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レーヴの海で逢いましょう  作者: 神連 カズサ
第3章、星に祈るとき
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十七、暁を纏う矢


「じゃあ、僕たちは三日も神殿に籠っていたってこと……!?」

「ええ。私が持っている携帯用砂時計と、この街の大砂時計に狂いがなければ、の話ですが」

「…………うそだあ」

「嘘なものですか。それに私がそんな嘘をついて一体どんな得があるって言うんです」


 とりあえず食事を摂ろう、とセラスたちに案内された華美な客室で、ハカリはべたりとテーブルに頬を預けて項垂れた。

 三日も会えなかったというのに、常と同じかそれ以上に淡白なヴェレの態度に、無意識で唇を尖らせてしまう。


「レディは僕に会えなくても、いつも通りなんだね」

「今生の別れでもあるまいし、何をまた……」


 拗ねた口調のハカリに、ヴェレは漸く理解が追いついた。

 詰まるところこの男は拗ねているのである。

 先ほど、長兄たちとのやりとりを見てからこっち、やたらソワソワしていると思っていたが、なるほど――。


「貴方が居ないと部屋が静かで快適でした」


 お手本のような満面の笑みを浮かべた《魚座(ピスケス)》の至宝に、ハカリが目を丸くする。

 声にもならない、空気を震わせるような頼りのない音で「ヴェレ」と彼女の名前を紡いだハカリに届いたのは、求めていたものとは違う――軋んだ扉の音だった。


「……もう限界だって! 僕、お腹ぺこぺこなんだよ~!」

「これ、坊。良いところだったのに邪魔するでない」

「そうだぞ。シトラス。今からハカリが持ち直すかもしれなかったのに」


 半泣きで空腹を訴えるシトラスを先頭に、クラレット、フラーの三人が扉の向こうから姿を見せた。

 まるで何か面白い芝居でも始まるのを期待しているような顔――シトラスは空腹でそれどころではなかったが――で、ぞろぞろと客室になだれ込んでくる。突然のことに、生娘のような悲鳴を上げたのはもちろんハカリで。

 すわ敵襲か、と甲高い悲鳴を聞いて血相を変えたセラスとノクも現れ、助け舟ではなく敵船が増えたことにハカリの頭痛がますます悪化したのは言うまでもない。


 その後の食事は笑顔と軽口が絶えないまま、黄昏のカーテンが目覚めたばかりの星々を柔らかく撫でる時間まで和やかに続いた。


「そう言えば、旅の目的をまだ聞いていなかったな。差し支えなければ、聞かせてもらえると嬉しいのだが、」


 遠慮がちに話題を変えたのは、末弟が戻ってきた理由を深掘りしたくて仕方がないセラスだった。


「あ、それ私も気になっていたの」


 彼を後押しするかのようにノクもまた、当たり年の果実酒をぐいっと煽りながらヴェレに視線を投げかけた。


「……どうして、こちらを見るんです?」

「だって、この子が素直に話してくれると思う?」

「…………」


 確かに、と小さく口の中で言葉を転がすと、ヴェレは仲間たちを順番に見渡した。

 ハカリは飲まなければやっていけないと言わんばかりに浴びるように酒を飲んでいたし、無類の酒好きであるクラレットもまたそんな彼に悪影響を受け、呂律が回っていない。シトラスはと言えば、いつの間にか合流したハカリの両親と魔導書談義に花を咲かせており、こちらに見向きもしていなかった。


「隠すより話した方が、お互い後が楽じゃと思うがの」


 ボトルを片手に――既に十数本を空けている――フラーが、ヴェレの斜め後ろからひょっこりと顔を見せた。

 器用なことに寝転がったまま宙を漂う彼女は、だらしなく酒瓶を口に押し当てながら、「ほえ」とヴェレに先を促す。


「そうですね。話すと長くなるのですが、」


 ヴェレは掻い摘んで、現状を彼らに話した。

 シトラスの兄の行方を追っていたら何故か《魚座》の諍いに巻き込まれてしまったこと。その所為でクラレットが負傷し、カイザールには治療のためにやってきたこと、そして各部族が守っている《星の涙》を探していることを。


「ふむ。そうなると《天秤座(リブラ)》は既に《星の涙》とやらを、《乙女座(ユングフラウ)》に奪われたかもしれません」

「え!?」

「《裁定者(ブギーマン)》を祀る神殿には《無色の天秤》と呼ばれる神器も一緒に奉納されていたのですが、ノクの調べでそれが盗まれたことが発覚しました」

「恥ずかしながら、私はその犯人がハカリだとばかり思っていたのよ」


 ノクがバツの悪そうな顔をして、クラレットと飲み比べを始めたハカリの赤らんだ横顔に視線を遣った。


「そう、ですか。それは残念です。実は《星の涙》というものが、どういうものかよく分かっていなかったので、何かご存知ならお聞きしたかったのですが、」

「力になれず、申し訳ない」


 穏やかな夕闇の風が、ほんの僅かに冷たくヴェレの頬を刺した。

 元々、手掛かりは少ない。

 それだというのに、どこか落胆している自分がいる事実に、少しだけ驚いた。


「話の腰を折るようで悪いが、《無色の天秤》は《星の涙》ではないぞ」


 流星が空を駆け抜けるように、フラーの一言がヴェレの胸を射抜く。


「え、」

「アザリオめ。こうなることを予期して、わざと偽の《星の涙》を神殿に飾ったな。相変わらず性格の悪いやつじゃ」


 げ、と舌を突き出したフラーに驚いたのはヴェレだけではない。

 突然登場した初代族長アザリオの名に、セラスの瞳にもまた動揺が走った。


「《乙女座》は長命だと聞き及んでいましたが、もしや初代族長とお知り合いだったのですか?」

「……そうさの。あやつはお前と同じように不器用な男じゃったよ」


 フラーは空気を入れ替えるために開け放たれたままの窓の向こう、薄明山が大地を抱く姿をぼうっと眺めながら続きを口にした。


「《星の涙》とは、二柱の神々が十二部族に与えた聖なる神器。《星送り》の儀式を行うために必要な祭具のことを言う」

「では、《乙女座》の目的、というのは」

「十中八九、《星送りの儀》を行おうとしていると考えて良いじゃろうな」

「そのために、イクテュスを無理やり目覚めさせようとしていたのですね……」

「ああ。《魚座》は《歌い手》が《星の涙》だからの」


 ヴェレは目を丸くしたまま固まった。

 何のことはないと言わんばかりの普通の顔をして、フラーがヴェレの鎖骨に刻まれたばかりの真新しい《歌い手》の刻印を指先で優しく辿る。

 

「…………それでは、《天秤座》の《星の涙》というのは、」


 セラスは思わずノクと顔を見合わせると、その視線をすっかり潰れて健やかな寝息を立てているハカリの寝顔へと向けた。


「他部族の《星の涙》は族長にのみ、共有される。当世の《乙女座》族長は余程の強欲か、度を超えた阿呆のどちらかじゃろうて」

「ま、待ってください!! それじゃあ、どうして貴女はそんなに《星の涙》のことに詳しいんです!?」


 逸る気持ちを抑えようと、肌に触れたままのフラーの手をきつく握りながら、ヴェレは彼女の顔を食い入るように見つめた。


「いずれ、星が巡れば、自ずと答えは見えよう」


 フラーはそう言って、姿を霧に眩ませてしまった。

 ひたり、と触れられた肌に残った冷たい指先の感触に、ヴェレの眉間に深い皺が寄る。


「《星の涙》かどうかは分からないけれど、この辺りで有名な《神器》と言えば、一つしかないわね」


 もはや最初の頃のように和やかな空気など、どこにも無かった。

 重苦しく身体に纏わりつく夜風が持ち上げた前髪を掻き分けながら、ノクが猫のように目を細める。


「《射手座(トクソテス)》に伝わる《流星の心臓(ドゥマラク)》よ」


 ◇ ◇ ◇


 空駆ける暁の射手――《射手座》の直系筋《暁矢の民》が暮らしているのは、カイザールを北上した大陸の果て、黄金に輝く大地《サフラン峡谷》だった。

 診療所の医師から漸く太鼓判を押されたクラレットも引き続き同行を固辞したため、一行はセラスから借り受けた幌付きの馬車に乗ってサフラン峡谷への道を急いだ。


「出発は明日が良かったな……」


 まだ読みたい魔導書があったのに、と言外に表情で語るシトラスの姿に、ヴェレは苦笑を返した。


「そうしたいのは山々だったのですが、《暁矢の民》と日中出くわすのは危険なんです」

「どうして?」


 顔を顰めたシトラスに、答えを引き継いだのは出発時になるといつの間にやら馬車に乗り込んでいたフラーである。


「字の如くじゃ。あれらは朝に獲物を狩る。地上で動くものは全て等しく狩りの標的になるからの」

「そ、それって人間も食べるってこと?」

「だーっははは! 相変わらず坊は想像力豊かじゃの! 何、食べはせん。身包み剥がされるだけじゃ」

「……どっちにしろ、怖いよ」


 物騒な会話に花を咲かせる彼らに、御者を買って出たハカリもまた苦笑を浮かべた。


「はあ~さみ~。警戒するだけ無駄だったな。そっちはどうだ?」


 幌の上に乗って辺りを警戒していたクラレットが真っ赤になった鼻先を擦りながら顔を覗かせる。

 

「もうそろそろ大陸境に到達すると思うよ」


 箒星の塔を目印にしろ、とセラスに言われていた通り、古びた塔が視界の先に見えてきた。

 あそこは天秤座が有する領地の最果てを意味している。

 つまり、ここを抜ければ《射手座》の狩場に到達する、というわけだ。


「――皆、準備はいいかな?」

「あら、誰に聞いてるんです」

「これは失礼した。新調した防具、とっても似合っているよ」


 レディ、と投げて寄越されたウィンクに、ヴェレは肩を竦めることで応えた。

《真珠海》で譲り受けた銀糸のように繊細な銀髪と海の魔力が編まれた特別な鎧は、ヴェレの身体によく馴染んだ。

 長身痩躯の彼女が纏うと、まるでドレスのように流麗な衣装にも見える。


「馬鹿なことばかり言っていないで、進行方向に注意してください。――姉さん、見張りを変わります」

「お、おお。悪いな」

「また倒れられたら面倒ですから」

「かわいくね~~」


 微笑ましい姉妹のやり取りに、今度はハカリが肩を竦める番だった。


 黄金の大地もまた夢を見ているのか、不気味な静けさがサフラン峡谷を覆っていた。

 砂埃を立てながら、一行の馬車が進む音だけが、闇の中に反響を繰り返す。


「ハカリ」


 不意にヴェレが小さくハカリの名前を呼んだ。

 どこか緊張の滲んだ常よりも低い声に、すっかり眠りの淵に足を引っ掛けていた馬車の中のメンバーたちもまたそれぞれの武器を手に取る。


――ビュン。


 それはどこからともなく姿を見せた。

 閃いた黄金の矢は、ハカリの座っていた御者席を正確に射抜いていた。


「ここが我らの領地と知っての狼藉か」


 分厚い革で造られた装束と頭上を旋回する巨大な鷹――《暁矢の民》の青年二人組が、少し離れた場所からこちらを値踏みするように睨め付けている。


「び、っくりした! もう少しで額を串刺しにされるところだったよ!」


 場違いな驚嘆の声に、神妙な面持ちで彼らに切先を向けていたヴェレは興が削がれてしまった。

《天秤座》の固有刻印を使ったのか、《暁矢の民》の背後を取ったハカリに「あのまま少し血抜きをしてもらった方が良かったのでは」と軽口を叩く。


「嫌だよ。痛いのは苦手なんだ」

「まあ! それは初耳です。今度ぜひ試させてくださいね」

「いくら、レディの頼みでも、それはお断りかな!」


 ハカリが全力で首を横に振りながら、自身のすぐ傍に立つ青年の方へと剣を構えた。

 双剣の柄同士を合わせ、薙刀へと変化させたヴェレが勢い良く地面へと降り立つ。


 背後を取られたことで動揺したのか、固まって動けなくなった青年たちの間合いへと瞬きの間に詰め寄った。


「ここが狩場と言うのであれば、自らも狩られる覚悟を持っているとお見受けしてもよろしいのですよね?」


 微笑みを浮かべたヴェレを月明かりが優しく照らし出す。

 白金の髪が揺れ、隙間から覗いた桜色の双眸には挑発の光が色濃く灯されていた。


「おっと、妙な動きはしないでおくれよ。君たちと違って僕らはただの《旅人》なんだからさ」


 鷹を呼び寄せようと唇に指を寄せた青年の喉元でハカリの刃が白い閃光を放つ。

 背後を許した時点で自分たちの負けを悟ったのか、彼らは苦虫を噛み潰したかのような表情で武器を手放した。


「こんな物騒な旅人が居て堪るか」

「九つ星も眠りにつこうとしているような夜更けに、一体何が目的で我らが領地を侵した」


 捕縛されている間も流石は武人である。

 目だけはやけに爛々と不穏な炎を宿したまま、彼らはヴェレとハカリの二人をきつく凝視していた。


「好戦的なのは結構ですが、相手の力量も分からず突っ込むお馬鹿さんたちにお話しする義理はありませんねぇ」

「あはは! 違いない!」


 二人の煽り文句に、青年たちの顔は怒りで真っ赤に染まった。

 戦士の証である緋色の紋様が分からなくなるほど、顔色を赤くした彼らの様子に、ヴェレはふむと口元へ手を添えた。


 捕えられたにも関わらず、強気な態度を崩さない。

 武人であれば当然のことだ。

 だが彼らのそれは何か違った。


「……まさか、」


 先ほどまで頭上を旋回していた鷹の姿が見えない。


「主らも詰めが甘いのぅ」


 くつくつと喉を鳴らしたフラーが、鷹の足首を握ったまま、地面に舞い降りた。


「――カイラムッ!!」

「貴様! カイラムを離せ!」


 青年たちの顔から、今度こそ完全に余裕は消えた。

 代わりに見せた怯えのそれに、フラーが口角を持ち上げる。


「わしらの目的は主らの地を汚すことではない。《流星の心臓》について、聞きたいことがあるだけじゃ」


 返してほしければ、情報を寄越せ。

 この中で一番厄介な人物に主導権を握らせてしまったことに、ヴェレとハカリは顔を顰めることしか出来なかった。


 眠らぬ夜の底、風が渇いた峡谷の岩肌を撫でていく。

 それはまるで、夜泣き鈴の木が身を震わせているような不気味な音色を奏でていた。

 

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