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レーヴの海で逢いましょう  作者: 神連 カズサ
第3章、星に祈るとき
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十六、若獅子は閃光と舞う


 五つ星の目覚めたばかりの太陽が、目に沁みる。

 シトラスはごしごしと眦を擦りながら、空中で蝶と戯れるフラーに視線を送った。


 身体強化と刻印は魔力の編み方が異なる。

 そう口酸っぱくフラーに言われていたにも関わらず、シトラスは自身の身体に刻印を付与する際、無意識で身体強化として魔力を編み込んでしまっていたのだ。


 昨日の失敗を取り戻そうとうんうん唸る少年の姿に、フラーが「そう落ち込むな」と声を投げかける。 


「身体で覚えた方が早いと思っていたが、坊にはちと早かったみたいじゃな」

「うう~~」

「唸るな唸るな。ほれ、まずはそこの花に刻印を付与してみい」

「え? この花に?」

「そうじゃ」


 フラーがこくりと頷きを一つ。

 彼女の言葉にシトラスは「本気で言ってる!?」とつい声を荒げた。


「やり方は教えたじゃろ。その花を武器だと思うて付与してみよ。自分の身体に刻むよりは出来るじゃろうて」

「でも、」


 生き物に魔力を刻むのは難しい。

 例えそれが動かぬ植物とはいえ、例外ではない。

 険しい表情のまま動かなくなってしまったシトラスに、フラーはゆったりと瞬きを繰り返した。


「坊は魔力の流れを意識してみたことはあるか?」

「え、」

「人には星の、生き物には太陽と地の魔力が流れておる」

「う、うん。それは知っているけど」

「では、魔法を発動するときに、魔力の流れを感じたことは?」


 そう言われて初めて、シトラスは普段どうやって自分が魔法を発動しているのかを思い返してみた。

 詠唱を紡いだ後、刻印や魔法が発動する一瞬――身体がじんわりと熱を持つ瞬間がある。

 フラーが言う魔力の流れというものが、それだとすれば。


「詠唱の後、身体が熱くなるときがあるんだけど、それって」

「そうじゃな。それが魔力の流れじゃ」

「じゃあ、詠唱に従って僕の身体から魔力が放出されてるってこと?」

「……坊は飲み込みが早いで、教え甲斐があるの」

「ほ、ほんと!? えへへ~」


 破顔しながら身体をくねくねと落ち着きなく動かすシトラスの頭をフラーは優しく撫でた。


「ほれ、今言うとった身体が熱くなる感覚を詠唱の前に意識してやってみい」

「え? 詠唱の前に?」

「そうじゃ」

「分かった。やってみるね」


 こくりとシトラスが頷いたのを合図に、フラーが半歩後ろに下がる。

 その気配を背中で感じ取りながら、シトラスは静かに瞼を閉じた。


(さっきフラーは生き物には太陽と地の魔力が流れてるって言っていた。なら、きっと……)


「《礫牙(エルダロ)》」


 祈りを捧げるように両手を組みながら、刻印を発動する。

 シトラスは魔力が掌となって花を包み込むようなイメージを浮かべてみた。

 根からそっと優しく触れるように、意識を集中させる。

 次いで、シトラスはハッと息を飲んだ。

 自身の魔力とは違う別の魔力の感覚をはっきりと掴んだからだ。

 

 淡い、夕闇を思わせるシトラスの魔力が庭に咲く一輪を包み込む。


 魔力が定着すると同時に、弾けるように石の礫が可憐な花から放たれた。


「ふむ、上出来じゃ。それにしても、《礫牙》とはまた古い刻印を知っとるの」

「この魔導書に書いてあったんだ。いつか使ってみたいなと思ってて、」

「オルトリンデの初版か。懐かしいのう。ここの《花契(フロルナ)》からはわしも開発を手伝ったんじゃぞ」

「ええ!? そうなの!?」

「おうとも」

「…………フラーって一体何歳なの?」

「《乙女》に歳を聞くとは、坊もなかなか命知らずじゃな」


 なはは、と笑いながらもフラーの目だけが笑っていない。

 シトラスは気付かれないようにそっと僅かに後退ると、今の感覚を忘れないうちに自分の身体に流れる魔力へと感覚を研ぎ澄ませた。


 空気中の魔力がシトラスに引き寄せられていく。

 

 だが彼はそれに気が付いていない。

 鋭く尖った氷柱――研がれたばかりの刀剣。

 それらを連想させるほど、高純度に練られた魔力の心地良さに、フラーはやおら目を細めた。

 

「シトラス」

「…………」

「ほほ。わしの声も届かんほどの集中とは、やりよる」


 黄昏色の魔力が極光のようにシトラスの周りをぐるりと覆い被さった。

 やがてそれは小さな稲妻となり、少年の身体を紫電が駆け巡っていく。


「我が腕に宿るは、雷の咆哮。静寂を裂き、全てを貫く閃雷と化せ――《閃光(ブラストリッツ)》」


 獅子の前足がシトラスの両腕に憑依した。

 電撃が形を帯びたそれは、青白い稲光を発し、周囲一帯を妖しく照らす。


「で、出来た! 出来たよ! フラー!!」


 嬉しそうに破顔したシトラスの姿が、フラーには眩しかった。


「やるのぉ」

「えへへ~」

「では、その状態を保ったまま、わしと組み手してみるか」

「え!?」

「ほれ、どうした。さっさとかかってこい。その程度の魔力、編み上げるだけなら《乙女座》の赤子でも出来るぞ」


 足裏に魔力を集中させたフラーが、シトラスを煽るように頭上をひらひらと舞い飛んだ。


「……! い、いくよ!」


 安い挑発だと分かっていても、挑まずにはいられなかった。

 突き出した拳がフラーを捉える。


 轟音と共に空気を震わせた雷が、静かに反響を繰り返すのだった。


◇ ◇ ◇


 パチ、パチ――。

 瞼の裏で灯が瞬くたび、ハカリの意識はゆっくりと浮上していった。


「……ん、なに……」


 どうやら、自分は昔使っていた部屋に帰った途端、電池が切れたらしい。

 鼻腔を擽る、懐かしい実家の香り。胸の奥にじんわり広がる安堵に、再び瞼が重くなる。


「やっと起きたな、星待ちの君。夜空がよほど心地良かったと見える――もう昼だというのに」


 部屋を満たす陽光の温もりが、さらに眠気を誘う。

 目尻を擦り、なんとか睡魔を振り払っていると、不意に耳に入ったのは長兄の嫌味。


「……セラス兄さん?」


 条件反射のように眉間を寄せると、向かいの勉強机に腰掛けていたセラスも同じく渋い顔をした。


「化け物でも見たような顔はやめろ。私だって傷付くんだぞ」


 わざとらしくため息を吐くと、セラスは無造作にハカリの頭へ掌を置いた。

 そして、昔より大きくなった末弟の頭をこれでもかと掻き乱す。

 酷い寝癖だ、と文句を言いつつも、手を離す気配はない。


「……いい加減、痛いって――」

「お前が《裁定者(ブギーマン)》に選ばれることは、分かっていた」


 その赤い瞳が、ハカリを透かして誰か――リュカを見ているように思えた。


「……」

「けれど、私はお前に《裁定者》になってほしくはなかった」


 セラスの声は微かに震えていた。

 呼びかけかけた「兄さん」という声を遮るように、彼は宝物を奪われまいとするかのごとく、その腕でハカリを包み込む。


 分かっていた。

 誰よりも優しく、聡明なこの弟が、次の《裁定者》に選ばれることは。


 だからこそ、距離を置いた。

 また失うのが、怖かったから。


 一族の悲願など知ったことではない。

 弟を犠牲にしてまで叶えたい願いなど、セラスにはなかった。


「……リュカのように、お前まで失いたくなかった」

「兄さん――」


 ハカリの声に、嗚咽が混じる。

 それに気付いても、セラスは何も言わず、抱き締める腕の力を強めた。


「《天秤座(リブラ)》の子、ハカリに問う」

「……はい」

「決して命を粗末にしないと誓えるか」


 柘榴を嵌めたような鮮烈な赤が、真っ直ぐハカリを射抜く。

 久しぶりに見た兄の顔は、記憶よりもわずかに老け、二人の間に流れた長い星巡りを物語っていた。


「――誓う」


 セラスの腕を離れ、右手を左胸に、左手を高く掲げる。《天秤座》の宣誓の所作だ。

 セラスも返礼として、同じ所作を取った。


「兄さんも誓って」

「何をだ」

「――《天秤座》は、この先何があっても、《歌い手(ローレライ)》の味方をすると」


 今度は、紫紺の瞳がセラスを射抜く番だった。

 脳裏を過ぎるのは、義姉に寄り添うヴェレの姿。


「……誓おう。たとえ世界を敵に回そうとも、《天秤座》は《裁定者》と《歌い手》を必ず守る」


 それ以上、言葉は不要だった。

 固く握手を交わし、自然と互いを抱き寄せる。

 すっかり大きくなった弟の背に、熱いものが胸を満たし――やがてそれは涙となって頬を伝った。


「……ぐっ……う、うぅ……」


 斜め上から降る嗚咽の雨を、ハカリはただ静かに受け止めていた。

 互いの涙がそれぞれの胸元に大きな染みを作ろうとしていたときだ。

 こんこん、と控えめなノックが静かに反響を繰り返す。


「…………どうぞ」

「失礼します」


 開いた扉の先。

 姿を見せたヴェレに、ハカリはギョッと目を見開いた。


「――セラス兄さん」

「何だ」

「どうして、ヴェレが《紫》の服を着ているのかな?」

「お前が遺跡に篭っている間、悪い虫が付かないようにしておいてやったんだろう」

「よっ、余計なお世話だ! 大体、彼女と僕はそういう仲じゃ、」


 顔が熱い。

 鏡を見なくても、炎を宿したかのように赤くなっているのが嫌でも分かった。


「……ふ、ふふっ」


 ヴェレの笑い声が、部屋に響く。

 もうそろそろハカリも起きるだろう、とノクに促されて様子を見にきただけだったが、予想以上に面白いものを見ることができた。


「失礼。私たちの前では、もう少し『お行儀の良い』姿しか見たことがなかったもので」

「それは重畳。どこに出しても恥ずかしくないよう育てた甲斐がありました」

「ええ、本当に」


 にこにこと微笑む二人に、ハカリは文字通り「ぐう」と唸った。

 今は何を言っても反撃される未来しか見えない。


「それで? 私がこの服を着ていることに何か問題があるのですか?」

「……なにもないよ」

「いい大人が拗ねてもみっともないだけですよ」

「…………黙秘権を行使する」

「こういう時ばかり《天秤座》っぽくなるのは、いかがなものでしょうね」


 ヴェレはすっかり玩具を見つけた子どものようなキラキラとした目でハカリを見ていた。

 普段なら決して向けられることのないその熱視線を真正面から浴びて、居た堪れなさが極地に至る。


「い、言いたくない」

「ひょっとして、ノクさんがセラス様の瞳の色を纏っていることに関係しています?」

「…………」

「なるほど」

「ちょっと待って。そういうこと? いつから!?」


 矛先が自分に向き始めた瞬間、セラスはその長身からは想像だにしない俊敏さを以てヴェレに肉薄した。


「ヴェレ嬢、あちらで話を」

「まあ、そんな。いけません。こんなところ、ノクさんに見られたら」


 やけに芝居がかった仕草で身を捻らせるヴェレに、ハカリは身体の疲れも忘れて、長兄と彼女の間に割って入った。


「そうだよ兄さん。ノクは怒るとしつこいの知ってるでしょ」

「……全く、お前は、」


 十年ぶりに会ったとは思えない――昔のまま、悪戯好きな少年の顔で自分を見るハカリに、セラスは目頭をぐっと抑えた。


「どうやら、説明を怠った私に勝ち目はなさそうだな」


 両手を持ち上げ降参の構えを取ったセラスが「《天秤座》には、恋人や夫婦が互いの瞳の色を衣服に取り入れる風習があるんです」と肩を竦ませながらに紡ぐ。

 まさか馬鹿正直に説明されるとは思わず、ヴェレは瞑目を繰り返した。

 前に立つハカリの背中がぷるぷると、生まれたばかりの子鹿のように小刻みに震えている。


 ヴェレに用意されていたのは、夕日が眠りにつく前に夜を少し纏ったような鮮やかな紫紺の衣服だった。

 清廉潔白を好むリブラでは白を基調とした服が多い。

 ちらほら、と美しい色合いの服を着た人間が歩いていた疑問が解消されたことにヴェレは再び「なるほど」と相槌を打った。


「私は知らぬ間に、ハカリと男女の仲を公言して歩いていたということですね」

「んんっ。まあ、そうなるだろうね」


 明け透けな物言いに、セラスは反省しているポーズを一瞬だけ崩す。

 末弟が可哀想なくらい真っ赤になっている事実がまた、セラスの笑いを誘った。


「許せ、ハカリ。この街はただでさえ娯楽が少ないんだ。そこへヴェレ殿やクラレット殿のような美しい女性たちが来たら、どうなるか……。お前なら分かるだろう」

「だ、からって、どうしてヴェレに……ッ!」

「ノクがとても仲睦まじい様子だったというから、つい」


 さらり、と放たれた兄の言葉にハカリが瞬きを落とす。

 

「ヴェレさん? ハカリは起きて――あら?」


 戻らないヴェレを心配したのだろう。

 セラスの瞳を彷彿とさせる真っ赤な民族衣装――リベルディア――に身を包んだノクが、開け放たれたままの扉からひょっこりと姿を見せた。


「お邪魔でした?」

「まさか。丁度、君の話をしていたところさ。リベルディアのドレスがよく似合っている、と」

「まあ、セラス様ったら……!」


 二人の間にやわらかな空気が流れ、視線が絡む。

 赤くなった眦を和らげたノクと、微笑むセラス。

 その距離感に、ハカリの喉奥がきゅうとおかしな音を立てた。


――今日はもう、口を挟んでも勝てる自信がない。


 甘い雰囲気を放ち始めた二人から逃れるように、懐かしい自室の天井を睨みつけた。

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