潮を秘めた白銀が、ルクバトを捉えた。


――ウォオオオン……!!


 ヴェレの攻撃を受けたルクバトの巨躯が揺らぐ。

 けれど、瞳に宿った闘志はまだ消えていなかった。


「ヴェレ!!」

「……しま――グアッ!!」


 空中で体勢を整えることが出来ないヴェレを、ルクバトの後ろ足が容赦なく蹴りつけた。

 地面に叩きつけられたヴェレに、ハカリが慌てて駆け寄る。


「ガハッ……」


 肋骨をやられたのだろう。

 血を吐き出した彼女の姿に、ハカリは下唇をきつく噛み締めた。


「すまん《歌い手》。援護の隙もなかった」

「お、きに、なさらず。それより、も、トドメを」


 ルクバトは、斬撃を受けてもなお、首を振り乱して宙を闊歩していた。

 巨大な嵐が目前へと迫る恐怖に、タリクは短く「ふっ」と息を吐き出す。


「――兄上」


 シャナールの凛とした声が、タリクの心を落ち着かせた。

 対人形のように兄妹が並び立つ。

 その手の中で、《流星の矢》の証――《星導の弓》が煌めいていた。


「確実に仕留めるには《天墜(カラスト)》しかない。やれるな?」

「勿論です」


 二人は深く息を吸い込むと、弦をきつく引き絞った。

 彼らの手には矢が握られていない。


 夢の淵に足を引っ掛け始めていた星々の淡い光が、二人の指先に集まり始めた。


「蒼天を裂きて――」


 タリクの低い声が、張り詰めた空気を切り裂く。


「黎明を照らし――」


 シャナールがすかさず続ける。兄妹の声音が重なり、詩のように空を震わせた。


「我らの宿命は弦にかかる」

「矢は幾千の光となりて」


 二人の腕が弓を引き絞ると、白熱する光が奔流となって矢の形を成す。

 大気が焦げ、視界が灼け、天上から呼応するかのように白んだ星が瞬いた。


「星々よ応えよ――」

「受け継がれし矢は今ここに」


 声を揃え、歌うように詠唱を紡ぐ。


「《天墜》!」


 二人の声が一つとなる――世界が一瞬、無音となった。


 次の瞬間、空を覆うほどの光矢が生まれ、雨となって降り注ぐ。

 矢の群れは流星群のごとく尾を引き、逃れようとするルクバトを容赦なく穿った。

 

 肉を裂かれ、骨が砕かれたルクバトの毛並みは血で汚れ、生来の美しさは損なわれていた。

 だが、そこまでして漸く、瞳から濁りが消えた。

 灰色の双眸が、新たな《流星の矢》を真っ直ぐに射抜く。


 大地の騒めきにルクバトは彼らに礼を告げるように、緩慢な動作でその巨躯を揺らした。

 光の雨が地を覆い尽くすと、白銀の獣は星々に紛れながら、ふらふらと落ちていく。


 銀の矢は潰え、それを悼むように流星が踊っていた。 


 荒れ狂った空に、静寂が呼び起こされる。

 星屑のような残滓が舞い落ちる中、タリクとシャナールは力なく膝をついた。

 

「……これぞ正しく《流星の矢》、だね」

「悠長なこと言ってないで、逃げてください。巻き込まれますよ」


 呼吸が落ち着き始めたヴェレが、呆れたようにハカリの胸板を叩く。

 戦場に残ったのは、光の欠片と、確かに刻まれた勝利の証だけだった。


 ◇ ◇ ◇


 黎明の光が、大地に刻まれた鋭い傷跡を明々と照らし出す。

 柔らかな光と澄んだ朝の空気を吸い込んだ白い岩肌の上に、アストラガルと二人の《射手座(トクソテス)》の戦士が横たえられていた。


 彼らは、アストラガルの遺体をルクバトの攻撃から守ろうとして、星へと還ってしまったのだ。

 折り重なるようにアストラガルを庇った彼らはその身を以て、《流星の矢》を、一族の象徴を守ったのである。


 戦士たちの間から漏れ出る嗚咽に、ヴェレはそっと目を伏せた。

 クラレットやシトラスもまた、嵐のような攻撃に巻き込まれ、行方知れずとなっている。


「…………坊や、」


 もしかしたら、彼らも星に還ってしまったかもしれない。

 嗚咽を飲み込み損ねて、鼻を鳴らしたヴェレの肩を、ハカリは優しく抱き寄せた。


「ヴェレ」

「――間に合わなんだか、」


 息を切らしながら現れたのは、血泥塗れになったフラーだった。

 垂れ幕のように普段は重く閉ざしている前髪が顕になっている。


「フラー、貴女、」

「すまん。エルナトの腕までは取り戻せんかった。二人と斧を回収するのに、手一杯でのう」


 許してくれ、と告げながら、フラーは両脇に抱えていた何かをゆっくりと地面へ下ろした。


「シトラスくん!」

「姉さん!」


 気絶しているのか、ぐったりとした様子で横たわる彼らと、フラーの顔を見比べ、ヴェレは勢い良く彼女に飛びついた。


「無事で良かった……! あの嵐に巻き込まれて、皆死んでしまったのかと……!」

「おうおう。落ち着け。まずは、弔いが先じゃろうて」

「あっ、」


 口を噤んだヴェレに、フラーは優しく微笑むと、煩わしそうに髪を撫で付け、両手を組んだ。

 乙女座の刻印持ちが何故ここに、と誰かが呟くのを、ヴェレははっきりと聞いた。

 フラーを見れば、彼女はさして気にした様子も見せずに、亡骸の横に膝を折って静かに瞼を落としている。


「星導きの乙女、ヴァリスが願い奉る。朝翔の谷よ。誉高き《流星の矢》アストラガルと戦士たちの魂を、月の宮へと導きたまえ」


 大地が慟哭するかのように一際大きく軋んだかと思うと、アストラガルと戦士たちの亡骸が、朝翔の谷にゆっくりと飲み込まれていく。

 光の粒子が最後の一欠片となるまで、全員が息を潜めてそれを見守っていた。


「……アストラの魂に安らぎあれ」

「安らぎあれ」


 ヴェレは殆ど無意識でフラーの後に言葉を続けていた。

 瞼を持ち上げた彼女が嬉しそうに笑うのに、思わず小さな声で「すみません」と溢す。


「何故謝る?」

「作法も知らないのに、と思いまして」

「こういうのは気持ちが籠っているだけで十分じゃ」


 そう言って擽ったそうに笑い声を漏らしたかと思えば、精魂尽き果て息を切らした新たな《流星の矢》の二人へと視線を移す。


「嫌な役回りばかり残しおって……。流石、アグレイアの血筋じゃの」

「え?」

「星が巡ってきた、ということじゃ。長い話になるでの。まずは怪我の治療と行こう」


 華奢な指先が再び合わさる。

 祈りの仕草を取ったフラーが静かに息を吸い込んだ。


「生命を讃える花よ、大地に根差し、天に冠を掲げよ――《花冠樹フローディア》」


 詠唱と同時に、フラーの足元から光の蔓が地面を覆い尽くすかのように、広がっていった。

 光の奔流が大地を包み込み、やがて巨大樹が姿を見せた。

 枝先から溢れ落ちた透明な花弁が、ヴェレたちの頭上へと降り注ぐ。


「…………綺麗」


 誰からともなく恍惚に染まったため息が落ちた。

 思わずうっとりと目を細めたヴェレだったが、次いで息を吸うだけでも響いていた脇腹の、焼けるような痛みが水に溶けるかのように引いていく。


「傷が、」

「……これは、回復魔法? こんな広範囲のものは、初めて見たよ」


 シャナールに付けられた刀傷が癒えていくのを感じながら、ハカリはヴェレに視線を送った。


「ええ。数時間前の傷まで癒せるなんて聞いたことがありません。回復魔法はその場で発動しなければ意味がないと、坊やも言っていましたし」

「何。少しコツがあるんじゃよ。――何百年と祈れば、嫌でも身に付く、な」


 フラーはそう言って、ヴェレとハカリに歩みを寄せた。


「では、改めて名乗ろうかの」


 フラーの瞳がゆるやかに揺らめいた。

 紫の色合いは、滲むようにして赤へ、紅へと変わっていく。

 その光を受けた空気が、ひとしずく重さを増すかのようにずっしりと肩へ伸し掛かった。


「我が名はユングフラウ・ヴァリス。星海の十二部族、初代族長が一人。星導く乙女」


 花弁の舞い散る中、彼女は静かに口を開いた。

 一つ一つの言葉が、地の底から響くように胸の奥へと沈んでいく。


「太陽神オライオス、月女神セレヴィアが御子・星の神エストレラを月の宮に送り届ける――《星のゆりかご(トゥーレ)》の管理者である」


 その声音が紡がれる度に、空間は震え、透明な花弁が赤い光を帯びて揺れた。

 誰一人として声を発せず、ただその姿を、呑まれるように見つめるばかりだった。


 透明な花弁が舞い落ちる中、真っ赤に濡れたフラーの――ヴァリスの双眸が鮮やかに咲き誇っていた。


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